第二章 気づきと、決意
レオンが目覚めたのは、翌朝の夜明け過ぎだった。
僕は長椅子のそばの丸椅子に座ったまま、知らないうちに眠っていたらしい。気がつくと、レオンの手の中に僕の手があった。
握ったまま、寝てしまったのだ。
昨夜、最後の蝋燭が消えてから、もう一本新しいのに替えるべきだったのに、僕はそれをしないで暗闇の中でレオンの手を握り続けて、そのまま眠ってしまった。
「リコ」
声で、目が覚めた。
顔を上げると、レオンが目を開けていた。
額の傷の周りには、まだ赤黒い汚れが残っていた。けれど目ははっきりと開いていて、僕の方を見ていた。
「レオン……っ」
僕は慌てて、握っていた手を離そうとした。
離そうとして、上手くいかなかった。寝ている間に、握る向きが組み合わさるように変わっていて、僕の手の指がレオンの指の間に入り込んでいた。引き抜くのに、少しもたついた。
「お前、ずっと握ってたのか」
レオンの声は、まだかすれていた。けれど口調はいつもの通りだった。
「い、いや、ちょっと前から」
「ちょっと前って、どのくらい?」
「えっと、夜中ぐらいから」
「ふーん」
レオンはそれだけ言って、また目を閉じた。
僕は引き抜いた自分の手を、膝の上で握ったり開いたりしていた。手のひらがレオンの体温で、まだ温かかった。
レオンは目を閉じたまま続けた。
「ありがと、リコ」
「えっ」
「俺、死ぬかと思った」
「うん」
「お前、助けてくれたんだろ」
「うん」
答えながら、僕は、自分の声が、いつもより、少し低くなっているのに、気づいた。
「ありがと」
レオンは、もう一度、繰り返した。
それ以上、何も言わなかった。
しばらくすると、レオンの呼吸がまた規則的に深くなった。眠ってしまったのだ。
僕はしばらくレオンの寝顔を見ていた。
それから丸椅子から立ち上がって、教会の朝の準備を始めた。
昨日と同じ手順だった。床を掃き、蝋燭を替え、井戸の水を汲み、清めの水盤を満たした。
いつもと同じ動作をしているはずなのに、今朝は少し、手が震えていた。
* * *
レオンの療養は、それから五日続いた。
二日目には、自分で起き上がって歩けるようになった。三日目には、スプーンを持って自分でスープを飲めるようになった。四日目には、教会の戸口の段差を跨げるようになった。五日目には、村の広場までゆっくりと散歩できるようになった。
回復の早さは、僕がこれまでに見たどの患者よりも早かった。
もちろん、それには理由があった。出血があの最初の夜に完全に止まっていたこと。深い傷の縁が、その時点ですでにかなり寄っていたこと。残りはレオンの体の自然な回復力に任せるだけだった。
その自然回復の速度も、レオンは人並み外れていた。
レオンがふだんから、祈りの力による身体強化を無自覚に使っているのだろうと、僕は推測していた。冒険者として長く戦ってきた人間は、戦闘中の集中状態で体の回復速度を上げる祈りを、自分でも気づかないうちに使えるようになる、と聞いたことがある。聞いたのは、ロレンツ先生からだった。
もちろん、これは「無自覚に使えるようになる」ものなので、本人に「お前は身体強化を使っているね」と言っても、たぶん本人は否定する。だから、僕はそれをレオンに言わなかった。
レオンが何を「自分の力で生きてきた」と思っているか、それはレオン本人の感覚として尊重したかった。
療養中、村人たちが入れ替わり立ち替わり見舞いに来た。
マルタおばさんが卵を持ってきた。トマス爺さんが自分の畑の根菜を持ってきた。子供たちが木の枝で作ったお守りのようなものを、レオンの枕元に置いていった。
みんな、口々に言った。
「あんた、本当に、よく助かったね」
「リコちゃんとロレンツ先生のおかげだ」
「神様の、奇跡だよ」
神様の、奇跡。
その言葉が出るたびに、僕は軽く頷いて、それ以上何も言わなかった。
言うべきことが、なかった。
言わないことに、決めていた。
レオンも見舞いの言葉を受けるたびに、笑って「リコのおかげだな」と返していた。神様の、とは、レオンは言わなかった。レオンはもともと、信仰にそれほど熱心ではない。レオンにとって、自分を助けたのは目の前にいる僕で、それで十分なのだ。
