第132話 長谷川真昼、お市ちゃんの地雷を全力で踏み抜く
「急いで! 秀吉さん、秀長、信包様! 間に合わなくなっちゃう!」
私は金属バットを片手に、燃え盛る小谷城の奥深くへとひた走っていた。
煙が目に染みるし、あちこちで木材が崩れ落ちる音がする。
まるでアクション映画のクライマックスだけど、これは現実だ。
信包様の案内で手薄な裏道から本丸の奥御殿を目指し、私たちはついに襖の前に辿り着いた。
「お市様! 浅井の兵はもう……!」
秀吉さんが襖をバーンと蹴破る。
そこに広がっていたのは、狂気の沙汰としか思えない空間だった。
ツンとしたむせ返るような火薬の匂い。
部屋の隅に山積みにされた火薬樽の真ん中で、お市ちゃんは松明を片手に、春の陽だまりにいるかのような安らかな微笑みを浮かべていた。
足元で、茶々ちゃん、初ちゃん、江ちゃんの幼い三姉妹が「黒いお砂だー!」と無邪気に火薬で遊んでいる。
「……お市ちゃん」
私が息を呑むと、お市ちゃんは麓の方角へと静かに視線を向けた。
さっきまで響いていた、空気を震わせるような激しい金属音と、フミオボールの禍々しい気配が消えている。
「そう……長政様は逝ってしまったのね。立派でしたわ、私の美しい夫……」
お市ちゃんの美しい頬を、一筋の涙が流れた。
それは間違いなく、夫の死を悼む本物の涙だ。
でも悲哀の表情は一瞬で、ゾクッとするような恍惚の笑みへと変わったのだ。
「市様、もう十分です! 長政殿の最期の願いは、貴女と子供たちが生き延びることでした! どうか松明を下ろしてくだされ!」
秀吉さんが必死に説得するけど、お市ちゃんは聞く耳を持たない。
むしろ秀吉さんの顔を見て、うっとりと頬を染めた。
「まあ、帰蝶お姉様まで来てくれたの? 真昼だけじゃなく、お姉様とも一緒に心中できるなんて……私、戦国一の幸せ者ですわ♥」
言葉が通じない! 完全に自分の世界に入っちゃってるよ!
このままじゃ、導火線に火が点くのも時間の問題だ。
こうなったらアレで行くしかない!
私は一計を案じ、手にした金属バットを床にコロンと置いた。
そして両手を広げ、極上のスマイルを作って、お市ちゃんへゆっくりと近づいていく。
「お市ちゃん……わかったよ。最期なら、抱き合いながら行こ? 私が地獄へ付き合ってあげるから……おいで?」
感動的なBGMが流れそうな空気。
私が優しく抱きしめて、松明をこっそり奪い取る完璧な作戦――なんだけど、お市ちゃんは冷たい声でピシャリと言い放ってくる。
「……その手には乗らないわよ、真昼。どうせ抱きしめるフリをして、馬鹿力で私の首を締め落とす気でしょう?」
「ギクッ!」
私の足がピタッと止まり、目が盛大に泳いでしまう。
「真昼殿……図星なんですか?」
背後で信包様が呆れ顔でツッコんでくる。
おかしいなあ? 笑顔で近づいて相手の警戒解いて峰打ちの要領で気絶させるの、お母さん直伝の平和的解決方法なんだけど?
私とお姉ちゃんが何度気絶したことか……。
炎が徐々に部屋の外を包み始めている。
お市ちゃんが持つ松明の火の粉が、導火線に落ちるのも時間の問題だ。
「なんで死にたがるの! 織田家に帰ろうよ!」
私が叫ぶと、お市ちゃんは親の仇でも見るような形相で叫び返した。
「嫌よ! 織田家に戻っても、待っているのは毛むくじゃらで汗臭い、ゴツいおっさん武将どもが幅を利かしている地獄の空間じゃないの! あのお兄様よ、真昼に会わせようともしないに決まっている。あんなむさ苦しい場所に、私の居場所なんてない!」
……まさかのおっさん嫌悪!
たしかに織田家の重臣って、権六おじさまとか、信盛さんとか、ヒゲが立派でガタイのいいおじさんばっかりだけどさ!
