25話 「サイラス様は……それでよろしいのですか?」
サイラスの横に立つ壮年の男性は、整った顔を険しくさせながら真っ直ぐにシェリルの父を見ている。
現アシュフィールド家当主――シェリルの母親と約束を交わした人物の登場に、シェリルは目を丸くさせ、父は顔を歪ませた。
「アシュフィールド公。早い到着で――」
こちらに来るというのは、先ほど父が言っていた通り手紙に書いてあったのだろう。
だが、予想よりもずいぶんと早かったに違いない。顔を引きつらせながら言う父に、シェリルはちらりとアシュフィールド公の横に立つサイラスを見る。
サイラスも見られたことに気づいたのだろう。わずかに視線をシェリルに送り、口を一文字に結んだまま、小さく頷いた。
開幕の一言以降口を閉ざしているのは、もしかしたら黙っていろと言われたからなのでは。
そんな予想が頭をよぎる。状況的に口を挟めるはずもないのに思わずそんなことを考えてしまったのは、最近の彼とのやり取りのせいだろう。
「用件は手紙に記していた通りだ。――ここからは、当主同士で話をするとしよう」
そう言って、アシュフィールド公がサイラスとシェリルに退室を促す。
父も反対する気はないようで、使用人を呼ぶと別室に案内するように命じた。
そうして向かった先は、客人を招いた際に案内するはずの応接間。本来なら、客はこちらで家主が来るのを待つものだ。
執務室に直接――しかも当主になんの断りもなく、というのは異例の事態だ。どうしてそんなことになったのだろうと首を傾げるシェリルだが、その疑問はすぐに払拭された。
「……お前の妹に案内されたのだが……少し、間が悪かったようだな」
椅子に座り用意された紅茶で一心地ついた後、サイラスが少しばつが悪そうな顔で言ったからだ。
「いえ、お構いなく……むしろ、お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
アリシアのことだ。自分が案内すると買って出たのだろう。
この屋敷において家人の主張に強く出られる者はそう多くない。しかもアリシアは自分の我儘を通せないと駄々をこねるので、最終的には父と継母が好きにさせなさいと言い出すのが常だった。
だから今回の件についても、一度か二度注意してすぐにアリシアの主張を受け入れたのだろう。
その結果親子の醜態を見せる羽目になってしまったことに、シェリルは少しだけ視線を泳がせる。
だがすぐに過ぎてしまったものはしかたないと切り替え、正面に座るサイラスに視線を戻した。
「……その、本当はもう少し早くこちらに到着する予定だったのだが……悪天候に見舞われてしまい、遅くなった。もっと早く到着していれば、諍いが生まれることもなかっただろうに……すまなかった」
サイラスの口から出てきた謝罪の言葉にシェリルは小さく苦笑を浮かべる。
「いえ……遅かれ早かれ生じていたことでしょうから、お気になさらないでください」
母が別の人を思慕していたと思っていた父。そこから生まれた歪みは、いずれ思わぬところで爆発していたことだろう。
それを考えれば、今日この日であってよかったとも言えるかもしれない。何しろ、横槍が入ったことにより平行線になったであろう話を中断することができた。それに母を非難する父の言葉をあれ以上聞かずに済んだのだから。
「むしろ、これでどうしてなのかを知ることができましたから……ある意味、よかったのかもしれません」
どうして母の話をしないのか。どうして同じ父の子でありながら自分ばかり我慢を強いられるのか。
どうして、たった一歳違いの異母妹ができたのか。
母のことで激情する父の歪んだ顔と発せられた言葉は、まるでそうであるべきだと自らに言い聞かせているようでもあった。
きっと父は少なからず母に好意を抱いていたのだろう。だが、叶わぬ想いと決めつけて他に心の安息を望んだのだろう。それが、継母とアリシアだったのだろう。
もしも、母がもう少し長く生きていられたら。もしも、父が母の想いに気づけていたら。もしも、シェリルが母の想いを父に伝えていたら――何か違っていたのだろうか。
そこまで考えて、シェリルは小さく首を横に振る。シェリルとアリシアの間にはたった一年の差しかない。たとえどれほど母が長く生きていようと、父が外に子供を作ったことも、外に安息を望んだことも覆すことはできない。
