第十一章 遠征の、夜
遠征は、王都の北、約三日の距離にある、廃鉱跡の調査だった。
最近、廃鉱の中で、魔物の気配があるとの報告が、続いていた。中規模ダンジョンに発展する可能性があるため、騎士団から十二人の小隊が、現地調査と、必要なら制圧のために、派遣された。
補欠から本隊に上がったばかりのレオンも、その十二人に含まれていた。
* * *
レオンは、馬には慣れていなかった。
村にいた頃、馬は、行商人のヘルムートのものしか見たことがなかった。乗ったことは、無い。
騎士団に入って二週間で、初めて鞍に座った。三日目で、なんとか落ちないで歩けるようになった。一週間で、駆け足ができるようになった。
今も、揺れる鞍の上で、腰が痛い。
それを、隣を走る先輩騎士のヴィルヘルムが、笑った。
「レオン、お前まだ尻が浮くのか」
「うっせえな」
「半年したら、慣れる。今は耐えろ」
ヴィルヘルムは、本隊で、レオンの直接の指導役だった。
二十六歳。実家は、王都の中流の商家。剣の腕は、本隊の中位。性格は、口は悪いが、面倒見はよかった。
補欠から繰り上がったばかりのレオンを、ヴィルヘルムは、自分の隣に置いて、何かと教えてくれていた。
「お前さ、レオン」
「ん」
「お前、村出身の補欠合格、って珍しいんだぞ」
「そう?」
「補欠の枠は、たいてい、中流の家の次男坊か三男坊で埋まる。家名のない孤児が補欠で残るのは、本当に剣の腕が立つやつだけだ」
「そうなんだ」
「それで、お前、最終試合で化けたって、団長が言ってた」
「化けた、ってのは、あんま気持ちよくない言い方だな」
「事実だろ」
レオンは、笑った。
笑いながら、入団試験当日のことを、思い出した。
観客席で、リコが念じてくれていた。あの時、急に、力が抜けた。それまでガチガチだった体が、軽くなった。
あれは、リコの祈りだった、と、今は知っている。
知っているけれど、ヴィルヘルムには、言わない。
言ったら、たぶん、面倒なことになる。
「お前、王都の祈り手と、知り合いか?」
ヴィルヘルムが、いきなり訊いてきた。
レオンは、一拍、答えるのを止めた。
「なんで」
「お前の腕の傷の癒え方、ふつうじゃない」
「腕?」
「先週の訓練で、お前、左の前腕、刃で切っただろ。深かったぞ。あれ、もう塞がってる」
たしかに、訓練中の事故で、レオンは左の前腕を切っていた。深さ二センチほどの切り傷だった。その夜、レオンはリコの部屋に行って、祈りをかけてもらった。翌朝には、塞がっていた。
「自然治癒、早いほうだから」
「噓つけ。あれは、誰かが祈ってる」
ヴィルヘルムの目は、笑っていなかった。
観察する目だった。
「ヴィル」
「うん」
「俺の事情、訊かないでくれ」
「事情あるのか」
「ある」
「ふーん」
ヴィルヘルムは、それで引いた。
引いてから、軽く続けた。
「まあ、何にせよ、本隊じゃ、腕の傷の治りが速いやつは、貴重だ。誰の祈りだろうと、お前の利点だ」
「うん」
レオンは、頷いた。
頷きながら、ヴィルヘルムが、思ったよりも深く観察する男だと、知った。
知ったことを、レオンは、頭の中の棚に置いた。
リコが「観察を棚に置く」と言っていたのは、たぶん、こういう感じなのだろう。
最近、リコの口癖が、自分にも、移っていた。
* * *
夜、廃鉱跡の手前、街道脇の宿場で、小隊は野営した。
火を囲んで、夕食を取った後、レオンは、火から少し離れた、街道の脇の岩に腰を下ろした。
冬の夜風が、首筋に冷たかった。
遠くで、火を囲んだ仲間の笑い声が、聞こえていた。
レオンは、空を見ていた。
月が、出ていた。半月だった。
半月を見ると、リコが、こう言いそうだ、と思った。
「半月の光は、満月の光より、影が、はっきりする」とか、なんとか。
リコは、ふつうの景色を、いちいち、ふつうじゃない言葉に変える男だった。それを、隣で聞いているのが、レオンは好きだった。
好き、と、自分の頭の中で、言葉にした瞬間、レオンは止まった。
好き。
その言葉は、出発前の夜、リコの寝台で、自分が口にした言葉と、同じだった。
「俺、お前のこと、結構、好きみたいだわ」
あの時、レオンは、その言葉を、結構軽い気持ちで、口にしたつもりだった。
兄弟みたいに育った。同じ寝台で寝た。それくらいの関係性なら、好き、と言ってもおかしくない。
そう思って、口にした。
ただ、口にした後の、リコの反応が、レオンの想定と、少し違っていた。
リコは、笑わなかった。
冗談として、流さなかった。
寝台で、背中を、こちらに向けたまま、しばらく、何も言わなかった。
その沈黙が、レオンの頭の中に残っていた。
残っていることが、つまり、レオンも、その言葉を、軽く口にしたつもりではなかった、ということだった。
