第十九話 豹変
強いとは何か。
働くとは何か。
生きるとは何か。
俺は前の世界からずっと疑問だった。義務教育を終わったら、ほとんどは疑いもせずに高校に進む。高校教育を修了したら、今度は進学か就職かで迷う。それで就職した先にあるのは、終わりなき労働労働また労働の勤労マーチ。
職場の先輩が言った。
「ストレスに強くないと、社会人としては失格だ」
彼はこうも言った。
「酒に強くないやつは、人間として三流だ」
さらに次のようにも言った。
「働きに出ないやつは、生きている価値がないんだ」
俺たちは何のために生まれてきたんだ?
かつて、明治から昭和を生きた添田唖蝉坊というおっさんが、「あきらめ節」という歌を唄ったらしい。俺はその中の「お前この世に何しに来たか、税や利息を払うため」というフレーズが大好きだった。世界のすべてを的確に言い表している気がしたんだ。
だが、今、俺は考えを一部改めたいと考えている。
チェルシー。この姫君は地上で最も悲劇的な境遇にありながら、最も暴力的に相手を屈服させる、壮絶な矛盾を孕んだ存在だった。
彼女は何のために生まれてきたんだ?
そして、俺はここで屈するために生まれてきたのか?
「違うさ」
俺は言った。
ゆっくりと近づいてきていたチェルシーの足が止まる。
「違う?」
「俺は誰のものでもない」
口から吐く息は、今まさに肺からの直行便で出てきた心地だった。吐息は重く、呼気は荒い。
だが、生きている。
「チェルシー、お前も誰のものでもない」
「私も……」
「そうだ」
「本当にそうかしら?」
チェルシーが長い銀髪をなびかせると、神話のようなきらめきが辺りに広がった。
「私には一人の友人がいた」
細い指を月に向けてかざす。その小さな仕草さえ清らかに見える。
「いつもカーテン越しに会った。とてもとても仲良くなった」
怒りだ。彼女の根源には怒りがある。
「彼女さえも、私の力には抗えなかった。とても優秀な子だったのに。あれほどの魔力の素養を持つ者はいないとまで言われたのに」
「そりゃあ、残念だったな」
「私はこの魔法のもの。常に支配され続けている。暗殺をされかけたこともあったわ。だけど、その刃がやっと私に届こうとした瞬間、彼は屈服していた。私の中に潜む悪魔は命の危機を感じて、全身から屈従の力を発散させたのよ」
歪むはずだ。彼女の人生はただ苦衷に耐えるためだけにあったようなものなのだから。
だが、そんなもん甘ぇよ。みたらし団子より甘ぇ。
「楽すんなよな」
「楽……?」
「魔法の力のせいにして満足かよ。俺はイヤだね。悔しかったらブラックで働いてみろ。人格から否定されるからな」
我ながら情けない話の切り出し方だと思う。
だが、これが俺の本心だ。生まれてから死ぬまで相棒だった体に刻み込まれた呪いだ。ぶつけずにはいられない。
「その他一般の人生はつらいぜ、姫さんよ」
俺は動員できる力をすべて足に集中させていく。
「じゃあな、また来るぜ」
跳躍。それも全力でだ。
大地はえぐれ、周囲はめくれ上がった。
俺はさながら打ち上げられたロケット花火みたいに、天高々と飛び上がった。体に自由が戻ってくるのを感じた。
チェルシーの魔法……決して目で見るのが発動条件ではないにせよ、やはり目で見られると威力が倍増するようだ。彼女の「屈服させてやる」という意志が働くためだろう。
俺は敵陣内に着地し、そこから最大戦速での移動を開始した。たちまち旋風が巻き起こり、俺とともに駆け抜ける。「我に追いつくグラマンなし」じゃあないが、この速度についてこれる敵はいない。
生まれてきた理由、か。
その問いをチェルシーにぶつけながら、俺は自分にも向けて問うている気がしていた。
この身体能力は、魔法の素質は、どうして俺に与えられたのか?
神様が与えたなんて信じねぇからな。労働基準法違反を放っておく神様なんて、尻を蹴っ飛ばしても怒りが収まらねぇ。世界史の教科書で見た炭鉱で働く少女の絵そのものの環境だ。
そうこう考えていると、こうして異世界で生きる意味は何なのかってところに行き着いてくる。
やっぱ、リア充したいんじゃないかな?
