無味無臭は正義:ノエル視点
『道中、皆さんで召し上がって下さい』
そう言ってフレデリック兄貴が渡して寄こしたのは、大きな柳素材のバスケットだった。
高級料理店グランメゾン・ピエールのランチボックスである。
店のマークは、交差するナイフとフォークだ。
『怪しい』
『嫌な予感がします。と言うか、嫌な予感しかしません』
クレアと颯香はバスケットに鼻を寄せ、クンクンと臭いを嗅いだ。
警戒心ビンビンで、嫌悪の表情を浮かべていた。
なのに、一番警戒しなければならない母上が……。
『ああっ、久しぶりだわ。グランメゾン・ピエール……。フレデリックったら、わたしが大好きなお店を覚えていてくれたのね』
親バカと言うか、このところ不吉な予知夢を見ていないせいなのか、迂闊にもほどがある。
フレデリック兄貴に親を敬う気持ちなど、これっぱかしもないのが分からんか。
まあ、よかろう。
母上は酷い目に合されて、絶望を思い知ると良いのだ。
馬車は隠居した親父殿が暮らす別邸を目指し、ガタゴトと走った。
「揺れが激しいですね」
「道の整備が、なおざりにされているのでしょう」
ノバック伯爵領に入ってから、クレアと颯香の表情はどんよりとしている。
とうてい快適な旅路とは言えないからな。
馬車の揺れから、路面の状態を推察するのは容易い。
重い農作物を運搬するための道が凸凹では、お話にならん。
「うっ、ケツが痛い。マジで最悪だな」
ここまで酷いと、領民が使う荷馬車の損耗も激しかろう。
それもこれも、フレデリック兄貴が、領主としての義務を怠っているせいだ。
使用頻度の高い道は、こまめに調べて補修しなければ駄目だろ。
自分たちの趣味ではなく、領内の整備に税金を使いなさい! と言いたい。
まったく、立派なご領主さまだよ。
オレたちの誰一人として、親父殿に会いたいとは思っていなかった。
そもそも母上の説明によれば、フレデリック兄貴が金の無心をしたくて呼び付けたらしい。
もしかすると親父殿は、オレとクレアがノバック家の養女に迎えられたことさえ、知らされていない可能性があった。
親父殿への挨拶は、フレデリック兄貴のでっち上げで、口実に過ぎない。
オレたちもまた、親父殿への挨拶を口実に使い、フレデリック兄貴から逃げて来た。
無意味だと分かっていながら実家に義理を通すのは、本当に疲れる。
しかもケツが痛い。
なのでかなり早い時点で、昼の休憩を取ることになった。
皆、やる気がないのだ。
「さあさあ、バスケットを開けてみましょう」
颯香が拡げたピクニックシートに、大きな柳素材のバスケットが置かれる。
食器やワインボトルまで収納された、本格的なランチボックスである。
「おおっ、懐かしい。ローストビーフを挟んだバゲット」
昔々、まだオレが母上の離宮で暮らしていた頃、よく食べた覚えがある。
満ち足りた幼少期と過酷な少年期。
考えてみれば、美食から粗食への劇的な変化もあった。
あんな屋敷、消えてしまえと思う。
バゲットを一切れ手に取り、鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。
怪しい気配はない。
一口齧ってみたが、これと分かる異物の混入はなさそうだ。
オレの記憶と照らしてみても、ガキの時分に食べた味と変わらん。
ピリッと辛いマスタードソースに、ねっとりとしたクリームチーズ。
瑞々しい新鮮な野菜と、薄くスライスされた柔らかいローストビーフの層。
バゲットの食感と合わさり、醸し出される味覚のハーモニーは、間違いなく絶品である。
「美味い」
「そうでしょ。そうでしょ。アナタたちも遠慮せずに食べなさい」
「いいや……。クレアと颯香は、少し待とう」
そう言ってオレは、母上の横に置いた身代わり君たちを見た。
オレが拵えた、白と黒のヌイグルミだ。
「異変なしか……?」
そう思った途端。
白いヌイグルミがすっくと立ちあがり、口から赤い液を噴き出して仰向けに倒れた。
白いヌイグルミに封じられていた邪精霊は、毒入りの料理を食べ、死すべき運命を招き寄せた母上の身代わりとなって、滅した。
「一口で致死量かよ。こりゃ即効性の、猛毒だな」
邪精霊の霊体は、定まりかけた母上の運命を捻じ曲げるために、全消費された。
「…………ナニ!?」
「毒入りです」
「エェーッ!!」
母上が顔を引きつらせ、悲痛な声を漏らした。
手にしていた食べかけのバゲットサンドが、ポロリと落ちる。
母上はランチボックスを睨み、硬直していた。
毒入りと知って、吐くべきか否か……?
