第二十話 不滅
原子爆弾の父、オッペンハイマーは、原爆について「科学者は罪を知った」という言葉を残したとされる。
平和のために作り上げた兵器は、しかし、人類の恐るべき無知と野心によって、どこまでも拡散していった。
俺の知っている世界でもそうだった。
レオノラは自らオッペンハイマーとなり、その悲劇を始めようというのか?
「不滅は止められません」
大天幕を飛び出した俺に、レオノラが子どものようにすがりついてきた。
「行けば必ず死ぬ。そういうものなんです!」
「だが、俺が行かないと、もっと大勢の人間が死ぬんだろう!」
「もう間に合いません」
「間に合う。エリーとカイラなら、俺の全速力で」
「狼煙で知らせました。すべては始まったのです。終わりの始まりが」
「おい!」
俺はレオノラを睨み、その顔に思い切り近づいた。
「死ぬのが怖いのか?」
「それは……怖いです」
「そんな怖い死を、大勢に与えようというんだぞ」
レオノラは答えない。
まるでおもちゃが欲しいと駄々をこねていた子どもを叱った時のようだった。彼女も理性では自分の不利をわかっていて、それでも感情が言うことを聞かないのだろう。
「いっぱい殺したいのか?」
レオノラは黙って首を横に振った。
「じゃあ、止めに行くぞ」
幼児帰りしたかのように、また首を横に振る。
「自分の命を危険に晒すのも責任のうちだ。たとえ情実に過ぎないとしても」
俺は有無を言わさず走りだした。横にはレオノラを抱えて。
不滅。
何たる作戦名をつけたことだ。いったい何が不滅だというのか。人質の子どもたちの魂か。これから灰燼に帰すであろう敵兵の骸か。それとも、人類に課せられた大いなる殺意という名の十字架か。
へっ、そいつはかっこつけすぎだな。
せいぜいかわいい子とニャンニャンしたい欲くらいにしておこう。
オーケー、気が楽になってきた。こんな狂った真似をさせちゃあ、レオノラこそがかわいそうだ。たまたま人より優秀な頭脳を生まれ持ってしまったばかりに、こういう役回りを押し付けられたんだからな。役柄を選べない悪役俳優みたいなものさ。とても好々爺は演じさせてもらえない。
俺は自分の能力の高まりを感じた。集中しろ。腹が減っても気にするな。走り抜けた先にあるものを思え。
レオノラも抱えられているだけで苦しかろうが、我慢してもらうしかない。
かくて……。
パールメース。その地を遥か彼方に見る高台に着いた。
ナスカの地上絵のような魔法式が、ここからは一望できる。俺が留守の間にこんなものをこしらえていたのか。
村の中にはすでに十三王国の大軍が入っているようだ。あちらこちらにその陣容が見えた。村人より軍人の数の方が多いのは間違いない。
「間に合ったぜ」
俺はレオノラに言ったが、彼女の表情は優れない。
「いいえ……」
なんということだ。
地上絵がマグマのように赤く光りだした。たちまちに赤光を天へと打ち出し、とてつもない地響きが辺りを襲う。
「何だ?」
地上絵が、起き上がる。
巨大な火の竜が、猛烈に膨れ上がっていく。
「滅びろ……」
レオノラがつぶやいた。
俺は何か言おうとそちらを見て、愕然とした。彼女は泣いていた。頬を隙間がないほどに濡らして、嗚咽すらも上げていた。
なぜだ。そこまで悔いるなら、なぜやった。
だが、理屈ではないのだ。俺が会社をぶっ壊したいほど憎みながらも、ついに死ぬまで働き続けた。やらないのにも理由はなかった。やるのにも理由は必要ないのかもしれない。
たとえ、それが最悪の選択でも。
村を覆う巨大な火の竜は、無数の小さな火の竜を従えていた。小さな火の竜は大きな火の竜に次々とぶつかって、そのたびに空気が振動し、激しい音が叩きつけてきた。
「これじゃ世界の終わりじゃないか」
大きな竜は段々と赤熱していき、苦しそうにもがいていた。レオノラの心情を表しているかのような、悲しい仕草だった。
「どうあっても止められないってのかよ」
俺は無力だ。目の前で無数の命が終わる様を眺めていることしかできない。
さながらドラムロールの中に放り出されたように、連続音が周囲にはこだましている。
ああ、わかったぞ。あの竜は破裂するんだ。
それは俺の直感が告げた、答えだった。大きな竜が爆裂し、キノコ雲を伴う猛烈な熱量が周囲を襲うことになる。パールメースは「人間の終着点」として、未来永劫忘れられることはないだろう。
こんなものが戦争を終らせるはずがないじゃないか。
俺は憤った。帝国にも十三王国にも、何物に対してもむかついていた。
終わりの始まりなのは間違いないさ。ただし、人類史の終わりだ!
「オォン……」
大きな竜がひどく悲しげに吼えた。
光が突き刺さる。衝撃波がやってくる。
爆発だ。
だが、次の瞬間……。
俺は目を剥いていた。レオノラは涙したままにうずくまっていて、目の前の事態を見ていないだろう。
歌だ。歌が聞こえていた。どういう歌なのだろう。初めて聞く旋律だった。
そして、俺は見た。
女神がいた。戦場を闊歩する女神だ。その女神の名はチェルシーといった。銀髪に銀色の瞳を持つ、気高き姫君だ。神々に見放された女神が、まさしく爆心地にいた。
その背後には、少女たちがいた。背丈が違う。肌の色が違う。装備の意匠さえも違う。唯一、胸の前で手を組み、とても楽しそうに歌っていることだけが共通していた。
竜が、膝をついた。
たちまちにその体は朱色の熱風と化して、チェルシーの口に吸い込まれていく。
不滅の竜が、王女に飲み込まれる。
バカな。竜は姫をさらい、勇者に倒されるが宿命だろう。姫に吸い込まれる竜なんてあるもんか!
