表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/16

第九章 ダンジョンの、現場で

 ダンジョン攻略の召集は、思っていたより早く来た。

 先日の尋問から、わずか四日後の朝だった。

 共同宿舎の僕の部屋に、教会本部の事務官が来た。

「リコ殿。本日午前、王都郊外、東のクラウス森にて、小規模ダンジョン発生。教会から、医療班として、聖人候補三名の派遣が決まりました。あなたも、含まれます」

「はい」

「現地集合は、午後一時。森の入口の、騎士団詰所に、ご出頭ください」

 事務官は、それだけ告げて去った。

 僕は、急いで支度をした。祈りの道具と、薬草の小さな袋と、ロレンツ先生から渡された祈祷書を、革の鞄に詰めた。

 革の鞄を肩にかけた瞬間、扉が叩かれた。

 扉を開けると、レオンが立っていた。

「お前のとこにも、来たか」

「うん」

「俺、補欠で、討伐隊に呼ばれた。一緒だな」

 レオンの表情は、いつもの軽さだった。けれど、目の奥に緊張があった。

 レオンの初めてのダンジョン、と、僕は思った。

 補欠として駆り出されるからには、危険な現場ではない、はず。けれど、危険ではない、という保証は、どこにもなかった。

「行こう」

 僕は、頷いた。


 * * *


 クラウス森は、王都の東門から、馬で一時間ほどの場所にあった。

 僕とレオンは、教会本部と騎士団がそれぞれ用意した荷馬車に、別々に乗せられた。

 馬車の中で、僕は、ほかの二人の聖人候補と、初めて顔を合わせた。

 ベルント殿と、ティモ殿。控え室の自己紹介で会った人たちだった。

 ベルント殿は、相変わらず寡黙だった。馬車の中でも、目を閉じて、何かに集中していた。

 ティモ殿は、よく喋った。

「ダンジョンって、見たことある、リコ殿?」

「いえ、初めてです」

「俺も、三回目。最初の時は、足が震えた。今でも、毎回、緊張するよ」

 ティモ殿は、笑った。

「医療班は、最後尾だから、安全だよ。討伐班が、ダンジョンの中の魔物を片付けてから、負傷者を、後方に運んでくる。俺らは、それを、片端から癒す」

「はい」

「気合い入れていこう」

 ティモ殿は、ぽんと、僕の肩を叩いた。

 軽い手つきだった。レオンのスキンシップとは、明らかに別種の触れ方だった。

 ティモ殿は、たぶん、村のおじさんが孫に触れる程度の、淡白な距離感の人だった。

 それを、僕は頭の片隅で観察した。

 観察しながら、レオンの手のひらの温度を、思い出していた。


 * * *


 森の入口の、騎士団詰所に、僕たちは到着した。

 詰所の前の広場は、思っていたより慌ただしかった。

 騎士団の兵士が、五十人ほどいた。馬が、二十頭ほど。それから、医療班の聖職者が、五人。教会の事務官が、三人。

「規模、変わったらしい」

 ティモ殿が、ぽつりと言った。

「えっ」

「俺、第一報を聞いた時より、人が、多すぎる」

 たしかに、五十人の兵士というのは、小規模ダンジョンの対応としては、多すぎた。

 ティモ殿が、近くにいた騎士団の事務官に声をかけた。

「すみません、現状の規模は」

「中規模に、訂正されました。ダンジョンの中の、魔物の湧き出しが、想定より、激しい」

「マジか」

「医療班の方々、申し訳ありませんが、現場での負傷者の数も、増える可能性が、あります」

 ティモ殿の顔が、わずかに強張った。

 強張ったのは、ティモ殿だけではなかった。

 ベルント殿の目も、開いていた。

 僕も、息を深く吸った。

 吸って、頭の中で整理した。

 規模が、変わった。負傷者が、増える。それは、つまり、僕の祈りが必要になる場面が、増えるということだった。

 必要になる場面で、僕は、神への呼びかけをつけることができるか。

 先日のグリゴール猊下との約束を、現場で守ることができるか。

 守れない可能性が、頭の片隅に、浮かんだ。

 浮かんだ可能性を、僕はすぐには追い払えなかった。


 * * *


 レオンは、討伐班の中で、すでに整列していた。

 遠目から、レオンの姿を見た。

