第十六話 独房
「ほれほれ、欲しいかー、どうだー」
俺の独房のすぐ近くまで寄ってきて、食事のスプーンを出したり引っ込めたりしている女が一人。リンダ・コニガーだ。それでも看護師か。
「食わせろ」
「リンダさん食べさせてくださいって言って」
「食わせろ」
「言わないとあげなーい」
もう一度言ってやる。それでも看護師か。
独房の日々……というほどには過ぎていない。まだ一日しか経っていないのだ。
とはいえ、心は折れかけている。もともと俺に忍耐なんてありゃしない。暑けりゃ冷房をつけるし、寒けりゃ暖房をつける。あるものは何でも使えの精神持ちだ。心頭滅却すれば火もまた涼しなんて心境にはなれない。
リンダは昨日のうちからやってきて、食事を差し入れてくれた。これじゃあ刑罰の意味がなさそうなものだが、見張りの兵士は見て見ぬふりをしてくれているようだ。
「腹減った」
「強情ですよねぇ」
俺はようやくリンダの差し出したスプーンに食いついて、飯を食らうことに成功した。
それから何度か同じことを繰り返し、さらに水も飲ませてもらう。
「ふー」
少しはマシになる。欲を言えば脚をマッサージして欲しかったが、そこまで求められる状況ではなかった。
「本当に、なんでデュランが牢屋に入らなくちゃいけないんだろ」
「俺が余計なことをしたからだよ」
「みんな言ってるよ。デュランは伯爵をかばったんだって」
「噂だ、そんなの」
そういうことにしてくれないと、俺の偽証が全く無意味だったことになる。物事は願う通りにいかないものだなあ。
「ねえ、いつまでここに入ってるの?」
「そりゃ、偉い人がもういいって言うまでだろ」
「出られるでしょ?」
「壊せばな」
「出ればいいじゃん」
この単刀直入さは見習いたいし、俺も同意見だ。冷房があるなら使えばいいんだから、檻から出られるならさっさと出ちまえばいい。
変な噂が立っているなら、もう一つくらい罪を重ねた方がいいのかも……。
「誰か来るぞ」
俺の視界がこちらへ来る人影を認めて、思考を中断した。ここはもちろんジャングルや街の中ではなく、本陣の中だ。やってくるのは帝国軍に関わりがある人間以外にありえない。もちろん、元の世界から俺の知り合いが「よっ」とばかりに訪ねてくるはずもない。
そのフォルムが鮮明になるにつれて、俺は意外な来訪者に驚いた。
モートルード伯だった。
「伯爵だ……」
リンダが確かめるように言った。
もちろん、あれは伯爵だ。男爵でも子爵でもない。
「おじゃま虫は退散しよう」
「帰るのか?」
「遠くから見てるよー」
「仕事しろよ」
「これも仕事だよ」
リンダは親指を立てつつ、開けた野原に置かれた俺の独房から離れていった。
かと思えば、本当に物陰に隠れてこちらを伺っている。仕事が大嫌いな俺が言うのもなんだが、あいつはホントにいつ仕事してるんだ?
伯爵がやってきた。荷物も何も持っていない。衣服だけは小奇麗に新調している。そりゃまあ着替えるわな。俺も着替えたい。
「元気か?」
「元気に見えるかい」
「見えん」
「だよな」
なんちゅうやり取りだろう。発展性がない。まるでエアキャッチボールをやっているようだ。
「その……」
俺の前までやってきたというのに、伯爵は斜め上を見たり、視線を下に移したり、どうにも忙しい。
もし俺に何かを言いにやってきたんなら、早めに済ませて欲しかった。いつもの感じじゃないと調子が狂うんだ。
「悪かったな」
「何が?」
「私の罪を背負わせてしまった」
「気にしないでくれ。もともと俺の罪でもあるんだ。レオノラ……軍師様から言われていたからな。閣下の御身を守るようにと」
「私が突出しなければ、多くの人命が救えただろう」
「たらればを言ったって仕方がない。現実にはそうならなかったんだ」
俺はこつこつと檻を小突いてみせた。
「ここに入ることだってなかったかもしれないが、結局は入ってる。現実は変えられない」
いや、と俺は続けた。
「現実は現実の行動でしか変えられない、かな」
「良いことを言う」
「照れるね」
「だから、私も現実の行動によって変えたいと思う」
伯爵は片膝をつき、俺に屈する形を取った。
「私を救ってくれて感謝する。あのままでは死んでいた」
謝罪パターンも考えてはいた。
だが、こんな形で屈されるとは思ってもみなかった。おかげでどうリアクションしたらいいかわからん。笑い飛ばすのは違うと思うし……。
本気には本気で応えるしかないか。
「ありがとう、伯爵」
俺は言った。
「俺も数々の非礼を謝罪したいと思う。ここだと膝を折るのも一苦労で、立ったままで申し訳ないが」
「構わない。何しろ……」
伯爵が立ち上がった。
おや、その目にはいつもの輝きが戻っているぞ?
「私はこれから貴様を糾弾する。私の胸をもみしだき、淫らな妄想を抱いた件について、厳しく問いただすぞ!」
これまでの貞淑はどこへやら。人差し指を突きつけ、伯爵が吠えた。
「なぬ?」
「忘れたとは言わせん」
「忘れちゃいないさ。良い感触だったもの」
「変態男め。味方でなければ、串刺しにしていたところだ」
わーお、過激!