非モテ社畜ブサメン低月給と揃ったかつての俺は、ここで愛と勇気と希望を取り戻すべきなんじゃないかと思うわけだ。
朝、夜、朝、夜、朝。
走り続けた俺の終着点は、レオノラの前だった。傍らにはエリーとカイラも控えている。俺の話はあの夜を明快に語った。
「体の中に魔法式を刻みこむ!」
「軍師様、そんなことが可能なんですか?」
「可能か不可能かではありません」
エリーとカイラに視線も向けず、レオノラは言い放った。
「やるかやらないかです。そして、やつらはやった。乳幼児への人体実験を」
私も、とレオノラは続けていく。
「やる時が来たようです」
そう語り、天幕の外に出ていこうとする。
「何をする気だ?」
俺の声に反応して、足を止める。
振り返る。
あの豊かな笑顔を持つ軍師が、強烈な怒りを無表情に載せていた。
「終わらせる。戦争を」
「レオノラ!」
さっさと外に行ってしまったレオノラを追って、俺は外に出た。エリーとカイラもついてくる気配があった。
「エリー、カイラ」
レオノラが言った。俺たちには背を見せているのに、よく通る声だった。
「『不滅』作戦を実行に移します。準備をなさい」
「かしこまりました」
「了解……」
後ろを見やれば、エリーとカイラがいつになく緊張した面持ちで、敬礼をしていた。
「いったいどうした。不滅ってなんだ?」
追いすがる俺の問いかけにも答えず、レオノラは歩いていく。彼女は憲兵の詰め所に寄ったかと思うと、扇で机を打った。
「内通者を逮捕しに向かいます。同道なさい」
有無を言わせぬ調子だった。それまで戦友と談笑していたらしい憲兵たちが、驚いた顔を向けていた。
レオノラが外に出ると、彼らはつんのめるようにして走った。
俺はこの間に、レオノラの隣につけることに成功した。
だが、彼女は俺の方をちらとも見はしなかった。
やってきたのは……病院だ。
「お、デュランに軍師殿」
「リンダ・コニガー。貴方を逮捕します」
軽口さえも遮られて、リンダは突然にレオノラの宣告を受けていた。
「……え、私?」
「そうです。貴方は敵に情報を流していました」
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんなこと」
「連れて行きなさい」
尋常ではない。
もし抵抗する素振りを見せたら、レオノラは一気に攻撃魔法を叩き込みそうな雰囲気だった。
「わかったよ。あいたた! 何もしないってば!」
「レオノラ……」
「何も言わなくてよろしい」
俺の言葉さえも、彼女は遮った。
リンダに簡単な言葉すら掛けられないうちに、彼女は憲兵に連行されていった。
「どういうことなんだ」
「これから本営で説明します」
「いったいどうしたんだ。おかしいぞ」
「私事です。貴方には関係ありません」
「あるさ」
俺は今みたいなレオノラを見たくない、と続けた。
「わがままかもしれないけどな。赤ん坊への人体実験が関係しているんだろう」
「そうです。それ以上は私のつまらない過去に関わることです」
彼女にも言いたくないことがあるのだ。俺は退くことにした。他人の過去を引きずり出して喜ぶのは、マスコミか墓荒らしくらいなものだ。
俺もデュランでないことを見抜かれていたが、正体までは詮索されなかった。今はその意気に応えるべき場面だと思う。
やがて大天幕に着く。
歩哨の敬礼に緊張が見られる気がした。わかるのだ。レオノラが普通でないということが。
「不滅作戦を実行します」
中に入るなり、レオノラは宣言した。
ローカリス公もいた。モートルード伯ことアントニアもいた。二人は突然のことに当惑を示し、それから緊張で息を呑んだようだった。
「本当に、やるのですか」
アントニアが尋ねた。
「我々はそうまでしないと勝てないのですか」
「そうです」
レオノラは退かない。一歩を踏み出し、この場の主導権を得る。
「そうまでして、勝つのです」
「おい……不滅作戦ってのは何なんだ。教えてくれてもいいだろう」
「不滅作戦は非道中の非道」
発言したのはローカリス公だった。
「デュラン。我が軍はこれまでパールメースに敵軍を集めようと苦心してきた。それはわかっているな?」
「もちろんです」
「本来、そこで火攻めを行う計画だった」
なるほど、火計はいつの時代も有効な計略だ。パールメースの地形は開けていて、気候は乾燥している。火計にはうってつけの場所だろう。
確かに、そこを生活の拠点としている人々がいる。故郷に定めている人もいる。彼らの思い出を顧みずに何もかも灰とするのは、悲劇的で非人道的かもしれない。
だが、「本来」とはどういうことだ?
「戦況が著しく悪化した時のため、軍師殿は切り札を用意しておられた」
アントニアが話を繋げた。
「切り札?」
「一つ目。敵の人質だ」
「人質……」
「私の囮作戦は、この人質を得るための戦いだった。作戦は成功し、敵の主力である貴族たちの子弟を捕らえることに成功した。いざとなれば、身代金に換えてもいいし、捕虜交換に使っても良かった」
胸糞が悪い話だ。
しかし、それこそが戦争の実際なのだ。
「二つ目。巨大魔法式。敵からすれば、平野に溝を掘っているようにしか見えないだろうが、それは軍師殿が開発した超高威力の爆破魔法の魔法式だ」
原子爆弾。
俺がそれを思い浮かべたのは、やはり元の世界のことを忘れられないからか。
「そして、二つの要素を組み合わせたのが不滅作戦」
ローカリス公が言った。どこか苦しそうに。
「人質を餌にしてパールメースに全軍を集結させ、そこで魔法式を起動する。敵の主力は人質及び村ごと吹き飛び、我々は無傷で残る」
「何だとぉ……!」
人質を、おそらくは幼い子どもや前線に出ていなかった女どもを、丸ごと灼熱地獄で焼き殺してしまえというのか!
「やめろ、そんなことは!」
「もう遅い」
レオノラが、言うというより唱えるように、滔々とした語調を連ねた。
「不滅作戦は私の全責任のもとで行われる。ローカリス公やモートルード伯は関係なく、私の独断で行われた作戦ということになる」
「バカ言ってる場合か。味方も巻き込むぞ! どうせ秘密を守るために、作戦に関しては詳しく話してないんだろう。軍師なんて人種はそういうもんだ。人質を設置したら速やかに退避しろ、ってくらいにしか言ってないんだろう?」
「貴方も軍師みたいですね。よく当てています」
「スーリオス隊を忘れたか! あいつらだって、命令違反で突出したじゃないか! 俺も死んだ……死にかけたんだ!」
レオノラは答えない。
ローカリス公もアントニアも、視線を下げるばかりだ。
「お前が作った魔法式。その超高威力は、人間で試したことはあるのか?」
「ありません。荒野での実験のみです」
「そういうのはなぁ、絶対に後悔するんだ! お前は悪魔に魂を売っているんだぞ、わからないのか!」
「しかし……」
レオノラは俺を見た。そこには軍師でも非道でもない、たった一人の打ち捨てられた少女がいた。
「それでも、私はやつらを許せない」