 革鎧をしっかり締めて、剣を背中に固定して、ほかの兵士たちと一緒に、隊列の中にいた。

 ふつうの兵士に、見えた。

 ふつうに紛れているレオンを見るのは、入団試験の時以来、二度目だった。

 目が、合った。

 レオンが、片手を、軽く、上げた。

 僕も、片手を、上げた。

 その時、レオンの口が、何かを形作った。

 声は、聞こえなかった。けれど、口の動きで、何を言ったかは、わかった。

「無事で」

 僕も、口で返した。

「君も」

 それから、二人とも、自分の隊列に戻った。


 * * *


 午後二時、討伐隊が森に入った。

 医療班は、森の入口から、五百歩ほど中の場所に、設置された後方陣地に配置された。

 簡易の天幕が、いくつか張られていた。地面に、布が敷かれていた。負傷者を、寝かせる場所だった。

 僕とティモ殿、ベルント殿は、それぞれ天幕を一つずつ担当することになった。

 最初の三十分は、何も起きなかった。

 遠くの方で、討伐の音が聞こえていた。叫び声と、剣の音と、何かが砕ける音。

 その音を聞きながら、僕は座って待っていた。

 待ちながら、頭の中で、これまでの場面を反芻していた。

 あの夜のレオンの時。教会本部の評価試験の時。

 二回とも、僕は、神への呼びかけを省略していた。

 今日は、つけないといけない。

 つけながら、効果を出さないといけない。

 心の中で、僕は、次のように組み立ててみた。

「神よ、癒し給え。この傷の、出血を、止めて、塞いでくれ」

 神への呼びかけを、最初に。聖句を、続ける。それから、具体的指示を、続ける。

 形式と、内容を、両立させる。

 頭の中で、何度か、繰り返した。

 繰り返しながら、自分の声がいつもより長くなることを、覚悟した。

 長くなる、ということは、緊急時には、不利だった。けれど、それで、教会本部の警戒を回避できるなら、その不利は、受け入れるしかない。


 * * *


 最初の負傷者が、運ばれてきた。

 兵士が、二人で、若い兵士を担いで来た。

 担がれていた兵士は、左の脚に、深い切り傷を負っていた。獣の爪の跡だった。

「リコ殿、頼む!」

 兵士が、僕の天幕に運び込んだ。

 負傷した兵士の顔は、青かった。出血が、続いていた。

 僕は、両手を傷の上に置いた。

 心の中で、言葉を並べた。

 左脚、深さ二センチの切り傷、出血継続中、表皮、真皮、筋肉、毛細血管、すべて元通りに。

 声に、出した。

「神よ、癒し給え。この傷の、出血を、止めて、塞いでくれ」

 効いた。

 効くまでに、いつもより、わずかに、時間がかかった気がした。

 数秒で、出血が止まった。傷の縁が、寄っていった。完全に塞がるまでに、十秒ほど。

 兵士が、目を開けた。

「あ、ありがとう、リコ殿……」

「気をつけて」

 兵士は、立ち上がって、また討伐隊の方に戻っていった。

 僕は、自分の手のひらを見た。

 ついさっきの感触と、同じだった。

 神への呼びかけをつけても、効果は出た。


 * * *


 二人目、三人目、四人目の負傷者が、次々と運ばれてきた。

 全員、軽傷から中傷の負傷だった。

 僕は、それぞれに、神への呼びかけをつけた発語で、塞いでいった。

 効いた。

 全部、効いた。

 ただ、繰り返しているうちに、僕は、ある気づきに到達した。

 神への呼びかけを最初につける場合、僕の心の中の集中の、最初の数秒が、神に向けられる。具体的指示をする時には、その集中が、すでに、対象から、わずかに、ずれている。

 ずれているまま、具体的指示を、する。

 効くけれど、効きが、わずかに、弱い。

 効きの弱さを、補うために、僕は、無意識に、発語を、より具体的に組み立てていた。傷の場所、深さ、塞ぐべき層、すべての要素を、より細かく、頭の中で並べていた。

 形式を整えるための、追加の負荷を、内容の精度で補っていた。

 そうしているうちに、五人目の負傷者が運ばれてきた。

 今度は、深い傷だった。


 * * *


 運ばれてきたのは、年配の兵士だった。

 胸に、深い刺し傷があった。槍か何かによる、貫通寸前の傷だった。

 息が、浅かった。

 顔色が、青を通り越して、灰色に近かった。

