オルタンスの決意:ゴッズヴュー
ノエルのもとに、アルベール殿下が顔を見せなくなって数日。
いよいよジェラール・ド・パルマンティエ国王陛下の死期が、近づいているのだろう。
王位継承権を返上したとは言え、この時期に第二王子殿下が王城から離れる訳にはいかない。
周囲から反逆の濡れ衣を着せられるような真似は、可能な限り慎むべきなのだ。
こうした諸々の事情により、このところ急接近したアルベール殿下との冷却期間を与えられ、ノエルはドラローシュ侯爵邸に与えられた自室でボォーとしていた。
為すべき重大な役目は、既に果たしてしまった。
だから母親であるオルタンス夫人からの干渉は途絶えている。
暇であり、それなのに何かをしようと言う気も起きない。
そんなノエルが思い起こすのは、アルベール殿下との別れの場面だ。
「キスされちゃったよ……」
初めてのチューだ。
それも相手は、美麗な王子さまだ。
その日は、一日中フワフワとした気分で、何も考えられなかった。
あれほど信じていた理性が、筋肉同様あっさりとノエルを見限り、持ち場を放棄してしまったのだ。
「ぐわぁぁぁぁーっ! オレは男だ。恋する乙女じゃあるまいし……。逆上せあがるなら、可愛らしいご令嬢が相手だろ!?」
ノエルの主張はこうだ。
あれは断じて恋心などではない!
「はぁー」
顔が火照ようなあれこれを思い出して、幾度となく反芻する。
自然、姿勢は猫背になり、スカートの柄を見つめ続け、ため息を漏らすことになった。
「オレは大丈夫……。まだまだ冷静だ。これは単に恥ずかしいからであって、世間で言うところの恋とか愛ではない!」
ノエルは下唇を噛みながら、チェンバロの鍵盤に指を躍らせた。
心の平静を取り戻すなら音楽だ。
美しい旋律に身を委ね、つまらぬ悩みなど洗い流してしまえばよい。
「おやぁー。珍しくアンニュイな曲調ですね。殿下がいらっしゃらないので、寂しいのですか?」
「ん、なわけあるかぁー!」
「あらあら、お嬢さまったら恥ずかしがって……。ウブイですね」
「……くっ!」
どれだけノエルが胡麻化そうとしても、颯香はそれを許さない。
だって颯香にしてみれば、劇場で演じられるどんな恋愛物語より、こっちの方がずっとスリリングで面白かったからだ。
顔を赤く染めてのたうち回るノエルの姿は、どんなものにも勝る馳走だった。
何度見ても飽きない。
「颯香はオレに構わず、自分の仕事をしたら……」
「ハイハイ」
ノエルは颯香の発言に反発し、演奏する曲を変更した。
【偉大なる王を讃えよ!!】
賑やかで明るく、勇壮なマーチである。
〈ハイホー、ハイホー♪〉
〈いっち、にぃ。いっち、にぃ〉
チェンバロの周りに整列した精霊たちが、曲に合わせて行進を始めた。
◇◇
ジェラールとの約束を果たす日が来た。
都合が良いことに、夕刻から小雨がぱらついている。
夜空の月や星は厚い雨雲に隠されいたし、道を歩く人影もない。
他人に見咎められたくない仕事をするには、最高のシチュエーションだった。
「セバスチャン。準備は良いかしら?」
「勿論でございます。万事抜かりなく。荷物は全て梱包して港へ。使用人たちも、サンドリーヌさまを連れて港近くの宿屋へ移りました」
「そう。ではセバスチャンも、ここを引き払いなさい。見つかるようなヘマはしないつもりだけど、先見に絶対はありません」
「ハハッ。仰せの通りに……」
オルタンスは商業区画に購入した建物の権利を躊躇わず処理した。
もう王都ロワイヤルに住むことはないから……。
「ノエルともお別れね」
大いなる意思の望みを叶え、オルタンスが得た褒美は本物の娘だった。
なので偽物のノエルは、不要になった。
ノエルは、アルベール王子のもの。
これ以降、王都ロワイヤルに留まり続ければ、オルタンスの存在がノエルを窮地に落とす危険があった。
相手は邪教集団だ。
