第126話 長谷川真昼、斎藤龍興の最期に落涙する
深夜から降り続く冷たい雨は、夜が明けても一向に止む気配がなかった。
北近江から越前へと抜ける要衝・刀根坂は言葉を失うほどの地獄絵図と化していた。
「ひぃぃぃっ! 助けてくれぇ!」
「押すな! 落ちるぞ!」
「うわああああぁぁぁ!」
泥濘と化した急斜面の山道で、逃げ惑う朝倉兵たちが次々と足を滑らせ、谷底へと転落していく。
総大将・朝倉義景が我先にと逃亡したことで、2万の軍勢は完全にパニック状態に陥っていたのだ。
指揮系統は崩壊し、誰もが己の命だけを惜しんで北へ北へと雪崩を打っている。
信長様を先頭にした織田軍が、後ろから容赦のない追撃をかけていた。
金属バットが振り下ろされるたびに、血飛沫が雨に混ざって泥へと吸い込まれていく。
「フヒヒ……すばらしい。これぞ乱世の真実……」
私のすぐ斜め後ろで、狂ったように筆を走らせている男がいた。
信長様の親衛隊兼、公式ストーカー……もとい記録係の太田牛一さんだ。
「ちょっと牛一さん、危ないよ! 前見て走って!」
「なんのなんの、我が眼球は信長様の御姿と、この戦場の有様を克明に捉えておりますぞ!」
牛一さんはブツブツと、今書き記している文章を読み上げ始めた。
「義景が馬に乗れば、右往左往に騒ぎ、下人は主を捨て、子は親を捨て、我先にと逃げ出した。この間雨の降る道なり。坂は足も立たず、谷は泥にて冑の毛も見えず……うむ、名文だ」
「リアルタイム実況やめて、生々しすぎるから!」
私のツッコミも意に介さず、牛一さんの筆は止まらない。
「泥に塗れて足萎え、友具足に貫き、蜘蛛の子を散るが如く退きけり。……軍の習、勝に乗る時は鼠も虎となり、利を失う時は虎も鼠となる物なれば、草木の陰も恐ろしく、しどろもどろに退きけり……と」
「もう好きにして……」
私はため息をつきながら、再び前を向いた。
すると泥まみれの街道の先で、一際目立つ青い光が道を塞ぐように立ち塞がっているのが見える。
「ぜっこうちょおおおおおおおおっ!」
雨音を切り裂く、あのハイテンションな絶叫。
英霊ボール『キヨシ』の眩いオーラを全身から放ち、槍を構えている斎藤龍興だ。
味方が逃げ惑う中、彼は縦横無尽に織田の軍勢に向かって槍を向けている。
「ヒャーッハッハ! 逃げる背中を突くのは趣味じゃねえだろ、織田の連中! 絶好調の俺が相手になってやるぜ!」
凄い。彼の周りだけが織田の負け戦かのように、バタバタとこっちの味方が倒れていく。
私が行くしかない。英霊ボールキヨシを回収するためにも。
そう思った私の前に、スッと進み出た影があった。
羽柴秀吉さんだ。
後方に秀長や、かつて美濃で龍興を見限り織田に寝返った、西美濃三人衆の稲葉良通さんが見守っている。
「真昼……私に任せてくれたまえ」
「無理しないでね、秀吉さん」
私の心配に、秀吉さんは振り返らず「ああ」と答え、龍興に視線を向ける。
「……龍興、美濃の旧主よ、そこをお退きなさい。貴方の戦いはもう終わっている」
秀吉さんがバットを構えていく。
龍興は秀吉さんの顔をじっと見つめ、狂気を孕んだ笑みを引っ込めた。
憑き物が落ちたような、どこか懐かしむような瞳。
「……あんたのその顔、やっぱり親父に似てるな。俺は親父が嫌いだった。爺さんも、あんたも、美濃にいた頃の全ても!」
龍興は斎藤道三の孫であり、義龍の息子。
秀吉さんの正体は義龍の妹の帰蝶様で、龍興にとっては叔母。
美濃を追われた龍興はずっと織田家に抵抗を続け、伊勢の阿坂では秀吉さんを重傷にし、長島では氏家直元さんを射殺した。
宿命の2人が刀根坂で交差する。
「嫌いだった……か」
「ああ、だがな美濃を追われ、俺の人生は変わった。ハハハ……暗転したって思うだろ?」
「……いや、楽しそうだと思っていた」
「その通りよ! 戦いに次ぐ戦い! 稲葉山にいた頃では味わえなかった最高の絶好調が続いたぜ! キヨシのおかげでな!」
『ぐっ……龍興……』
涙ぐむキヨシの青い光と共に龍興は豪槍を突き出す。
「さあ、決着の時だ」
「ああ、いざ尋常に勝負」
対する秀吉さんは、しなやかな機動力で龍興の槍をフワリと躱し、鋭いスイングでカウンターを放つ。
「おおおおおっ!」
「はぁっ!」
数合の打ち合いが続いたのも束の間。
キヨシボールの明るすぎる光が、雨の中で一瞬だけ強く瞬き――。
ゴツンッ。
秀吉さんのバットが、龍興の兜を正確に打ち砕いた。
龍興の身体がグラリと揺れ、泥の中へと膝をつく。
『楽しかったぜ……龍興。あの世へ逝っても絶好調を……忘れるんじゃ……ねえぞ』
キヨシの光が、スゥッと消えていった。
「……見事だ、叔母上。阿坂城での戦いと逆になったな」
龍興は血を吐きながら、うわ言のように呟く。
顔に後悔の色はない。ただ、全てを出し切ったような、清々しい表情だった。
「……なんで、降伏しなかったの? 帰蝶さんの甥なんだから、降伏してれば信長様も喜んだと思うよ……」
私の最後の問いに、龍興は血で溢れている口の中なのに、笑った。
「バーカ。道三や義龍が降伏するかよ? 俺は……そいつらの……孫で……息子……」
龍興の言葉は、そこで途切れた。
秀吉さんは無言のまま頷き、目を閉じる。
秀長は涙を流すも決して拭かず、瞳を大きく見開いていた。
稲葉良通さんも、兜を脱いでかつての主君の最期に深く頭を下げている。
『キヨシ……儂にはわかっていたぞ。燻っていた奴を導いて輝かせたい気持ちをな。ベイスターズを率いていた頃の熱量を感じ取っていたぞ。……龍興ともどもゆっくり休め』
センイチの涙声が聞こえる中、私は泥の中に転がって眠りについたキヨシボールをそっと回収した。
「……お疲れ様、斎藤龍興さん。キヨシさん」
そう呟いた私の頬に、雨が滴り落ちていった。




