最終話 伝令
ヴォルトゥラグの未来を決めるかに思われた大会戦は、双方の「戦意喪失」によって何事も起きずに終わるという結末を迎えた。つまりはいずれも戦力を失わなかったわけだが、これで大いに得をしたのは帝国側である。
そもそも、戦略的な観点から言えば、不利なのは帝国軍だった。パールメースで十三王国軍を討ち漏らしただけでなく、単純な物量で勝る相手と平野で正面衝突せねばならない危機が訪れていたからだ。
その後、帝国軍には本国からの援軍が到着。戦況は一気に帝国側に傾くこととなり、長きに渡ったヴォルトゥラグの争奪戦は、帝国の勝利という結果に終わった。
何の飾り気もなく言ってしまえば、チェルシーが放った反逆の矢……両軍の戦闘を停止させたあの出来事も、ほとんど意味がなかったということになる。死ぬ者は死に、生きる者は生きる。そういう結果になってしまった。
だが、人の歴史なんてそんなもんかもしれない。大切なのは、あの時、チェルシーが自らの意志で答えを出し、実行したことだ。俺がそう決めて彼女と戦ったように。
俺は今も帝国の伝令をやっている。レオノラに尻をひっぱたかれ、フィオナには引きずり回され、アントニアには睨まれ、リンダには困らされ、チェルシーには追いかけられている。楽しい毎日だ。
「ヴォルトゥラグが陥ちたからには、どの戦線でも帝国が有利になる。十三王国の結束も弱まることでしょう」
レオノラはようやく一仕事終えて帰ってきた俺を引き止め、最近の情勢について話し始めた。
「しかし、勝ちすぎるのも問題ですね。厭戦感情が悪い方向に転がって、もっと敵を倒せ、領地と賠償金を搾り取れと、帝都の方では騒がしいようです」
「勝手なもんだなぁ」
「自分が血を流すわけでもないですからね」
日比谷焼打事件という用語が脳裏をよぎった。人間ってやつぁ業突く張りで、ホントに救えねえわな。
「デュランはいるか」
フィオナが天幕の中に入ってきた。
「いまっせ」
「何か用ですか、ヘストン卿?」
「貴方の伝令と逢引をしようと思ってね」
「ご冗談がお上手ですね」
何をやりあってんだ、この二人は。俺が話題の中心ってのは悪い気はしないが、少し落ち着け。怖いぞ。スマイル大事アルよ。
「俺はちょっと寝たいんで、ほんじゃ」
レオノラとフィオナが何か言っていたようだが、俺は構わずに外に出た。もう夕方なのだ。水でも浴びてからぐっすり寝たかった。
「デュラン!」
今度はリンダが駆け寄ってきた。
「どしたの、今帰り? お茶してかない?」
「仕事しろ」
「よく働いてる伝令さんの看護もお仕事の一つだよう」
彼女がかつて敵に内通していた事実は、レオノラが握りつぶしてしまったらしい。今となっては親友もこちらにいることだし、変心する理由もないだろう。何より、レオノラはリンダがスパイであることをわかっていて、わざと泳がせていた節がある。
「どうもサボる口実に使われている気がする」
「私ほど勤勉で真面目な看護師はそうそういないのであります」
「そうかな?」
「そーでもない」
ビビった!
いつからついてきていたのだろう。エリーとカイラ、軍師殿の間諜コンビが俺の後ろからぬるっと現れた。
「私たちの調べでは、忙しい中でも結構くつろいでる」
「息抜きうめー」
「あんたたちも暇ね!」
リンダの言う通りだった。こいつらもいろいろとこき使われているだろうに、よくまあそんな情報まで集めているものである。
「おい、デュラン」
また呼ばれた。今日はよく名前を呼ばれる日だ。
振り向くと、そこには顔の長いモヒカン野郎がいた。
「あっ、芋ヒカン!」
「何だそれは」
つい心の中での呼び名が口をついて出てしまった。
「モートルード伯がお呼びだ」
うーむ、せわしない。
俺はまだきゃあきゃあ楽しげに言い争っているリンダたちから離れ、大天幕に向かった。
「よく来た」
アントニアがいた。ローカリス公の姿は見えない。最近は今まで以上に腰の状態が悪くなっているらしく、姿を見る方が珍しい程だった。それでも引退させてもらえないあたり、定年後も嘱託として働かざるを得ない社員の悲哀にも似ているか。
「疲れているところを悪い」
「よく俺が疲れてるってわかったな」
「ひどい顔になっているぞ」
「マジで。やだなー。お肌のツヤが落ちちゃう」
冗談めいて言ったのに、アントニアの視線が厳しかった。
まあ、他の側近もいる中でこんなことをされちゃ、どうしようもないわいな。
「で、用は?」
「伝令だ」
「うげ」
「勘違いするな。ただの伝令じゃない。特別な方だ」
「ああ……」
「これを持って行ってくれ」
俺はアントニアから書類を預かった。そういうことなら仕方ない。伝令の大任を果たすとしようか。
大天幕を出て、ゆったりと歩く。この伝令はそこまで遠くでもないから、急ぐ必要はない。疲れた体にもむち打ちたくはないし。いったいどんなひどい顔をしていることやら。
最近、この部隊の伝令には特別な宿舎があてがわれていた。通常の兵舎とは違って快適だ。士官用の住居と比較しても、決して見劣りはしていない。
