第127話 長谷川真昼、刀根坂で激戦する
斎藤龍興の死に感傷に浸る間もなく、前方の空気がさらに重く、冷たく凍てつき、織田軍の進軍を阻んでいるのが視界に入る。
刀根坂の頂上付近に、山崎吉家が残存兵を率いて死の防衛線を構築していたのだ。
「……来たか、信長」
吉家の周囲には、3つの英霊ボールが浮遊している。
猛虎の如き突撃を指揮する『マツキ』。
冷徹な遅延工作でこちらの足並みを乱す『アリトウ』。
そして――三左さんから奪った、哀しき猛牛の魂『ナッシー』だ。
3つの力が混ざり合い、泥濘の坂道は完全な要塞と化していた。
織田の先陣が足を取られ、『アリトウ』の理不尽な妨害判定に動きを止められたところを、『マツキ』の号令で朝倉兵が捨て身の反撃に出る。
そして『ナッシー』の鉄壁のリードが、こちらの決定打をことごとく防いでいた。
「ぐっ、死んでまで守る価値が朝倉にあるのか!」
又左さんが突撃するも、逆に防戦一方になっている。
「価値を決めるのは織田じゃない。劣勢だから易易と朝倉が降伏すると思うてか! 自惚れるな! 勝敗と生死は関係ない!」
吉家の咆哮が、朝倉の兵たちをさらに強くする。
「上等だ! 覚悟を決めたてめえらみてえのを倒すのが、俺たちの役目だ!」
成政さんも極限まで気合いを込めて叫び返し、殴り込むも、吉家の陣に弾き返されていく。
吉家はただ守っているだけじゃない。
こちらの焦りも、足場の悪さも、兵の疲労も、全部読まれている。
あの人は負け戦の中でさえ、まだ勝つために抗っているんだ。
……でも、終わらせないと。
「三左さんのナッシーを……返して!」
私は叫び、バットを構えて最前線へと飛び出した。
センイチも真っ赤に燃え上がりながら飛び出す。
『おうコラァ! マツキさん! 先輩風吹かせてマウンドを荒らすのはそこまでじゃ!』
センイチの怒号が、刀根坂に轟く。
『なんの! 試合は最後まで分からんぞ! 奇跡に賭けるのが儂らの仕事よ!』
『アリトウ! アホンダラ! 同期の誼じゃ、とっとと降伏せい』
『何が同期の誼じゃ! 儂からヒロミツ奪いおってからに!』
『ウシジマあげたじゃろうが!』
『儂の意思じゃないわ、ボケ!』
マツキとアリトウが抗うが、今日のセンイチは限界を超えていた。
三左さんの無念、奪われたナッシーの涙。
それらを背負った闘将の気迫は、どんな理不尽な判定も、猛虎の突撃も、全てをねじ伏せる力を持っていた。
『小娘! 真ん中ストレートじゃ! アホみたいに儂をフルスイングせい!』
「了解!」
私は全身のバネを使い、泥を蹴り上げ、自らトスしたセンイチを全力でバットを振り抜いた。
炎を纏ったセンイチの一撃が、吉家の展開する防御陣のど真ん中を打ち砕く!
ガァァァァンッ!
