表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/17

13章:焦燥と野生

朝の寮の食堂――。

東海大会準決勝当日の朝。普段ならもっと賑やかなはずの場所も、今日はどこか静まり返っていた。

「……いただきます」

箸がそろって動き出す。

友生は手元の白米を一口運び、ゆっくりと噛み締めた。周りの空気のせいか味があまりしない。

「ちょいとちょいと皆さん!暗すぎやしませんか?勝負が始まる前から気持ちで負けちゃダメだって」

静かな空気を破ったのは、やはり飯田だった。飯田は焼き鮭を大きく頬張り、茶碗を片手で持ちながら隣の友生の肩を軽く小突いた。

「友生、お前も固まってねぇで、しっかり食えよ。今日の米、やけにうまいぞ?」

「……ああ、うん」

友生は小さく頷いたが、箸はあまり進まない。それを見て、小高が飯田にぼそっと言った。

「飯田、お前が食いすぎなんだよ。緊張感くらい持てよ」

「いやいや、小高こそ真面目すぎんだって。朝くらい普通でいいだろ?」

飯田は半ば本気、半ば冗談の調子で言い返す。そのやり取りを斜め向かいから見ていた秋本が、ゆるく帽子を後ろ向きにかぶり直しながら大きくあくびをした。

「俺は……どうせ今日も出番少ねーしな。適当にやるわ」

「またそれかよ。準決勝だぞ?」

加藤がやや呆れたように眉をひそめた。

「お前な、こういう時くらいピリッとしろ。キャプテンとして言うけどな、お前ももう少し態度が改まれば出場機会が増えるっていつも言ってるのによ」

「……わーったよ、わーった」

秋本はだるそうに返事しながらも、味噌汁だけはしっかり飲んでいた。その様子を静かに見ていた裕生が口を開く。

「別に無理して気合い入れる必要はないけどさ……。ちゃんと準備はしとけよ。秋本、お前にも急に回ってくることだってあるんだから」

「はいはい。言われなくても一応やるって」

そんなやり取りに、清水が口を挟んだ。

「でも、本当に相手強いよね……4番とかプロ注だって」

「それ言うなよ、余計緊張するだろ」

友生が苦笑しながら言うと、今度は隣のテーブルにいる武藤が静かに笑った。

「まあでも、それが甲子園の切符がかかってるってもんだ。相手がどうとかより、まずは自分たちの野球だろ?」

加藤もそれにうなずく。

「そうだな。別に今まで通りでいい。無理しないで、やるべきことをやるだけだ」

飯田がご飯をかき込みながら、また笑った。

「そりゃそうだ。でもまあ、甲子園出場とかになったら打ち上げとかあるんだろ? だったら今日は絶対勝たねえとな」

「お前、そういうところだけはほんとブレねえな……」

友生は思わず小さく笑った。さっきまでの緊張が、ほんの少しだけ和らいでいた。最後に加藤が全員を見るように言った。

「とにかく、しっかり食っとけよ。準決勝だからって無理に気負う必要はない。でも、腹が減ってたら話になんねえからな」

「はい!」

何人かが一斉に返事をし、また箸を動かし始めた。その中で、友生も静かに、もう一口ごはんを口に運んだ。

——甲子園、か。

緊張と静かな闘志が、じわりと心の奥に広がっていくのを感じながら。


朝七時。東海西ナインは、バスへと乗り込んだ。車内は、普段の移動よりも少しだけ静かだった。誰もが言葉少なに窓の外を眺めている。そんな中、バスの後部座席で友生は、隣に座る飯田をちらりと見た。

「飯田……今日、先発だよな」

先ほど監督から個人的に飯田が呼ばれているのを友生は見ていた。飯田はニッと笑い、帽子をかぶり直す。

「まあな。この大一番で投げられるのは最高だね」

その言葉は軽く聞こえるのに、飯田の表情は先ほどまでとは打って変わって引き締まっていた。

前方の席では、キャプテン加藤が小林と話している。

「おい、小林。腰は大丈夫か?」

「絶好調だね。今日は右手を意識してグッと押し込んでみるわ」

「……なんの話だよ」

バスの窓から、朝焼けに染まる球場の屋根が見えてきた。

――いよいよだ。


球場に到着し、荷物を抱えながら友生は一歩ずつ歩を進める。入り口をくぐった瞬間、ふっと生暖かい風が吹き抜けた。スタンドから響くざわめき。すでに観客席は応援団などで埋まり始めている。友生は深呼吸し、ふと相手ベンチへ目を向けた。真紅のユニフォーム。名門・啓星館(けいせいかん)。今年の夏は甲子園にも出場している。背番号8をつけた選手がベンチ前を何度もダッシュしている。4番を打つ黒木翔太(くろきしょうた)。昨年から1年生ながら4番に抜擢されていた誰もが名を知るプロ注目のバッター。さらに、今夏の大会もエースを張っていた白鳥圭吾(しらとりけいご)。ナックルカーブを武器に、この大会無失点を続けている。

「今日のオーダーを発表する!」

東海西ナインがベンチに入り、荷物を置くと監督が選手たちを集める。

「1番センター清水!

