第二十三話 決戦
勝利とは何か。
他者を打ち負かすことか。他者よりも優越することか。
だとするならば、人生における勝利とは、どこに基準を置けばいいんだ。
俺のこの問いには、誰も答えてくれなかった。それを考えないのが大人の条件だと語るかのように、冷笑されることもあった。
子どもの疑問ってのはいつだって真剣なんだ。そんな邪険に扱うやつに、子育てうんぬんを論ずる資格なんてあるわけねぇ。
俺は思うんだ。チェルシーってお姫様は、きっとこの問いを誰よりも突き詰めて考えてきたんじゃないかって。誰もが自分を恐れ、膝を屈するのだとしたら、彼女は唯一無比の絶対王者であったはずだ。勝利に次ぐ勝利を味わい、それでもなお勝利を重ねていく常勝王女であったはずだ。
だが、彼女は不幸の極致にあった。勝利は幸福を運んではくれなかった。
してみると、幸せってのは、敗北の向こう側にあるものなのかもしんねぇな。良い負け方をしてないやつは、本当に不幸だ。負けに負けて負け続けたやつは、ついに充実した人生ってもんを掴み取るんだと思うよ。
古代中国の劉邦なんてその典型じゃないか。項羽にしっちゃかめっちゃかにやられても、最後の最後には幸福を手に入れた。ま、猜疑心に囚われて自滅したことは別問題にしておこうや。
「なあ、チェルシー」
俺はついに大地を踏みしめ、全速力へと至りながら、声を発していた。
「俺が負かしてやるよ。気持ちのいい敗北を味わえ」
チェルシーは歩いている。散歩をするような優雅さではない。ただまっすぐに俺だけを見て歩いてきている。
「そしたら、幸せになれるから。今の俺みたいにな」
猛烈な衝撃波が、俺たちの間に生まれた。
壁があった。俺とチェルシーの間には、凄絶なまでに険しい壁が立ちふさがっていたのだ。心の壁なんてシャレたものじゃない。これはまさしく城塞だった。チェルシーの魔法力が現実に顕現して、あらゆる暴威を跳ね返す要塞の姿を象っていたのだ。
「おかえり、デュラン」
チェルシーが手を伸ばすと、幻の城壁がせり上がり、俺を中に引きずり込まんとした。
違うな。そういう入り方じゃない。
俺は自分を守る魔力の加護を感じながら、この誘いをはねつけた。
「ただいまだ、チェルシー」
「……あれ、どうして?」
チェルシーはふしぎそうに首を傾げた。彼女を象徴するかのように純白に輝くサンダルが、ドレスの下にちらりと見えた。
「俺は少しも屈する気持ちはないぞ」
「この前はもう少しだったのに」
「理由を知りたいか?」
こくり、とチェルシーは頷いた。素直な娘だった。これまでは成熟する必要もなかったのだろう。誰もが恐れてくれるから。
「それはな、俺とお前が違うからだ」
「違う?」
「ああ、勘違いじゃないくらいに大違い。ホント、すげぇ違いだ」
「同じ人間でしょう?」
「そもそも男と女って時点で違うがね。俺が言いたいのはそんなことじゃない。人間の種族論も語る気はないし、持論も持ってない」
俺は力強く一歩を踏み出した。チェルシーからの重圧が襲いかかってくるが、この程度で屈しはしない。
「もっと根源的で、それなのに表層的な違いだ」
「よくわからないです」
「単純なようで根が深い問題ってことだよ」
「ふぅん……」
興味がない風を装っても無駄だ。お前はあがいている。不安が増大したことで、より魔力の放出を強めている。
恐怖魔法の権化が、恐怖している。
「知りたくはないか?」
俺は問う。問いは人を惑わせる。惑いは刃となって己に突き刺さる。
「俺とお前の違いを、知りたくはないのか?」
「教えて」
惑いし王女は、その要塞の一部を崩落させた。
悪いな、チェルシー。ざっくり行かせてもらうぜ。
「それはな……俺はリア充で、お前はぼっちってことだ」
宣告。
膨れ上がる魔力。
チェルシーの顔に、初めての憤怒。
「違う」
「何が違う」
「私は、一人じゃない。ぼっちなんかじゃない」
両手を横に広げ、威嚇するように歯を軋ませる。
「みんながいる」
「誰だよ、それは」
「見えないの? あの女の子たち。親を亡くした女の子たち……」
「戦災孤児か」
「そう。私が育てている。中和魔法を覚えさせて、社会でも生きていけるようにしてる」
見上げた社会貢献だ。題目だけなら教育委員会も太鼓判を押すことだろう。
だが……。
「気に入らねぇな」
「え?」
「んなもんは、上から恩恵として『与えてやっている』だけじゃねえか。そんなものは『雇ってやっている』ブラック企業の経営者と何も変わらねぇよ」
俺を使い潰したあいつの目を忘れるものか。そいつは慈善家であり篤志家でもあった。少なくとも、社会における評判はその通りだった。彼はまた理想主義者であり、感謝と喜びで現代社会を豊かにすると放言していた。
その影で、俺みたいな落伍者が死んでいった。
「あの中に、一人でも友達はいるのかよ」
「友達……」
「リンダ・コニガーみたいな友達はいるのかよ!」
「やめて」
「いないだろう。みんな土下座するからな。きっと心から。私たちを救ってくれてありがとうと。そのこと自体を否定はしねぇ。ただ俺が気に入らないだけだ。何でも与えていい気になってるってのが、心底からむかつくだけだ」
俺はさらに一歩を踏み出す。
