第125話 長谷川真昼、深夜のガンダッシュに巻き込まれる
北近江、余呉・木ノ本付近に布陣した朝倉軍の本陣は降りしきる冷たい雨よりも重く、冷え切った空気に包まれていた。
山崎吉家の顔は、過労と絶望で土気色に染まっている。
「……阿閉貞征殿が、織田方に内応しただと?」
もたらされた凶報は、浅井・朝倉連合軍にとって致命傷だった。
浅井家の重臣であり、小谷城の西の要衝・山本山城を守る阿閉貞征が寝返ったことで、浅井の防衛線は完全に瓦解したのだ。
吉家の懐で、どす黒い黄色のオーラを放つ英霊ボール『マツキ』が嘆息した。
『……完全にチームが崩壊したな。味方のエラーから連鎖する典型的な負けパターンだ。この試合、もう立て直せん』
冷徹な青い光を放つ『アリトウ』も続く。
『この内応で浅井軍の人数不足は決定的。もはや試合は成立していない。……天運は完全に織田に味方しているな』
森三左衛門可成から奪った『ナッシー』は無言で哀愁を漂わせている。
英霊ボールたちの悲観的な言葉を裏付けるように、さらなる凶報が本陣を駆け抜けた。
織田軍が朝倉の先鋒隊、小谷山の山頂にある大嶽山砦、さらには丁野山砦を猛攻し、あっさりと占領したというのだ。
「ひいいいっ! 織田の化け物どもが来るぞ!」
「もうおしまいだ! 皆殺しにされるぅ!」
深夜の朝倉陣地に、陥落した砦から逃げ延びてきた敗走兵たちが泥だらけで駆け込んでくる。
彼らは口々に恐怖を撒き散らし、陣中は一瞬にしてパニックに陥った。
吉家はハッとして、雨の降る南の空を睨みつけた。
(これほど容易く、敗走兵が本陣まで辿り着けるはずがない。……わざと逃がしたのだ! 恐怖という疫病を我らの陣に蔓延させるための、信長の罠だ!)
吉家が信長の恐るべき策に気付いた時、当主・朝倉義景はすでに怯えきっていた。
雅な生活を好むこの男に、戦場の心理戦を耐え抜く精神力はない。
「ええい! ここにいては皆殺しにされるわ! 退却じゃ! 今すぐ越前へ引き返すぞ!」
義景の絶叫に、吉家は血相を変えて馬の前に立ちはだかった。
「お屋形様、お待ちくだされ! 今、この深夜に背を向ければ、織田の猛追撃を受けます! これは信長の誘いです! ここは踏みとどまり、陣形を整えてから……!」
「やかましい! わしは帰る! どけ!」
義景は忠臣である吉家を無情にも突き飛ばし、我先にと北へ向かって逃走を開始してしまった。
総大将の逃亡は軍隊にとって死を意味する。
指揮系統を失った2万の朝倉軍は、我先にと北へ向かって雪崩を打って逃げ出していく。
泥の中に座り込んだ吉家は、マツキたち英霊ボールを泥だらけの手で強く握りしめた。
「……ここまでか」
名門・朝倉家の滅亡が、吉家の目にはっきりと見えた。
『運命とは、かくも残酷なことか。浅井の裏切りさえなければ、朝倉の家名が織田家で存続したものを』
かつて金ヶ崎で朝倉景恒が吐き捨てた言葉が脳裏に蘇る。
『吉家。貴殿は宗滴様と重ならん』
その通りだったさ、景恒。俺は宗滴様になれなんだ。
「ならばせめて、この山崎吉家……朝倉のしんがりとして、信長に一矢報いるのみ!」
吉家は立ち上がり、残された僅かな手勢と共に、絶望的な防衛戦の準備を始めた。
***
信長様は事前に朝倉の撤退を完全に読み切っていた。
佐久間信盛さん、柴田勝家さん、滝川一益さん、羽柴秀吉さん、丹羽長秀さんら、主だった部将たちには「敵が動いたら即座に追撃せよ」とサインを出していたのだ。
しかし深夜という時間帯、降りしきる雨、さらに「本当に2万の大軍が夜中に退却するのか?」という思いからか、織田軍の初動は致命的に遅れていた。
本陣の陣幕の中で、信長様がギリリと歯を食いしばる。
「……あいつら、エンドランのサインを見落としやがったな!」
ドガァァァァン!