2番ショート毛受!

3番サード小林!

4番ファースト加藤!

5番キャッチャー神野裕生!

6番ピッチャー飯田!

7番ライト芳山!

8番セカンド竹内!

9番レフト山内!」

発表が終わり少し間を置く。

「相手は名門だ。だが、名前に飲まれる必要はない。加藤、一言!」

その言葉のあと、加藤が続けた。

「夏は悔しい思いをした。あと一勝すればほぼ春の甲子園の切符は手に入る。一年生は自分のできることを最大限やれるように努めろ!他のことは俺らが背負ってやる」

ニヤリと不適な笑みを浮かべる。

「はい!!!」

「トウセイ!!!っくぞ!!!」

「おおおおおお!!!」

円陣後、飯田がマウンドを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

「やっぱ広いな……この球場」

「緊張してんの?」

友生が声をかけると、飯田は少しだけ笑った。

「まあ、ちょっとな。でも俺はそれくらいがちょうどいいんだろ?」

両校整列し、礼をする。相手チームが守備につき、一番の清水がバッターボックスに向かう。プレーボールの声が響く。

相手マウンドに立つのは啓星館のエース、白鳥。すらっと背が高く、190センチほどはあるだろうか。帽子をぐっと深くかぶり、長い脚を高々と上げると、初球――。

「ストライク!」

キャッチャーミットにストレートが吸い込まれた。清水は手が出ないのか手を出さなかったのか140キロほどのボールだった。2球目、3球目もストレート。1ボール2ストライク。4球目に放られたボールは弧を描くようなボール。独特の軌道ーー。清水のバットは空を切る。三振。

「くそ……最後ナックルカーブ。わかってたのに身体が反応しなかったわ。思った以上に刺されるぞ」

ベンチに戻ってきた清水は唇を噛みしめる。2番3番も同じく翻弄され、三者凡退。スタンドからの歓声がより強く響く。


一回裏。

東海西のマウンドに立つ飯田は、かつてないプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。

(クソ……指が滑る。マウンドの硬さも、いつもと全然違う……)

普段は陽気な飯田の顔から、完全に余裕が消えていた。投球練習の段階から、キャッチャーの裕生が構えたミットから大きく外れる大悪球を連発している。

「ボール!フォア!」

案の定、迎えた一番打者、二番打者共に連続で四球。

すかさず、キャッチャーの裕生がマウンドへ駆け寄る。ファーストの加藤もそれに続いた。

「おい飯田、顔色悪いぞ。緊張してんのか?」

加藤が鋭い視線を向けるが、飯田は帽子を脱いで額の汗を拭いながら、弱々しく首を振ることしかできない。

「わ、わかってるんスけど……。でも、なんか球が指にかからないんスよ」

「らしくねえぞ」

裕生がミットで飯田の胸を軽く叩いた。「バックを信じて、いつも通り真ん中を目がけて投げてこい。多少の暴投なら俺が止めてやるから」

「……うるせえな。俺だって人間だ。決勝のマウンドくらい緊張するっつーの」

二人がかりの熱い鼓舞にも、飯田の身体にまとわりついた硬さはなかなか取れなかった。

続く三番打者には、ストライクを取りにいった真ん中高めの球を完璧にとらえられ、センターオーバーのタイムリーツーベース。あっさりと先制点を許してしまう。

二点のビハインド。スタンドの啓星館側からは割れんばかりの歓声が響き、東海西の応援席には重苦しいどどめきが広がった。

ベンチの最前列で、友生は祈るように拳を握りしめていた。

(飯田……頼む、いつも通りのピッティングをしてくれ……!)

なおもノーアウトランナー二塁のピンチで、飯田の視線がふと三塁側ベンチの奥をとらえた。

飯田の視線の先――ブルペンへと焦点が移る。

そこには、いつでもマウンドを奪い取る準備を終えた武藤の姿があった。

ビシィィィン!とブルペンに凄まじい捕球音を響かせ、淡々と、しかし静かな闘志を全身からみなぎらせて投げ込んでいる。

その姿を見た瞬間、飯田の脳裏に電流が走った。

(……あーあ。ここで引き下がるわけにはいかねぇよな。武藤先輩にマウンドを譲るにしても、こんな無様なままで終われるかよ!)

飯田の瞳に、ようやくギラリとした野生の輝きが戻る。帽子を深くかぶり直し、不敵に唇を歪めた。

「……よし。もう逃げ場はねぇな」

覚悟を決めた飯田は、啓星館の四番・黒木に対し、この日一番の渾身のインハイストレートを投げ込んだ。

バシィィィン!!!

「ストライク!」

会心の一球に、東海西の応援席から一斉に拍手が起こった。ようやく、飯田が目を覚ました。

マウンドの飯田の瞳から、それまでの迷いが完全に消え失せていた。

受けるキャッチャーの裕生も、ミット越しにその変化を強烈に感じ取っていた。

(……おいおい、今のは最高のボールだ。ようやくいつもの、いや、いつも以上のボールが来やがった)

裕生はニヤリとマスクの裏で笑みを浮かべ、すぐさま二球目のサインを送る。初球と同じインコースへのストレート。

啓星館の四番・黒木もまた、プロ注目としてのプライドがある。初球のインハイを見送りながら、飯田の豹変を察知していた。

(さっきまでのヘロヘロ投球は演技か?……上等だ、スタンドにかちこんでやる!)

