26話 「親の報いを子に押しつけないでください」
そうして、侍女に連れられながらサイラスと共に執務室まで戻ると、中には対面するようにソファに座る父とアシュフィールド公がいた。
父はうなだれ、アシュフィールド公はそれを見据えている。どういったやり取りが交わされたのかは定かではないが、父にはあまり喜ばしい話ではなかったようだ。
「戻ったか」
入ってきたシェリルとサイラスを見て、アシュフィールド公が言う。父はこちらにちらりと視線を送っただけで、何も言わなかった。
「――話は以上だ。後ほど、証拠となるものを送ろう」
アシュフィールド公の言葉にも、父は何も答えない。いったい、どんな話をしていたのか。
シェリルが疑問に思っていると、サイラスが前に進み出て父の近くに立った。
「詳しいことは知らんが、鍛練に励むといい。鬱屈とした精神には体を動かすのが一番だ」
そしてその口から出てきた言葉に、シェリルだけでなく父までもが顔を上げてぽかんと呆けた。
そういえば、とシェリルは思い出す。
頑丈な肉体には頑丈な精神が宿ると、以前サイラスは言っていた。健全の間違いで、しかも宿るといいなという意味だということを、話してはいない。
勘違いし続けていることを想像し、シェリルの口元になんとも言えない笑みが浮かぶ。
「……それもいいだろう。私は少しシェリル嬢と話があるから、アンダーソン侯はサイラスと鍛錬に励んでくるといい」
促すアシュフィールド公に、シェリルはまたもサイラスの勘違いを正す機会を失う。アシュフィールド公まで勘違いしている、ということはないだろう。
サイラスと父がいてはできない話をするつもりなのだと悟り、シェリルは口を閉ざすことにした。
そして半ば無理やりではあるがサイラスと父が去り、シェリルはアシュフィールド公に勧められるまま空いたソファに座る。
「まずは……すまなかった。そちらの状況を把握できず、苦しい思いをさせた」
頭を下げるアシュフィールド公に、シェリルは小さく首を横に振る。
「いえ、アシュフィールド公のせいではありませんので……」
「……シェリル嬢。君の母親には恩がある。だというのにこうなってしまったのは、私の責任だ」
はあ、と溜息を落とすアシュフィールド公にシェリルはわずかな違和感を覚える。
だがその違和感の理由が何かを探るよりも先に、別の疑問がわいた。
「恩、ですか……?」
「ああ。婚約者候補筆頭であったことは、先ほど聞いただろう。だが、私と彼女の間にはそういった色事めいた情はなく……兄妹のような関係だった。だから、私に好きな女性ができた時、彼女は応援してくれたのだが……結果として、彼女を窮地に追いやることになった」
それは、父が言っていた「親にも見放された」という話と関係しているのかもしれない。母方の祖父母との交流はほとんどない。社交の場で目にすることはあるが、その程度だ。
公爵家に嫁げるかもしれない機会を棒に振った母に、祖父母は厳しく当たったのだろう。
「だから彼女から君に婚約者を探してほしいと頼まれた時に、サイラスをつけたのだが……」
そこで一度言葉を切ると、アシュフィールド公は眉間に皺を寄せ、苦々しい顔をした。
「これは言い訳にしかならないかもしれないが、彼女は……自ら望んで、アンダーソン侯の求婚を受け入れた。だから、彼女との間にできた娘を――彼女の忘れ形見を冷遇するなど、思っていなかったんだ」
シェリルはどういった環境に置かれているのかを口外していなかった。助けを求められたのならともかく、気づけというほうが酷だろう。
だからシェリルは「気にしないでください」と言うつもりだった。本当に、アシュフィールド公が気にするようなことではないと思ったからだ。
「不甲斐ない息子を婚約者に決めてしまったばかりに、君の置かれた境遇に気づくのに遅れてしまった。婚約は解消するが、もし君が望むのなら……少々年は離れてしまうが、二番目の息子を新しく婚約者として据えてもいい。幸い、恋人も妻もいない身で……武力面ではサイラスに劣るが、領地に関して困ったことがあれば相談に乗ることはできるだろう」
だが続いたアシュフィールド公の言葉に、シェリルは言うはずだった言葉の代わりにため息を落とした。
確かに、サイラスには不甲斐ない面が多い。何を考えているのかわからないことも多い。
だが、アシュフィールド公に責任はないのと同じく、サイラスにも責任はない。
「サイラス様に責はございません」
「だが、もっと上手く立ち回っていれば色々と違っていただろう。与えられた役目を遂行できなかったのだから、サイラスにも非はある」
先ほど抱いた違和感はこれなのだと、シェリルは気づく。あの溜息は、不甲斐ない息子に呆れていたから出てきたのだと。
「自らの現状をお話ししなかったのは私です。月に一度会うだけの関係で気づけというほうが酷ではありませんか」
やはり、と抱いていた疑惑が確信に変わる。
サイラスはあまりにもおかしかった。言動や行動が、ではない。
婚約の破棄と解消の違いを知らない偏った知識といい、頑なにシェリルの剣であろうとする姿勢。そのすべてが、シェリルの婚約者にふさわしいようにと育てられすぎている。
シェリルが母の忘れ形見だというのなら、サイラスこそまさに忘れ形見そのものだ。
アシュフィールド公の話を聞く限り、アシュフィールド公と夫人は愛し合っていたのだろう。ならば、忘れ形見であるサイラスを大切に――シェリルよりも優先させるものではないのだろうか。
もしもシェリルとサイラスの間に違いがあるとすれば、サイラスの母親が、サイラスを産んだことで亡くなったことくらいだろう。
「アシュフィールド公、失礼を承知で申し上げます」
二人の婚約が本当に政略だけの――互いに利のあるものであれば、ここまで気にならなかっただろう。
だがアシュフィールド家に利はほとんどなく、母に対する恩義がなければ成立しなかったであろうことは確かだ。
いや、恩だけではないのかもしれない。もしも、アシュフィールド公が愛する妻を失ったのがサイラスのせいだと思っていたら、忘れ形見だとわかっていながらも愛情を示せず、愛する息子ではなくシェリルの婚約者として扱ったのだとしたら。
母を誤解し憤りを感じてシェリルをぞんざいに扱った父と、母に対する恩や息子に対する複雑な感情から選択肢を排除したアシュフィールド公。
そこにいったいなんの違いがあるのか、シェリルにはわからなかった。
「親の報いを子に押しつけないでください」
すべては推測に過ぎない。だけどサイラスがシェリルの婚約者として育てられ、それ以上でも以下でもない扱いを受けていそうだ、ということだけはわかる。
「婚約のお話ですが――」
当のサイラスは今頃、父と一緒に鍛錬に励んでいるのだろう。まさか他家の当主を一人で――アリシアの時のように喝を飛ばすだけ、ということはないはずだ。
困惑と憔悴の混じった顔をした父の横で、何もおかしいと思っていなさそうな顔で鍛錬をしているサイラスを想像し、シェリルは小さく息を吐く。
自らの扱いが不当であるなどとは微塵も思わず、どうして利がないのに婚約者なのか疑問にすら思っていなかった。
ただただ、シェリルの婚約者になるために育てられた。その事実はすでにサイラスに突きつけてある。
そのうえで彼がどういった選択を選ぶのかはまだわからないが、シェリルの答えは決まっている。
「私は解消しようとまでは思っておりません」
アシュフィールド公は虚を衝かれたように瞬きを繰り返した後、眉間に皺を寄せた。
「しかし……サイラスは君の窮状に気づかなかった。それで婚約者が務まるとは思えない」
「どういった状況に置かれているのかを報告しなかったのは私です。サイラス様でなかったとして、気づいた保証はありません」
父も継母も家族として振る舞っていた。アリシアに譲ることになるとはいえ、新しいドレスを用意したりもしていた。
ただ扱いに差があっただけ。そんな状況で、婚約者がサイラスでなかったとしても気づいてもらえたとは思えない。
「サイラス様には確かに至らない点が多いとは思います。ですが、改善しようと心掛けています」
今さら、といえば今さらだ。だけど、今さらだからと諦めて放り投げようとはしていない。
シェリルの置かれている状況を変えようと動いてくれたのはサイラスだ。
そして何よりも――
「サイラス様は、私のことを好きだと、そうおっしゃってくださいました」
現状を何一つ話していなかったのに今さらだと八つ当たりした。だけどサイラスはそれでも、シェリルのことを好きだと言って、どうにかしようと考えてくれている。
たとえ、サイラスが他に選びようがなかったからだとしても――母以外に好きだと言ってくれたのは、サイラスだけだった。
「だから、アシュフィールド家にサイラス様が必要ないのでしたら、私がもらいます」
サイラスと同じアシュフィールド公の青い瞳が真っ直ぐにシェリルを捉える。
シェリルはそれに対し、目を逸らすことなく、真っ直ぐな視線を向けた。
「……シェリル嬢。君は本当にそれでいいのか?」
「それでいいのではなく、それがいいのです」
誰が婚約者であろうと何も変わらないだろう。それならば、自分のことを好いてくれて、至らなくとも動いてくれる相手のほうがいい。
「私は、私のために心を砕いてくださる方を伴侶にしたいです。もちろん、サイラス様が望むのなら、ですが」
そう言い終えると、シェリルは話は終わりだとばかりに「それでは失礼いたします」と礼をして執務室を出た。
本編にまったく関係ない人物紹介
・アルフ
武術科生の監督役も務める侯爵家の三男。
エイトケン侯が市井の娘との間に作った子供。
赤子の頃から体が弱く、何度も医者にかかっていたので実の母親が父親に助けを求め、侯爵家に迎え入れられる。
夫人は夫の子供なら我が子も同然だと言い、腹違いの二人の兄は弟ができたことを喜んだ。
熱を出すたびに寄り添い、気遣ってくれた家族に報いるため、自身にできる最大限を追及した結果、兄を支えられる文官を志す。
シェリルとサイラスの後押しをしたのは、自身の頭痛以外にも貴族の力関係が変に崩れるのを嫌ったため、というのもあったりする。
本編ではいっさい関わりがなかったが、性格や生い立ちも含めアリシアとの相性は最悪。
・ネイト
武術科一の破落戸と評判の侯爵家の四男。
卒業後は辺境の地を守護する生家で武官になる予定。
侯爵家が所持している私兵は、実力さえあれば誰でも雇うことからごろつき集団と称されるほど荒れた者が多い。
彼の言動や行動は貴族としては間違っているが、将来的には間違っていなかったりする。
ちなみに、やろうと思えば紳士然とした態度も取れる。
・ダニエル
武術科一の洒落者と評判の伯爵家の長男。
当主の座が確定している。
姉に対する申し訳なさやらが合わさった結果、他の次期当主の面々と違い鍛錬場に入り浸っている。
今回の長期休暇で姉に叱られ、残る半年は真面目に次期当主としての勉強に務めた。




