気の進まない旅:ノエル視点
領地から呼び出しの手紙が届いた。
隠居した親父殿が、養女に迎えられたオレとクレアに会いたがっているから、一度顔を見せて欲しいと言う内容だった。
寄る年波で身体に不調をきたし、長旅に耐えられなくなった親父殿をダシに使った、呼び出しである。
呼びつけられたのは母上で、呼びつけたのはフレデリック兄貴だ。
養女の話は、単なる口実に過ぎない。
「ご領主さま夫婦は、どうやら領地の運営資金を無心したいようね」
「ノバック伯爵領は豊かなはずです。税収も多いはず」
「ノエル。お金と言うものはね。懐に入る量より多く使えば、足りなくなるのよ」
「なろほど……」
オレは改めて、フレデリック兄貴の無能ぶりを再認識させられた。
焔の精霊イフリートを駆使しての剣技は、他者の追随を許さぬほどの強さだと言うのに、節制、蓄財、資産運用となるとからっきしだ。
算術に関しても数字が読めないのではないか? と思われる段階で授業を放り投げ、単純な四則演算がもう怪しい。
社交も苦手なようで、可能な限り領地から出ようとしない。
「はぁー。どうして、あんなロクデナシを生んでしまったのかしら……」
「また自分の息子を他人みたいに……」
あんたが駄目亭主に丸投げして、兄貴たちの教育を怠ったからだろ。
フレデリック兄貴は親父殿にそっくりだ。
そもそも親父殿は、母上が居なければノバック伯爵家を財政破綻させていたはず。
親父殿やフレデリック兄貴を恐れて盗賊どもがノバック伯爵領を荒らすことはないけれど、それだけなのだ。
親父殿は武張った脳筋で、プライドばかり高い精霊至上主義の頑固者だから、その薫陶を受けた兄貴たちも、虚栄心で膨れ上がった精霊使いに成長したんでしょ?
オレとクレアは、傲慢なフレデリック兄貴のせいで巻き添えを喰らった。
たかだか、ちょっとばかり強い火の精霊と契約したからって、イフリートとか御大層な名前まで付けて、調子に乗りすぎだろ。
まあ、貴族家の養女に迎えられたなら、当主に挨拶するのは当然である。
当主の了承も得ずに、ノバック家の養女となっているオレとクレアが特殊なのだ。
百歩譲って、そこは認めよう。
だけど、こんな横紙破りが通ってしまうところに、母上とフレデリック兄貴の力関係が透けて見える。
当主の権限を母上に振りかざしても、格好悪いだけだ。
名ばかりの領主が、威張るな! と言いたい。
ノバック伯爵家の財政を陰で支えていたのは、実のところ母上の先見だ。
その母上を屋敷から追い出して、領地の運営が傾いた。
自業自得だと思う。
「フレデリック兄さまは、怠け者だから」
「ふぇーっ。そんな状態で領地は大丈夫なんですか?」
オレと母上の話を聞いていたクレアが、コテンと首を傾げた。
「うーん。大丈夫ではなさそう……。今は何とかなっていても……。ノバック伯爵家は、兄さまの代で終わりそうです」
「大変ですねぇー」
「クレアだって、ノバック家の一員でしょ」
「お義母さまとノエルさんが、少しも深刻そうじゃないので、『他人ごとかなぁー?』と聞き流していました」
「うん。わたくしにとっては他人事ですよ。わたくしは、アルベール殿下のお嫁さんになるから……。でも、クレアさんは違うでしょ」
最近になって、オレが口にするようになった冗談だ。
王子さまと結婚するから、わたくしには関係ありません。
そう言って、やりたくないことを断る。
自分が置かれた境遇を喜劇でも鑑賞するかの如く、他人事みたいに扱う。
鬱々と悩むより、笑い飛ばす方が健康によい。
「あーっ。ノエルさんだけ、一抜けですね」
「フッ……」
オレはチェンバロの鍵盤に指を走らせ、鼻を鳴らした。
良い音色だ。
無論、鼻ではなくチェンバロの話だ。
でかい楽器は響きが良い!
