第93話 長谷川真昼、孫一をバットで釣る
戦場は半兵衛君の作戦通りに進んでいた。
「ヒャーハハハハ! 沈め沈めぇ! 水も滴るいい死体になれやぁ!」
荒木村重が指揮する部隊は、海老江の堤防を爆破して海水を流し込み、三好三人衆の砦を泥沼に変えていた。
村重本人は返り血を浴びて、狂ったように笑っている。
……うん、確かに義も信もない戦いぶりだよ。
下間頼廉と対峙する戦線、松永久秀さんと池田恒興さんは敵陣の目の前に床几を並べ、優雅に野点を楽しんでいた。
「あー、良い天気ですな。恒興殿、茶が沸きましたぞ」
「結構なお点前で。……おや、敵将が何か喚いておりますな」
下間頼廉は『ポッポ』ボールを握りしめ、顔を真っ赤にしている。
「鉄砲の間合いまで来いや! 蜂の巣にしてくれる!」
『喝ッ! 喝だッ! 戦わんかい卑怯者ども! わしと勝負せんかい!』
「いやー、耳が遠くて聞こえませんなあ」
久秀さんが耳をほじると、頼廉は「ぬぐぐぐ!」と地団駄を踏むが、罠を警戒して一歩も動けない。
半兵衛君の読み通りだ。
斎藤龍興相手は又左さんと成政さんが、竹筒で作ったメガホンで汚いヤジを飛ばしている。
「やーい! 美濃を追い出された負け犬~! 龍興~!」
「『キヨシ』が泣いてるぞ! 絶好調じゃなくて絶不調なんじゃねーの⁉ バーカバーカ!」
砦の向こうから「お、おのれぇぇクソどもぉぉ!」という龍興の絶叫が聞こえてきた。
龍興も限界が近そうだ。
そんな戦線と別に、私と秀吉さんは葦が生い茂る湿地帯を、泥まみれになりながら匍匐前進していた。
「……ねえ秀吉さん、私の制服、泥だらけなんだけど。クリーニング代、経費で落ちるかな」
「真昼、静かに。……ここからは死域だ」
秀吉さんの声が鋭くなる。
前方の竹束と土塁で固められた一角。
そこは他の戦線とは違う、冷たく張り詰めた空気が漂っていた。
――ヒュンッ!
風を切る音と共に、私のすぐ横の葦が弾け飛んだ。
「おわっ⁉」
「真昼、動くな! 狙われてる!」
秀吉さんが私を庇うように覆いかぶさる。いい匂いがするけど、それどころじゃない!
私の懐でセンイチが熱く脈動した。
『ええい、じれったい! 乱闘じゃ! 儂を出せ! 相手の胸元に剛速球を投げ込んでやるわ!』
すると土塁の向こうから、低い声が響いてきた。
「……動くな。次は眉間を撃ち抜くぞ」
土塁から姿を見せたのは、無骨な鉄砲を構えた八咫烏の羽織を着た男。
側に鈍く光るオニヘイボールが浮かんでいる。
鈴木孫一だ。
オニヘイからは、独特の頑固オヤジのようなオーラが漂ってくる。
センイチが瞬間湯沸かし器なら、オニヘイは寡黙な殺し屋みたいだよ。
秀吉さんは泥だらけの顔を上げ、微笑んだ。
彼女の笑顔は戦場に咲いた一輪の花のように美しく、そして不敵だった。
「ご挨拶代わりの一発、痛み入ります。……鈴木孫一殿ですね? 本日は戦ではなく、商談に参りました」
「商談だと?」
孫一さんは銃口を下ろさず、冷ややかな目で私たちを見下ろす。
「面白い。信長と半兵衛は何を条件に出した? 交渉決裂は、あんたらの死、だぜ?」
ゴクリと、私は唾を飲み込んだ。
秀吉さんは懐から信長様の書状を取り出し、扇子のように広げて見せた。
西国切り取り自由に、国友優待券。
孫一さんの眉が、ピクリと動いた。
「我々の生死は貴殿の選択次第。……ですが、この条件を見ても、まだ引き金を引けますか?」
「えっと、信長様からバットもプレゼントです! どうぞ!」
「俺だけを引き抜こうってか? 面白い考えをするな」
バットを受け取りながら、孫一さんは呆れたように呟く。
頼むから、そのバットで殴りかかりながら鉄砲撃ってこないでよ。
「伊勢で言ったこと覚えてる? 味方となることもあるって言ってたよね? まだ何か条件あるなら聞くけど?」
ドギマギして訊ねると、孫一さんは鉄砲を引いた。
「……ぶっちゃけ言うぜ? この戦場では味方になってやってもいい。切り取り自由なんて非現実的なのはどうでもいいが、国友優待券は見事な報酬だ」
おおっ! マジで? こんなあっさり成功するなんて思ってなかったよ!
