割り切れない思い:ノエル視点
「ちっ、ちっ、ちっ……!」
「ノエルさん、駄目だったんですね」
「けんもほろろ……。身代わり君だけ、母上に持って行かれちゃった」
「でも、まあ。アルベール殿下は美形ですし、王子さまだから玉の輿だし……」
「…………」
どこまで行っても男と女。
クレアには、とどのつまりオレの苦悩など戯言に過ぎないようだ。
オレはエルダーリッチの異能力を呪物に落とし込むため、この数ヶ月と言うもの、殆どの時間を技能習得のために費やした。
それもこれも、『アルベール殿下との婚約が、白紙に戻せたらいいな』と、夢想してのことである。
だって、死を回避できるなら、権力者の庇護なんて必要ないだろ?
なのでオレは自室に閉じこもり、不慣れな刺繍に没頭した。
指先から生み出されるインヴィジブルアラクネーの糸を呪詛で黒く染め、長く複雑な呪術式を布に縫い込んだ。
呪術式をきちんと起動させるには魔紋の正確な描写が求められ、とことん刺繡の技量を磨くしかなかった。
不細工な人形にしか見えない身代わり君の内部は、精緻な魔法術式でびっしりと埋め尽くされている。
エルダーリッチの呪法とは邪精霊を捕らえ、意のままに従わせる闇の魔法だ。
これを只人でも安全に使用できるよう作り変えた品が、形代なのだ。
邪精霊は人に憑りつき、災厄を招き寄せる。
この性質を利用し、形代の所有者に放たれた攻撃を引き受けさせる。
邪精霊に誤認識を起こさせるのが、この呪法のキモである。
白い人形も黒い人形も、邪精霊に誤認識を起こさせて、こちらの望む効果を得る。
黒い人形は、白い人形に放たれた攻撃を自分に向けられたものと錯覚し、報復のために動き出す。
本来ならば攻撃を指示した主犯格に報復できるはずなのだけれど、まだオレの技量が及ばず、実行犯を倒すので精一杯だ。
「加減が難しいんだ」
復讐だけでよければ、既に完成している。
わざわざ白と黒に分ける必要もない。
やられたさいに、白を開放してやれば済む話なのだ。
だけど、それをしたら関係者が一人残らず殺されてしまう。
「死人に口なしで、犯行の動機も分からなければ、主犯が誰かも分からなくなる」
オレが欲を張りすぎているのかも知れない。
魔法術式が複雑になりすぎるので、白と黒に分けたのも不自然だった。
発想自体に無理があるのだ。
ペイバックは、危険を排除できるだけで満足すべきだと言っている。
エルダーリッチの技能は、そもそもシンプルなのだと……。
「それも一理あるんだよな」
事件の解明と復讐は、別物だ。
危険の排除が目的なら、原因となるものを取り除けばよい。
それだけで再発は避けられる。
母上との交渉は失敗に終わったが、身代わり君を作成したことでオレの技能も鍛えられた。
手芸の腕ではない。
躁糸の技量が上がったのだ。
喜ばしいことのはずなのに、オレの鬱々とした気分は晴れない。
三日と開けずに届けられるウォルムス平原からの手紙が、アルベール殿下の本気度をオレに突きつける。
男だとか女だとか、些細なことで頭を悩ませるのは無意味だと分かっていた。
それでも恋文の返事を書くのは、滅茶クチャ辛い。
「再会するときには、キミにユリの花束を贈りたいって……?こっちは会いたくないんだよ!」
「素敵な手紙ですね」
オレの耳元で颯香が囁く。
「……ッ」
颯香はオレが嫌がるのを知っていて、アルベール殿下を推す。
オレとアルベール殿下の結婚が成立すれば、本物のお姫さまでお人形さん遊びができるからな。
ドレスの選択肢に幅ができるし、ロイヤルな装飾品も使用可能になる。
辺境伯爵令嬢からのグレードアップが狙いだろう。
実にうざったい確信犯だ。
だがしかし、今の生活は捨てがたい。
男だった時には、虐められるばかりで面白くもない毎日だったが、今の生活は冒険者時代と比較しても悪くない。