それでも、起きていることは否定できない。
「レオノラ、見ろ」
俺は涙でぐしゃぐしゃの彼女を引きずり起こした。
「あれ、何……?」
「姫君が、竜を食ってる」
俺は思わず口の端だけで笑っていた。
「最低に笑えないジョークだ」
ついに、竜はチェルシーに「完食」されてしまった。彼女の背後にいる少女たちの歌だけが、風にのってここまで聴こえてくる。
不滅とはチェルシーのことだったのか?
そんな風にさえ思ってしまう。
「作戦は、失敗」
レオノラがぽつりと言った。
「何も起きなかった。すべて中和され、飲み込まれてしまった」
「わかるのか」
「あの歌は魔法力を中和する旋律で出来ていました。それでも、不滅を凌駕するには至らなかったはず」
レオノラは語る。軍師の顔が戻りつつあった。
「しかし、あの姫が、すべてを無にした。魔法を『屈服』させるなんて、あんな、あんなデタラメな」
「すげえよな。怪獣を土下座させるようなもんだぞ」
「私たちは勝てない。あんな、あんな相手には」
「レオノラ」
俺はレオノラの手を取り、目線を同じ高さに持っていった。
「今は喜べ」
「喜ぶ、ですか……?」
「お前は最凶最悪の大量虐殺者にならずに済んだんだ」
「そんな。これからのことを思えば」
「良かったんだよ、これで」
俺は彼女を抱きしめた。
「もういいだろ。一人で全部抱えなくても」
「デュラン……」
「最初に見抜かれた通り、俺はデュランじゃない。だが、今はデュランだ。デュラン・スクルトゥヌスなんだ。何者かもわからない人生を過ごしてきたが、ようやく見つけたんだ、俺の居場所を」
そうだ、見つけたのだ。宿なしだった俺の人生に、ようやく光が灯り、安住の地へたどり着いた。この喜びに勝るものがあるというのか。
「大変だったよなぁ。レオノラ・バルドアト、前代未聞の大天才。時代が時代だから軍師なんてもんに祭り上げられちまって、怖い思いもいっぱいしただろうになぁ」
彼女の頭を撫でてやる。女の子にとって、それは聖域を侵されるに等しい行為だ。本当に好きな相手にしか許さないという禁断の行動。俺はあえてそれをやった。
「泣けや。喚けや。騒げや。いいさ。味方はここにいない。敵も遠い。他には誰も見ちゃいない」
「いいの?」
レオノラが言った。
「私は今まで生きてきた。みんなの期待に応えなくちゃ、大人らしく生きなくちゃって。子どものままでもいいの?」
「いいともさ。俺だって子どもだ。中身は三十超えのおっさん予備軍なのにな」
「年上なんだね、デュランは……」
「どうかな。ウソかもしれないぞ」
「ウソつきだもんね」
レオノラが自分からきつく抱きしめてきた。
「怖かった。辛かった。悲しかった」
涙が俺の背中に降る。
「私の失敗で、みんな死んじゃう。それが本当に、本当に」
「やだよな。プレッシャーかけるなって話だよな。同じ人間だってのに。せめて給料増やせ。休みも増やせ」
背中をぽんぽんと指先だけで叩いてやる。
俺の心も、落ち着いていく。
「もう辞めたい。そう思っていた。いつもいつも、逃げ出したいって」
「逃げられないんだよな。どこまでも追いかけてくる気がして。何より、そんな弱い自分が許せなくて。ここらへんをわかってないやつらが、無責任に叩いてくるんだよな。替わってくれりゃいいのに、そこまで言うなら」
「私は、生きていてもいいのかな」
「ダメな理由があるか?」
「いっぱい、人を殺したし、死なせた」
「俺もだ」
「そうだね」
「そうだとも。こき使われたからね」
「使いたかったの」
「嬉しいことを言うじゃないか。好かれているって考えたくなってきたぞ」
「そうなのかもね」
レオノラは俺から体を少し離して、ぺたんと座り込んだまま、俺を見上げた。いいアングルだ。女の子のレオノラ・バルドアトを見た。
「今日だけ、ううん、今だけ、女の子でいてもいい?」
「お好きなように」
どちらからともなく、見つめ合い、近づき、唇が触れ合う。
キスは、気持ちの良いものだ。高原を吹き抜ける風のように爽快で、そこには作られるべくして作られた笑顔を載せる必要がない。
その口づけを終えて離れた時、レオノラがクスッと笑った。これまでのどの笑顔とも違う、魅力的で刺激的な表情だった。
「見せちゃったね、全部」
「見たよ、裏の裏まで」
「それは表だよ」
笑う。いい気分だ。
「じゃあ、行こうか」
レオノラが立ち上がり、パールメースに目を落とす。そこには勝ち鬨をあげる十三王国軍の姿があった。救出された人質の姿もあり、抱きしめあう様子も散見される。
「これで良かったんだよね」
「そうさ、これで良かったんだ」
二人でパールメースの再会を目撃し、振り返って歩き出した。もう後ろを見ることはなかった。
「デュラン・スクルトゥヌス。私は軍師、レオノラ・バルドアト」
レオノラが俺を見る。
「最後まで戦い抜く覚悟はありますか?」
「レオノラ・バルドアト。俺は伝令、デュラン・スクルトゥヌス」
俺もレオノラを見る。
「大切な人たちのため、この戦いを終わらせよう」
レオノラは頷いた。
俺も同調した。
それから、二人で同時に一歩を踏み出した。