サンドリーヌが攫われる可能性だってある。
最良の選択は、安全な場所に隠れて、吉報を待つことだ。
「ユストゥス教団に、余計な情報を与えるつもりはないの」
だから……。
後事はノエルに丸投げする。
と言うか、大いなる意思がノエルを解放しないだろう。
「あの子に、迷惑を掛けたくないから」
とても薄情に見えるけれど、これが予見者なりの生き方だった。
未来のヴィジョンが、好き勝手に生きることを許してくれない。
フード付きの黒いコートを羽織ったオルタンスは、ドゥレビール王城へと向かい、馬を走らせた。
「時間通りですね。お待ちしておりました」
「ありがとう」
通用門を見張る三名の衛士から、リーダー格の一人が声を掛けてきた。
城壁を通過するのは簡単だった。
ドラローシュ侯爵とリネール王国魔法研究所の助けを得て、内部協力者は獲得済み。
巡回の警備兵が、いつどの場所を通るかも先見で分かっている。
オルタンスがパルマンティエ王家から賜った肩書は、単なる飾りじゃない。
『王家の相談役』は、国王が臨終に瀕していようとも、国王派に対して有効だった。
むしろ救世主のように崇拝し、救いを求める者が多かった。
そして隠れ国王派は、王弟派が幅を利かせるようになっても、様々な部署に潜伏していた。
「外套をお預かりしましょう」
「お願いします」
オルタンスが黒いコートを脱ぐと、その下からドゥレビール王城で働く小間使いの衣装が現れた。
スカートの乱れを直し、大きなカバンから手荷物を取り出す。
手荷物は籐のバスケット。
白い布を捲れば、侵入用の小道具と不気味なヌイグルミが顔を見せる。
最終チェックを行い、手抜かりがないかを確認する。
よし。
必要なものは揃っている。
オルタンスは、唇を引き結んだ。
「お急ぎください!」
問題があるとすれば、パルマンティエ国家の居住区画に入ってからだ。
危篤状態に陥ったジェラール国王は、家族や魔法医師団に囲まれているはず。
その半数以上が王弟派だった。
そんな場所に部外者がノコノコと近づくなんて不可能だ。
オルタンスの肩書も、王弟派には通用しない。
「時間は守るつもりですが、もし遅れるようでしたら無理をなさらず、怪しまれないように引き継ぎをしてください。他にも退路は用意してありますので、ご心配なく」
「……分かりました」
「ご無事をお祈りします」
夜間は使用禁止となる通用門。
オルタンスたちの他に人影はなかった。
それでも衛士は周囲を素早く見回してから、小さく囁いた。
「行ってらっしゃいませ」
オルタンスも感謝の意を示すべく頷き返すと、隠蔽のアミュレットにマナを注いだ。
◇◇
王族の居住区画までは、概ね問題なく移動できた。
「予定より、時間が掛かった?」
城壁内は広く、暗所が多くて歩きづらい。
雨で濡れた足元が滑る。
懐中時計を見る。
「でも……。余裕は残されている」
移動に想像以上の時間を費やしたけれど、ジェラール国王の臨終にはまだ早かった。
ある意味、先見の通りであり、寸分たがわず予定に沿った展開である。
だが急いた心は、オルタンスに行動の遅滞を感じさせる。
「あれは、目印の石碑……」
王族の居住区画は魔法防御の結界で包まれている。
その境界線には、目印として地味な石碑が配置されていた。
もう隠蔽のアミュレットは役に立たない。
既知の魔法を使えば、魔法防御の結界が反応して大騒ぎになる。
この先は異能力だけが頼りだ。
「時の精霊よ!」
オルタンスと融合した時の精霊は、先見の他にも異能力を有していた。
それは時間の流れを変化させる力だ。
余りにもマナを食うので、オルタンスが封じてきた異能力である。
リネール王国でも、マナ回復薬は売られている。
しかし、服用してから効果を発揮するまでに、時間が掛かりすぎる。
今回のようなケースでは、マナ回復薬など役立たずでしかない。