「ノエル……。ご当主さまの真意がどうあろうと、呼びつけられたのは貴女とクレアなの。まぁーさか、行かずに済むとは思っていないわよね」
「うへぇー」
親父殿になんて会いたくない。
フレデリック兄貴の顔も見たくない。
それなのに、苦労してノバック伯爵領まで行かねばならん。
「スゲェー嫌だ」
そうだ。
アルベール殿下に手紙を出そう。
斯々然々で、当分は手紙のやり取りができなくなりましたと……。
◇◇
「こんなもんを何に使うんだい?」
「えっ……。これは痛み止めでしょ?不快な痛みを止めるために使います」
オレはアマンダに頼んでおいた、強力な痛み止めを受け取り、影の収納に放り込んだ。
「虫歯にでもなったんか?」
「やだなぁー。甘いものを食べても、歯を磨けば虫歯にはならないよ」
「だから、何に使うのか? と訊いてるんだよ」
「あのさー。魔核を集めるのに、死ぬじゃん。即死でないと、スゲェー痛いんだ」
「…………」
アマンダが呆れたように黙り込んだ。
王都ロワイヤルからノバック伯爵領を目指すと、移動中にマナドゥの町を通過する。
片道八日の旅程はきついから、カルロスの屋敷で中休みを取ることにした。
そうなれば闇森の迷宮が目と鼻の先だ。
もう、闇狼を狩るしかあるまい。
「アマンダだって、マジックバッグが欲しいだろ?」
「そりゃ欲しいさ」
「その材料を集めるために、痛み止めを使うの……」
何度も何度も中途半端に齧られ、食い殺されるまでに時間がかかる最高に嫌な相手。
それが闇狼なのだ。
そして闇狼の魔核こそ、マジックバッグに欠かせない素材だった。
「マジックバッグは、ご贈答品に最適だよ。だから最低でも、十個は魔核が欲しい」
「随分と軽い命だ」
「アマンダは、マジックバッグが欲しくないの……?」
「そりゃ欲しいさ」
正直でよろしい。
他人の命と引き換えなら、マジックバッグは欲しい。
高価な魔道具が、どのような犠牲のもとに作られたかなんて、使用者には関係ないのだ。
「オレみたいに殺しても生き返ると、死の概念が歪んでしまう。皆の命と比べたら、オレの命は安い。格安だ」
「あまりよい考えではないね」
「そうかも知れない」
オレはアマンダに頷いて見せた。
「あんた、泣きそうな顔をしてるよ。死ぬのが怖いなら、馬鹿な真似は止めておきな」
「これは元からです」
◇◇
ベイロン大陸の東方では、春先に好天の日が続く。
雪が融け、ぬかるみも消えて、街道の状態は良好になる。
風は穏やかで、暑くもなければ寒くもない、まさに旅行日和と言えよう。
オレたちを乗せた馬車は、カラカラと音を立て、快適に街道を進む。
馬車の護衛に着いた闇烏たちも、ご機嫌な様子で馬を駆る。
「退屈……。面倒臭い……。そして、お尻が痛い」
車外の風景を眺めながら、母上が喧しい。
母上にとって、馬車での旅は拷問のようだった。
タウンハウスで暮らすように寛げないことが、嫌で嫌で仕方ないのだろう。
「そろそろ、お茶の時間ではないかしら……?馬車を停めて、お茶にしましょうよ」
「残念ながら、お茶の時間はありません。この近辺に、馬車を停める場所はないのです」
「そっ、そんなぁー。わたし、お花摘みに行きたいのに……」
「わたくし、朝食の席で、宿の食堂で言いましたよね。水分の摂取は、なるべく控えてくださいと……。それなのに、お茶をガブガブ飲むから、そういうことになるのです」
「お花摘みがしたい!」
「風巻、馬車を停めてください」
「またでござるか?」
当然だが、街道沿いにトイレなどない。
それを弁えておかないと、草むらで用を足す羽目になる。
「足場が悪いから、転ばないでくださいよ。ドレスを汚さないように気を付けて」
「もう嫌。どうしてトイレがないの!?」
馬車での長旅は、淑女に忍耐を強いる。
お世辞にも優雅とは言えない。
「ノエルちゃん。あそこの空き地で休憩しましょうよ」
充分なスペースのない空き地を指さして、母上が言った。
「母上、もううんざりです。その口を閉じておけないなら、針と糸を使って縫い付けますよ」
「…………」
オレは母上を上目遣いで睨みつけた。
社交シーズンが終わり、イヴォンヌ・ド・ボナール子爵夫人はレイモン兄貴とアニエス嬢を連れて領地に戻った。
他のご令嬢方も、似たり寄ったりである。
王都ロワイヤルに残ったところで、お茶会に誘う相手が居ない。
夜会も開かれない。
母上としては、この季節に面倒臭いことを済ませてしまいたいのだろうが……。
泣き言を聞かされ続けるオレは堪らない。
温厚なクレアでさえ、死んだ魚の目になっている。