「リコ殿、これは……」

 運んできた兵士が、ためらった。

 ためらった理由は、わかっていた。

 もう、間に合わないかもしれない、という判断だった。後方陣地に運ぶ前に、現場で死んでいた可能性も、あった。

 けれど、年配の兵士は、まだ息をしていた。

 まだ、生きていた。

 僕は、両手を傷の上に置いた。

 心の中で、言葉を、並べた。

 胸部の刺し傷、深さ五センチ、肺に到達寸前、出血多量、塞がるべき。

 声に、出した。

「神よ、癒し給え。この胸の、刺し傷を、塞いで、出血を、止めて、肺の損傷を、修復して」

 効いた。

 効いたけれど、効果がいつもより遅かった。

 肺の損傷が、ある。深い傷ほど、修復に時間がかかる。

 神への呼びかけのせいで、最初の集中の数秒が、ずれている。そのせいで、効きが、わずかに、遅い。

 遅いまま、放置すれば、兵士は死ぬ。

 僕は、判断を迫られた。

 形式を、捨てるか、維持するか。

 迫られたまま、僕は、両手を、傷の上に置いたまま、もう一度、声を、出した。

 今度は、神への呼びかけを、つけなかった。

「胸の傷を、塞いでくれ。肺の損傷も、修復して。今すぐ」

 効いた。

 今度の効きは、明らかに、強かった。

 兵士の傷が、見ている前で、塞がっていく速度が、上がった。数秒で、出血が完全に止まり、十秒で、傷が完全に塞がった。

 兵士の呼吸が、戻ってきた。

 灰色だった顔色が、徐々に、ふつうの顔色に戻っていった。

「ふう」

 兵士が、目を開けた。

 目を開けて、僕の顔を見た。

「俺、生きてる、のか」

「はい」

「ありがとう、リコ殿……ありがとう」

 兵士は、目を潤ませていた。

 僕は、頷いた。

 頷きながら、自分の判断のことを考えていた。

 神への呼びかけを、捨てた。

 現場の、緊急時に、形式より、命を、選んだ。

 選んだことに、後悔は、なかった。

 ただ、今日のここに、グリゴール猊下が、いなくて、よかった、と、思った。


 * * *


 夕方近く、討伐は収束に向かった。

 ダンジョンの中の魔物が、ほぼ討伐された。新規の魔物の湧き出しも、止まった。

 最終の負傷者が、医療班に運ばれてきた。

 その負傷者は、レオンに付き添われていた。

 レオンの顔が、汚れていた。額に、薄い切り傷があった。けれど、自分の足で立っていた。

 付き添われていた兵士は、レオンと同じ補欠合格組の、若い男だった。レオンより一つ年下だったか、二つ下か。腹に、深い傷があった。

「リコ、頼む」

 レオンは、息を切らしながら言った。

「ダンジョンの最後で、こいつが、かばってくれた」

「うん」

 僕は、両手を、若い兵士の腹に置いた。

 心の中で、言葉を並べた。

 腹部、深さ三センチの切り傷、内臓に届く寸前、出血継続中、塞がるべき。

 神への呼びかけは、つけた。

「神よ、癒し給え。この腹の傷を、塞いで、出血を、止めて」

 今度は、レオンが、すぐ近くにいた。

 効くまでの数秒間、僕は、レオンの呼吸の音を聞いていた。

 レオンは、若い兵士の手を握っていた。

「お前、頑張れ。リコの祈りは、効くから」

 レオンの声は、低かった。

 兵士の傷が、塞がっていった。

 完全に塞がるのに、十二秒。

 兵士が、目を開けた。

「レオン……」

「お前、生きてんぞ」

「すまない」

「いいから、寝てろ」

 レオンは、兵士の頭を、軽く、撫でた。

 いつもの、雑な手つきだった。

 でも、その手つきには、明らかに、別の重さが混じっていた。

 レオンが、誰かを「失わなかった」ことに、安堵している、という重さだった。


 * * *


 兵士が、別の医療班に引き取られていった。

 僕は、自分の手のひらを見ていた。

 手のひらに、血がついていた。

 今日、塞いだ五人の負傷者の血が、混ざっていた。

 布で、ゆっくりと、拭った。

「リコ」

 レオンが、僕の隣に立っていた。

「うん」

「お前、すげえな」

「……」

「五人、塞いだろ」

「うん」

「俺、見てたわけじゃないけど、医療班の話で聞いた。お前のとこが一番、効きが速かった、って」