結局のところ、すべて手遅れだったのだ。
死の間際まで父のことを想っていた母に、シェリルの視界がわずかに歪む。その端に、白い布地が映りこんだ。
「これは……」
四角く折りたたまれた白い布に視線を落としながら呟くと、サイラスが小さな声で「刺繍が」と言った。
シェリルは白い布とサイラスを交互に見て、目を瞬かせる。
「一応、完成したのだが……少し、いや、だいぶ、歪んでいて……それでもよければ、使ってくれ」
差し出された白い布――ハンカチにシェリルは指を添える。受け取り広げると、ハンカチの端にちょこんと鳥と草花が青と緑の糸で描かれていた。
お世辞にも上手な出来とは言いがたい。だが丁寧に一針一針縫ったであろうことは見て取れる。それを今この場で、零れそうになった涙をぬぐうために使うのは忍びないと思いながらも、差し出された好意にシェリルは少しだけ口元をほころばせた。
「ありがとうございます」
お礼の言葉と共に目尻にハンカチを這わせる。それを見てなのか、サイラスがほっとしたように息を吐いた。
「それで……今回ここに来たことについてだが……言われた通り、父上と話し合った結果……まずは君の家庭環境の改善を試みることになった」
「そう、なのですね」
「婚約者――こちらに婿入りする立場であれば、家庭の事情にも口を出しやすい。それを利用して、改善に励むつもりだ。だからしばらくの間……学園に戻るまで、こちらで世話になることになった。アンダーソン侯にもその旨は知らせてある」
確かに、父もそう言っていた。
そして同時に、環境が合わなければ婚約の解消も視野に入れる、と。
「婚約については、話し合えましたか?」
「ああ……父上と君で話し合って決めるということになった。無論、解消の理由は君の――アンダーソン家の名に傷がつかないものにするつもりだから、そこは安心してほしい」
きっぱりと言い切る姿に、シェリルはハンカチに描かれた刺繍に指を這わせる。
「サイラス様は……それでよろしいのですか」
何を考えているのかまったくといっていいほどわからない婚約者。事務的なやり取りしか交わさない、親の決めた婚約者。
シェリルにとって、それだけの関係だった。
だけど、サイラスはシェリルのことを好きだと言い、針など持ったこともないだろうに刺繍に挑み、それ以外でも様々なことを学んでいるとアルフから聞いている。
そして今も、シェリルの環境を改善しようとこうしてここまで足を運んできた、非常に不器用で、素直な婚約者。
「サイラス様がアシュフィールド公とどのようなお話をされたのかは、私にはわかりません。そのうえで、申し上げます。あなたは……私の婚約者となるように教育されたのだと思います。思想も意識も趣向も、与えられたものであり、本来のあなたのものではないかもしれません。私に好意を抱いたのも、そうなるように――他の選択肢など浮かばないようにと、育てられた結果かもしれません」
人の家庭について口を出すのは行き過ぎた行為だ。しかも、当人であるアシュフィールド公から直接聞いたわけではない。
だがあながち外れてもいないだろう。
婚約について話し合うのなら、普通は当主同士でするものだ。そこに当事者を交えるのも、ないわけではない。
だが当主と当事者――しかも、片一方の当事者を省いて話し合うのは、あまりにも歪だ。
サイラスを蚊帳の外に置いた提案に、シェリルは青い瞳を見据える。
「私とアシュフィールド公だけでなく、サイラス様もよく考えて、答えを出してください。この先で、後悔しないためにも」
これから先、サイラスがいつ、自分の置かれた環境がおかしいと気づくかわからない。そして気づいた時に、恨まないとも限らない。
だから今知って、そのうえで考え、選んでほしかった。この先で後悔しないために。父と母のような歪な関係にならないように。
目を丸くさせているサイラスが何か言うよりも早く――ノックの音が部屋に飛びこんできた。
そして扉を開けて現れたのは、アンダーソン家に仕える侍女だ。
「ご当主様とアシュフィールド公爵がお呼びです」
恭しく言う侍女にシェリルは一瞬だけサイラスに視線を送ってから、頷いて返した。




