第99話 長谷川真昼、比叡山のボールを追放する
比叡山を包囲してどれくらい経っただろうか。
冷たい雨が私の心まで冷やしていく。
ここ最近、入ってくるのはバッドニュースばかりだ。
伊勢長島で一向一揆が蜂起し、一益さんと嘉隆さんが水軍で封じ込めようとしたけど、数万の門徒衆の勢いは津波みたいで防衛線を突破して尾張へ侵入。
小木江城を守っていた、信長様の弟の信興様が討ち死にした。
大津でも山崎吉家の陽動に引っかかった坂井政尚さんが、朝倉家の前波吉継に討ち取られてしまった。
「……そうか。彦七郎(信興)も右近(政尚)も逝ったか」
本陣の床几に腰掛けた信長様は、早馬の報告を聞いても表情一つ変えなかったけど、手にした金属バットのグリップがミシミシと音を立てて悲鳴を上げている。
さらに南近江では、野洲河原でボコボコにしたはずの六角承禎・義治親子が懲りずにゲリラ戦を仕掛けてきている。
こっちの対処は半兵衛君が予測していたおかげで、秀吉さんと長秀さんが迅速に対応して優位に進めている。
摂津は久秀さんと村重さんに、信盛さんが合流して持久戦の構え。
伊勢長島も一益さんと嘉隆さんが踏ん張っているけど、相手側に英霊ボールノビタがあって、嘉隆さんのボビーと一進一退の攻防を繰り広げているようだ。
ここ比叡山の膠着状態も限界に達している。
比叡山側は半兵衛君が提案した荘園保護も、信長様の「せめて宗教家として中立を保ってくれ」って懇願も完全無視。それどころか「敵対を続けるなら比叡山全土を無に帰す」って脅しすら嘲笑って、浅井・朝倉軍に手を貸したままだ。
本願寺側は比叡山に、宗教の盟主は比叡山とヨイショしておだてて頭に乗せている。
というのが半兵衛君の見解。
下間仲孝という本願寺の外交僧は、あとで破るって絶対わかる嘘を信じ込ませる能力に長けているようだった。
「……手詰まりですね」
半兵衛君が扇子で口元を隠す。
「敵の結束が固いのは、本願寺から派遣された下間仲孝という男が持っている、英霊ボール『アキヒロ』の力が大きいようです。彼が予祝と称して勝利を先祝いし、僧兵たちの士気を異常に高めていますから」
『予祝のう……。先に祝うことで現実を引き寄せるってやつか。アキヒロめ。あのアホンダラが』
「知ってるの? センイチ?」
『儂の教え子の1人よ。よく目の前に座らせて、奴の椅子を蹴ってたわ』
「……それ、教え子じゃなくね? 看守と囚人じゃね?」
ともあれ、そういう関係なら……ひょっとして。
「よし、決めた! 信長様、半兵衛君。ちょっとアキヒロを追い出してくる!」
「無謀ですが、真昼殿なら可能でしょう」
「……わかった。センイチ、真昼を頼んだぞ」
『応! 任せろ。この小娘なら比叡山の山頂から落としても死なんじゃろ』
なんか失礼なこと言ってない? センイチ?
***
夜の比叡山を、私は猛ダッシュで進んでいた。
根本中堂の裏手、護摩壇の火が燃える場所に目当てはいた。
煌びやかな法衣を纏った僧侶の下間仲孝と英霊ボールアキヒロ。
「信長死す、信長死す……。これぞ予祝。我らの勝利は約束された。……あかん優勝してまう!」
ブツブツと呪詛みたいに祝いの言葉を吐いている。
頭ツルツルなの、久秀さんじゃないけど、私も木魚の代わりにしたいと思っちゃうよ。
「はいストーップ! そのお祝い、キャンセルでお願いします!」
私は茂みから飛び出し、仲孝の前に立ちはだかった。
「なっ、何奴⁉ 女⁉」
「織田家野球部キャッチャー兼マネージャー、長谷川真昼! 悪いけどそのボール、没収させてもらうよ!」
私が手を伸ばすと、アキヒロボールが私の方を向いた。
『ゲッ! そのオラついた気配……まさか、センイチさん⁉』
アキヒロが悲鳴を上げる。
それに呼応して、私の懐からセンイチが飛び出した。
『おうアキヒロ! 久しぶりじゃのう! ドラゴンズからタイガースへトレードに出した時は泣いておったが、元気にしとるか!』
センイチを見て、私の思った通りにアキヒロボールがガタガタと震えだした。
『ひいいい! なんでここにいるんですか! 厳しい指導から逃れるためにトレード受け入れたのに、数年後に監督として追いかけてきて「また一緒だな」って言われた時の恐怖! あの胃痛が蘇るうううう!』
ボールがパニックになり、持ち主の仲孝も動揺して腰を抜かす。
「な、なんじゃ⁉ 儂はただの外交僧じゃ! 戦闘は専門外! なんでここに女魔王が……。ひ……ひいいいいいい!」
