第94話 長谷川真昼、昭和の親分の喝に震える
泥だらけになって織田軍本陣に帰還した私と秀吉さんに、張り詰めた空気が待っていた。
「ご苦労だったな。……で、成果はどうだ?」
信長様がジロリとこちらを見る。私は息を整えて報告した。
「やったよ! 鈴木孫一さんとの交渉成立!」
私が親指をビシッと立てると、外で待っていた孫一さん本人が現れる。
「ただし条件付き……この戦場に限っての期間限定同盟だがな!」
「でかした!」
信長様の声に、恒興さんや成政さんたちからも歓声が上がる。
最強の鉄砲集団・雑賀衆の一部でも味方につけたのは大きい。
……でも、私はすぐにその空気を凍らせなきゃいけない。
「ですが……信長様……報告があります。下間仲孝の働きにより、比叡山延暦寺が本願寺と同盟を結びました。」
秀吉さんが口にすると、幕舎の中が真空になったみたいに静まり返った。
半兵衛君も、やられたという顔をする。
「……水と油の両者が同盟しますか。本願寺側に相当な知恵者がいますね。下間仲孝……この借りはいずれ必ず……いえ、今はそれよりも」
半兵衛君が珍しく声を震わせ、地図上の宇佐山城を扇子で指し示した。
比叡山のすぐ南の位置だ。
「宇佐山城は京と岐阜を結ぶ唯一の補給線であり、退路です。問題は浅井・朝倉が比叡山延暦寺と合流すると、この宇佐山城を敵が取れば、織田軍が分断され、京も岐阜も敵に落ちることとなります」
「つまり……私たちの負けってこと?」
「はい。宇佐山が落ちれば……織田家は完全に詰みです」
さらに追い打ちをかけるように、ゴォォォォン……! と、深夜だというのに不気味な鐘の音が鳴り響いた。
外から泥だらけの伝令が血相を変えて飛び込んでくる。
「申し上げます! 石山本願寺の門が開き、本隊が本格的に出陣しました! 下間頼廉、その報を聞き、我らに総攻撃を仕掛ける模様!」
「深夜の闇討ち⁉ 挑発しても全然出てこなかったのに⁉」
『出おったか……頼廉。ポッポの親分を相棒に……!』
センイチが唾を飲み込む。喉なんてないのに。
ただでさえ比叡山のせいで退路が危ういのに、目の前から本願寺の本隊が押し寄せてくる。
河原で他校の不良たちと乱闘して逃げ場がないのに、別の他校の不良たちが私とお姉ちゃんを潰しに乱入してきた時のようだ。
……まあ、あの時は門限の19時に帰れなくなる心配だけだったけど。
本陣に流れる重苦しい空気を破ったのは、信長様の迷いのない一言だった。
「撤退だ」
信長様は椅子を蹴って立ち上がった。
「全軍、闇に紛れてここを脱出せよ、京へ戻る! 三左を死なせるわけにはいかん!」
「しかし信長様。敵の目の前での撤退は自殺行為です。本願寺本隊の勢い、誰かがしんがりを務めて敵を食い止めなければ全滅しますぞ」
松永久秀さんの言葉に、再び重い空気になる。
秀吉さんが口を開こうとするが、彼女を遮って3人の男が前に出た。
「クックック、それがしにお任せを。ここいらの地形は目を瞑っていてもわかります」
「せっかく信長様に摂津を任されたのです。この村重にお任せを」
「しゃあねえ。ここで死なれたら、俺の国友優待券がパーになる! それだけは御免だぜ!」
久秀さん、村重さん、孫一さんがしんがりを志願したのだ。
「わかった。任せよう」
信長様の即決にて撤退戦開始だ。
金ヶ崎に続いてまたも撤退戦。最近、こんなんばっかだよ!
なんて思いつつ篝火を消し、私たちは息を潜めて撤退を開始した。
でも数万の軍勢の移動だ。完全に隠し通せるわけがない。
『ぜっこうちょおおおおおおお!』
闇を切り裂くハイテンションな絶叫と共に、松明の群れが押し寄せてきた。
三好三人衆の軍勢の先頭を走るのは、英霊ボール『キヨシ』を掲げた斎藤龍興だ!
「逃げるか信長ァ! 絶好調の俺からは逃げられねえぜ! 今日という今日は年貢の納め時だヒャッハー!」
さらに龍興の背後から地鳴りのような重い足音と、空気を震わせるドス黒い怒号が轟いた。
『喝だッ! 喝! 逃げる奴らは全員鉄拳制裁じゃあ! 根性見せんかい、クソ坊主ども!』
馬に跨り、甲冑の上に法衣を纏った下間頼廉と、真横に浮遊する巨大な炎のように赤々と燃え盛る英霊ボール『ポッポ』のお出ましだ。
ポッポの喝の一声を聞いただけで、本願寺の門徒兵たちの目の色が変わり、死を恐れぬ狂戦士と化して怒涛の突撃を開始したのだ。
「仏敵信長に死を!」
狂信的な門徒兵たちが、火の点いた焙烙火矢を次々と投げつけてくる。
「うわあああ! なんなの、あの見た目ヤクザの方々! 爆弾とか危なっ!」
私が悲鳴を上げると、センイチが真っ赤に発光してポッポと対峙する。
『おうコラ! ポッポの親分! 喝の入れ方が古臭いんじゃ! 今時そんな精神論が通用するか!』
『なんやとセンイチ! 貴様もベンチ裏で鉄拳制裁しとったやろがい! どの口が言うとるんじゃボケェ!』
……ちょ、こんな絶体絶命の時に口喧嘩始めるなっての。これだから英霊ボールの連中は!
次々と飛んでくる焙烙火矢が、私たちの頭上に降り注ごうとしている。
このままじゃ丸焦げだ。私は金属バットを構え、大きく足を踏み込んだ。
「うるさい! 令和の時代に体罰と根性論はコンプライアンス違反だよ!」
私は全力のフルスイングで、飛んできた焙烙火矢を強烈なピッチャー返しで弾き飛ばしていく。
――カキィィィン!
「ヒャッハ……ぐふぁっ⁉」
『ぜっこ……ぶべっ⁉』
私の打ち返した爆弾が見事、龍興とキヨシにクリーンヒットし、ドカーン! と派手な爆発音を立てて敵の先頭を吹き飛ばした。
よし、ナイスバッティング!
「へっ、仕事の時間だ。……オニヘイ、いくぜ!」
その隙を見逃さず、村重さんが堤防を爆破して泥沼を作り出し、怒り狂って突進してきた門徒兵の足を絡め取る。
すかさず久秀さんが仕掛けていた巧妙な罠が発動し、敵の動きを完全に封じ込めた。
さらに孫一さんがオニヘイの冷徹な計算に基づいて愛用の火縄銃を次々と放ち、追撃兵を正確に撃ち抜いていく。
「今のうちに走れ! 信長! 国友の約定、守れよ! その後はまた、殺し合いだ!」
見事なしんがりを務める孫一さんの遠い声を耳にしながら、私たちは泥だらけの馬を飛ばした。
宇佐山城で待つ、三左さんの元へ急ぐために。




