第十二話 誘引
「おかえりなさい。早速ですが、次の仕事を頼みたいと思います」
天幕に入った瞬間だ。文書に目を落としていたレオノラは、俺を見ることもなく言い放った。そもそも俺の姿さえも見てないのに、どうしてわかったんだろう。俺とは質の違う超感覚を持っているのかもしれない。
「ちょっとだけ寝たいんですが」
「まずは話を聞きなさい」
レオノラが上目遣いに俺を見た。
可憐ささえ感じさせる。
だが、酷薄だ。
「座って」
俺は大きくため息をついて、勧められた通りに椅子に座った。これでレオノラとは机を挟んで向かい合う形となる。
「お仕事ですか」
「お仕事ですよ」
レオノラは再び文書に目を落としていた。その文書は暗号文で書かれていたが、俺には解読できた。ふしぎと思考が冴えてきて、これはこう繋がるのだろうと見当がついたのだ。
「敵の動きは軍師殿の思った通りでしたか」
「読めるんですか?」
レオノラが顔を上げた。
しまった。何気なしに言ってしまったが、あれが読めるということは余計な疑いを呼びかねないじゃないか。
「いえ、そういう内容かと思っただけです」
「読んだんですね」
レオノラは文書を指した。
「貴方は本当に怖い人です。これを一瞬で解読できるということは、もはや我が軍に……いいえ、世界に機密などないも同然でしょう」
「買いかぶりすぎです。それこそ俺は軍師殿が賢いからこそ、そういう内容なんだろうなと推測したに過ぎません」
「私は単に早熟なだけですよ」
レオノラは文書の横にあったカップを取り、すっかり冷めたらしい紅茶を飲んだ。正確には紅茶ではなく、ルオという名前らしい。帝国では常飲されている大衆的な飲み物だ。デュランの記憶にはそう刻まれている。どうやら彼が辞典を読んだ時の記憶らしい。
「デュラン。貴方はいくつになりましたか?」
「十三です」
「今まさに戦っている王国の数と同じですね」
レオノラの笑顔は相変わらず心理の裏まで突く試みに見えて、ひどく緊張させられる。
「私よりも早熟だ、と考えるべきでしょうか?」
「さあ……」
「それとも、貴方が本当は二十年三十年と生きていたりして?」
「どうでしょうか」
レオノラは俺がデュラン本人ではないことを、すでに知っている。彼女はさらに何かを探ろうとしているのか。
推測ならいくらでもできるが、とかく彼女の思考の幅が広すぎる。仮説を建てようにも肝心の部分があやふやで、何とも結論付けられない。
「帝国軍は戦力の移動をほぼ完了しました。この意味がわかりますか?」
これまでは森林を挟んでの持久戦模様だった。帝国と十三王国の二つの勢力にとって、どちらが持久戦で強いかと問われれば、大きな差はないと答える他ない。
では、攻める側と守る側のどちらが持久戦に向いているかというと、これは圧倒的に守る側である。俺の世界で言うなら、オスマン帝国のウィーン包囲にせよ、ナポレオンのロシア遠征にせよ、ついに攻め手側が音をあげて失敗に終わった戦いは数多い。
しかるに、現在は帝国が攻めている。ここヴォルトゥラグは本来は十三王国の領土であり、地形や気候に関しても敵の方が多くの情報を持っている。
一方、昔からの係争地であるこの場所には、帝国の侵攻を歓迎する住民も数多い。ここには人種問題や宗教の対立などが絡んでいて、その複雑さは大学の論文が何本も提出されていることからわかる。
レオノラが出した問題は、こうした事情を加味した上で考えるべきものだ。帝国としてはヴォルトゥラグを放棄することはありえない。戦線が崩壊し、敵軍はこぞって反撃に乗り出し、帝国は窮地に立たされることになるだろう。
しかしながら、この地で勝利を収めることは、帝国による戦略的な勝利を導く最高の一手となる。十三王国の主要都市はヴォルトゥラグを介して結ばれており、彼らはアキレス腱を斬られたも同然となる。
「帝国は攻めて勝ちます」
俺は一言一言に力を込めた。
「これが俺の答えです」
「証明を面倒がる学生のようですね」
レオノラの笑み。今回は妖しさすら漂っている。
こうして考えてみると、レオノラ・バルドアトという少女の最大の特徴は、笑顔の種類が豊富ということだろうか。
一口に笑顔と言っても人に与える印象は様々だ。声をあげて笑っていたり、明らかな作り物だったり、例えるなら感情という料理を乗せるための大皿。それが笑顔の本質だと思う。
いきなり何を言い出すんだと思うかい?