「そんなことないよ! ねねちゃんも、まつちゃんも、旭ちゃんも、八重緑ちゃんも、みんなお市ちゃんを心配してる!」
私は大粒の涙をボロボロとこぼしながら、必死に訴えた。
「私たち『織田家女子マネ軍団』が、結託してお市ちゃんと三姉妹を全力で守るから! 平和になったら、一緒に長良川で水着で遊んだり、温泉入ってガールズトークしよ? ね、お市ちゃん!」
私の涙と真っ直ぐな言葉に、ついにお市ちゃんも「……温泉……ガールズトーク……」と心がグラッと揺らいだようだ。
火薬樽の上で遊んでいた茶々ちゃんたち三姉妹も、私と秀吉さんの顔をじーっと見て口を開いてくる。
「このお姉ちゃんたち、お顔がきれー……」
「お母様、この人たちについていきたい」
「バブー」
……ん? 女の子好きのDNAを遺憾なく発揮してぼーっと惚けているよ、この三姉妹。
まあいいや。それ系の問題はあとで考えるとして。
「茶々ちゃん! 初ちゃん! 江ちゃん! 一緒に岐阜へ行こうよ!」
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ!
私の渾身の説得に子供たちは母であるお市ちゃんへキラキラした目を向けていく。
よし、いける! このまま押し切る!
「ぐっ……真昼のくせに子供たちを籠絡するとは!」
「お市ちゃん、大丈夫だよ! たしかに信長様は、陣中で権六おじさまに『最近妻を亡くしたな、小谷が落ちたら後妻を持つ気はあるか?』なんて、城を見上げながら露骨に言ってたけど、権六おじさまも困惑してたしさ」
信長様的には、こんだけ暴れたお市ちゃんを他家に嫁がせるなんて、不可能だって考えたぐらいなんだろうけど。
流れ弾受けた権六おじさま。
なんで儂に罰ゲームが⁉ 信長様の下で一生懸命働いたのに、褒美が爆弾娘になりそうな件。
って冷や汗ダラダラかいてたっけ。
「ま、真昼……それは……」
秀吉さんが慌てる。
ん? ……あっ!
――ピキッ。
お市ちゃんの脳内で、何かが断裂する音がした。
(あの……髭もじゃの……丸太みたいな……権六の……後妻……?)
お市ちゃんの全身に、想像を絶する悪寒と鳥肌がブワァァァッと立ち上がるのが見えた。
この世の全ての絶望を煮詰めたような表情に変わっていく。
「ち、違うよお市ちゃん! 今のは信長様流のジョークだと思うから!」
そんな私の慌てた声なんて、もうお市ちゃんの耳に届かない。
「絶対に嫌ぁぁぁぁぁ! 死んでやるううううううううう!」
お市ちゃんは完全に狂乱し、手にしていた松明を導火線の束めがけて力いっぱい押し付けた。
「させないっ!」
私はチーターのような瞬発力で猛ダッシュした。
火が点くのと同時、私のお母さん仕込みの全力タックルが、お市ちゃんの鳩尾にクリーンヒット!
「ぐふっ!」
カエルが潰れたような声と共に、お市ちゃんの美しい身体が壁まで吹っ飛ばされる。
すかさず秀吉さんと信包様が駆け寄り、惚けている茶々ちゃんたち三姉妹を両脇に抱え上げた。
でも……。
「あはっ! これで終わりよ! 何もかも!」
壁際に崩れ落ちたお市ちゃんだったけど、薄れゆく意識の中で、火薬樽の導火線に火を点けてしまったのだ。
「嘘でしょ⁉ ここでバッドエンドなの⁉」
目を瞑り、お市ちゃんだけでも守れるように押し倒していく。
(ああ……幸せ。これで、真昼と一緒に……ドカン……あの世で長政様の脛毛を毟りましょ、真昼)
お市ちゃんは恍惚の笑みを浮かべたが、導火線の火は「シュウゥゥゥ……」と情けない音を立て――途中で消えた。
「な……なんで……爆発、しないの……?」
疑問に思うお市ちゃんの視界の端。
火薬樽の裏から「ウキー♪」という鳴き声と共に、一匹の猿がひょっこりと顔を出した。
羽柴秀長だ。
彼は私たちが正面から説得をしている隙に、導火線を全て切断し、火薬に水をぶちまけて無効化する工作を完了させていたのだ。
お市ちゃんの顔が歪む。
「おのれ、最期の最期で……猿、ごときに……」
お市ちゃんは無念そうに呟き、ガクッと首を垂れて完全に気絶した。
「秀長、よくやった! だが急げ! ここは防いだが、他の場所の火元は消せていない! 城が崩れるぞ!」
「お早く! 三姉妹は我らが運ぶ!」
秀吉さんと信包様の鋭い声に、我に返る。
ゴゴゴゴゴ……と城の柱が焼け落ちる音が近づいてきていた。
「よっと!」
私は気絶したお市ちゃんを米俵のように肩に担ぎ上げた。
「お邪魔しましたぁ!」
そして私たちは崩れ落ちる小谷城から、猛スピードで脱出を図る。
炎と轟音に包まれる城を背に、間一髪で城外に飛び出ていった。




