第十三章 隔離と、筆跡
翌朝、夜明けと同時に、教会本部の伝令が、医務室に来た。
「リコ殿。本日午前、特別評価会議のため、白い塔の四階へ、ご出頭ください」
マリアム殿が、夜のうちに警告してくれていた、現実だった。
マリアム殿は、報告書を遅らせる、と言った。けれど、火災現場の目撃者は、多すぎた。ヴィルヘルムだけでなく、騎士団の兵士、医療班の聖職者、そしてラインハルト殿。全員が、僕の祈りを見ていた。
報告書は、夜のうちに上がっていたのだろう。
僕は、頷いた。頷くしかなかった。
着替えて、白い祭服をまとった。
医務室を出る前に、隣のベッドの、レオンを見た。
レオンは、まだ、ぐっすり、眠っていた。
起こさなかった。
起こしたら、レオンは、絶対に、僕についてくる。ついてきたら、レオンも、巻き込まれる。
レオンを、巻き込まないために、僕は、一人で行く。
そう決めて、扉を閉めた。
* * *
四階の評価室には、五人の聖職者が、長机に並んでいた。
中央に、グリゴール猊下。
右に、ラインハルト殿。
左に、見たことのない、別の高位聖職者が二人。
そして、いちばん端に、マリアム殿が、参考人として、座っていた。
「リコ殿、お入りください」
グリゴール猊下の声は、先日の尋問の時より、わずかに低かった。
僕は、長机の手前の椅子に、座った。
座って、両手を膝の上で組んだ。
* * *
「昨日の火災現場での、貴殿の祈りについて、報告が、上がっております」
グリゴール猊下が、机の上の書類を手にした。
「複数の損傷を、同時に修復。神への呼びかけは、なし。発語の内容は、極めて具体的な指示の連続。これは、教会の聖人候補が、行うべき祈りの形式を、完全に、逸脱しています」
逸脱、という言葉に、僕は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「弁解は、ございますか」
「現場の、緊急性に、鑑みて。重傷者の命を、優先いたしました」
「貴殿は、神への呼びかけを、一度も、つけなかった」
「はい」
「これは、先日の警告に、明らかに、反する行為です」
僕は、何も答えなかった。
答えるべき言葉を、見つけることができなかった。
ラインハルト殿が、口を開いた。
「猊下。発言を、お許しください」
「どうぞ」
「リコ殿の、昨日の祈りは、結果として、複数の人命を救いました。中でも、騎士のレオン殿は、致命傷を負っていました。リコ殿の祈りがなければ、確実に、命を落としていた状況です」
「人命を救った事実は、否定しません」
グリゴール猊下は、頷いた。
「ただし、教会の祈り手の役割は、人命を救うことだけでは、ございません。教会の祈りは、神への信仰の、形式そのものです。形式を、完全に、捨てた祈りは、もはや、教会の祈りではありません」
形式そのもの、という言葉が、僕の頭の中に刺さった。
先日、僕が祈祷書に書いた仮説と、グリゴール猊下の言葉は、表裏一体だった。
僕は、形式を捨てた方が、効きが強い、と書いた。
グリゴール猊下は、形式こそが、教会の祈りの本体だ、と言った。
二人の見ている方向は、全く逆だった。
逆だけれど、同じ事実を、見ていた。
* * *
「貴殿の処分について、評議会で、検討いたしました」
グリゴール猊下は、続けた。
「一部の意見では、貴殿を、教会から、追放すべき、というものもございました」
「……」
「ただし、貴殿の祈りには、希少な技能が認められます。教会本部は、希少な技能を、簡単に、手放すべきではない、という意見も、ございました」
「はい」
「双方の意見を、踏まえまして、結論を申し上げます」
グリゴール猊下は、書類を、机の上に置いた。
書類を置く手が、わずかに、止まった。
止まったのを、僕は、見ていた。
猊下は、迷っておられる、と、僕は思った。
追放を選ぶのと、隔離を選ぶのと、どちらが、教会のためか。猊下の中で、答えが、まだ、揺れていた。
揺れた末に、猊下は、選んだ。
「リコ殿。貴殿を、聖人候補の、上位の処遇である、特別観察聖人候補に、昇格させます」