その単純さが、僕にはありがたかった。
* * *
療養三日目の夜、ロレンツ先生が、僕を、自分の部屋に呼んだ。
先生の部屋は、教会の奥のささやかな個室だった。机と、椅子と、寝台。それだけしかない。机の上にはいつも、黒い革の表紙の祈祷書が開いて置いてあった。
先生は僕に椅子を勧めた。自分は寝台の縁に腰を下ろした。
「リコや」
「はい」
「あの夜のことを、わしは、誰にも、言うつもりはない」
先生はいつもの通り、ゆっくりと言葉を選んでいた。
「お前も、誰にも、言わぬのが、よい。もう、言わぬことに、決めておるかもしれぬが」
「はい」
僕は頷いた。先生に「もう、決めています」とも、言わなかった。先生は、僕の顔を見てもうわかっていたのだろうと思う。
「あの祈りは、教会の祈りでは、なかった」
先生は淡々と続けた。
「正確には、教会の祈りの形を、していなかった。聖句の言葉でも、なかった。それでも、効いた。むしろ、教会の祈りより、強く、効いた」
「はい」
「これが、何なのか、わしには、わからん」
先生は、そこで少し、間を置いた。
「わしの長い人生でも、ああいうものは、見たことがない。書物にも、書いていない。少なくとも、わしの読んだ書物にはな」
「先生」
「うん」
「僕は、何か、悪いことを、したのでしょうか」
先生は僕の顔を見た。
しばらく、見ていた。
それから、ゆっくりと言った。
「悪いことかどうかは、わしには、判じかねる」
「……」
「ただ、一つ、言える。お前のあれは、村の祈り手の祈りでは、ない。村の祈り手が、扱う必要のないものだ」
扱う必要のないもの。
その言葉の意味を、僕は頭の中で何度か反復した。
扱う必要のないもの、ということは、つまり、別の場所では、扱う必要があるのかもしれない、ということだ。
別の場所、というのは。
「先生は、僕に、どうしてほしいのですか」
僕は訊いた。
先生は、答えなかった。すぐには答えなかった。
ずいぶん長く、机の上の祈祷書を見ていた。
それから、ようやく口を開いた。
「わしは、お前に、こうしろ、とは、言えん。お前が、自分で、決めるしかない。けれど、一つだけ、言うておく」
「はい」
「お前の祈りの正体を、お前が知らずに、ずっとここにおるのは、お前のためにも、村のためにも、よくないかもしれん」
「……」
「いつか、お前は、村を、出ねばならんかもしれん。それが、いつなのか、わしには、わからん。けれど、その日が来たら、止めぬ」
先生の声は、相変わらず淡々としていた。
淡々としていたけれど、僕は、先生がもう答えを知っているような気がした。先生は僕よりずっと前から、僕の祈りの異質さに気づいていたのではないか。気づいていて、村の中でできる範囲で、僕を育ててきたのではないか。そして、村の中で育てるのは、もう限界だと、先生は感じているのではないか。
先生の前から退出する時、僕はもう一度頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を、言うのは、まだ、早い」
先生は目を伏せた。
わしには、判じかねる、と、先生は言った。
判じかねる、と言いながら、先生は、もう、判じていた。
判じた上で、僕に、それを、押し付けないでいる。
僕に、自分で、考えさせている。
それが、先生の、優しさだった。
* * *
療養五日目の昼前、村に行商人が来た。
ヘルムートという、五十がらみの男だった。年に二度ほど、馬車に荷物を積んで隣の街から来る。塩、砂糖、布、針、薬草、小さな金物、村で作れないものをひととおり運んでくる。村人は収穫物や、レオンが持ち帰った魔石や素材を、それと交換する。
ヘルムートはいつも、村の広場の真ん中に馬車を止めて荷を広げる。村人が集まってきて、半日ほど市が立つ。
その日、レオンは療養の身ながら、市に行きたがった。
「ちょっと、見るだけ」
レオンは僕に言った。
「あいつ、いつも面白い話持ってくるんだよ」
