ゆっくり、ゆっくり
シャリアさんは時々突拍子もないことを言う
私を理詰めで押さえつけるシャリアさんと同一人物だろうかと疑いたくなる時がある
なにか、どこか人と違う
この石が生き物?
そんなことあるわけがない
ん、でも…
この小さな温石が何らかの理由で育って大きな温石になるのなら、小さいうちに水から守ってやれば、雨期の雨から守ってやれば大きな温石の産出量を増やせる可能性も出てくる
草の含む水分がこの隣接する砂地の温石の成長を阻んでいるとすれば…
ハナは日々温石のことを考えていた
それは今までのように緑地化のための希望を抱いてのことではない
それがハナの唯一の逃げ場だったからだ
温石のことを考えていれば他のことを考えずにすむ
多分龍湖にはこの石に対する伝説のようなものがあるはず
誰かそれを知らないだろうか
そんなところにこの石の正体を探るヒントが隠れているかもしれない
なぜ湖族には情報の共有がないのだろう
それも相手を警戒してのことだろうけど…
ハナの変化には皆気づいていた
前ほどの目の輝きが無い
目の輝きが無ければ金色の髪と灰色の目の色がやはり異様に見えてくる
口数も明らかに少くなっていた
一部の者を除いては花嫁様は温石の謎に夢中になりすぎておられるからだと理解した
カエンに対する態度は一見変わりなかった
毎朝髪を梳かし丁寧に結んだ
湖への祈りも一緒に行っている
なにか問いかけられればしっかり答える
ただ自分からは話しかけない
温石のことを王に報告するのもシャリアに任せていた
この頃からカエンの様子も少し変わってきていたのだが無意識にカエンを避けていたハナは気がつかなかった
ハナはあの日から自分がどこに向かって生きていけばいいのかがわからなくなっていた
頑張れば頑張るほど報われない事態に陥っていく自分が哀れだった
積極的になにかをするというのが怖くなってしまっていた
心を守るためにはカエンを自分にとって無価値なものにもするしかない
それが…できない…
ハナの心のなかでは激しい戦いが起きていた
カエンに対する思慕の念が消せない自分と、もう二度と踏みつけられたくないと心を閉ざそうとする自分の間に
その戦いに疲れ果てハナはくたくただった
毎晩同じ夢を見た
自分が暗く冷たい湖の底に沈んでいる
次第にハナの体も心も冷え切っていった
ユキの息子のヒカリはフェイ直伝の神学の話をハナから聞くのを楽しみとしていた
それは神学が好きだったわけではなくハナが好きだったからだ
何らかの理由をつけてはハナの側にいたがったが、それほどハナを慕っていたヒカリが最近寄り付かなくなっていた
そういうことを気に留める余裕もハナにはなかった
ユキやリオスはこの長く冷たい夫婦喧嘩を困ったものだと思っていたが、どうすることもできない
温石の謎はわからなかったが砂漠に埋めた綿の網に植えつけた草が根付いてきた
網は風の弱い地域の牧草地に沿って埋められた
その前にくまなく砂を調べて小さい温石を取り除き、そして念のため草を植える前に何日か湖の水を撒いておいた
その結果ところどころ横に根をはる植物が根付いた
まるで赤子の髪の毛のように弱々しい緑だったが、その姿は鳥湖の人々に希望を与えた
花嫁様の提案で朱国から持ち込んだ綿はたっぷりあるらしい
植物が育つ範囲が広がれば食物事情も良くなってくるだろう
今は狭い牧草地の上にテントを張っているので密度が高く窮屈な感じがして、朱国ではあまり起きなかった住民同士の諍いが頻発しているが、草地が増えてテントの密度が下がればそれも少なくなっていくに違いない
人々は王に賢い花嫁を与えた神に心から感謝した
大きくハナの運命を変えるその日はなんの前触れもなくやってきた
鳥湖族が青国に移動して一年と少し経った頃
春、三月
いつものように髪を結い終えたハナにカエンは話しかけた
「ハナ、次の湖への祈りが済んだあと東のオアシスに10日ほどの日程で視察に行く」
「道中に温石の産出地がある」
「希望するなら同行を許す」
え?
何をいまさら
と、ハナは思った
朱国にいた頃からハナは王と視察に行きたがったが、留守を守るのが花嫁の役目とそれが許可されることはなかった
これは…この人の歩み寄りだろうか
そんなに私が温石に夢中になっているように見えたのだろうか
どうしよう…
なんて答えよう
カエンは振り返りじっとハナを見つめている
澄んだ目…
なんの曇りもない
そういえばこの人はなにかあるたびにまっすぐ私を見つめてきた
今まで何回こうして見つめられてきただろう
数々の場面がハナの脳裏に蘇ってきた
それは思い出すと心に痛みを伴うので封印していた記憶も含む
毒蜂…
あのときこの人は逃げずにしっかり私に謝ってくれた
まっすぐ私の目を見て
窓辺…
わざわざ政治所の二階の窓辺に連れて行かれたのも、お父様が最後に見た湖を見せてくださるため…だった
今が辛いか…
辛かった、あのとき私はすごく辛かった
この人は私の辛さを感じとっていた
一体何を辛く感じていると思ったんだろう…
報われない?哀れ?
カエン様いつも私に優しかった
…私なにか、何かを見落としていた?
!
そう見えるけど
完璧な人ではない
カエン様は自分の思いを言葉にするのが下手なのだ
だとしたらあのときのあの言葉は…
その時ふいに冷え切っていたハナの体に温もりが戻ってきた
左の手首に
あの日アナンの櫛を探しに、夜中抜け出さないようにハナの手首を握っていたカエンの手の温もりが
あ、引き戻されるとハナは思った
それに抵抗している自分がいる
「ハナ」
どうしよう…
「ハナ」
「…」
「行き…たいです…」
やっとこの一言を絞り出したハナの顔は真っ赤だった
カエンは
「ではその旨を担当者に伝えておく」
と言って髪結い処の椅子から立ち上がり、ゆっくりゆっくり前に倒れた