二球目。飯田が右足を大きく踏み込み、鋭く腕を振る。

放たれた白球は、再び黒木のインコースへ。先ほどよりさらに回転の効いた、ベース際で伸びるようなストレート。

「ストライク!」

黒木のバットが動かない。いや、完全に面を食らって動かせなかった。

あっという間に追い込んだ。さっきまでとは打って変わって一気にグラウンドを支配しているように見える。

ベンチの最前列で、友生は鳥肌が立つのを感じていた。

(すごい……! 完全に飯田のペースだ。あの黒木さんを完全に圧倒してる)

緊張の三球目。裕生が構えたのは、内角低め、ストライクからボールになる膝下に食い込むスライダー。

飯田は吠えるように腕を振り抜いた。

「キィィン!」

鋭い金属音が響いたが、打球は詰まった。黒木が強引に合わせた打球は、ファースト加藤の正面へ転がる平凡なゴロ。

加藤がガッチリと捕球し、自らファーストベースを踏んでワンアウト。

飯田のギアは完全に上がっていた。続く五番を詰まらせてショートフライ、六番にはタイミングを外す絶妙なスライダーで空振り三振に切って取る。

「ストライク!バッターアウト!チェンジ!」

「しゃあオラァァァ!!!」

飯田はマウンド上で派手にガッツポーズを決め、バックの野手陣とハイタッチを交わしながらベンチへと戻ってきた。さっきまで死にそうな顔をしていた男とは、とても思えない切り替えの早さだった。

「飯田、ナイスピッチ!」

ベンチの前で友生が手を差し出すと、飯田は

「へへ、サンキュー友生!」

といつもの軽い調子でそれに応えた。先制の二点こそ失ったものの、最強の四番を打ち取ったことで、東海西ベンチの空気は一気に明るくなった。

完全に「いつもの自分」を取り戻した飯田のピッチングは、ここから本領を発揮し始める。

ストレートの球速自体は130キロ台後半と、一年生にしては速い球速だが啓星館のエース白鳥に比べれば決して速くはない。だが、飯田の持ち味はその「気迫」と「度胸」だった。

続く二回裏、飯田はさらに冴え渡る。七番打者を外角いっぱいのストレートで引っかけさせ、サード小林の正面へのゴロ。続く八番打者、九番打者もテンポよく打ち取り、なんと二回裏をわずか九球、三者凡退できって取ってみせた。

「おいおい飯田、調子上がってきたじゃねえか」

裕生がベンチで水分を補給しながら、珍しく感心したように声をかける。

「だろ? 俺を誰だと思ってんだよ。ここから全部ゼロで抑えてやるから、裕生も半端なキャッチングするんじゃねーぞ!」

裕生は不敵に笑い、飯田の右肩をドンとパンチした。

そして、試合は三回表。

二死一塁という場面で、打席には三番・小林が向かう――。

打席に向かう三番小林の背中に、ベンチから飯田がいつもの軽い調子で声をかける。

「小林先輩ー!俺、もう少し楽に投げたいんで、そこんとこマジで頼みますよ!」

「飯田、お前が先制点取られた張本人だろ。どの口が言ってんだよ」

と清水が突っ込み、ベンチにどっと笑いが起きる。

(まったく、調子のいい奴だ……)

バッターボックスに入った小林は、フッと小さく口元を緩めた。ベンチのいつものお気楽なやり取りが、小林の身体から余計な力みを完全に消し去ってくれた。

同時に、腰の鈍い違和感がアドレナリンで吹き飛んでいくのを感じる。

(飯田の奴があれだけ泥臭く踏ん張ったんだ。先輩として、ここで一本出さなきゃ男じゃねえだろ)

相手エース白鳥が放った勝負の一球。キレのあるナックルカーブが、手元で急激に沈む。

だが、小林の意識は完全にその軌道を捉えていた。右手を意識し、グッと押し込む――。

「カーン!」

乾いた快音が球場に響き渡る。

白球は高々と舞い上がり、朝風に乗ってライト方向へ。

ライトが背を向けて懸命に追う。だが、打球はさらに伸び切った。

そのまま、フェンスを越えてスタンドイン。

「うおおおおおお!!!」

ベンチも観客席も総立ちになり、歓声が爆発した。ベンチの最前列では、友生がメンバーの誰よりも高く飛び上がってガッツポーズを作っている。

二点差を一気に追いつく、値千金の同点2ランホームラン。

ダイヤモンドを一周し、ホームに帰ってきた小林の顔には、誇らしげな笑みが浮かんでいた。

ベンチの隅でその姿を見つめていた飯田は、静かに、しかし千切れるほどの力でグラブを握りしめた。

(……やっぱすげーな、小林先輩。よし、俺もこれ以上は絶対に抑えてやる)

試合は再び、2対2の振り出しに戻った。

甲子園の切符をかけた戦いの空気が、東海西の執念によって、本物の熱を帯び始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