「独房で動けない人間を一方的にいじめるのって、どうかと思うよ、俺ぁ」
「その気になれば出られるくせに、何をほざくか!」
「いや、みんなそう言うけどさ。出られるか出られないかは問題じゃないじゃないのよ」
「じゃないじゃないとうるさい!」
「じゃないじゃないじゃないんじゃなーい?」
「黙れ!」
あ、心地良い。
やっぱり、この伯爵閣下にはおしとやかとかそういうのは似合わない。ヘイトしててこそのモートルード伯だ。
俺はちょっと嬉しくなってしまったので、顔の横に手を当てて、指をうねうね動かすことで挑発を表現してやった。
「そこを出ろ!」
「出ないよ」
「引きずり出してやろうか」
「独房から懲罰者を引きずり出していいのかなー」
ふいに、伯爵が静かな笑みを見せた。
「ありがとう」
おいおい、また調子が狂うことを。
「君と話していると、時々、人と触れ合う楽しさを思い出す」
「そうかい」
「誇ってくれ。私はずっと自分が人間嫌いだと思ってきたんだ。だが、違った。人に嫌われている自分を自覚することが怖かったんだ」
俺は何も言えなかった。人間なんてのはそういう背反した気持ちと一心同体なのだ、きっと。俺にもそういうところがある。
「解放の時を待て。決して遠くはない」
「ああ」
伯爵が拳を突き出してきた。よく見ると、彼女の手指は荒れていた。タコができた跡もあった。戦場で戦うために剣を振るってきたのだろう。彼女は決して温室育ちの頭でっかちではない。
俺は拳を合わせた。勝利と希望のグータッチだ。
「願わくば、次は勝ちたいものだ」
「今回だって勝ってたさ」
「あれは負けだ」
伯爵は目を伏せ、はっきりと言い切った。
「私の拙劣な指揮のせいで負けた。大勢の死人を出してしまったよ。みんな、生きたかっただろうにな」
「だが、こぼれた水は拾えない」
「わかっている」
俺は座り、できる範囲で足を組んだ。体育座りとあぐらの中間のような体勢だ。
「軍師殿はすごい策をお持ちのようだ。死んだやつらの仇も討てるだろうよ」
「レオノラか……」
伯爵は俺を見下ろしている。
「私はかの天才に何一つ及んでいないのだな」
「おいおい、冗談だろ」
俺は指差してやる。
「伯爵は伯爵以外の何物でもないんだぜ。レオノラにも超えられない最大の利点じゃないか」
「哲学者のようなことを言う」
「独房に入ってるからな。心が清らかになっているんだ」
「いつもは濁っていると考えていいんだな」
「滝だよ、滝。激しい水しぶきで白く泡立ってるアレ」
聞け、と伯爵は言った。
「私の名前はアントニアという」
「アントニアか」
プロレスラーみたいな名前だ。そのうち胸に注がれていた栄養が、アゴに集中してきやしないだろうか。
「覚えていてくれ、戦友」
「いいのかい? 俺みたいな賤民を友に選んで」
「君は私の戦友だ。かけがえのない友だ。単なる友がイヤというなら、悪友とも呼んでやろう」
「俺ほど善行を積んでいる人間もいないってのに」
「さんざん暴れておいて何を言う。私といっしょについてきてもらうぞ。どうせ天国には行けぬ身だ。地獄を目指して進んでいこうじゃないか」
「せっかくのデートのお誘いだが、俺はもっと風光明媚なところに行きたいね。先のことはわからない。地図を持たないくらいがちょうどいい。天国でもなければ地獄でもない場所が待っているかもよ?」
伯爵……アントニアの口元に余裕の笑みが浮かぶ。
「ならば友よ、私を連れて行け。露払いくらいは務めてやろう」
「お前は見てろ。俺が前を行く」
「強情なやつだ」
「鏡を見て言いな」
俺もアントニアも、肩を揺らして笑った。
「私は行くぞ。何か欲しいものはあるか?」
「ここを出てからも軍師殿にこき使われないように祈っておいてくれ」
「それは保証できないな」
アントニアが歯を見せるほどに笑んでいるのは、これが初めてではないだろうか?
「レオノラは人使いが荒い。私のように多くの側近を持てばいいのに、変なところで偏屈だから、凡人を寄せ付けない。あれが天才の気難しさというやつなのだろう。俗人の私にはわからん心境だよ」
「俗人ねえ」
「他に欲しいものは?」
「口づけが欲しいって言ったらどうする」
「いいだろう」
アントニアは身を屈め、檻の向こうから手を伸ばして俺の頭を持ち、隙間から軽いキスをしてくれた。
「強い男、デュラン。せいぜいこの戦争を生き延びろ。私の余生が退屈にならないように」
「いい女、アントニア。それなら簡単にくたばるなよ。生き残り甲斐がなくなるからな」
「わかっているとも」
アントニアは立ち上がり、俺を見たまま後ろに退く。
そして、美しい敬礼。
洗練された所作とはこういうものを指すのかと納得できる、一連の動きだった。
そこから、くるりと踵を返し、再び振り返ることなく歩いていった。頼りになる後ろ姿だった。
「ひゃー」
てん、てん、てんつくてん、とリンダが舞い戻ってきた。
「真昼の情事を見ちゃったよ」
「何が情事だ。アホか。単なる友愛の印だよ」
「性愛の印の間違いじゃないのォ?」
「お前もするか?」
「お断りです!」
ごっつぁんです、と言わんばかりに手のひらを突き出すリンダ。そんなにイヤか。
「なんかさ、デュランって、競争率高くない?」
「今までがモテなかったから、ブーストが掛かってるんだろ」
「私も立候補しようかな」
「わかった。お前の尻に口づけしてやろう」
「変態は完全封鎖で焼いてしまえー!」
人を疫病か何かみたいに扱いやがって。
ま、おかげで暇な独房ライフの時間つぶしにはなる。アントニアは良い女だが、良い友人ではない。その点ではリンダの安定感は抜群だ。じっくりと話を楽しもうじゃないか。




