殿下のために頑張ろう:ノエル視点
王都ロワイヤルに晩秋が訪れたと言うのに、何故かオレの心は浮き立つ。
チェンバロの前に腰を下ろして弾く曲は、甘い恋のメロディー。
この世に生を受けてから、これほど軽やかな気分を味わうのは初めてのことかも知れない。
鍵盤の上を指が躍る。
「アルベールのやつ」
オレが丹精込めて作った身代わり君の御利益をアルベール殿下は信じていなかった。
それはまあ、腹の立つことである。
「でも……」
アルベール殿下は、身代わり君の御利益を信じていないのに、オレを庇ってくれた。
攻撃を受ければ、自分が死ぬかも知れないのに……。
「あいつ、良い奴だよな」
オレの背中を刺したラクロットとは、大違いだ。
「もういいや」
潮時だろう。
オレが男として生きた時間は長い。
だけど、もういい。
男であったことに囚われるのは、止めにしよう。
「ラクロットへの復讐は忘れないけどね」
オレは恨みを忘れない人間だが、恩も忘れない。
実のところアルベール殿下の自己犠牲的な行為が不要であったとしても、決して無意味ではなかった。
それは厚い雲の切れ間から差し込む、一条の光だ。
オレの荒んだ心を照らす、優しい光だった。
要するに、オレはアルベール殿下に庇ってもらい、嬉しかったのだ。
その場で感謝の言葉を伝えなかったのは、照れ臭さに負けたからである。
いい歳をして、何を恥ずかしがっているのやら。
まあ、そのくらいオレの人生は殺伐としていたのだろう。
他人の行為に心を揺さぶられるとか、滅多にない経験だからな。
そんな意識の変化もあり、これまでの後ろ向きであった日々を反省した結果。
オレのため、延いてはアルベール殿下との未来のため。
自重は止めにした。
オレはチェンバロの演奏を終了し、部屋に設置したテーブルと向き合う。
シンプルなテーブルの上には、手のひらに載せて転がせるほど小さなクリスタルボールが置いてあった。
一見して、磨き上げた黒水晶のような玉である。
「大事なのは、形振り構わぬ戦闘力の強化でしょう」
闇落ちするのが怖くて、ずっと封印してきた死霊術。
だが強力な攻撃手段を偏見から捨てるのは、何とも勿体ない。
モーリスから教わった精霊錬金術や、ドラローシュ侯爵家の書庫で学んだ基礎魔法。
首なし騎士の城塞でエルダーリッチから奪った、死霊術の知見。
それらを突き合わせると見えてくる重要な事実があった。
粘素の存在だ。
粘素、念素、どちらで呼んでも構うまい。
オレの命名だからな。
現在では、リネール王国の魔法博士でさえ持ち合わせていない魔法原理だ。
魔石、魔晶石、魔鉄鋼などの中核をなす要素とも言える。
マナを貯える特異な性質。
これを粘素とした。
粘素の正体は念であり、その性質はマナを貯えるところにあった。
粘素の粘は、マナに対する粘りを意味する。
念は石や金属に吸収されやすい。
ここが死霊術から得た、特殊な知識である。
鉱物素材を比較したところ、とび抜けて粘素を吸収するのは月輝石だった。
新月の夜にだけ仄かな光を放つ月輝石。
これを集めて細かく砕き、濾過リングを通して有用な粉末と不純物に分ける。
更に有用な粉末を月の女神イーリアの恩寵を受けた神聖水に溶かして飽和させたのち、極小の骨片を沈めて再結晶化を促す。
こうして粘素と親和性の高い黒輝石が完成する訳だ。
この黒輝石を処刑場などに埋めておけば、短時間で限界まで粘素を吸収した純魔結晶が手に入る。
粘素の原材料とは、つまり死者の怨念である。
「で、その純魔結晶をデュラハンの石橋からぶら下げて、マナの塊としたものがこいつ」
迷宮内のマナを集めて、今にもはち切れそうな力場の球体。
魔晶石もビックリの危険物だ。
