23話 「……別に、いいわよ」
数日後、ガタン、と大きな音とともに馬車が止まる。
王立学園は半年に一度、長期休暇に入る。生徒たちは一斉に帰省することになっており、シェリルも例外ではない。
馬車から降りたシェリルは、眼前に広がる大きな屋敷を見てため息を落とした。
すでに何度も経験しているが、学園を離れるたび億劫な気持ちになる。そしてそれは今も変わらず、長期休暇で帰ってきた我が家を見て、父と継母と顔を合わせたくないという気持ちが広がる。
「姉さま? どうかしたの?」
ここまで一緒に馬車に乗ってきたアリシアが首を傾げる。
同じ家に帰るのだから当然ではあるのだが、アリシアが一方的に自慢げに語るだけの道中は憂鬱でしかたない。
今回は何故か静かだったが。
「いえ、なんでもないわ」
そう言って、シェリルは首を横に振る。
どうして憂鬱になるのか説明しても、アリシアにはわからないだろう。
あの日――走りこみをしてからは、刺繍を押し付けにくることがなくなったりとおとなしくなったが、そもそもアリシアがずるいと言い出したことが発端だ。
父と継母はアリシアの味方で、アンダーソン家にいる使用人は雇用主である父には逆らえない。母が生きていた頃に懇意にしていた使用人は気まずそうな顔をするが、それだけだ。
「……あの、姉さま」
何をするでもなく、家を見上げていると、アリシアの小さな声が聞こえた。
ちらりと視線だけをそちらに送ると、アリシアがもじもじと指を動かしながら、シェリルを見上げている。
「その……ごめんなさい」
小さく下げられた頭に、シェリルは瞬きを繰り返す。
「これまでのこと……姉さまに悪いことしてるって、私、思ってなくて……」
もじもじと指先を動かしている姿に、そういえば馬車の中でも何か言いたげに口を開いては閉じていたことを思い出す。
どうやって謝るかを考えていたのかもしれない。
「……別に、いいわよ」
そう返すと、アリシアはほっとしたように胸を撫で下ろした。
そして、空気を変えるように明るい声で言う。
「父さまと母さまは元気にしてたかしら。楽しみだわ」
横から聞こえる弾む声に、シェリルは視線を地面に落とす。
謝られたから、どうなると言うのだろうか。きっと何も変わらない。だから、別にいい。
どうでもいい。家族として、ではなく、次期当主としての役目だけこなせばいい。
「お父様、お継母様。ただいま戻りました」
深く息を吸い、屋敷に入る。そして待ち構えていた両親に向けて挨拶すると、父と継母は柔らかな笑みを浮かべた。
「元気にしていたか? 学園での生活はどうだ? もう後半年もすれば卒業だからな。しっかりと学ぶように」
「長時間の移動で疲れたでしょう? 今日はゆっくり休みなさい」
家族としてねぎらいの言葉を返す両親にシェリルは曖昧な笑みを返す。
「父さま、母さま。ただいま。二人とも元気にしてた?」
にこにこと笑うアリシアに、両親の顔にも朗らかな笑みが広がる。
「ああ、こちらは変わりなく過ごしていた。アリシアも元気だったか? 何か不便していたりしていないか? 困ったことがあったら言うんだぞ」
「お帰りなさい。学園はどうだった? 後でゆっくり話を聞かせてちょうだいね」
目に見える何かがあるわけではない。二人とも親の務めを果たしている。
だけど感じる扱いの差に、シェリルは胸の奥に湧いた感情に蓋をして、家族として微笑みあう三人に、貼り付けた笑みを向ける。
ずるいと言われて、シェリルのものがアリシアの手に渡るだけで、それ以外の被害はない。母の形見といったどうしても手放せないものを奪われたこともない。
手を上げられたこともなく、衣服が足りなければ買い足され――それも後になってアリシアが欲しがることが多かったが――ドレスの質に差もなく、次期当主としての教育も受けている。
そして、シェリルを他人として扱うこともない。家族として扱われている。
誰もが眉を顰めるような明らかな虐待はなく、ただただアリシアに甘いだけの家。
真綿で首を絞められているような息苦しさに、そろそろ部屋に向かおうとしたところで、アリシアがシェリルに話しかけてきた。
「あ……そうだ、姉さま。あとで私の部屋に来てもらってもいいかしら? 姉さまにもらったものだけど……直接返そうと思って――」
父と継母に向けて笑っていたアリシアがシェリルのほうを振り返り、うかがうような眼差しを向けてくる。
その様子に、継母が小さく首を傾げた。
「あら、どうかしたの?」
「姉さまのものだから、返さないと駄目だって思ったのよ」
「そんな風に考えることはないと言うのに、お前は優しい子だな」
父が笑って言う。
継母は、アリシアの母親だからアリシアを優先するのもしかたない。だけど父は、アリシアの父親でもあるが、シェリルの父親でもある。
それなのに、シェリルは一度も優しいと言われたことはなかった。
アリシアが欲しがったものを断れば叱られ、差し出しても当然だというような顔をされた。
どうして、と考えるのはとっくにやめた。考えたところで、どうしようもないとわかっているからだ。
だからただ、心の中でため息を落とす。
やはり、何も変わらない。アリシアの心のうちが多少変化しても、父と継母が変わるわけではない。
「ええ、そうね。気にしなくていいのよ」
だからシェリルは父と継母が望む言葉を口にする。笑顔を貼り付けながら。