信長様が愛用の金属バットを振り下ろし、陣幕の柱を叩き割った。
ブチギレだよ、全くもう。みんな信長様みたいな集中力続くわけないのに。
久太郎君や鶴千代君がササッと次の柱を用意するけど、いやいや、それ以外にやることあるでしょ?
センイチも真っ赤に発光して怒り狂っている。
『馬鹿者どもが! 絶好のチャンスでスタートを切らん奴は全員二軍落ちじゃあ! 儂が直接マウンドに行って殴ってやる!』
苛立ちが限界に達した信長様は陣幕を蹴り開けると、愛馬に飛び乗り、自らバットを掲げて単独で追撃を開始してしまったのだ。
「ちょ、ちょっと信長様⁉ また総大将が先頭走るの⁉」
私も慌てて馬に飛び乗って追いかける。
隣では半兵衛君が、『モリミチ』をため息交じりに指先で回しながら並走してきた。
「やれやれ……。諸将のサイン無視は重罪ですが、監督が自ら代打に出るのもどうかと思いますよ」
「半兵衛君、冷静に解説してないで止めてよ!」
「致し方ありません。我ら近習部隊で朝倉軍と戦いましょう」
久太郎君? さすがに信長様本陣にいる数十人だけで2万と戦うのは無理じゃね?
「レギュラーになる好機です。逃す手はありません」
鶴千代君? レギュラーになる前に死んじゃうでしょ、これ。
「バーカ、俺たち母衣衆を舐めんなよ!」
「レギュラーは渡さねえし、手柄も独り占めじゃああああ!」
又左さん、成政さんも、親衛隊ならまず信長様を止めようよ!
もう一人、親衛隊兼記録係の牛一さんも目を興奮で血走っていた。
「信長様は諸将にブチギレ、深夜にガンダッシュ……と。ふう、今回もまた信長様の魅力溢れた信長公記が書けそうです!」
「牛一さん! 筆を走らせてないで馬を走らせて!」
そんなツッコみ入れつつ深夜のガンダッシュ。
泥水を跳ね上げながら、私たちは闇の中を北へ向かって疾走した。
***
私たちが地蔵山という場所に差し掛かった時、後方から凄まじい足音が迫ってきた。
慌てふためいた秀吉さんや信盛さんや勝家さんら諸将が、息を切らしてようやく追いついてきたのだ。
「も、申し訳ありませぬ信長様! 敵の動きを見誤り……!」
「お許しくだされ!」
平伏し、泥に額を擦り付ける諸将に対し、信長様は氷のように冷酷な視線を下ろした。
「……怠慢プレーだな。この戦が終わったら、全員減封を覚悟しておけ。特に右衛門尉(信盛)、貴様の動きが一番鈍かったぞ」
「ヒッ……!」
名指しされた信盛さんが、真っ青になって震え上がる。
織田家筆頭家老に対する容赦のない公開ダメ出しに、全軍が引き締まった。
絶対わざと信盛さん名指ししたでしょ信長様。
この緊張感生み出すために。
「皆々様、これからの働きで取り戻すように」
半兵衛君がそっと囁くけど、それってとりなしというかプレッシャー与えてね?
そこへ前線に放っていた一益さんの配下の忍びが、音もなく報告しに現れた。
「申し上げます! 朝倉軍は恐慌状態に陥り、中野河内口と刀根山口の二手に分かれて敗走しております!」
「二手に⁉」
「義景はどっちへ⁉」
「どっちを追いますか、信長様!」
焦る諸将に対し、信長様は1秒の迷いもなく決断を下す。
「中野河内口は捨て置け! 疋田・敦賀方面には我らの息のかかった城がある。義景の本隊は、必ず安全な刀根山口を通る! そこを突け!」
信長様の圧倒的な状況判断と即断即決に、諸将の迷いが消える。
織田軍の巨大な歯車が再び噛み合った瞬間だった。
「全軍、刀根坂へ向かえ! 朝倉とのラストゲームだ!」
「「「おおおおおおおッ!」」」
信長様の号令のもと、織田軍の怒涛の追撃戦が始まった。
私は手綱を強く握り締めながら、雨と闇に沈む前方を見つめる。
ついにこの時が来た。
三左さんからナッシーを奪った山崎吉家との決着。
血で血を洗う追撃戦の舞台、刀根坂へと、私たちは雪崩れ込んでいった。