昇格。
その言葉に、僕は顔を上げた。
「昇格、ですか」
「はい。これは、聖人候補の中でも、最も希少な技能を持つ者にのみ、与えられる地位です。教会の歴史の中でも、過去百年で、五人ほどしかいません」
「……」
「ただし、この地位には、特別な、義務が、伴います」
義務、という言葉が、ようやく、本当の意味を、現してきた。
「特別観察聖人候補は、白い塔の最上階の、特別な居室に、起居していただきます。外出は、原則、認められません。教会の儀式と、訓練のみ、決められた手順で、参加していただきます」
外出は、認められない。
その言葉が、僕の耳の中で繰り返された。
「面会は、原則、教会本部の聖職者のみ、許可されます。家族や、友人の面会は、月に一度、特別な許可のもと、認められます」
「月に、一度」
「はい。これは、特別観察聖人候補の、規則です」
規則、という言葉で、すべてが整えられていた。
追放ではない。処分ではない。
昇格と、規則の遵守。
それが、隔離の、教会本部の、表向きの形式だった。
「貴殿に、選択肢は、ございません」
グリゴール猊下は、最後に言った。
「拒否される場合は、教会からの、追放となります。教会の規則違反者として、王都を、出ていただくことに、なります」
追放されたら、レオンと、別れることになる。
レオンの騎士団の任地は、王都だった。
僕が王都を出たら、レオンとは、簡単には、会えなくなる。
昇格を受け入れたら、月に一度、面会できる。
月に、一度。
会えないよりは、ましだった。
ましだけれど、毎日、会っていた関係から、月に一度になる。
「お受け、いたします」
僕は、答えた。
答えてから、自分の声が、いつもより低くなっていることに気づいた。
「結構です。本日中に、最上階の居室に、お移りください」
* * *
評価室を出る時、ラインハルト殿が、僕の方に、目で合図をした。
合図の意味は、すぐにはわからなかった。
わからないまま、僕は退出した。
マリアム殿が、廊下で待っていてくれた。
「リコさん」
「はい」
「お部屋まで、お送りするわ」
マリアム殿は、僕の腕を軽くつかんだ。
つかんで、引っ張るようにして、廊下を歩いた。
歩きながら、低い声で続けた。
「ラインハルト殿が、私に、伝えてきたわ。月に一度の面会権は、レオン殿に、伝えるって」
「はい」
「最初の面会日は、来週の、土曜日。一時間だけ。監視付きで」
「はい」
「リコさん、聞いて。これから、私は、あなたと、自由には話せなくなる。今のうちに、伝えるわ」
マリアム殿は、立ち止まった。
廊下の、誰もいない、突き当たりだった。
「私は、あなたを、応援している。教会の規則の中で、できる限り、あなたを守る」
「マリアム殿」
「あなたが、どんな道を、選んでも。たとえ、教会の規則を、破る道であっても」
その言葉に、僕は息を止めた。
マリアム殿は、たぶん、僕とレオンが、いつか、教会から、逃げる選択をする可能性を、見越していた。
見越した上で、応援する、と、言った。
マリアム殿の言葉を、僕は、頭の中に刻んだ。
刻んでから、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「行きましょう」
マリアム殿は、もう一度、僕の腕をつかんで、歩き出した。
* * *
白い塔の最上階の居室は、想像していたより広かった。
寝室、書斎、簡易な祈祷室、洗面室。それらが、ひとつの居室の中に、揃っていた。窓からは、王都の中心が、一望できた。
扉は、外から鍵がかかる構造だった。
内側からは、開けられない。
牢獄、という言葉は、使えない。
使えないように、教会本部は、設計していた。
居室の中に、僕の私物が運ばれてきていた。
ロレンツ先生から渡された祈祷書。
灰色の、対の小石。
数着の祭服。
それだけだった。
共同宿舎の他の私物は、まだ、運ばれていなかった。
僕は、机の前に座った。
祈祷書を、開いた。
最後の頁の、書きかけの行を見た。
研究の記録が、いくつか残っていた。
研究を、続けるかどうか、迷った。
