第十八話 姫君
俺と十三王国の服装に着替えた二人の娘。
敵軍の陣地へと忍び込み、俺は偽伝令として、二人は間諜として、それぞれ活動を開始した。
成果はあっけないほどに挙がった。囮作戦やそれに伴う帝国軍の伸長により、十三王国軍がパールメースへ進撃しやすい土壌ができていたのだ。ちょっと敵の心をくすぐるだけで、分隊司令官は次々にパールメースへの進撃を決定していった。
さらに、敵の本営も決戦を望んでいた様子である。
大天幕の中で俺の偽の情報を聞いた諸将が、時至れりとばかりに興奮していた。
戦争も博打も仕事も人生も、慣れてきた瞬間が一番怖いんだ。あいつらは戦争と、この状況に慣れ始めていた。いったい誰が送った伝令なのかも定かでないのに、俺が一人二人の司令官の名前を挙げるだけで、信頼して耳を傾けた。
俺は自分に詐欺師の才能があると思ったことなんてないが、こうして何もかもがハマって機能したのは、デュラン・スクルトゥヌスの記憶と経験もさることながら、俺が転生して以後、レオノラにこき使われたことが大いにプラスに作用していた。
「おかしな空気がある」
カイラがそう言ってきたのは、敵陣地の人気がない場所に三人で集まり、何度目かの報告会を始めた時のことだった。
辺りは夜の闇に覆われている。陣地の端ゆえに、明かりも遠い。見張りの巡回ルートと時間は先刻承知である。
「おかしなって、どんな?」
エリーが言った。彼女の働きも抜群だった。
十三王国軍の目をパールメースに向けるためには、短期決戦を覚悟させねばならない。かの村は開けた土地になっており、大軍の展開が可能である。また、そこを陥とすことは、帝国軍の喉元に食らいつける可能性をも示唆していた。
彼女は十三王国軍の継戦能力を奪うため、物資を効果的に破壊した。水も食料も乏しくなり、十三王国軍のインフラを遠征同然のレベルにまで引き下げたのである。
レオノラが頼りにするだけはあった。
「うん……」
カイラは俺とエリーを見て、何かを言う前に大きく頷いた。
「王族が出てきているかもしれない」
これは重大な推定だった。
現在の帝国と十三王国の戦争において、帝国の皇族や十三王国の各王族はほとんど戦場に出てきていない。
なぜか?
それは戦争の初期において、高貴なる血の彼らが勇んで陣頭に立ち、その稚拙な軍事指導によって巨大な消耗戦の様相を呈したのみならず、次から次へと華々しい討ち死にを遂げてしまったためだった。
このままでは戦争の勝敗も決まらないうちに、支配する一家が消えてしまう。
さすがに恐怖を覚えたのだろう。両軍ともに直接の血筋ではない公爵以下の貴族に戦争を任せ、後方に居座るようになっていった。もともと有力貴族の強い十三王国はともかく、皇帝権力の拡大を目論んでいた帝国までもがこうした方針を取ったのである。どれだけ初期の「やらかし」がひどかったかがわかろうものだ。
俺は直接そいつらの指揮を見たわけじゃないが、デュランの知識でおおよそのところは理解していた。それだけに、王族の登場はジョーカーを切って来たに等しい。兵士は自分とともに血と汗と涙を流してくれる為政者を好む。
もしもカイラの報告が本当なら、十三王国は「英雄」を作り出しに来ていると見るべきだった。
「他にわかっていることはないか」
「おそらく、そいつが謎の敵。しかも、女」
「私たちも女だって」
「忘れてた」
忘れんなよ。
エリーならずとも、カイラにはツッコミを入れたくなる。
「そいつはパールメースに出てこないだろうか」
「出てくる可能性はある」
「でも、出てきてからでは遅いですね」
エリーが言った。
「彼らの目的が王族の英雄化にあるのならば、そこで生き残るだけでも一種の伝説になります」
「正体を突き止めるか、でなくとも足止めをする必要があるか」
「こういう話が漏れてきたってことは」
カイラが人差し指を立てた。
「本当にいて、パールメースで表舞台に出てくるんだと思う」
「迫り来る大きな戦いでデビューしようってわけか」
俺は舌先を甘噛した。
「んー」
それから、小さな舌打ちが出る。
「エリーとカイラじゃ仕留められないか?」
「敵がわからないと……」
「カイラはどこでその情報を知ったの?」
「この陣地の北東。本営よりも警備が厳しいところがある」
「怪しいな」
お宝を隠してますと言わんばかりだ。
「さすがに近づけなかった」
「俺なら行けるだろう」
「行きますか、デュランさん」
「スパイが行けないところに行くための偽伝令だろう?」
俺は立ち上がり、グッと握りこぶしを見せてやった。
「二人は先に帰っててくれ。俺は最後っ屁をかましてから後を追う」
「私たちも行きますよ」
「見つかったら大変」
「お前たちが、な」
俺は笑ってやった。あいにくレオノラほど多彩な笑みはできないので、自分で悪くないと思える笑みを作ってやったつもりだ。
「さあ行け。残された時間は少ないぞ!」
エリーもカイラもプロフェッショナルだ。俺の意図を汲んだのだろう。それ以上は何も言わぬままに、こくりと小さく首肯して、闇の中に消えていった。
さて、行くか。