「さぁー。ここからはマナ消費速度との勝負ね。マナが尽きるのが先か、用事を済ませるのが先か?」
オルタンスは眠り薬の香炉に火を灯し、時の流れに圧を掛ける。
視界が徐々に赤く染まり、雨音が間延びして消えた。
香炉から立ち上る煙が、ピタリと動きを止める。
それらの現象を見取ってから、魔法防御の結界域に足を踏み入れたオルタンスが、小首を傾げた。
知覚に違和感が刺さる。
「……っ!? 時を止める異能力が、魔法防御の結界に引っ掛かった? 魔法研究所の連中、なかなかやるじゃないの……」
オルタンスは王城の警備システムに舌を巻き、魔法研究所の職員たちを心の中で罵る。
ジェラール国王に害なす呪いを通し、助けに来た助言者に反応するとは。
こんなものを警備システムとは呼べない。
質の悪い障害だ。
「はぁー。予期せぬ面倒事が増えたわ」
こうなれば警報が鳴り響くより早く、手際よく用事を済ませてしまわなければならない。
それでも、脱出の途中でマナは尽きるだろう。
侵入者を探す警備兵たちに見咎められず、ドゥレビール王城の敷地内から逃亡するなんて不可能だ。
従って、逃走経路には、地下に埋設された下水道を使うことになる。
最低最悪の選択肢だった。
時の流れを変える異能力は、その効果範囲を広げるほどマナの消費率が上昇する。
だから異能力の効果範囲とするのは、目の前に建つ大きな屋敷のみだ。
凍り付いた屋敷は、オルタンスの許可がなければ動かない。
「屋敷の扉に命じる。我の意思に従い、開け」
あらゆるものが動きを止める中、オルタンスはフットマンや小間使いを避けながら、広い廊下を進む。
何もかもが赤く染まり、その灯りだけが微かな時間の流れを感じさせた。
時の精霊曰く、完全に時が止まった世界は、闇に包まれる。
ジェラール国王の部屋は、すぐに見つかった。
ただし、人でごった返していて、ジェラール国王が身を横たえるベッドに近づけない。
扉の周囲だけ、空間があいている。
先見で予習した通りだった。
カントネン宰相の悲痛な顔があった。
ファビアン・ド・ヴァロワ公爵に精神を支配され、信頼してくれたジェラール国王に毒を盛った男。
「だけど、オマエの罪は重くない」
窶れ果てたクリスティーナ王妃が、目に涙を湛えている。
ユーディト側妃への嫉妬心に付け込まれ、ファビアン・ド・ヴァロワ公爵の計略に嵌められた愚かな女。
心から愛する夫に、妙薬と信じ込まされて毒を与え続けた悪妻。
「でも、オマエの罪を問うのは、夫のジェラールでしょう?」
ベッドを囲む、王国魔法医師団の面々が目に入る。
神妙な顔を装っているが、こいつらにはジェラール国王の死因すら分かるまい。
毒の症状はミスリードを誘うための、仕込みに過ぎない。
本命は、古い呪いである。
「アナタたちには、勉強が足りていないのよ。少なくとも、王国魔法医師の資格は返上すべきだと思うわ」
オルタンスはジェラール国王の部屋に、眠り薬が仕込まれた香炉を配置する。
入り口付近に五個。
家具調度に隠れるよう、そっと置いて回る。
これで時間変化の異能力を解除すれば、部屋の中に居る人々は眠りに落ちる。
モーリスに調合させた薬だ。
即効性で後遺症はなく、一刻(約二時間)もすれば効果が切れる。
オルタンスはジェラール国王の部屋を後にし、鍵の掛かっていない部屋へ入った。
そこには、王太子のフィリップと第二王子のアルベールが待っていた。
約束を取り付けた通り、避難所を確保してくれていたのだ。
「今晩は、殿下方」
オルタンスが異能力を解除して、二人の王子に話しかけた。
「……おっ!?」
「驚いた」
二人には、オルタンスが唐突に現れたとしか思えない。
「声は押さえてくださいまし」
「ああっ、済まない」
「オルタンス夫人、よくおいでくださいました」
「ジェラールとの約束ですからね。それに、ユーディトを殺したファビアンを許すつもりなどありません」
