24話 「お母様のことを裏切ったのはお父様のほうではありませんか」
そうして二週間が過ぎた頃、朝食が終わってすぐ、シェリルは父に呼び出された。
向かった先は父親の執務室。領地に関して学ぶ際にのみ入室が許されている部屋に、シェリルはためらうことなく入室する。
いつもはアリシアや継母の話に相槌を打ち朗らかな笑みを浮かべていた父が、二、三日前から何やら難しい顔をしていた。
領地で何かあった、ということはないだろう。領地で行われている政策などの途中経過はシェリルも聞いている。急を要するような用件は今のところなく、どれも順調に進んでいた。
「アシュフィールド公から手紙が届いた」
ならば何故呼ばれたのか。シェリルの疑問に答えるように、父は重々しく口を開いた。執務机の上に肘をつき、組まれた両手の上に顎を乗せている姿からはその内心までは読み取れない。
「近々、サイラス殿が数日ほど滞在しにこちらに来るそうだ。環境が合わなければ婚約の解消も視野に入れているらしいが……どうしてそうなったのか、何か知っているか?」
「さあ……私にはわかりません」
どうしてそうなったのか、はある程度推測できる。だけど確実な答えではないのでぼかすと、父は深く大きなため息をついた。
「今さらになってこのように言ってくるということは、あちらの気を損ねるようなことをしたのだろう。……まったく、母が母なら子も子か。男一人繋ぎとめられないとはな」
どこか嫌味のこもった口振りにシェリルは目を瞬かせる。
これまで、シェリルと父の間に親密なやり取りはなかった。次期当主として学ぶことはあれど、それ以外では表面的な会話しかしたことがなかった。
なのに、嫌味とはいえ感情を露わにした父に驚いた。
「……お母様?」
そして同時に、今は亡き母の話が、父の口から出てきたことに驚いた。
何しろ、継母を迎えてからというもの、父が母について語ることはほとんどなかった。元々、忙しいからとあまり家に帰らずに外に愛人を作っていたのだから、母に対して格別な感情を抱いてはいなかったのだろうと思っていた。
「どうしてそこで、お母様が出てくるのですか」
男一人、というのは父に対してかと考えかけたが、すぐに否定する。もしもそうなら、あまりにも侮辱的な発言だ。さすがにそこまで歪んだ性格はしていないだろう。
「お前の母親はアシュフィールド公の筆頭婚約者候補だった。だが、どうなったかは今を見れば明らかだろう」
皮肉めいた言い方に上がった口角。目の奥に潜むわずかな憎しみに、シェリルはゆっくりと口を開く。
母がアシュフィールド公爵の筆頭婚約者候補だったとしても、それぞれ別の相手と結婚している。つまりそれは、母がなんらかの形で誰かに負けた、ということだろう。
そしてその結果、母は父と結婚した。
「……お父様は、お母様のことを快く思っていなかったのですか」
体があまり丈夫ではなく、子を一人しか産むことができなかった。
しかも筆頭候補でありながら婚約者の座を射止めることができず、他の女性に競り負けた。だから、貧乏くじを引いたと思っていたのかもしれない。
それなら、共感できないが、母を放って他に女性を作ったのも、わからないわけではない。
そう折り合いをつけようとするが、そんなシェリルの予想はすぐに覆される。
「他の男を好いている女を、どうして好きになれる」
吐き捨てるような言い方に、シェリルは膝の上で手を握りしめた。
十歳までとはいえ、シェリルの中には母と過ごした思い出がある。
忙しく中々家に帰ってこない父に、母はよく寂しそうな笑みを浮かべていた。だが父が帰ってくる時には、嬉しそうに笑い、細部にまでこだわって身支度を整え、いつだって万全の体勢で出迎えていた。
「お母様は……お母様は、お父様を愛していました」
母はよく、父のことを話してくれた。それは、中々父親に会えない娘のことを案じていたのもあるだろう。
だが父のことを話す母はいつも楽しそうだった。好きな花を贈ってくれた時のことや、嫁いできたばかりにしでかしたドジで苦笑いさせてしまったことを、笑いながら話していた。
そこに愛がなかったとは、シェリルにはどうしても思えない。
これまでずっと、どうでもいい、どうしようもないと割り切って、蓋をしていたものが溢れだす。
「お母様はいつだって、お父様のことを想っていました。遠方に出向く際には事故に遭わないようにと願い、自分が死んだ後もお父様が健やかに過ごせるようにと祈っていました」
母は先が長くないことを悟っていたのだろう。自分が亡くなってからのことをよく心配していた。
『……あの人はいつか後妻を迎えることになると思うわ。周囲の勧めか、自分の意思でかはわからないけど……いつまでも一人でいることはできないもの。だけどね、シェリル。私はそれでもいいと思ってるのよ。あの人を支えてくれるのなら……それに、私がいなくなった後もあなたを見守ってくれるお母さんができるのなら、喜ばしいことだわ』
いつだって、母は父のことを、シェリルのことを大切に想っていた。
だからシェリルは複雑な気持ちに蓋をして、継母とアリシアを家族として受け入れた。恨むこともなじることも、文句のひとつも言わずに。
だが結局、母の想いも、シェリルの気持ちも踏みにじられていた。
「お母様のことを裏切ったのはお父様のほうではありませんか」
「子供のお前に何がわかる」
「わかりません。どうしてお父様がお母様を裏切ったのかなんて、私にわかるわけがないじゃないですか」
忙しいからと帰ってこず、継母を迎えてからは事務的なやり取りばかり。
父が母をどう思っていたのかも、父がシェリルに対してどんな気持ちを抱いているのかも、何もかもわからないことだらけだった。
「ですがそれでも、お母様のことはわかります。生まれてからずっと、私のそばにはお母様がいたのですから」
亡くなる瞬間までずっと、母はシェリルに寄り添い、愛し、慈しんでくれていた。父のことは知らなくても、母のことはよく知っている。
「お母様はお父様のことを愛していた。それだけは間違いありません」
「うるさい!」
バン、と机を叩く大きな音が響いた。シェリルは、顔を歪ませながら怒鳴る父親に言葉を詰まらせる。
「そんなもの、ここにいるために必死になっていただけだ! みすみす公爵夫人の座を逃したあいつを迎えるところなんてなかったからな。親にも見放されたあいつはここを追い出されるわけにはいかなかった。だから――」
父の言葉はそれ以上続かなかった。
「よくわからんが、話はわかった」
扉が大きく開かれる音と共に、聞き慣れた声と、呆れたように「よくわからんのなら黙っていろ」という声が割り込んできたからだ。
声のしたほうを見ると、そこにはサイラスと、彼と同じ黒髪に青い瞳をした男性が立っていた。