邪夢玉(インキュバス)。
恨みで漆黒に染まったマナの塊。
死刑囚の怨念とエルダーリッチの骨片を核とした、マナの圧縮物。
もし破裂すれば、とんでもない災厄を周囲に撒き散らすだろう。
そうなればもう悪夢の具現化だ。
「でも、オレやアルベール殿下を襲う連中がどうなろうと、知ったこっちゃないね」
多分おそらく、実験さえ憚られる非人道的な呪物だろう。
安全を考慮して表面に刻むのは、現象遮断の強力な魔法術式だ
世間で【不壊の術式】と呼ばれるものを自己流に書き換えた封印である。
封印の魔法術式を働かせるマナは、邪夢玉から供給される。
使用時には精霊銀製ナイフなどで魔法術式の一部を削れば、封印が解けて起爆可能状態となる。
高硬度の精霊銀でなければ封印の術式を削れないようにしたのは、誤爆が怖いからだ。
「マナでパンパンになった邪夢玉(インキュバス)は、いつ破裂するか分からんからね。特に錬金術用の魔力水なんか浴びたら、一発だよ」
臨界点を超えた邪夢玉は、過剰なマナに激しく反応して、破裂する。
自分で作った呪物の威力を自分の身で試したくはなかった。
なので安全対策は必須だ。
「漆黒の闇に金色の細い帯が幾重にも揺れるさまは、この世のモノとも思えぬ美しさでござるな!」
いつの間にか、オレの背後に立った虎落笛が、感じ入ったように呟いた。
「欲しい?」
「滅相もない。拙者は、そのような禍々しい呪物と関わりたくないでござる」
「フーン。虎落笛は鼻が利きますね」
オレの後ろから手元を覗き込んでいた虎落笛が、すすっと距離を取った。
「それを何に使うつもりでござるか?」
「過剰な敵が攻めてきたとき、隊列の中央に投射します」
「はぁーっ。そのように小さな玉が、それほどの破壊力を秘めておるのでござるか」
「理論上はねぇー。まだ、威力を試していないのです。どこかで実験してきてくれませんか?」
「嫌でござる!」
にべもない。
仮初にも主人であるオレに、その態度はないだろう。
「暗殺者ギルドの件は?」
オレは虎落笛にソファーを勧め、手早くお茶の用意をした。
一人暮らしが長かったので、颯香の助けを借りなくても、このくらいできる。
颯香にはクズ魔石の仕入れを頼んだので、暫くは帰るまい。
クズ魔石は、精霊たちのゴハンだ。
「粗末な酒場のオヤジが、表向きの手配師でござった」
「フーム」
「現状、調査中としか申せませんな」
「資金の流れ?」
「依頼者との繋がりや、紹介者。背景に隠れている者たちの正体が、さっぱり分かり申さん」
まあ、そうだろう。
酒場のオヤジを吊るし上げても、また直ぐに新たな暗殺者ギルドが現れそうだ。
「あぶれ者のスカウト?」
「裏家業の斡旋所みたいなものでござる」
「それにしては、大それた真似をする」
「あぶれ者と申せど、そこらのチンピラ風情ではござらん。腕っこきでござるよ」
「訳ありの専門家ってところかぁー」
「かどわかし、暗殺、潜入などのエキスパートでござる」
うらぶれた酒場と荒事の専門家。
どうにもバランスが悪い。
「どこかの国家機関かしら……?」
「ノエル殿にしては鋭いでござるな」
「…………」
「十中八九、ナバロ神聖皇国の暗部でござる」
「どうして、そう思うの……?」
「これを路地裏で見つけ申した」
そう言って虎落笛は、一枚のコインをテーブルに置いた。
「千セスタ……?」
皇帝グレゴワールの横顔が刻印されている。
その小銀貨は、ナバロ神聖皇国の通貨だった。
敵対国であるナバロ神聖皇国の通貨は、リネール王国で使えない。
そんなものを使えば、直ちに王都守備隊の詰め所へ連行され、問答無用で牢屋にぶち込まれる。
「連中……。国が傾き、食い詰めたのでござろう」
「だからって、他国に出張するな!」