秋口になると王都ロワイヤルを訪れ、冬の社交シーズンを楽しみ。
春になると領地へ戻るのが、貴族の慣わしだった。
貴族のみならず、春と秋の過ごしやすい季節を移動に充てるのが、リネール王国に暮らす人々の知恵だ。
季節と関係なく動きまくるのは、冒険者か犯罪者くらいのものである。
アマンダは賢者アルマンドとしての面子を守るため、王都ロワイヤルに居座っていた。
執念深く、ユストゥス教団の動向を見張っているのだ。
因って、アマンダのお目付け役を任じられたカルロスも、王都ロワイヤルから離れることができなかった。
母上だって、レイモン兄貴に呼び付けられなければ、今頃タウンハウスでゴロゴロしていたはずだ。
母上は、基本、動かない人である。
一方、カルロスがマナドゥの町に立ち寄るオレたちと行動を共にし、孫娘のエリカに会いたがったことを思うと、涙を禁じ得ない。
可哀想に、シクシク……。
ていよく高位貴族の便利屋にされてしまったカルロスだが、それなりの報酬は貰っているようなので辛抱するがよい。
それが世間で言うところの、大人ってやつさ。
エリカのデコは、爺の代わりにオレが撫で繰り回してやる。
そもそも……。
悪いのは、オレたちとの同行を拒んだアマンダなのだ。
くれぐれも、オレを恨んだりしないように。
狭い馬車の中で聞かされる母上の愚痴に辟易とした頃、ようやく馬車がマナドゥの町に到着した。
「あぁー。やっと着いたのね」
「はい。あそこに見えるのが、サヴォイア家の屋敷です。カルロスの家です」
「ここいら辺は、随分と汚いわね。見て見て……。あの家なんて、今にも崩れそうよ」
「貧民街ですから……」
「貧民!?」
「母上。それを大声で言うのは、どうかと思います。暫くの間は、弁えてください」
「危険じゃないの……?」
「大丈夫です。ここのスラムは治安がよくて、住民の方々も穏やかな、良い人ばかりなんですよ」
クレアが子供を諭すような口調で、母上に説明した。
ウーム。
クレアは母上の扱いが上手だ。
オレには真似できんな。
「うわぁー。クレアだ。クレアが来た」
玄関前の馬車回に停車した箱馬車から、フットマンの助けを借りて降りると、さっそくエリカが突っ込んできた。
エリカは、オレ、母上、クレアの三名が並ぶように立つ場所に向かって走ってくる。
その駆け寄る角度からして、狙われているのはクレアだった。
「おぅふ!!」
ドスッ! と、頭からクレアの腹に突き刺さる。
「久しぶりぃー、エリカ」
オレはクレアに抱き着くエリカのデコをぐりぐりと撫でた。
「ノエルだ。ノエルも来たの……?」
「あーっ。そんな風に言うと、王都のお土産を上げないぞ」
「ノエルちゃん、カワイイ。すごいオシャレ」
「…………」
相変わらずのちみっ子だ。
手のひら返しの美辞麗句に加え、両手を突き出して、お土産の催促。
礼儀もくそもありゃしない。
可愛いぜ、エリカ。
「ようこそ御出で下さいました。オルタンス伯爵夫人。我ら一同、歓迎いたします。私はサヴォイア家の若頭で、ロレンツォ・ダウストリアと申します。以後、お見知りおきを」
「ワカガシラさん……?」
聞き慣れぬ名称に、母上が戸惑う。
マフィア組織の階級名なんて、淑女が身に着ける教養に含まれないからな。
「執事です。母上……。彼のことは、執事だと思ってください」
「あー。そうなの……。こちらこそ、よろしくお願いするわ。ダウストリアさん」
母上はロレンツォに目礼し、さっそくサヴォイア家の客人となった。
どこに行こうと淑女然とした態度を変えない。
見上げたものである。
カルロスが王都ロワイヤルに居を構えたので、エリカの両親が屋敷に戻ったのかと思ったが。
どうやら養豚業が忙しすぎて、エリカはほったらかされているようだ。
そうでなくば、エリカの両親が母上に挨拶をしたはずだ。
「放し飼いか……」
「ノエルさん。そうやってエリカちゃんを家畜みたいに言わないの!」
「分かりました」
根がガサツなオレは、クレアに注意されて深く反省した。
小さな女の子をブタみたいに言うのは良くない。
そんな当たり前が、オレには難しい。
後年、『心が傷ついた!』とか言われて、エリカに復讐されたら大変だ。
そんなことが起きないように注意しなければ。
閑話休題……。
サボイア家に到着したら、先ずは月の女神イーリスさまの祭壇に額ずき、感謝の祈りを捧げるのだ。
首なし騎士の城塞で、リッチやエルダーリッチの狩猟を成功させて頂いた感謝だ。
「これからも、どうか見守ってください」