* * *
レオンは、岩の上で、片膝を抱えた。
自分の感情を、整理しようとした。
ふだん、こういうことは、しない。
レオンは、考えるより先に、動く男だった。動いた結果が、自分の本音だ、と、思っている。
でも、今、考えなければ、いけない気がした。
リコのことを、好きだ。
それは、たぶん、間違いない。
子供の頃から、そうだった。教会の隅で、リコが、いじめっ子に転がされていた時、自分が、止めに入った。誰に頼まれたわけでもない。ただ、リコを、転がしたままにしておくのが、嫌だった。
その「嫌だった」の中身が、何だったか。
ふつうの友情、だったかもしれない。
兄弟への、保護欲、だったかもしれない。
あるいは、それより、もう少し、別の何か、だったかもしれない。
別の何か、というのが、今、はっきりしてきていた。
貧民街で、リコを外套の中に隠した時。革鎧越しに、リコの心臓の鼓動が、伝わってきた。あの時、レオンは、リコの鼓動を、無意識に、自分の鼓動と、合わせようとしていた。
あれは、ふつうの保護欲では、説明がつかなかった。
入団試験で、リコに抱きついた時。汗だらけの自分を、リコが受け入れてくれた。あの時、レオンは、リコの肩に、自分の頭を預けた。預けながら、もう少し、長く、預けていたい、と、思った。
あれも、ふつうの保護欲では、説明がつかなかった。
遠征前夜、リコの寝台で、背中合わせで寝た時。リコの背中の温度を感じながら、レオンは、ずっと、リコの呼吸の音を聞いていた。聞きながら、リコの呼吸が、聞こえる距離に、ずっと、いたい、と、思った。
あれは、明確に、ふつうではなかった。
* * *
「レオン」
声がして、レオンは顔を上げた。
ヴィルヘルムが、火の方から、こちらに歩いてきていた。
「考え事か」
「うん」
「家のこと?」
「俺、家ねえって」
「ああ、そうだったな」
ヴィルヘルムは、レオンの隣の岩に腰を下ろした。
しばらく、二人で、月を見ていた。
「お前さ」
「ん」
「さっきの、誰の祈りだ、って訊いた話。答えなくていい」
「うん」
「ただ、その人は、お前にとって、大事な人なんだろ」
レオンは、月を見ていた。
見ながら、答えた。
「うん」
「いい関係なら、それでいい」
ヴィルヘルムは、それだけ言って、火の方に戻っていった。
残されたレオンは、月を見続けた。
いい関係。
ヴィルヘルムは、簡単に、そう言った。
簡単じゃないな、と、レオンは思った。
リコは、教会本部で、危ない場所に立っている。グリゴール猊下のことを、リコは警戒していた。リコの祈りは、教会の教義から外れている。教会から、追放される可能性が、あった。
追放されたら、リコは、どこに、行くのか。
村に、戻るのか。
戻れる場所が、村しかないなら、レオンも、村に、戻るかもしれない。
あるいは、別の場所に、二人で、行くかもしれない。
考えながら、レオンは、自分の決意を確認した。
リコが、危なくなったら、自分は、騎士団を捨てる。
遠征前夜、リコにそう言った時、レオンは本気だった。
今も、本気だった。
* * *
寝る前に、レオンは、自分の革袋から、小さな布の包みを取り出した。
包みを開くと、灰色の小石が出てきた。
ロレンツ先生が、出発の朝にくれた、お守りの石。
レオンは、毎晩、寝る前に、この石を、手のひらの中で握る習慣だった。
握ると、不思議と、気持ちが落ち着いた。
今日は、いつもより、長く握っていた。
石は、レオンの手のひらの中で、ゆっくりと温まっていった。
石を握りながら、レオンは、リコの部屋に、対の石が置いてあることを、思い出した。
リコも、たぶん、毎晩、握っているだろう。
二つの石が、別々の場所で、それぞれの手のひらの中で、温まっている。
その想像が、レオンの中で、何か、確かなものになっていった。
レオンは、石を布で包み直して、革袋に戻した。
戻してから、毛布の中に潜り込んだ。
毛布の中で、目を閉じた。
閉じたまま、レオンは、頭の中で決めた。
遠征から戻ったら、リコに、もう一度、言う。
「結構、好き」を、もう少し、はっきりした言葉に、する。
リコが、どう受け取るかは、わからない。
受け取り方は、リコの選択だ。
ただ、自分の側だけは、はっきりさせておく必要が、ある気がした。
リコの側が、もし、自分と同じなら、それは、それで、いい。
もし、違うなら、それも、それで、いい。
ただ、自分の側が、はっきりしていないと、リコの選択も、できない。
レオンは、毛布の中で、深く、息を吐いた。
火の音が、遠くで、聞こえていた。
仲間の話し声も、低く、聞こえていた。
その音を聞きながら、レオンは、いつの間にか、眠っていた。