「死ぬほど腹が減れば、あやつらに国境なんて無意味でござる」
劇場前広場での事件は、襲撃者たちにとって国家の意図と関係のない、ただの小遣い稼ぎだった。
結局のところ、依頼者はパルマンティエ王家を敵視する者か、アルベール殿下と結婚するであろうオレをこころよく思わない者だろう。
憎まれたり疎まれたりしているだけなら、黙ってスルーする。
だが実行力が伴えば、放置しておけなくなる。
素人臭い、暗殺者ギルドのアホどもめ。
半端な組織の癖して、破壊工作の専門家を雇うんじゃない。
パルマンティエ王家に弓を引くような依頼は、断らないとダメだろう。
分不相応なことに、気づけよ。
まったく勘違い野郎どもが、偉い迷惑である。
こちらの都合も考慮せず、やばい連中に、やばい仕事を斡旋しないで欲しい。
事態が抉れる一方じゃないか。
「ナバロ神聖皇国の状況は、どうなっているの?」
「既に国家の体をなしていないでござるよ」
「……ッ」
であれば……。
これからも続々と、腕の立つ無法者たちがリネール王国に流れ込んでくるのだろう。
無頼漢に落ちぶれた暗殺剣の達人とか、面倒臭いにも程があった。
ドレフュス卿と王都守備隊の苦労が偲ばれる。
「ティエリー卿と情報の共有を」
「畏まってゴザル」
オレは少し考えてから続けた。
「酒場のオヤジは、暫く泳がせて背景を洗いましょう。もしかすると、ナバロ神聖皇国の暗部と伝手を持つ者が現れるかも」
「心得てござる」
母上のタロット占いを信じるなら、今回の依頼者はファビアン・ド・ヴァロワ公爵である。
ファビアン卿は、アルベール殿下を苦しめた事件の全てに関与しているらしい。
それは間違いないだろう。
タロットを用いての過去視は、母上が得意とするところだ。
夢による予見より的中率は高い。
「ただ……。それだけで公爵を追い詰めることはできない」
占いは、所詮占いだ。
リネール王国の法律は、占いで罪人を決めたりしない。
母上も母上である。
息子のオレが命を狙われたと言うのに、夢にも見やしない。
事件が起きてから、『首謀者はヴァロワ公爵よ!』とか言われても。
こっちとしては腹が立つだけ。
「なんか頼りないんだよね。わたくしの明日が」
予見者の能力にも、超えられない一線があるってことか……。
何にせよ、母上の気まぐれな未来予測は当てにならなかった。
過去視にしても、自分からは頼りたくない。
過度の依存は、負い目に変わるから。
それに三十路を過ぎたオッサンが、母親に依存とかあり得ないだろ。
オレがアルベール殿下と結ばれるなら、母上の介入は障害にしかならない。
今からでも、母子の付き合い方を改めておくべきなのだ。
「母上に訊ねれば暗殺者ギルドの件も一発で解決しそうだけど、それはしたくありません。キミたちで何とかして」
「承知してござる」
こうしたところは、職業柄なのか実に物分かりが良い。
オレと母上の関係は、外から見た以上にセンシティブなのだ。
「ねぇねぇ……。話は変わるけど、この邪夢玉。闇烏の装備品に加えてみない?」
「絶対に嫌でござる!」
虎落笛は整った男前の顔に薄い笑みを張り付け、オレの部屋から立ち去った。
「はいはい。断固拒否なのねぇー」
虎落笛の類稀なる危機察知センサーを信じるオレは、邪夢玉の封印強化をすべきか悩み、自作の魔法術式と向き合った。
ちくせう……。
封印の強度は、これで充分なはず。
とすれば魔法術式の文字列に、なにがしかの不備があるのだろう。
試作品にありがちなミスだ。
「書き損じかぁー」
邪夢玉を専用作業台に固定し、細かく刻まれた魔法術式を拡大鏡で調べる。
この膨大な文字列から、書き損じを見つけるのは骨の折れる作業だった。