まず驚くほど飯が美味い。シーツはさらさらで、寝台もふかふかだ。いつでも入浴できるから、清潔で良い匂いに包まれている。汚らしい寝台のベッドで、ダニやシラミに苦しめられることはない。肌触りの良い衣装も嬉しい。楽器も好きなだけ弄り回せるし、気分次第で迷宮探索もできる。
「夜会に参加すれば、レイモン兄貴のトホホ顔も鑑賞できるしな」
オレはイヴォンヌ・ド・ボナール子爵夫人にレイモン兄貴が買われてから、自ら希望して夜会に参加している。
ボナール子爵夫人が参加する夜会には、万難を排して出かける。
ボナール子爵夫人のペットに成り下がったレイモン兄貴を見物するのが、最高に楽しいからだ。
ボナール子爵夫人の娘アニエスと親交を深め、お茶会に招かれるようになった。
最近ではアニエス嬢の友人たちとも、普通に言葉を交わす。
ウフフキャハハの令嬢トークも、意外と楽しい。
こうしたプラス面を無視して、草を食む貧乏生活に戻れるのかと問われたなら、否であろう。
どの階級に属していても、健康で美しい娘なら結婚の問題は避けようがない。
だったらアルベール殿下との結婚を嫌がるのは、馬鹿げているのだ。
オレもアルベール殿下だから嫌なのではない。
男だった意識が抜けないだけだ。
よぉーく考えてみれば、実に些細なことである。
オレだって男女の営みが、イービルセンチピードを生食するより不快であるとは思わん。
「ちゅーくらい、オレにもできる……、はず」
初夜の行為にせよ、ラクロットに裏切られた時の屈辱感と比べたなら、ちょっとした我慢に過ぎない。
一度やってしまえば、少しずつ慣れる。
と思う。
貴族社会の淑女は、男女関係での積極性を求められない。
詰まるところ、アルベール殿下の好きなようにやらせてやれば良い。
「ようは慣れだ。オレが男だったから、要らぬ反発を感じるんだ。多分おそらく、生理的な嫌悪は意志の力でねじ伏せられる」
なんにせよ、まだ来ぬ未来のことでクヨクヨと悩むのは馬鹿げている。
迷宮探索に於ける、ひそやかな死の気配とは違う。
結婚しても命は奪われない。
「そんな些細なことで、今の楽しみを台無しにする訳にはいかん」
そう。
オレは母上と違う。
明日を憂い、今日を犠牲にしたりしない。
だから、いつまで経っても交渉事やゲームで母上に勝てないのだ。
◇◇
春うらら。
陽気は暖かく、外出が楽しい季節だ。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「こんにちは。本日は、お招き頂き、ありがとうございます」
オレはアニエス子爵令嬢に招待されて、お花見の会に参加した。
見上げれば、ハナミズキの枝に咲くピンクが目に楽しい。
地面を覆う芝桜の赤紫色が、実に鮮やかだ。
ガーデンパーティーである。
「ウフフ……。レイモン兄さま。お元気そうで何よりです。イヴォンヌさまに溺愛されているのですね」
「ノエル嬢にお気遣い頂き、恐縮です。アニエスさまが用意された花見の会をお楽しみください」
中庭に移動する途中、レイモン兄貴と廊下で遭遇したので挨拶を交わした。
すれ違いざまに、『ちっ!』と舌打ちされた。
負け犬の遠吠えならぬ、舌打ちだ。
「悔しいんだ……」
実に気分が良い。
レイモン兄貴がボナール子爵夫人の婿養子に迎えられて、はや三か月。
少しばかり目つきが穏やかになり、調教の進捗具合を想像させる。
「兄貴のヤツ、ゴリゴリと削られてるな」
身の丈に合わない野心の話である。
何もかも順調な様子。
レイモン兄貴は、相性の良い精霊と契約を交わした精霊使いだ。
契約精霊が居なければ、単なる細マッチョ。
精霊魔法を組み込んだ剣技は使えず、体術も凡人レベル。
一方、領地と領民を守るために魔獣を狩るボナール子爵夫人は、中型の暴れイノシシを槍で突き殺す。
「まあ、兄貴では勝てんわな。筋力で既に負けてます」
魔法剣士にありがちな欠点だった。