『逃げましょう仲孝さん! ここにいたら火炙り確定の未来が見えました! センイチさんは平然とやります! 魔王信長と女魔王真昼と同格のボール魔王です!』
アキヒロは仲孝と一緒に比叡山の急斜面を転がり落ちていく。
『待たんかい! トレード先で正捕手として使ってやったやろがい! ボール魔王とはどういう意味じゃおんどりゃああ!』
センイチが怒鳴るも、仲孝たちは土煙を上げて闇の彼方へと消えていった。
「……フッ、予想通り。センイチがトラウマになってたようだね」
お姉ちゃんが歩いてる姿を目にして、一目散に逃げる不良どもと同じ原理だ。
私の姿を見ても逃げたから、とりあえずボコボコにしたことあるけど、人間はトラウマを一生忘れられないもんなんだよね。
『納得いかん! 一緒に優勝したのに! アキヒロめ! 次にあったら火炙りじゃ生ぬるい、逆さ磔にしてくれるわ!』
あわよくばボール回収したかったけど、比叡山からいなくなったなら作戦成功。
てか、ボールに逆さってなんだよ。
私は肩の力を抜いて、帰ろうとするが……。
――ジャリ。
足音に振り返るとボロボロの鎧に、顔を覆うマスク姿の大男が目に入る。
……ここで再会するか。
「……朝比奈、泰朝」
三左さんを殺した男が無言で腰の刀を抜き、切っ先を私に向けた。
「長谷川真昼。……ボールの力も他者の力も借りぬ。決着をつけよう。俺と一騎討ちせよ」
泰朝の声は静かだった。
復讐の炎というよりは、何かを確かめるような響き。
「……一騎討ち? やるわけないじゃん」
私は即答した。
「一打席勝負なら、またやってあげてもいいけどさ」
「……世迷い言を。俺は森可成の仇だぞ。俺を殺したくはないのか」
私は唇を噛み締め、泰朝を睨みつける。
「私の役目は英霊ボールの回収。あんたとの私闘で時間を使ってる暇はないし、私は殺し合いをするつもりはない」
私は崖の方へと一歩下がった。
「ふざけるな。信長と共に戦乱を加速させている存在が何を抜かす。貴様がいなければ今川家は……!」
「……許せないなら、戦場で私を狙えばいい。私はこれからも信長様に協力し、信長様が敵を殺すのを止めもしない。……だってそれ以外、平和な世で野球ができるようにする方法がないから!」
私は地面を蹴り、比叡山の急峻な崖に向かってダイブした。
「とぉぉぉぉぉ!」
木々の枝をクッションにし、岩肌を蹴り、ムササビのように闇の中を滑空していく。
お父さんが、よくヘリからパラシュートなしで落とされた経験から、私もお姉ちゃんもこの技を伝授されていたのだ。
「……ハッ」
崖の上に残された泰朝は、呆気にとられた後、肩を揺らして笑った。
「ククッ……ハハハハハ! 化け物が。あんな崖を飛び降りるとはな。何を言うかと思えば……平和な世、か」
泰朝が刀を納めると、背後から山崎吉家と浅井長政が現れた。
「泰朝殿、どうした? 何かあったのか?」
「誰かいたのですか?」
2人の問いに、泰朝は夜空を見上げて答えた。
「いや……。ただの、通りすがりの化け物だ」
***
織田軍本陣に戻った私は、信長様と半兵衛君に報告をした。
「というわけで、アキヒロボールはセンイチへの恐怖で自主退場しました! これで比叡山には英霊ボールはいません! 残ってるのは長政さん所有のフミオと、山崎吉家所有のマツキにアリトウ、奪われたというナッシーだけです!」
「お手柄です真昼殿。精神的支柱を失った僧兵たちの結束は脆いでしょう」
半兵衛君が頷く。
でも、浅井・朝倉軍はまだ山に籠もったままだ。
そんな中、京の二条御所から光秀さんから書状が届く。
「……上様は、動かれませんか」
読んだ半兵衛が天を仰いだ。
比叡山に停戦命令を出してくれと頼んだのに、義昭様は首を縦に振らなかったらしい。
『余が命令して、もし山門が従わなかったらどうする? 将軍の権威が地に落ちるではないか! 九会曼荼羅の如く、全てが余を中心に回らねばならぬのだ!』
そんな義昭様に藤孝さんが諫言したそうなんだけど……。
『上様! 今の地位があるのは誰のおかげですか! 信長殿が戦っているからこそ、幕府があるのですぞ!』
『何を抜かすか藤孝! 信長なんぞ、余の配下の1人に過ぎん!』
と茶碗を投げたそうな。
信長様は、バットで地面をコツコツと叩いた。
「……義昭は動かんか。なら、より上を動かすまでよ」
「えっ? 将軍より上?」
私がキョトンとし、半兵衛君がハッと顔を上げる。
「信長様……まさか」
「そうだ半兵衛。帝だ。朝廷を動かし、勅命によって講和を結ばせる」
信長様の目がギラリと光った。