「何だ、友達料のつもりか? 育ててやったから友達になれってか? 私を恐れずにいなさいと諭すのか? そんなの一人でやってるままごとと変わらねえよ。お前はてっぺんからつま先まで完全にぼっちだ!」
「違う、違う、そんなことは」
「一人が怖いか」
「怖い」
「ぼっちは嫌いか」
「嫌い」
「じゃあ、あがけよ」
俺とチェルシーの距離、わずかに四歩と半分。
「王族だからって調子に乗って、いい暮らししてんじゃねーよ! 俺だってひがむわ、そんなん!」
「調子に乗ってなんかいない。私は私らしく生きたいだけ」
「そのお前らしさってのはどんなのなんだよ」
チェルシーは答えない。答えを探している間に、俺は重い一歩を進める。
「追いかけてるだけの幻に、勝手な名前をつけんじゃねえ!」
そうだ、昔の俺みたいにな。
自分らしさなんてものは、いつだってそこらへんに転がってるんだ。電話をガチャ切りするかどうかだって自分らしさだ。ペコペコ頭を下げるのだって自分らしさだ。
今その瞬間にしていることが、自分らしさ以外の何物でもないんだ。
俺はデュランらしさを追い求めた末に、そのことにようやく気づいた。こいつは俺だった。俺以外ではありえなかった。
チェルシーが探し求める幻想は、誰にも恐怖されることなく、無条件に愛されるような立場だろう。
そんなもの、今のままでは永遠に手に入れられやしない。
「お前の苦しみは、お前だけのもんだ」
一歩、進む。
「誰にもわかりゃしない。どうにかできるのは自分だけなんだよ」
「じゃあ、どうしろと言うの!」
チェルシーが叫んだ。
「私はやった! 精一杯やった!」
悲鳴に似ていた。慟哭のようでもあった。
「やったのに……ダメだった」
俺の一歩が、さらに進む。
「何がダメだったんだよ」
「みんな、誰も屈さずにはいられなかった。この身を自分で殺せと言うの? 私のお父様のように」
「バカ」
「バカじゃない」
「バカだよ」
「バカじゃない!」
俺は全身が悲鳴をあげるのにも構わずに、一歩でもって接近した。
あと半歩。もう姫君のきめ細やかな肌まで見える距離。
「俺がいるだろうが、今、ここに」
チェルシーがはっとした表情を見せた。
「でも、貴方は私のものにならない……」
「俺は俺だからな。チェルシーだって、俺のものにはならない」
かわいそうな王女様。誰かが所有し所有されの世界しか見られずに育ってきてしまったのだ。権謀術数の渦巻く宮廷の奥深くで、どれほどの絶望とともに横たわってきたのだろう。考えるだに気が狂いそうになる。
「そして、チェルシーはチェルシーだ。お前のだけのものなんだ」
すさまじい重圧が掛かってくる。頭を下げ、膝をつき、全身で恐怖を表せという指令が、天上から降り注いでいる。俺はそれらすべての命令に背き、俺にだけ有効な伝令を体の各所に飛ばす。
逃げるな。
負けるな。
目を背けるな。
チェルシーには敗北というすばらしいプレゼントをしなければならないのだ。ここ一番。この一瞬だけを自らの勝利に当てなければならない。たとえそれが不幸せの始まりだとしても、勝利を掴み取らねばならない。
「言ってみろ、チェルシー。お前は何が欲しい、何が望みだ!」
「私は……友達が欲しい!」
半歩、俺は踏破した。
チェルシーを抱きしめる、というよりは抱きすがるようにして、熱い抱擁をかわす。
「よく言った」
重圧は最大級のものが掛かってきている。
だが、今の俺は、もはや負ける気がしなかった。俺とチェルシーの二人で、この引力に抗っているのだから。
「今日から、俺たちは友達だ」
「とも……だち?」
「そうだ」
「私と、デュランが?」
「その通りだ」
わがままだよ、とチェルシーは言った。
「私、すごくわがままなんだよ」
「構わない」
「今まで、一度も友達ができたこともない」
「俺もほとんどいなかった」
「どういう風に過ごせばいいのかわからない」
「自分のやりたいようにやればいいんだ」
チェルシーが、俺の体をぎゅっと掴んだ。
「もう、離さないよ」
「ずっとは困るな」
「やっと触れられたんだもの。正面から、暖かく」
「トイレの時は困りそうだ。おっと、風呂はいっしょに入りたいな。裸のふれあいをしようぜ」
「いやらしい……」
「そうだ。俺はいやらしいんだ」
「それがデュランらしさなの?」
「俺らしさ百パーセントだよ」
ふふっと声を出して、チェルシーが笑った。
「初めての友達が、こんなへんてこな人だなんて」
「変ってのは楽しいって意味があるんだ」
「本当に?」
「俺の脳内の辞書ではそうなってる」
「勝手だね」
「自由なんだ。俺は、どこまでも」
「私もそうなれるかな」
「なれるさ。今すぐにでも」
わっ……と、喊声があがった。
二人が相打ちになったと見たためか、後ろの方で待機していた軍勢が動き出したのだ。
「じゃあ、私も勝手になる」
「どうぞ、お姫様」
チェルシーの能力が開放される。
その結果は、もうくどくどと説明する必要もないだろう。
帝国軍も十三王国軍も、みんな揃って土下座していた。武器を放り出し、互いに相手に謝るように、必死に許しを請うているようにさえ見えた。
「はは」
俺は笑いが漏れるのを堪えきれなかった。
「やっぱり、お前は平和の使者だよ、チェルシー」