レオノラと話してみりゃわかるよ。こいつより俺の方がよほど人間らしい。この女が感情を自由に操作できるアンドロイドだって言われても、俺は驚かないね。魔導椅子なんて飛行型の椅子があるくらいだから、魔導人形とか言って完全自律制御で動くロボなり何なりがあったってふしぎじゃない。
「帝国は明快な勝利を欲しています。この理由はわかりますか?」
そりゃあ、いろいろあるだろうよ。
いいさ、思いつく先から言ってやれ。
「複数考えられます」
「どうぞ、ご回答を」
そのつもりさ。
「一つには本国における厭戦感情の高まりがあると思います」
「ふむ」
「我が軍は多数の騎士や兵士を動員しています。戦線が拡大するにつれて、その数は増やさざるを得ませんでした。今では空前の規模となっています」
デュランの教科書的な知識を逆引きしながら、俺なりの推定を足していく。
「でありながら、帝国が得た領土はヴォルトゥラグの他に小さな都市をいくつかだけ。十三王国軍は意気軒昂であり、これではヴォルトゥラグの割譲すら達成できないでしょう。彼らにとってこの地域が重要なのは当然ですから」
「二つ目の答えも混ざっていますね」
「参ったな。見抜かれてしまいました」
俺は若者らしく後頭部を掻いてみせた。意味のない動作だった。
「そうです。帝国は新しい領土を欲しています。十三王国が二度と立ち上がらないくらいに打ちのめしたいのです。そのためには、ヴォルトゥラグでの勝利を確定させねばならない。今も実効支配できているとは言えない状況ですから……」
それが簡単にできりゃあ、誰も苦労はしないってお話ではある。
「さらには、勝利こそが民衆の厭戦感情を緩和させる効果があります。今は明確に勝てていないから、国許では平和主義者が騒いでいるんです」
本当に騒いでいるかどうかは知らないが、世界ってのはどこも変わらないらしいし、きっと騒いでいるだろう。どの時代も、どんな国でも、平和主義者ってのは過激な真似がお好みだ。
「ローカリス公は慎重な方です。天険を利用して敵と小規模な戦闘を繰り返し、じっくりと攻めていきたかったことでしょう。しかし、そういうわけにもいかなくなった。これまでに述べた事情によるものです」
「それで?」
今度のレオノラの笑みは魅力的だ。講談に聞き入る少女そのものだった。
「モートルード伯が主導して、決戦に適した地へと移動したのでしょう。このあたりは平野部で、大規模な戦力運用が可能です」
もっとも、と俺は続けた。
「それは敵にとっても同じこと。国家間の連合体である十三王国の方が、厭戦気運や反政府主義者に困らされているはず。喜んで乗ってくるでしょうね。今少しローカリス公の戦略方針が続けば、敵が勝手に自滅してくれたかもしれませんが、こうなっては是非もないでしょう。そして……」
「そして?」
「レオノラ様は、そうした政治的な意図さえも汲み取って、モートルード伯の方針を黙認なさった。豊かな戦略眼と知恵でもって、帝国軍にとって史上最大の勝利を手に入れようとしておられる」
「私はそんなにすごくありませんよ」
レオノラの笑みが、王者の笑みに見えた。威光を放つ、高貴な笑顔……。
「ただ、周りの皆がもっとすごくないだけです」
「言い切りますね」
「デュラン・スクルトゥヌス」
レオノラが、机の上の文書を丸めて机の端に押しのけた。
「貴方がいれば、その大勝利も幻想のものではなくなる」
「俺をどんだけこき使う気ですか」
「愚問ですね。死ぬまでに決まっています」
怖い少女だよ、本当に。
「敵軍も戦力の移動を始めていますが、まだこちらの意図に完全に乗っていません。そこで、貴方には次の働きが必要です」
「どのようなお仕事ですか」
「モートルード伯を補佐してください」
げっ。
俺は思わずゲップが出そうになった。驚きで胃の空気が飛び出そうになったのかもしれない。
「現在、モートルード伯は出陣の準備をしています」
「出陣ですか」
「戦略的にも全く意味のない街を占領するためです」
無意味なことにこそ意味が隠れている。
軍師殿はそう言いたいのかもしれないが、いったいどういうことか?
「まさか、伯爵ご自身が捨て駒になるつもりでは……ありませんよね」
「彼女は囮です」
囮作戦か。
だが、ヴォルトゥラグ攻略軍のナンバーツー、実質的なナンバーワンだというのに、思い切った手に出たもんだ。
「決戦の地に敵を誘引するための布石として、伯爵は自らその役割を志願なさいました。ただ、問題があります」
「どのような問題ですか」
「伯爵が戦死するようなことになれば、囮といえども影響は計り知れません。絶対に生きていなければ困るのです。困るのですが……」
レオノラは首を横に振った。
「あの方は戦争に栄光を求めすぎています。戦死を最大の誉れと考え、愛国心だと盲信しています。自分の死所を見つけたと考えたら、即座に死ぬでしょう。そのあたりの認識が甘い。生きる人間がどれだけ大変な目に遭うか」
面倒な女だな、モートルード伯は。
そうは考えても、どこか魅力的に感じてしまった。俺に対する謂れなき疑心暗鬼にしたって、かわいげすら帯びてくる。彼女は国のための人柱になりたいのだろう。
「モートルード伯の伝令となり、部隊の運用を最大限に効率化し、囮作戦を成功させること。たとえ敵戦力が想像以上であっても、伯爵に余計な気を起こさせずに戒め、必ずこの地へ帰ってくること。以上が私からの命令です。質問は?」
「とりあえず、一眠りしてからでいいですか」
「ああ……」
レオノラは微笑んだ。
聖母と言えば言い過ぎだが、「母」を感じさせる優しい笑みだった。
「ゆっくり休んでください。伯爵が出るのは明朝のはずです」
「安心しました。では、行ってきます」
「いってらっしゃい」
俺は立ち上がって礼をし、振り返って歩き出した。
途中で後ろを向くと、レオノラが「ばいばい」とばかりに小さく手を振っているのを目撃した。
この少女は、いったいどれが本当の顔なのやら。
俺が考える限り最高の敬礼をして、天幕の外に出る。砂塵まじりの風に吹かれて、ここが開けた場所であることを思い出した。
遠くの天幕の陰から、リンダがひょっこりと顔を出している。どうやら本当に離れたところで見守っていたらしい。
その愚直さに応えるために、俺は彼女に向けてバンザイし、両方の拳を握って、大きく腕を振ってやった。
口からはイェーイなどと変な声が出る。
一番わかんないのは、俺自身の心かもなあ。
ま、前に美少女、後ろに美少女。美少女ばさみで気分が良いってことさ。