彼らはフィジカルトレーニングを軽視しすぎなのだ。
ボナール子爵夫人も身体強化魔法の使い手らしいが、インナーマッスルを徹底的に鍛えている。
ボナール子爵夫人の嫋やかそうな見かけは、たゆまぬ鍛錬による成果だった。
おそらくきっと、どのような体勢からでも必殺の一撃を放てるのだろう。
「お母さまは、お元気ですか?」
「ええ。元気すぎて困ります」
アニエス子爵令嬢は、手芸が好きな普通のご令嬢である。
だから、日々欠かさずにフィジカルトレーニングを続ける母親が、ちょっとだけ疎ましいのだろう。
まあハードなトレーニング中は、誰であろうと目が座っていて近寄りがたいし、どうしても汗くさい。
その状態で娘にハグしたりするのだから、嫌がられても仕方ない。
「あんなに鍛える意味が分かりません」
「あはっ。わたくしは格好良いお母さまだと思いますけど」
「ノエルさんも、少し変です。わたくし、正直に申しますと……。娘の立場としては、もっとお淑やかなお母さまが欲しかったです」
アニエス子爵令嬢の好みでなくても、颯爽としていて美しいボナール子爵夫人は、筋肉好きなオレの推しだった。
鍛錬方法を聞いたり、冒険譚を強請ったりして、ボナール子爵夫人とは良好な関係を築けている。
当然のように、ボナール子爵夫人は武神オージェさまを信仰していた。
シャムエルから押し付けられた【聖女の証】が、ボナール子爵夫人の関心を引かぬ訳がない。
オレはインヴィジブルアラクネーの異能力を使う都合上、手袋の着用を嫌った。
そうなると右手の甲に刻印された紋章は、些か目立ちすぎる。
でも、ボナール子爵夫人が【聖女の証】について追及することは、これまでになかった。
好奇に満ちた目でチラチラとオレを見るのだが、何も訊ねたりしない。
とても上品で行儀の良い人なのだ。
こうしたストイックな姿勢が精神的抑圧となり、『後夫には優男を飼う!』発言が飛び出したのだろう。
はしたないとか好き者とか、社交界の連中は口さがないけれど、誰に迷惑をかける訳でもなく、レイモン兄貴を婿に貰って終わりだ。
詰まるところ、ちょっとした憂さ晴らしに過ぎないし、『そっとしておけ!』とオレは言いたい。
自分たちは平気で浮気をしている癖に、余計なお世話なんだよ。
果たして、ボナール子爵夫人がレイモン兄貴に何を強要しているのか……?
そこに触れないのが、オレなりの礼儀だった。
「皆さん見てくださいまし……。新作ですわ」
アニエス子爵令嬢が、小物入れから取り出したハンカチを拡げて見せた。
ハンカチの右下に、青い小鳥が精緻に縫い取られていた。
配置のバランスと言い、色遣いの鮮やかさと言い、もはや趣味の域を超えた出来栄えである。
「素晴らしいわ。まるで生きているようです」
フィルミーヌ男爵令嬢が誉めそやす。
オレも横から覗き込みながら、ウンウンと頷いた。
「わたくしはチョーカーを作りましたの」
そう言って、おずおずとレース編みの小作品を見せて寄こしたのは、レジーヌ子爵令嬢だった。
チョーカーか。
黒いレースのベルトで、シンプルながら繊細な模様が編み込まれている。
「すごぉー。オシャレです」
「シックな黒が、大人の雰囲気ですわ」
「まあ、嬉しいわ。よろしければ、皆さんの分もお作りします」
「…………」
技量は置いておくとして、アニエス子爵令嬢とレジーヌ子爵令嬢の美的センスがオレを唸らせる。
正統派の美しさや可愛らしさは、オレの守備範囲にない。
正直に言うなら、劣等感を刺激されるのだ。
本物のご令嬢は、センスも技術も洗練されていて、趣味の手芸作品が既に職人レベルだった。
町で売れば、それ相応の値段が付くだろう。
「わたくしはパッチワークです。枕を作ってみました」
オレを含め、アニエス子爵令嬢のもとに集まる女子は三名。
いつも四人でお茶会だ。