「無理しないで」
「平気平気、もうふつうに歩けるって」
たしかに、レオンはふつうに歩けた。胸と腹の傷は、まだ完全には塞がっていなかった。けれど皮膚の表面は、すでに繋がっていた。歩いて、ちょっと立ち話をする程度で、悪化するものではなかった。
僕はレオンに付き添って広場に行った。
ヘルムートの馬車の周りには、村人たちがもう集まっていた。ヘルムートは僕とレオンを見つけて、手を振った。
「おい、レオン! あんた、生きてたのか」
ヘルムートは、村に着いた時にもうレオンの一件を聞いていたらしい。
「死ぬところだったって、聞いたぞ」
「危なかったな。リコが助けてくれた」
レオンは肩をすくめた。
「神様の奇跡で、助かったんだろ?」
「まあ、そういうことになってる」
レオンの返し方は、絶妙に曖昧だった。神様の奇跡、と肯定もしていないし、否定もしていない。レオンは自分の言葉で「神様」と言うのを、上手に避けていた。
ヘルムートは笑った。
「無事で、何よりだ。それで、何か買うのか」
「いや、今日は見るだけ。あと、王都の話、何かないか」
「王都?」
「最近の、王都の話」
ヘルムートは少し、目を細めた。
「最近の王都ねえ。そうだな……あ、そうだ、騎士団が新人を募ってるそうだ。秋までに、二十人ほど補充するとか」
レオンの肩が、ぴくり、と動いた。
動いたのを、僕は見ていた。
「ふーん。条件は?」
「身寄りは問わないらしい。剣の腕が立てばいい。あと、字が読めれば」
「字……」
「最低限の、契約書とかな。お前、字、読めるんだったか」
「教会で、習った。先生に」
「ああ、それなら大丈夫だろ」
ヘルムートはそれから、別の村人に呼ばれて、そちらに行った。
レオンはしばらく、ヘルムートの馬車を見ていた。
見ながら、何か考えていた。
考えていることは、僕にはわかった。
わかったから、僕は何も言わなかった。
* * *
その日の夕方、教会に戻ってから、レオンは僕を薪割り場の脇に呼び出した。
薪割り場は、教会の裏手の、ちょうど、子供の頃にレオンが棒を振っていた場所だった。
大きな切り株が、台座の代わりに置いてあった。レオンはその切り株に腰を下ろした。僕は立ったまま、レオンの前にいた。
「リコ」
「うん」
「俺、行こうと思う」
レオンの声は、いつもよりも少し低かった。冗談や軽口の入っていない、レオンの声だった。
「王都?」
「ああ」
「騎士団に、応募する」
「うん」
僕は立ったまま、レオンの顔を見ていた。
レオンは僕の目を見ていなかった。地面の、自分の足元の土の上を見ていた。
「いつかは、行くって、思ってた」
レオンは続けた。
「いつかは、って、ずっと言ってたけど、今回のことで、なんかはっきりしたんだ」
「今回のこと?」
「ワーウルフにやられた時。森の中で、死ぬかもしれないって思った時」
レオンは、地面に自分の指で何かの形を描いていた。レオンの指は土の上に、ぐにゃぐにゃと線を引いていた。線は、何の形にもなっていなかった。
「あの時、思ったんだ。俺、まだ、村の外、見てねえな、って」
「うん」
「冒険者として、近場の森には何度も入ってる。けど、街にも、王都にも、行ったことが、ない。村と、森と、それしか知らないまま、死ぬとこだったな、って」
「……うん」
「死ぬのは嫌じゃない。生きてりゃ、いつかは死ぬんだから。けど、村と森しか知らないまま死ぬのは、嫌だな、って」
レオンはそこで、初めて僕の方を見た。
目が、合った。
レオンの目は、いつもの軽さの奥に、何か覚悟のようなものがあった。
「だから、行く。今度こそ」
「うん」
「で」
レオンは、いったん言葉を切った。
切ってから、ずいぶん長く間を置いた。
言うかどうか迷っているような、間だった。
「お前は、どうする」
僕は息を止めた。
止めて、考えた。
考えた、と言っても、本当は考える必要はなかった。答えはもう決まっていた。決まっていたけれど、自分の中でそれを認めるのに、少し時間が必要だった。
あの夜、レオンの手を握りながら、僕は答えを出さなかった。出さなかった、というよりは、出すのが怖かったのだ。