「この戦場では……ですか」
「そんな顔しなさんなって木下秀吉。雑賀の土地は信仰厚いのよ。俺より信仰が大事ってな! だが、味方のうちはとことん国友の権利を使用させて貰うぜ! 破産しても知らんからと信長と半兵衛に伝えな!」
おお! この人も食えない人だ。でも、義理信条+利があるって言葉の意味がピッタリだよ。
「えっと、敵になったら英霊ボールを奪う戦いするけど、その時は私も容赦しないよ!」
「いい女だなあ、真昼。ま、そん時を楽しみにするとするかね!」
よっし! とりあえず、期間限定鈴木孫一ゲットだぜ!
『今のうちに訊きたい。頼廉がポッポを持ってるなら、顕如が持ってるのはツルオカさんじゃな? ポッポ親分の上の大親分』
センイチの声が震える。……それだけ大物ってことか、ツルオカって。
『ああ、そうだ』
オニヘイ? 答えてくれたのはありがたいけど、もうちょっと喋ってよ。
『激戦の関西圏、どうやらツルオカさんが制したようじゃな。ツルオカさんに挑み、敗れた英霊ボールたちはどうなった?』
孫一さんの顔色が曇る。どうやら、何か知っているみたいだ。
「我々は今現在、信長様の下で背中を預ける友なのです。センイチ殿の問いに、答えてくれませんか?」
秀吉さんの言葉に、孫一さんは頭をポリポリ掻いて「しゃーねえ、秀吉さん、あんた口が上手いぜ」と言ってから告げる。
「オニヘイが言うには、タイガース系やブルーウェーブ系、バファローズ系がホークス系のツルオカに敗れ、マユミやフクラといったボールが本願寺顕如の所有になってる」
『タイガース系なら、この地にドンデンやアキヒロはおらんかったか?』
「……ああ。いたぜ。ツルオカとの抗争に敗れ、他領に脱出したボールは多い。ドンデンとやらは播磨に流れたって聞いている。アキヒロは降伏して、今は下間仲孝って男の手の中よ」
うーわ。英霊ボールの抗争ってなんだよ。戦国時代でなんで仁義なき戦いしてんだよ。
……私も人のこと言えないけどさ。
「下間仲孝……孫一殿の唇の動き。彼に何かあると想像しました。我ら織田軍を必敗に導く策を講しているのではありませんか?」
秀吉さんの鋭い洞察に、孫一さんは完全に白旗を上げた。
「すげえな、あんた。参ったね、唇の動きでそこまで読み取るとは。あ~、ま、いいや。教えてやる! そいつは本願寺と長年敵対している、比叡山延暦寺と同盟する交渉に向かっている。本願寺側が破格の条件だ。必中の同盟成立よ」
比叡山……延暦寺? 三左さんのいる宇佐山城の目と鼻の先……。
「真昼! すぐに信長様の元に戻るぞ!」
秀吉さんの悲鳴に近い声が、私の脳を揺さぶった。




