最終話 「私もあなたを幸せにしますから」
それから、一週間が経った。アシュフィールド公は来た当日に帰り、サイラスだけがアンダーソン家に滞在している。
この一週間で、家の中は色々と変わった。
まず、アシュフィールド公が去ってから少しして、小包が届いた。手紙のようなものが入っていたそれは父に宛てたもので、内容までは確認していない。
だが父の心を折るには十分なものだったのだろう。
「……引退、しようと思う」
項垂れ、シェリルの卒業と共に領地の片隅にある別宅で隠居すると宣言した。
これに聞き捨てならないと声を上げたのは、継母だった。
「冗談じゃないわ。まだまだ現役で働けるのに、どうしてそんな片田舎に――」
だがその抗議の声が続くことはなかった。その肩に、サイラスが手を置いたからだ。
「別宅のある土地は自然溢れるよい土地だと聞いたことがある。そこで過ごすにあたって体力に不安があるのなら、野山を駆けまわれるように鍛えてやろう」
サイラスからしてみれば完全に善意だったのだろう。だが継母には脅しに聞こえたようで、顔を引きつらせていた。
そしてアリシアも、別宅に移ることに決まった。とはいっても、まだ学園に在籍中の身なので、ほとんどの時間を過ごすのは学園だ。
だが長期休暇では別宅に向かうので、こちらに寄ることはほとんどなくなる。
アリシアが卒業後どうなるのかはまだ決まっていない。在学中によい人が見つかればそちらに嫁ぐだろうし、見つからなければ市井に降るだろう。
いずれにせよ、シェリルの卒業を機に、彼らと顔を合わせる機会はほとんどなくなる。
そして変わったこと、ではないかもしれないが父のシェリルに対する接し方にも変化があった。
引退を宣言したその場で、父はシェリルに向けて頭を下げた。
「……すまなかった」
消え入りそうなほど弱弱しい声に、シェリルはため息を落とす。
「それを言うべき相手は、私ではありません」
静かに言うと、父の顔が苦しそうに歪んだ。
父が謝るべき相手は、もうここにはいない。最期の瞬間すら看取らなかったのは父自身だ。もしも立ち会っていれば、謝罪の言葉ぐらいはかけられたかもしれないのに、そうしなかった。
それに、今さら謝られてもどうにもならない。これこそ、今さらだ。
だからシェリルは項垂れ続ける父と、不満がありながらも口に出せず顔をしめている継母と、以前よりも静かに学園に帰る用意をしているアリシアについてではなく、これから自分がしないといけないことに考えを巡らせた。
「……学園に戻ったら、忙しくなるわね」
在学中に、当主権を移行するための手続きを進めないといけない。残り半年で、となると余裕があるわけではないが不可能ではない。
ひとつ、ふたつ、と指を折って何をするべきかを考えて――手が止まる。
当主権の移行、隠居先に派遣する使用人の選別、新しい当主のお披露目。
「それから、結婚式……は、どうなるのかしら」
サイラスからの返事はまだない。会話がない、というわけではない。ただ、顔を合わせると真剣な顔で視線をさまよわせるだけだ。
まだ明確な答えが出ていないのだろう。
「いいか! 主人が間違っていると思えば、苦言を呈するのが仕える者の役目だ!」
だからといって、静かに過ごしているわけでもない。今日も今日で、サイラスの声が響いてきた。
「諸君らの態度は怠慢としか言えない! 主人に仕えるとはどういうことなのか、その身にしかと刻め。無論、剣をとり鍛錬に励めと言うつもりはない! 剣ではなく箒を、包丁を、諸君らの武器を手に、今日も精進せよ!」
サイラスが来てから一週間。早朝に行われる謎の儀式を経て、使用人たちが業務に取り掛かる。文言はその日によって違うが、言っていることはたいして変わっていない。
謎の儀式が終わると、サイラスはその足で父の寝室に向かう。朝の鍛錬を行うためだ。アシュフィールド家に仕える騎士に混ざり、剣を振る。朝食を終えれば使用人が滞りなく業務を行えているか確認し、昼の鍛錬をはじめる。