いま、出せる気がした。
「行くよ」
「……」
「君が、王都に行くなら、僕も、行く」
レオンは僕の顔を見ていた。
見ながら、何度かまばたきをした。
「お前、村の祈り手なのに、いいのかよ」
「先生が、止めない、と言った」
「ロレンツ先生が?」
「うん」
「マジで」
「マジで」
マジで、と、僕は、繰り返した。たぶん、生まれて初めて、口にした言葉だった。レオンが、いつも、使っている言葉だった。
レオンが、笑った。
「お前、いま、マジでって言った」
「言った」
「似合わねえ」
「うるさい」
レオンは切り株から立ち上がった。
立ち上がって、僕の頭の上に雑に手を置いた。子供の頃から何度も、何度も繰り返してきた、あの仕草だった。
今日のレオンの手は、いつもより少し力が弱かった。胸の傷が、まだ完全には塞がっていないのだろう。それでもレオンの手は、温かかった。
「じゃあ、決まりだな」
「うん」
「最強コンビで、行くか」
最強コンビ、と、レオンは、言った。
あの言葉を、レオンが口にしたのは、十四年ぶりだった。
覚えていたのだ、と、僕は思った。
言葉にしないだけで、レオンも、ずっと、覚えていたのだ。
僕は頷いた。何も言葉にしなかった。言葉にしたら、たぶん声が震える気がした。
* * *
ロレンツ先生に出発の話をしたのは、その夜のことだった。
二人で先生の部屋に行って、揃って頭を下げた。
「先生」
レオンが口を開いた。
「俺、王都に行きます。騎士団に応募する」
「うん」
「リコも、一緒に連れて行きます」
「うん」
先生は僕の方を見た。
「リコ」
「はい」
「お前も、決めたのだな」
「はい」
先生はしばらく、僕とレオンを見ていた。
それから寝台の縁から、ゆっくりと立ち上がった。
立ち上がって、机の上の祈祷書を手に取った。
黒い革の表紙の、古い、古い祈祷書だった。先生が若い頃から使い続けているものだ。
「リコ」
「はい」
「これを、お前に、渡しておく」
先生は祈祷書を、僕の方に差し出した。
僕は両手でそれを受け取った。重かった。革の表紙は、少し湿っていた。先生の長年の手の脂が、染み込んでいるのだ。
「これは、村の祈り手に、代々、伝わってきたものだ。本来は、お前が、わしの跡を継いだ時に、渡すべきものだった」
「先生、これは……」
「もう、わしには、要らん」
先生は淡々と言った。
「わしは、もう、これを開いて、新しいことを、覚える歳では、ない。お前は、これから、新しいものを、見る。見たものを、書き残せ。この祈祷書の、空いている頁に。それが、いつか、次の祈り手の、役に立つかもしれん」
「……はい」
「それと、もう一つ」
先生は寝台の下から、小さな布の袋を取り出した。
袋の中で、金属の音がした。
先生はそれをレオンに差し出した。
「これを、王都までの、足しに、するとよい」
「先生、それは……」
「わしの、生涯の、貯えだ。大したものでは、ない。が、二人で、街道を、行くだけの、足しには、なるはずだ」
「先生」
レオンの声が、上ずっていた。
「俺、いつか、必ず、返します」
「返さんでよい」
先生は首を横に振った。
「お前たちは、わしの、子のようなものだ。子に、貯えを、渡すのは、親の、当たり前だ。返す返さんの、話では、ない」
レオンは袋を両手で受け取った。
受け取ってから、僕の方を見た。
レオンの目が、少し潤んでいた。
僕の目も、たぶん同じだった。
* * *
出発はそれから三日後と決まった。
三日のうちに、レオンの傷をできるだけ塞ぐ。旅の支度を整える。村人たちに別れを告げる。
準備はすぐに進んだ。
レオンは自分の冒険の装備を見直した。革鎧はワーウルフの爪で修復不能なまでに裂けていたので、村の鍛冶屋に新しいものを頼んだ。レオンの貯えと、先生から渡された袋の一部で、ぎりぎり足りた。剣は、研ぎ直してもらった。
僕は祈り手の道具を選んだ。聖水の小瓶、清めの布、薬草を煎じるための小さな鍋。それから、ロレンツ先生から渡された、黒い祈祷書。