「あいつ……。やはり、叔父上が首謀者かぁー!」
フィリップが静かに怒りの声を漏らした。
この場にファビアンが居たなら、剣を抜いたかも知れないほど激昂していた。
「兄上、抑えてください」
「分かっている! あの男は、陛下の、父上の最後にも立ち会おうとしない。余程、後ろ暗いところがあるのだろう」
「はぁー。陛下とユーディトさまが、殿下方の半分でも、わたしの話に耳を傾けてくだされば……」
オルタンスとユーディトの間には交流があった。
それはユーディトがジェラールに見初められる前の話だ。
当時オルタンスは、ジェラールとユーディトの結婚に強く反対した。
諦めさせようと、先見の話も聞かせた。
だが愛の力には敵わなかった。
若い二人に、予見者の忠告は届かない。
人を狂わせる愛なんて、クソッタレだ。
殺されてしまったら、どうにもならないだろうに。
愛だの恋だの、そんなものは犬にでも食わせてしまえばいい。
ユーディトの死後、オルタンスはユーディトを失って落ち込むジェラール国王に、ユーディト側妃の殺害に王弟ファビアンとクリスティーナ王妃が関与していた事実を手紙に書いて送った。
その手紙に、『貴方が追い詰められたとき、王家の助言者として役目を果たしましょう!』と追記し、忠告を聞き入れてもらえなかった意趣返しとした。
つまり金輪際、最後の最後までジェラール国王には助言しないとの絶縁宣言であった。
意図してパルマンティエ王家と距離を取ったのだ。
それから歳月は過ぎ去り、『もしかすると、こうしたあれやこれやが、大いなる意思に用意されたシナリオなのでは?』と言う疑いが、オルタンスの心に芽生えた。
その疑いが確信に変わったのは、色なし姫の物語に熱狂する息子の姿に気づいた時だ。
色なし姫の物語は、かつてオルタンスが書いた御伽噺である。
だが、アイデアの元ネタとしたのは、幾つもの古文書。
実話をアレンジした物語が、色なし姫なのだ。
そして首なし騎士の城塞は、色なし姫に所縁ある特別な迷宮だった。
攻略不可能とまで言われていたアンデットの巣窟。
そこをノエルが苦も無く攻略していく。
「こうして色なし姫は、お月さまが大切にしていた鏡の曇りを拭い去りました。かぁー」
鏡の曇りとは、生者と死者の境界面である。
命なき身体に魂を留め、命ある身体から魂を引き剥がす死霊術師の技は、必然的に生者と死者の境界面を濁らせるものだ。
リフレクターは、生者と死者の境界面そのもの。
リフレクターは、簒奪者から奪われたものを奪い返す。
今、精霊たちは住み慣れた土地を奪われ、ノエルの周りに集まっている。
簒奪者は、ユストゥス教団だった。
「そろそろ薬が効いたころね。行くわ」
「承知しました。予見者さま」
「お気をつけて……」
廊下に人影はない。
魔法の警報が、侵入者の存在を知らせるために鳴り響いていた。
「フッ。警護の者たちは、外の警戒に出払ったようね」
時間の流れを調整する異能力は、使う必要がなさそうだ。
これでマナを節約できる。
オルタンスはジェラール国王の部屋に戻ると息を止め、眠りこける人々を避けながらベッドへと近づいた。
「やっ、随分と窶れたわね」
まるで骨と皮だ。
「約束を果たしに来たわよ。ユーディトの仇は、貴方が取りなさい」
オルタンスの手がジェラール国王の頭を優しく撫で、羽根布団の下にノエルが作った人形と一通の手紙を忍ばせた。
「あぅー」
ジェラール国王が力なく声を漏らし、ぱっちりと目を開いた。
「ジェラール……。わたしは、新しい家族と海の向こうで暮らすわ。これでお別れよ。貴方にはノエルを上げるから、大丈夫。心配しないで」
「うぅっ……」
ジェラール国王の目から、涙が溢れだした。
「さようなら、陛下」
オルタンスは眠り薬の影響を嫌い、ジェラール国王に背を向けて立ち去った。