そこで悩んでいるようだ。
こんな時にも淑女は、淑女としてあろうとするのだろう。
ホント、大変だな。
母上を襲うはずの厄災は、身代わり君が引き受けた。
吐かなくても良いが、正解である。
白いヌイグルミの機能停止を察知し、黒いヌイグルミが釘の刺さった目を紺碧の空に向けた。
固く縫い合わされた口から、革紐がブチブチと音を立て、千切れ飛ぶ。
封印解除だ。
パックリと開いた口を内側から手で押し広げ、邪精霊が小鬼のような顔を覗かせた。
灰色の醜い顔だ。
〈報復……?〉
ぼそりと呟いた邪精霊は、青空高く飛び去った。
「あー、ああっ……。やっちまったな、兄貴」
オレのせいではない。
死刑執行の書面に了承のサインを記したのは、フレデリック兄貴だ。
もう、誰にも止められない。
どうしようもないことを気に病んでも無駄なので、オレは新しいバゲットを手に取り、口に運んだ。
美味い。
スカベンジャーの悪食スキルを所持するオレには、ちんけな毒など意味をなさない。
そうなれば無味無臭は、毒物の評価すべき美点となる。
これはオレだけが食える御馳走だ。
「やだ、ノエルさん。そんなものをまだ食べるんですか……?」
「わたくしには毒無効だから、なにも問題ありません」
オレは顔を顰めるクレアに、正論で応じた。
「信じられない。やめなさいノエル」
「でも母上、美味しいんですよ」
「毒入りの料理を食べるとか、馬鹿な真似はおやめなさい。アナタが平気でも、見ている方が気持ち悪くなると、言っているのです」
「……あっ!」
オレは独り占めしようとしたランチを母上に取り上げられた。
捨てちゃうんだろ。
勿体ない。
「もぉー。そんな泣きそうな顔で、こっちを見ないでください。処理しづらくなるでしょ」
「ノエルさま、キショ!」
クレアと颯香まで、酷い言い草だ。
◇◇
オレは昨晩の出来事と、今まさに起きているであろう大惨事について、想像を交えながら語った。
途中、虎落笛が補足してくれたこともあり、母上も大筋のところ納得してくれた。
「そうなると、サンドリーヌちゃんが心配ね」
「命の安全は保障しますけれど、精神面を考慮するなら早めに回収すべきでしょう」
「これは、ローランに挨拶している場合じゃありませんね」
「親父殿に挨拶とか、もたもたしていたら後継ぎ問題で揉めまくって、面倒事しかありません。早期の撤収を要求します」
母上がオレの提案に頷いた。
このどさくさに紛れて、サンドリーヌを攫ってしまうのがベストだと言いたい。
親父殿に任せても、碌なことにはならんだろう。
死んだ振りが一番だ。
「分かりました。サンドリーヌちゃんは、ノバック伯爵家が燃え落ちると言ってたのね?」
「正しくは、言葉にしたのではなく、燃える屋敷を描いていたんです。これは推測ですが、フレデリック兄さまの死により、イフリートが暴走したのでしょう」
「あの子は、ある種のお筆先だから……。未来の出来事を絵に描き起こして、それと知ります」
「母上と同じ【時の精霊】ですか?」
「かなり風変わりな亜種だけど、先見の一形態だと思うわ。時の精霊であることは、まず間違いないでしょう」
これまた、普通に生きるのが難しそうな異能力だ。
サンドリーヌは、意識して描くのを止められるんだろうか……?
「ゴザルたち。サンドリーヌの捜索と回収を頼みます」
「承知いたした。しかし、どこを探し申すか? 屋敷の焼け跡でござるか……?」
「もう、そこには居ないでしょう。水禍が安全な場所に避難させているはず」
「せめて方角が分からぬと、見つけるのに時間が掛かり申す」
「わたくしの精霊たちは、離れていても互いに意思を伝えられます。アナタたちの案内に、風花をつけましょう」
「畏まってござる」
闇烏たちが一礼して馬に跨り、風花の後を追った。
さてさて、ノエル叔母さんは、サンドリーヌちゃんに衣装を用意してあげないと。
汚くて、臭かったからな。
「織姫、手伝って欲しい。下着を含め、女の子用の幼児服を仕立てます。サイズは、水禍からイメージを貰ってください」
〈キュ、キュッ〉
オレの仕事は、基本の縫製まで……。
仕上げの飾りつけは、超一流の侍女スキルを持つ颯香さんにお任せだ。