「そう」

「すげえじゃん」

 レオンは、笑った。

 笑った後で、続けた。

「でもさ、お前、最後の方、なんか呼びかけが短かったよな」

 心臓が、跳ねた。

 最後の方、というのは、レオンが付き添ってきた、若い兵士の時のことだった。

 あの時、僕は「神よ、癒し給え」と「この腹の傷を、塞いで」を、つなげて、唱えた。けれど、ふつうの聖人候補に比べたら、その呼びかけは、短かったかもしれない。

 ティモ殿やベルント殿は、たぶん、もっと長い、儀礼的な呼びかけを、つけていた。

「気のせいだろ」

 レオンは、続けた。

「でも、なんか、ふつうじゃないよな、お前の祈り」

「……」

「まあ、いい。気にすんな」

 レオンは、それで話を打ち切った。

 打ち切ったまま、僕の肩を軽く叩いた。

「帰ろうぜ。腹減った」

「うん」

 レオンは、僕より先に、医療班の天幕を離れていった。

 僕は、しばらく、その場に立っていた。

 立ったまま、レオンの背中を見ていた。

 レオンは、気づいていた。

 ふつうじゃない、と、言った。けれど、追求しなかった。

 追求しないことが、レオンの優しさだった。

 追求しないことが、いつまで続くかは、わからなかった。


 * * *


 帰路の馬車の中で、僕は目を閉じていた。

 ティモ殿が、隣でしゃべっていた。

「リコ殿、すごかったよ。深い傷も、平然と塞いで」

「いえ」

「俺、さっきの、肺に届く寸前の刺し傷、自分じゃ、塞げる自信なかった。あなた、本当に、すごい」

「ありがとうございます」

「ベルントも、すごいって、言ってた」

 ベルント殿は、馬車の中で、相変わらず、目を閉じていた。けれど、わずかに頷いた。

 頷いたのは、ティモ殿の言葉に対する、肯定の頷きだった。

 僕は、それに頭を下げた。

 下げながら、頭の中で整理を続けていた。

 今日、僕は、五人を塞いだ。

 四人は、神への呼びかけをつけて塞いだ。

 一人だけ、神への呼びかけを捨てて塞いだ。

 その一人は、肺に届く寸前の、致命傷一歩手前の患者だった。

 形式を捨てた時、効果が、明確に、強くなった。

 これは、観察として、確実だった。

 観察として、確実だけれど、これを、教会本部の祈祷書に、書き残すか、どうか、迷った。

 書き残せば、ロレンツ先生の言いつけ「新しいものを、書き残せ」に、従うことになる。

 書き残さなければ、安全に、過ごせる。

 迷ったまま、馬車は、王都の方に向かっていた。


 * * *


 夜、宿舎に戻って、自室で、机の前に座った。

 祈祷書を、開いた。

 最後の頁の、書きかけの行の続きに、僕は書いた。

「神への呼びかけを、つけると、効きが、わずかに、弱くなる」

 書いてから、しばらく、その文字を見ていた。

 危険な、観察だった。

 教会の教義に、真っ向から、反する観察だった。

 もし、この祈祷書を、誰かに見られたら、僕は、教会から、処分されるかもしれない。

 それでも、書いた。

 書かないと、観察を忘れる気がした。

 頁を、めくった。

 次の頁の冒頭に、もう一行、書いた。

「形式と、内容は、両立しない」

 書いた。

 書いたまま、しばらく、その文字を見ていた。

 部屋の窓の外で、月が出ていた。

 月の光が、机の上の灰色の小石を照らしていた。

 石を、握った。

 握った石の感触の中に、レオンの「ふつうじゃないよな、お前の祈り」という言葉が混じっていた。

 レオンに、いつ、全部を話すべきか。

 全部を話せば、レオンは、たぶん、僕と一緒に、危険を、引き受けようとするだろう。

 話さないでいる、ということは、レオンに、嘘をつき続ける、ということだった。

 話す方が、まだ、罪悪感は、軽い気がした。

 話そう、と、決めた。

 次に、レオンと、二人きりになる時に。

 全部、話そう。

 決めてから、僕は、祈祷書を閉じた。

 閉じて、机の上の小石を、もう一度、握った。

 石は、いつものように、僕の手のひらの中で、温まっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