研究を続けたら、もし、この居室が、捜索されたら、すべて、教会本部に知られる。
研究を続けなかったら、自分の祈りの正体は、永遠にわからない。
迷ったまま、僕は、祈祷書を閉じた。
閉じてから、机の引き出しの、奥にしまった。
しまった上に、別の書物を、何冊か重ねて隠した。
* * *
隔離は、その日から始まった。
最初の数日間は、何も起きなかった。
朝、聖職者が、食事を運んできた。
昼、決められた時間に、訓練室に連れていかれた。地下の訓練室で、軽い癒しの祈りを、形式通り、行った。
夕方、また、食事が運ばれてきた。
夜、扉が、外から施錠された。
窓から見える王都の景色だけが、僕と外との、唯一の繋がりだった。
窓を、開けることはできた。けれど、最上階の窓から、外に出ることは、現実的では、なかった。落ちれば、即死だった。
* * *
四日目の夜、僕は、窓辺に立っていた。
手のひらの中に、灰色の小石を握っていた。
石は、いつものように、僕の体温で温まっていた。
温まった石を感じながら、僕は考えていた。
レオンは、今、どうしているのだろう。
医務室で目を覚ました時、僕がいなかったから、騎士団の人たちに、訊いただろう。聞いた話を、どう受け止めただろう。
怒っているか。
悲しんでいるか。
何かを、計画しているか。
たぶん、全部だ。
レオンは、こういう時に、止まる男じゃない。怒りも悲しみも、行動の燃料に変える男だった。
今頃、レオンは、ヴィルヘルムや、騎士団の仲間たちに、何かを相談しているかもしれない。あるいは、ラインハルト殿に、面会を求めているかもしれない。
手のひらの中の小石が、いつもより、温かい気がした。
温かい理由は、たぶん、僕の体温だけではなかった。
遠くで、レオンも、対の石を握っているからだった。
二つの石が、別々の場所で、それぞれの手のひらの中で、温まっている。
その想像が、僕を支えていた。
* * *
六日目の朝、聖職者が、食事と一緒に、紙を運んできた。
「リコ殿。明日の面会、予定通り、執り行います。面会者は、騎士のレオン殿。場所は、白い塔の三階、第二面会室。時間は、午後二時から、一時間。監視は、私と、もう一名の聖職者が、立ち会います」
明日。
ようやく、レオンと、会える。
会える、と思った瞬間、僕の胸の奥が、強く痛んだ。
痛みは、たぶん、嬉しさだった。
嬉しさが、強すぎて、痛く感じる、という種類の感情を、僕は、初めて知った。
* * *
翌日、午後二時。
第二面会室は、四角い、小さな部屋だった。中央に、長机。机を挟んで、向かい合った椅子が、二つ。部屋の隅に、二人の聖職者が立っていた。
扉が、開いた。
レオンが、入ってきた。
レオンの姿を、僕は、六日ぶりに見た。
顔の傷の跡は、ほぼ消えていた。包帯も、巻かれていなかった。革鎧ではなく、騎士団の正装に近い服装だった。
目が、合った。
レオンは、何か、言いたそうにした。
言いたそうにして、止めた。
止めて、机の向かいの椅子に座った。
「リコ」
「うん」
「お前、変わりねえか」
「変わりない」
「そうか」
遠征から戻った夜と、同じ会話だった。
あの時のレオンの「変わりねえか」と、今のレオンの「変わりねえか」は、声の重みが違っていた。
今の「変わりねえか」には、心配と、安堵と、別の何かが混ざっていた。
「俺、心配したぞ」
「うん」
「お前、急にいなくなって。マリアム殿から、聞いた」
「うん」
「特別観察聖人候補、って、名誉な地位らしいな」
レオンの言い方は、明らかな、皮肉だった。
部屋の隅の聖職者には、聞こえないように、軽い口調を装っていた。
でも、僕にはわかった。
レオンは、怒っていた。
「うん。名誉なんだ」
僕も、合わせた。
「面会は、月に一度、なんだ」
「うん」
「次は、来月の、いつだ」
「来月の、第二土曜日」
「マジか。長いな」
「うん」
レオンは、机の上に、両手を置いていた。
置いた手の指が、机の上で、わずかに、動いた。
動きの方向に、規則性があった。
最初は、何かの形をなぞっているだけに見えた。