祈祷書の最後の、空いている頁に、僕は自分の名前を書いた。
「リコ」
ただ、それだけ。家名は、ない。孤児には、家名が、ない。レオンも、同じだ。
名前を書きながら、僕は考えた。
この祈祷書に、これから、何を書くのだろう。
書くべきことが、ある気がした。
まだ何を書けばいいのか、わからない。けれど、書くべきことが、いつか、見つかる、という、予感があった。
* * *
出発前夜、ロレンツ先生は、いつもより少しだけ豪華な夕食を作ってくれた。
豪華と言っても、スープにレオンが朝のうちに森で獲ってきた野鳥の肉が入っているだけだった。それでも、僕たちにとっては年に数回しかない、ご馳走だった。
三人で、長椅子に並んで食べた。
長椅子の上には、つい数日前まで、瀕死のレオンが横たわっていた。今、そのレオンが、自分の足で座って、スープを飲んでいる。
不思議な、感覚だった。
「先生」
食事の途中で、レオンが言った。
「俺、王都に行ったら、ちゃんと便りを書きます」
「字を、書けるのか」
「……ちょっとなら」
「リコが、書けるじゃろう」
「あ、リコに書いてもらいます」
「それで、よい」
先生はスープをすすった。
スープは、冷めかけていた。
「便りに、何を、書くかは、お前たちが、決めなさい。わしは、何が書いてあっても、嬉しい」
先生はそれきり、何も言わなかった。
食事の終わりに、先生は、僕とレオンの、それぞれの肩に、手を置いた。
骨ばった、軽い手だった。
「お前たちが、無事で、あるように」
短い、祈りの言葉だった。
先生の祈りが、効くか、効かないかは、わからない。けれど、先生の、その祈りは、他のどんな祈りよりも、僕の心の中に、深く、染みた。
* * *
その夜、僕は教会の隅で、自分の毛布の上に横になりながら、ずっと目を開けていた。
寝つけなかった。
明日の朝には、村を出る。
二十年、暮らした村だった。両親の顔も覚えていない。預けられた時のことも覚えていない。物心ついた時にはもう、教会の隅にレオンがいて、ロレンツ先生がいて、それが、僕の世界の、全部だった。
その世界から、明日、出る。
怖い、という感情は、たしかに、あった。けれど、それより、もっと大きな感情が、あった。
それは、たぶん、好奇心、というものだったのかもしれない。
僕の祈りの、正体を、知りたい。
ロレンツ先生は、それを、村の中では知ることができないだろう、と、暗に、言っていた。だから、僕は村を出る必要があった。レオンの王都行きについて行く、というのは、本当の理由の半分でしかなかった。
もう半分は、僕自身の選択だった。
毛布の中で、隣を見た。
レオンも、横になって目を閉じていた。けれど、たぶん、まだ起きている気がした。レオンの、寝ている時の呼吸の規則的な深さが、まだ出ていない。
「リコ」
レオンが、目を閉じたまま言った。
「うん」
「明日、出るな」
「うん」
「お前、寝なくていいのかよ」
「眠れない」
「俺もだ」
しばらく、二人で黙っていた。
教会の屋根の藁が、夜風にわずかに揺れる音がしていた。
「リコ」
「うん」
「俺たち、生きて、戻ってこれるかな」
「……」
「いや、変なこと聞いたな、忘れて」
「わからない」
僕は、答えた。
「わからないけど、僕は、君と、一緒に、戻りたい」
「……うん」
「君も、僕と、一緒に、戻ってきて」
「ああ」
レオンが頷いた。
頷いてから、毛布の中で、僕の方に手を伸ばしてきた。
僕の毛布の縁を、ぐっと握って、ぐい、と引っ張った。
僕の毛布が、レオンの方に寄った。
レオンはそれで満足したらしく、また目を閉じた。
僕はレオンの毛布のすぐ横に、自分の毛布が寄っているのを確認して、それから自分も目を閉じた。
レオンの寝息が、すぐ近くで聞こえていた。
その夜、僕はいつの間にか眠っていた。
眠る直前、僕の頭の片隅でずっと考えていた、村を出る不安が、ほんの少しだけほどけていく感覚があった。
レオンが、隣にいるからだろう、と、僕は思った。
ずっと、隣にいた。
これからも、隣にいる。
それで、たぶん、十分なのだった。