衝撃波が雨雲を吹き飛ばし、吉家の陣形が完全に崩壊した。
吉家は吹き飛ばされ、手元から3つのボールがこぼれ落ちる。
すかさず、又左さんと成政さんが残る朝倉兵たちを薙ぎ倒していく。
『……ここまでか。吉家……朝倉を変えられなくてすまん。貴様はようやった。私財を投じる滅私奉公に、朝倉を本気で愛していたのが伝わったぞ』
『……試合終了か。悔いがないかと言えば嘘になるが、やりきったわ。川崎のみんな……すまぬ、仇は取れそうにない。ああ、この感覚、思い出す。頼むレロン……頼むヒロミツ……オリオンズを出て行かないでくれ……!』
マツキとアリトウは光を失い、泥の中で眠りについた。
そして、『ナッシー』がふわりと浮かび上がり、私の手の中へと飛び込んできた。
ボールから、まるで涙のような温かい雫が伝わってくる。
『……すまんな。三左を……守れんかった……』
「ううん。三左さんも、きっと許してくれるよ」
私はナッシーをしっかりと抱きしめた。
崩れ落ちた吉家の前に信長様がゆっくりと馬を進め、血まみれの吉家を見下ろす。
「……見事な手腕だった。山崎吉家、朝倉宗滴の直弟子と聞く」
信長様の声は、意外なほど落ち着いていた。
「俺の軍門に降れ。忠誠を誓うなら、越前一国を貴様に任せてもよいが、如何に?」
それは実質的な朝倉家からのヘッドハンティング。
破格のFA条件。
でも、吉家は血に塗れた顔を上げ、高笑いしだす。
「フフフ、はーっはっは……断る!」
吉家の声は、雨音に負けないほど力強かった。
「俺は名門・朝倉の宿老だ! たとえ主が暗愚だろうと、主と最後までグラウンドに立ち、共に沈むのが俺の道だ! 織田信長、地獄で宗滴様と共に待っているぞ!」
言い放つと同時、吉家は自らの腹に刃を突き立て、見事な自害を遂げた。
信長様は無言で、吉家の最期を見届けた。
「……止める間もなかった。山崎吉家、どうしてそこまであっさり命を……」
「……」
愕然とする私へ、信長様が何かを言おうとしていたけど、そこへ捕虜になった敵の武将が現れる。
朝倉の重臣、印牧弥六左衛門。
全身傷だらけで、縄で縛られている。
信長様が作った朝倉家でこいつは欲しい武将リストに、吉家とともに名前が書かれていた人物だ。
信長様、出陣前に目を輝かせ、ウキウキしながら書いてたんだよね。
「貴様もなかなかの人物と聞く。忠誠を誓えば助命してやるが?」
信長様が声をかけると、印牧はフンと鼻を鳴らした。
「吉家殿が死を選んだのに、儂が生き恥をさらすと思うてか! 朝倉家への忠義、ここで見せるわ!」
彼は縛られた縄を自力で引きちぎると、見張りの刀を奪い取り、一切の躊躇なく腹を十文字に掻き切ってしまった。
「おおおっ……!」
周囲の織田兵から感嘆の声が漏れる。
「龍興といい吉家といい、こやつといい、頑固者どもが」
嘆息する信長様だけど、声色から敬意が感じられた。
私の横で、太田牛一さんが目を血走らせながら筆を振るっている。
「『あっぱれな最期なり! 敵ながら見事!』……くぅ〜っ、たまりませんな真昼様! これぞ武士の散り際! 真昼様が常日頃言う、最高のエモさというやつですな!」
「いや、全然使い方違うから……」
私は牛一さんにツッコみながらも、誇り高き敗者たちに黙祷を捧げていった。
***
夜が明け、敦賀まで約11里に及んだ苛烈な追撃戦が終わった。
半兵衛君が、感情を交えずに戦果を読み上げる。
「朝倉方、朝倉景行、河合吉統、朝倉道景など、朝倉家を支える重臣・一門のほとんどがこの刀根坂周辺で全滅しました」
疋田、賎ヶ岳など、周辺10ヶ所以上の朝倉方の城砦も、ドミノ倒しのように次々と陥落した。
朝倉軍は、事実上の完全崩壊を迎えたのだ。
泥と血に塗れたバットを肩に担いだ信長様が、冷徹な視線を北――越前の国境へと向ける。
「朝倉義景は忠臣たちを見捨て、越前の一乗谷へ逃げ込んだ」
信長様がバットを空高く突き上げる。
「もはや奴を守る壁は一枚もない。全軍、このまま越前へなだれ込むぞ! 一乗谷を焼き尽くし、義景の息の根を止めよ!」
「「「おおおおおっ!」」」
織田軍の勝鬨が、越前の空を震わせていく。
私は手の中にある『ナッシー』と『キヨシ』、そして眠りについた『マツキ』と『アリトウ』の温もりを感じながら、北の空を見上げた。
お市ちゃんと長政さんの待つ小谷城へ戻る前に、まずは朝倉家という長い歴史に幕を引かなければならない。
私はバットを握り直し、信長様の背中を追って、泥だらけの道を歩き出した。