合間を縫って本を読み、夕食を終えれば食後の鍛錬をはじめ、就寝前には使用人たちと謎の儀式を開き、激励の言葉を送る。
そうしたサイラスの一日を目の当たりにして、シェリルは思わず目頭を押さえた。
本を読んだりはしているが、ほとんどの時間を鍛錬にしか費やしていない。これが、シェリルの婚約者になるべく育てられた結果か、と申し訳なくなったからだ。
「ど、どうかしたのか?」
影から見ていたシェリルに気づいたのか、あるいは最初から気づいていたのか、唐突に目頭を押さえたシェリルのもとにサイラスが駆け寄って来る。
おろおろと心配そうにしている姿に、シェリルはさらに申し訳なくなった。
「サイラス様……もっと、肩の力を抜いてもよろしいのですよ。何か、鍛錬以外にもすることを――趣味を見つけるのもよろしいかと……」
シェリルの言えた話ではないが、それでもサイラスよりは日々の生活に変化がある。
本を読む日もあれば、刺繍に励む日もあるし、芸術関連の造詣を深める日もある。特定の何かが好き、というのはないが。
「……そのことについてだが……」
何故だか、サイラスが目を伏せる。シェリルの目にはその姿がどこか重々しく見えて、首を傾げた。
鍛錬漬けの日々を心配しただけなのに、どうしてそんな顔をするのかわからなかったからだ。
「よく、考えろと言われたから、この一週間、考えた。……だがやはり、よくわからん!」
堂々と、まるで開き直るかのように言うサイラスに、シェリルは思わず瞬きを繰り返す。
「俺は元々、体を動かすのが好きだ。その、シェリルを、君を好きになった、と思うのもおそらく最初からで……だから、そうなるように育てられた、というのがよくわからない。鍛錬に励むのも、君を守ろうと思うのも、俺が自ら選んだことだ。それにたとえ、君が言う通りそうなるように育てられたのだとしても、俺が損だと思っていないのならば、なんの問題もない」
堂々と――途中顔を赤らめて視線を逸らしたのを除けば――はっきりと宣言すると、サイラスの青い瞳が真っ直ぐにシェリルに向く。
「よく考えろと言われたのに出た結論がこれだ。考えても結局、俺にはわからなかった。……それでも、俺は……考えの足りぬ身でありながら、君のそばにいたい、と思う」
「本当に、それでよろしいのですか? 後悔されませんか?」
「後悔など、するはずがない!」
真っ直ぐな目に、真っ直ぐな言葉。胸の奥から湧く熱に、シェリルは視線を落とした。
それをどう受け取ったのか、サイラスの慌てた声が降ってくる。
「む、無論。君が俺でもいいと、そう言ってくれるのなら、だが」
「……私は……相手を想う気持ちを育むのが容易ではないことを知っています」
確かに、サイラスには彼が言う通り足りない部分が多いだろう。だけど、真っ直ぐな気持ちをシェリルに向けたのはサイラスだけだった。
だからこそ。
「ですが、サイラス様となら想いを育み良好な関係を築けるのでは、と思っております」
顔を上げ、青い瞳を見つめる。その中に見える自分の姿がなんだかおかしくて、シェリルの口元に笑みが浮かんだ。
「サイラス様でも、ではありません。サイラス様がよいのです」
そう言って微笑むと、サイラスの顔がみるみるうちに赤く染まった。
「今後はしっかりとお前を守ると……これまで何もできなかったのも含めて、守ると誓おう」
「……そこは、幸せにする、だけでよろしいのですよ」
そっとサイラスの手を取る。
同じ家で過ごすようになって、一週間と少し。その間ずっと、サイラスはシェリルのことを考えてくれていた。
少々、どころではなく抜けているところもあるし、足りないところもある。だがそれでも、シェリルを大切に想ってくれていることだけは疑いようがない。
「私もあなたを幸せにしますから」
同じだけの愛情を、感情を、サイラスに返せるかはわからない。
だがそれでも、サイラスが後悔しないように、そして自分が後悔しないように、シェリルは心の中で誓う。
幸せにしてあげるし、幸せになるのだと。