数秒後、僕は、それが、文字を書いているのに気づいた。
レオンは、机の上で、指の先で、見えない文字を書いていた。
僕は、レオンの指の動きを、目で追った。
書かれていたのは、四文字だった。
「ま」「つ」「て」「ろ」
待ってろ。
心臓が、跳ねた。
跳ねた心臓を、僕は、外に出さないように、息を整えた。
整えながら、自分の手の指で、机の上に、文字を書いた。
「わ」「か」「つ」「た」
わかった。
レオンが、わずかに頷いた。
頷きながら、続けた。
「リコ。お前、ちゃんと、寝てるか」
「寝てるよ」
「メシは」
「食べてる」
「そうか」
レオンの口は、表向きの、ふつうの会話を続けていた。
手の指は、別の文字を書いていた。
「ら」「い」「ん」「は」「る」「と」
ラインハルト。
頷いた。
「あ」「て」「に」「し」「て」「い」「い」
あてにしていい。
頷いた。
ラインハルト殿が、レオンの側についてくれている、という意味だった。
ラインハルト殿は、評価室で僕に「目で合図」をしていた。あの合図の意味が、ようやく、わかった。
ラインハルト殿は、教会の側にいる人物だが、僕の祈りを、評価する立場でもあった。教会の教義と、僕の祈りの実態の、両方を見ている。
その人が、レオンの側についている。
脱出計画は、たぶん、ラインハルト殿の協力のもと、進められている。
僕は、息を深く吸った。
* * *
一時間は、思ったより、早く過ぎた。
最後に、レオンは、立ち上がる前に、もう一度、机の上に、文字を書いた。
「あ」「い」「し」「て」「る」
心臓が、止まりそうになった。
愛してる。
先日の夜の「結構、好きみたいだわ」が、ここで、はっきりした言葉に変わっていた。
レオンの遠征中の、決意が、ここで果たされていた。
ちゃんと言いたいことが、ある、と、遠征から戻った夜、レオンは言っていた。
言うなら、ちゃんとした場所で言いたい、と。
ちゃんとした場所、というのが、まさか、ここだったとは。
不思議な場所で、レオンは、それを伝えてきた。
遠征から戻った夜、レオンは「ちゃんとした場所で言いたい」と言った。たぶん、レオンの想像していた「ちゃんとした場所」は、もっと別の場所だった。村の、麦畑の脇道だったかもしれない。あるいは、騎士団の祝賀の席で、酔った勢いだったかもしれない。
火災で、それは全部、吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた後に残ったのは、監視の目のある、四角い面会室と、長机の表面だった。
それでも、レオンは、伝えてきた。
ちゃんとした場所が消えても、ちゃんと、伝えてきた。
たぶん、ちゃんとした場所は、レオンが伝えると決めた瞬間に、ちゃんとした場所になるのだ。
僕は、息を整えた。
整えてから、自分の指で、机の上に書いた。
「ぼ」「く」「も」
僕も。
レオンが、頷いた。
頷きながら、立ち上がった。
立ち上がってから、いつもの軽さで続けた。
「じゃあな、リコ。来月、また、来る」
「うん」
「待ってろよ」
「待ってる」
レオンは、面会室を出ていった。
部屋の隅の聖職者は、何も気づいていない様子だった。
僕は、長机の上を見た。
見えない文字が、書かれていた場所が、机の表面に、わずかに、温度の差を残していた。
その温度を、僕は、しばらく、見ていた。
* * *
その夜、僕は、最上階の居室の、窓辺に立っていた。
手のひらに、灰色の小石を握っていた。
石は、いつもより、ずっと温かかった。
温かい理由は、僕の体温だけではなかった。
遠くで、レオンも、対の石を握っていた。
握りながら、計画を進めていた。
窓の外の、王都の景色を、僕は見ていた。
見ながら、決めた。
待つ。
レオンが、来るまで、待つ。
来た時に、迷わずに、行く。
迷う必要は、もう、なかった。
迷うものは、火災の夜に、すべて、別の場所に置いてきた。
置いてきた場所は、まだ、名前が、ついていなかった。
でも、そこには、ひとつのことだけが、確かに、あった。
レオンと、生きる。
それだけだった。