ガチな手芸女子のアニエス子爵令嬢とレジーヌ子爵令嬢、そして微妙にずれた感覚の持ち主であるフィルミーヌ男爵令嬢。
フィルミーヌ男爵令嬢は布地の端切れを集めて、継ぎはぎの美しい作品を作る。
これはこれで素晴らしい作品なんだけれど、ほんわかと家庭的な雰囲気が、オレをほっとさせてくれる。
「カワイイなぁー」
「そうですわね」
「柔らかな色味が素敵よ。心が落ち着くわ」
「ありがとうございます」
こうして自分の作品を持ち寄り、互いに誉めあうのが、このお茶会の趣旨なのだ。
ノバック家のタウンハウスに招いたこともあり、このお三方は母上のお気に入りとなっていた。
「さて……。次はノエルさんの番ですよ」
「グヌヌヌヌッ……。すごぉーく、出しづらいんですけど」
「早く見せてください」
「ノエルさん。わたくしだって、ちょっと見せづらかったです。材料が端切れだし、垢ぬけてないし……。諦めて、品評してもらいましょ」
「むむっ。やむを得ませんね」
オレは仕方なく、自分の作品をテーブルに並べた。
「……っ!?」
「これはまた……」
「どっ、どうして貴女は、こんなものを作るのよ」
「頑張りました」
「いやいやいや……。王都の有名店に勤めるお針子が、裸足で逃げ出すような技量を持ちながら、何を作っているんですか……?」
「ネコ……?」
「デザインが気色悪いと言っているんです!」
叱られたよ。
ご令嬢たちがドン引きだ。
これっ、どうしたらいいのさ。
「皆の分を作ってきたので、差し上げます」
「ヒッ!」
オレの力作であるお守り君を突き出したら、アニエス子爵令嬢が身を躱した。
「どうしてネコちゃんのヌイグルミに、虫の翅みたいなものとか、触覚みたいなものが付いているんですかぁー?」
「アクセント……?」
「そんなもの要りませんよ」
「わざわざ色違いの布を縫い合わせて身体を作ったのは、何故?」
「ああっ、ネコって模様があるでしょ」
「赤と黒の模様なんて、あるかぁー!」
アニエス子爵令嬢が、血相を変えて叫んだ。
かなり、お怒りのご様子。
お茶会が始まるまでは、お守り君の完成度を自画自賛していたのに、けちょんけちょんじゃないか。
もう、散々である。
「それ、お守りだから……。観賞用のお人形ではないのです。見た目が気持ち悪いのは、呪物だからなんです」
「…………!?」
「お守り?」
「そそ」
「わたくしたちに幸運が……?王子さまに見初められて、玉の輿……?」
「いいえ、幸運は自力で引き寄せてください。それは貴女たちを具体的な危険から守ってくれる呪物です」
「ノエルさんは精霊使いだから、精霊さんのお守り?」
「そそ」
オレはご令嬢たちに頷いて見せた。
笑顔も忘れずに。
「それなら、最初からそう言ってください」
「ありがたく頂きますわ」
「これ、持ち歩かないとダメ?」
「肌身離さず。お出かけの時にも、忘れずに連れて行ってあげてね」
「…………」
レジーヌ子爵令嬢は、少しだけ嫌そうな顔をした。
お守り君。
その呼び名に違わぬ、強力な護身具である。
ご令嬢たちに危機が訪れたなら、問答無用で守護精霊が暴れまくる。
なんなら周囲から仲間を呼び集めて、ご令嬢を守るだろう。
敵が凄腕の暗殺者だろうと、容赦なく瞬殺だ。
「だから、できるだけ可愛がって上げてください。貴女方と心が通じているほど、お守り君も強くなれるのです」
「くっ。難しいわ」
「カワイイの概念が、歪んでしまいそうです」
アニエス子爵令嬢とレジーヌ子爵令嬢が、表情を歪めた。
「えーっ。わたくしは、仲良くできそうですけれど」
「「…………!?」」
やはりフィルミーヌ男爵令嬢は、オレのサイドだった。
ぽややんとしたところが、少しだけクレアに似ていると思っていたんだ。
クレアも気色悪さに寛容だもんな。
その後、夜中になると動くお守り君に慣れるまで、ご令嬢たちは数ヶ月を要した。
かなり怖かったらしい。