もちろん俺の部屋もあるわけだが、そこは素通りして隣の部屋に向かう。
「チェルシー、入るぞ」
まあ、わかっちゃいるだろうけど、これが俺のスペシャル伝令の中身だ。チェルシーの力は強大で、俺以外には悪影響が強すぎる。よって、俺がいわば保護者になって、彼女の管理をしていた。
「待ってたよ、デュラン」
俺が中に入ると、奥の部屋からチェルシーが現れた。彼女は力を持つ自分を認めて以来、少しずつではあるが、力のコントロールを得つつあった。おかげで、俺は対魔術のコーティングを施さずとも、何不自由なく彼女と通じ合うことができる。
「アントニアからの預かり物だ」
「何だろう?」
「手紙と書類みたいだ」
チェルシーに諸々を渡し、椅子に座って一息つく。
何だかんだで、チェルシーの部屋は一番くつろげるのだ。おかげさまで俺のプライベートはないに等しいので、絶対に乱入者がいないこの部屋が最高の楽園だった。彼女も喜んでくれるし、一石二鳥じゃないの。
「あっ」
「なんだった?」
「ちょっと待ってね」
チェルシーはアントニアからの手紙を読みふけっているようだった。
それなら無理に聞く必要もない。俺は椅子に深々と腰掛け、ゆっくりと目を閉じた。
すさまじい日々が思い起こされる。
ブラック企業に勤めていたのは、今から何日前にあたるのだろうか。そもそも元の世界とこの異世界とでは時の流れ方が違うかもしれないから、正確な日付は割り出せないだろう。
ともあれ、その記憶も薄らぐくらいには、ここでの体験は濃密だった。
いろんな人に会ったもんだ。あ、そういえば、今でも芋ヒカンの本名を知らないな……別にいいか。
死ぬ前は女性関係に良い思い出なんてなかった。それがどうだ。どれだけ良い目を見たかわからない。あまりに出来過ぎで、これが夢じゃないかと心配になる。
そうだ、夢オチだ。
実はこれは俺が社畜人生から逃れたいばかりに見ていた妄想で、目が覚めたら六畳間で死にそうな気分だったりするわけだ。
いやあ、最悪だねえ。
ふと、頬に温かみを感じた。この柔らかさ、間違いない、唇だ。
「ふふ」
目を開けると、チェルシーが俺の頬に口づけした後だった。
見ろ。夢なもんか。
「楽しい夢を見てました?」
「今がその夢の続きだよ」
「じゃあ、私は最後に消えちゃう?」
「ところが、こいつは正夢なのさ」
どうだい、この歯が浮くようなセリフ。パソコンに向かって仕事という名の苦行をしていた頃の自分が言えるわけがない。欲しいものは消化できる有給休暇なんて言ってたんだぜ。モテるわけがねぇや。
「チェルシーは良い夢を見てるか?」
「毎日が夢みたい」
「そいつは良かった」
「幸せで幸せで。こんなことってあるんですね」
敬語とそうでない言葉が混じっているのは相変わらずだが、それもチェルシーの個性だ。王女としての矜持と少女としての切望。辛い歴史ではあるが、それが彼女を育ててきた。
その時、ドアが性急に叩かれた。
「伝令! レオノラ様がお呼びです。すぐに来てください!」
わざわざ伝令の俺のために伝令を出したらしい。どうやら桃源郷を離れ、現実に戻らなければならないようだ。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
新妻に送り出される夫のように、俺は外へと繰り出した。漏れ出たチェルシーの能力で、伝令くんが土下座していたのは、まあご愛嬌ということにしておこう。
てってこてってこ急ぎまして、戻って参りました、レオノラの天幕。
「緊急事態が起きました」
「俺を呼ぶくらいだから、そうなんでしょうな」
「大至急でお願いします」
社畜はどの世界でも社畜か。
だけど、幸せな中で働けるんなら、それはそれで良いと思ってる。
そうか……俺はこの世界から、「働くってなんだろう」という問いにも答えをもらっていたんだな。
人の世界は息苦しく、生き苦しい。どこに行っても転がっているのは野望陰謀の類ばかり。さながら肉体と精神を破壊するためだけのメカニズムとして、完全自律で動き続けている。
そんな悲惨な目に遭いたくなかったら、勝ち続けろと人は言う。敗北者に待っているのは惨めな世界だけだと。
本当にそうなのだろうか?
それは何もしなかった人間の世迷い言であって、真に敗北を経験した者の言葉ではないのでは?
確かめることができるのは、心を自らに伝えられる人間だけだ。脳からの伝令が体までたどり着かないと、人は無作為の渦に落ちる。
伝令、伝令、伝令。
迷うことがあったら、こう唱えるといい。
デンレイ、デンレイ、デンレイ。
呪文のように、自分に言い聞かせるといい。
そうすることで気楽に生きられるかもしれない。デンレイにはそういう効果もある。
さあて、軍師殿にせっつかれていることだし、全速力で届けに行きますか。
俺は伝令、デュラン・スクルトゥヌス。血に酔って多くの人を殺めた大罪人。今はちょっとしたロマンチスト。俺が経験したことが、いずれすべての人に伝わりますように。




