22話 「……必要、なかったから……?」
シェリルは元々、婚約が破棄されてもされなくても、どちらでもよかった。
だから、サイラスの努力を見て判断する必要はない。撤回すると言うのなら、それを受け入れるだけだ。
それなのに、再度確認してしまったのは、胸の奥から湧き起こる疑問からだろう。
「サイラス様が……ご自身を不甲斐なく思い、婚約を破棄したいと考えたのはわかりました。ですが、どうして破棄だったのですか?」
まず、最初の疑問。
婚約を破棄したいと言い出した時は、親の決めたことに従うのは間違っていると口にしていた。
だけどそれはただの建前だったのだと、これまでのやり取りでわかっている。
ならば、どうして破棄だったのか。どうして、解消ではなかったのか。
そんな疑問に、サイラスは首を傾げた。
「どうして、と問われても……俺の一存で約束を反故にするのだから、破棄になると、思うのだが」
どうしてそんなことを聞かれているのかわからない。そう言うように不安そうに揺れる青い瞳。
その姿に、シェリルは少し考えてから、次の質問をサイラスに向けた。
「婚約がどういった場合に破棄されるか、ご存じですか?」
「……婚約をやめる時、ではないのか?」
確かに、それで間違ってはいない。
ただ、足りていない。
「たとえばですが……婚約を結んだ時とは状況が変わり、取り決めていた条件が満たせなくなった場合や、不貞や犯罪行為などの明らかに一方に非がある場合や、どうしても婚約関係が維持できなくなった場合は両家で話し合い、婚約を解消いたします」
結婚は家と家の繋がりだ。婚約関係を維持しても意味がないと判断された場合は、両家の当主が話し合うことで解消に至る。
非のある場合は賠償金などでもめることはあるが、話し合いによって決着することがほとんどだ。
「ですが、性格の不一致とかの婚約関係を維持してもなんら問題がないけれど、どうしても婚約関係を維持したくない時に婚約の破棄を申し出る方がいらっしゃいます」
問題がないのに婚約関係を解消したいと言われて、はいそうですかと応じられるはずがない。そうした話し合いで決着がつきそうになく、どうしても婚約関係を維持したくない時に、婚約の破棄が起きることがある。
だが当然、約束を一方的に反故にするのだから、不誠実な行いをする貴族として周囲に認識されるし、不利益を生じさせたとして多額の賠償金を支払うこともある。
なので婚約の破棄など稀なことだった。だが最近また増えていると耳にもした。その理由が昨今騒がれている恋愛結婚。
他に好きな人ができたからという理由では、両家の当主共に納得しない。だから彼らは婚約の破棄を宣言し、姿をくらませることがある。ある程度ほとぼりが冷めてから姿を見せる者もいれば、そのままどこかに消えてしまう者もいる。
だからシェリルはサイラスが婚約を破棄したいと言った時に、暗い自分ではなく明るいアリシアを選んだのだと思ったし、恋愛結婚がしたいのだろうと考えたのだ。そのどちらも、婚約の破棄においてはありえる理由だったから。
その後に告げられた婚約者にふさわしくないと思ったから、というのも解消に至るほどの理由にはならない。だから婚約を破棄する必要はどこに、と思いながらも口にしなかったのだ。
どうしても婚約関係を維持したくないのだと、思っていたから。
「婚約の破棄と解消の違いは……言ってしまえば、話し合う余地があるかどうかです」
だから相互理解だとか、円満な婚約解消だとか――これに関して言っていたのはアルフだが――理解のできないことばかりだったのだ。
だがそれも、サイラスが先ほど言っていた通り、婚約をやめる時に使うのだと思っていたのなら――婚約の破棄と解消の違いを正確に理解していなかったのならばわからなくもない。
「だから私は、話し合う必要はないのだと思っていました。ですが、サイラス様は違った……ということですよね?」
「あ、当たり前だ! そうと知っていたら、破棄などと口にしていない!」
慌てたように弁解するサイラスの姿に、シェリルはわかっていなかったのだと納得する。
それならば、婚約を破棄すると言った矢先に相互理解だのと言い出したのも、腑に落ちる。だが同時に新たな疑問が湧いた。
こんなのは、たいていの貴族が知っていることだ。とくに婚約者を持つ貴族なら当然のように知っている。
なのにどうして、サイラスがこの程度のことも知らなかったのか。
「……必要、なかったから……?」
行き着いた結論を、小さく呟く。
サイラスはシェリルを守る剣になる、と言っていた。婚約はシェリルを守るためのものだと言っていた。
もしもずっと、そう教えられてきたのなら。それ以外を教えられてこなかったのなら。
婚約を解消するための手順や書類の知識は必要ない。当然、破棄と解消の違いを教える必要もない。そう考えて、育てられたのなら。
「……サイラス様。もうすぐ長期休暇に入ります。その際に、アシュフィールド公と、婚約についてよく話し合ってください」
どうでもいい、と破棄の撤回を受け入れるのも受け入れないのも簡単だ。
だけど、本当にそれでいいのだろうか。
方法も理屈もおかしかったけど、それでもサイラスが真剣に考えて、向き合おうとしてくれていたのは間違いない。
それなのに、どうでもいいと、切り捨てていいのだろうか。
シェリルは小さく息を吐いて、青い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「必要であれば我が家の内情についても話して構いません。そのうえで、私とあなたの婚約をどうするか考えてください」
そう言い切ったところで、ベルの音がした。終了時間で、そろそろ退室を、という合図だ。
シェリルは最後にサイラスを見て、小さく頭を下げる。
「本日はありがとうございました。……次は、長期休暇中にまたお会いしましょう」
長期休暇はひと月ある。その間にも、月に一度の茶会は行われる。
何事もなければ、またそこで顔を合わせることになるだろう。
サイラスが挨拶を返してくるのを確認してから、シェリルはテラスを出た。