俺はカイラが示した場所へ向かった。彼女は俺より早く、また長くこの陣地で活動していた。敵兵の間に広まっている噂についても耳にしたに違いない。どんなに緘口令を敷いていたとしても、「人の口に戸は立てられぬ」の言葉通りに、噂は蔓延するものだ。警備が厳重となれば、なおのこと人の想像力を煽る。
指定の場所は昼間のように明るかった。光輝魔法を練り込んだロウソクは自ら発光しつつ、その身を削っていた。この魔法ロウソクは実に優秀な代物で、光は本物のロウソクより強く、それでいてヤケドする心配がない。
「止まれ」
どの位置にも見張りが立っているので、俺はシンプルな手段を使うことにした。
「ここから先に進んではならん」
「へえ」
俺は見張りの顔を殴って昏倒させた。最近は戦い慣れしてきたからか、それとも魂が肉体に馴染んだものか、良い感じの手加減を習得していた。これで多少は殺生を避けられるだろう。
今更そんないい子ちゃんぶっても遅いくらいには、多く殺しすぎたが。
「誰がいるのかな?」
「何をする!」
「曲者だ、出合え出合え!」
おいおい、時代劇じゃないんだから。
俺はそう思っていたが、たちまち敵が右から左から現れた。
関係ない関係ない。俺はその上を軽々と飛び越え、警備されていた天幕へと近づく。
「『であえであえ』というものだから、出会いにやってきましたよ、と。さあ、お姫様。俺に姿を見せてちょうだいな」
俺は一つの結論を抱いていた。女。王族。答えは一つ、十三王国のどこかの姫君であるということだ。
天幕の入口が開き、大剣を上段に構えた筋骨隆々の兵士が突っ込んできた。
野郎には興味はねぇよとばかりに、俺はこれを片手でいなしてやる。彼も軍では名うての業師だったのだろうが、相手が悪かったな。
俺はなぜだか知らんが生まれ変わり、なぜだか知らんが超強くなった、世界にまたがる因業のような化物なんだよ。
「誰……?」
声がした。女の声だ。それも耳に心地よい声だ。
天幕の奥にはカーテンがあり、その向こうに人影が移っていた。
「デュラン・スクルトゥヌス。お姫様に会いに来た者です」
鬼が出るか蛇が出るか、はたまた女神様が出ずるか。
カーテンが開く。
俺は。
そして、俺の背後に迫りつつあった兵士たちは。
瞬時に固まった。
「デュラン……」
俺、いや、今の俺、デュラン・スクルトゥヌスと同い年くらいの少女だった。パジャマのような服を着ている。上等な素材なのだろう、きらきらと輝いて見えた。
違うな。本当に少女が輝いているのかもしれなかった。彼女の銀色の瞳を、銀色の髪を、それらを駆逐するほど美麗な薄桃色の唇を見ていると、そんな気になってくる。
「デュラン・スクルトゥヌス……」
彼女が俺の名を呼んでいる。ただそれだけで天にも昇る心地だった。
パリン、と。
俺の中で何かが割れた。
違う。
こいつは違う。
「お前は、誰だ」
俺の膝は屈しかけていたが、何ラウンドも戦い続けたボクサーのように、すんでのところで直立を維持していた。それでもガクガクとした震えは止まらず、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「お前は、誰なんだ」
「私は、チェルシー」
飴みたいな名前をしやがって。何様のつもりだ。
……俺は必死に悪態をついているはずなのに、口から声が出てこない。
わかっているのは、チェルシーなるこの少女が、俺に「何か」をしているということだけだった。
「貴方は私と言葉が交わせるのですね」
バカを言うな。こうして立って、最低限の言葉を絞り出すのに精一杯だ。
「何が起きてんだかわからねぇ」
「これが私の魔法」
チェルシーは言った。歌うように。
「私は体の中に魔法式を刻まれているのです」
「意味が、わからねえよ」
「最強とは何か。私の父が国中の魔導師を集めて、徹底的に議論させました。その結果として出た答えが、何人たりにも殺されない存在であるというもの」
「ほう……」
「父はまた赤ん坊だった私に手術を施したのです。側室から生まれた子どもなら、たとえ死んでも良いと考えていたのでしょう。しかし、魔法は異様な形でもって動き始めてしまった」
チェルシーが俺を指差す。
違う。俺より少し上だ。
「後ろを見てください」
ふらふらになりながら体の向きを変え、さらに後ろを見やる。
兵士たちが土下座していた。膝を突き、汗を垂らし、蛙のように縮こまっていた。
「皆、ああなるのです。兵士たちだけでなく、父も、母も」
「なんともまあ」
「私は兵器なのです。世界でただ一つの、自分の意志で動いて、自分の意志で歌も唄える。しかし、決して自由だけは手に入れられない兵器」
チェルシーが一歩、また一歩と近づいてきた。
「貴方はふしぎな人。私の力を前にしても、初めて屈しなかった人……」
「嬉しいねえ」
俺は単に屈していないだけだった。汗が顔のあちこちから噴き出ているのは他のやつらと同じだ。
「いいものを拝めたし、俺はそろそろ帰るよ」
「帰しません」
チェルシーが決然と言った。
「貴方は、私のものです」
それは王族にふさわしい、高慢な物言いだった。




