第124話 長谷川真昼、浅井・朝倉最終決戦に向かう
北近江の虎御前山にある織田軍本陣から見えるのは、浅井長政さんが籠城する小谷城。
琵琶湖に私たちが造った超巨大戦艦が不気味な影を落とし、完全な海上封鎖を行っている。
「……動きませんね、長政殿」
秀吉さんが小谷城を見つめながら囁いた。
上座で金属バットの手入れをしている信長様は、ニヤリと笑って答える。
「動けんのさ。四方を塞がれ、補給もない。長政に残された道は、越前の腰抜けが救援に来るのを待つことだけだ」
信長様の視線が越前へ向く。
私は小谷城を見つめた。
長政さんとお市ちゃんがいる場所を。
友人であり、仲間だった2人が修羅となって私たちを待ち受けている。
「……ねえセンイチ。本当に戦わなきゃダメなのかな。これだけ囲めば、降伏してくれるんじゃない?」
私の問いかけにセンイチが赤く明滅し、厳しい声で諭してきた。
『甘いぞ小娘。長政もお市も、もう後には引けんのじゃ。ここで情けをかければ、逆転サヨナラホームランを打たれるのは儂らの方じゃぞ』
「……そうだよね」
私はギュッと拳を握りしめた。
嵐の前の静けさ。でも、この静寂は長くは続かない。
北の空が、どす黒く淀み始めていた。
***
京の都にも劣らぬ雅な文化を誇る、越前国の一乗谷城の軍議の間は、カビの生えたような停滞した空気が漂っていた。
軍議には当主・朝倉義景と、宿老の山崎吉家、そして客将の斎藤龍興らが集まっていた。
義景の手には、浅井長政からの悲痛な援軍要請の書状が握られている。
「……長政殿が『今こそ朝倉の力が必要だ』と申しておる。信長は小谷を包囲し、浅井家は風前の灯火……」
義景はため息をついた。
「どうする? 吉家」
問われた山崎吉家は、苦渋に満ちた表情で進言する。
「お屋形様。……捨てましょう」
「なに?」
「織田の狙いは明白。我らを堅固な越前から引きずり出し、得意の野戦に持ち込むことです。今行けば、思う壺でございます」
吉家は地図を指し示した。
「ここは動きませぬよう具申します。数ヶ月持ちこたえれば雪の季節が参るのです。雪が峠を閉ざせば、織田軍は撤退せざるを得ません。……ここは一乗谷で守備を固め、時を待つのです」
吉家の傍で、英霊ボール『マツキ』が同意するように明滅する。
『その通り。アウェーのスタジアムで、勢いに乗ってる相手とまともにやり合う必要はない。今は我慢の時』
それを聞いた義景は、顔を真っ赤にして扇子を叩きつけた。
「ならん! ここで浅井を見捨てれば、名門朝倉家は天下の笑いものになるではないか! 『朝倉は友を見捨てる腰抜け』と後ろ指を指されるのは御免だ!」
「ですがお屋形様! 体面で戦はできませぬ!」
吉家が食い下がるが、そこに不気味な笑い声が割り込んだ。
「ヒャーッハッハ! 景気の悪い話だなぁ、吉家殿!」
青白く発光しながら叫んだのは斎藤龍興。
手にした英霊ボール『キヨシ』が、バチバチと火花を散らしている。
「逃げ隠れしてちゃ、俺の槍が錆びちまうぜ! 信長が来てるんだろ? なら最高の舞台じゃねえか! 絶好調な俺様が先陣を切ってやるよ!」
「おお、龍興殿! その意気や良し!」
義景が龍興の根拠のないポジティブさに目を輝かせていると、さらに前波吉継が具申する。
「吉家様の案ですと時間稼ぎにしかなりませぬ。浅井が滅べば、もはや頼るべき盟友もいなくなりまする。ここは浅井を助けるのが唯一の生き延びる道です」
「その通りじゃ吉継! 儂もそう言いたかったのじゃ!」
義景は立ち上がり、決意を固めた表情をする。
「吉家、聞いたか! 龍興殿と吉継を見習え! 出陣じゃ! 全軍を率いて小谷へ向かい、織田軍を追い払うぞ! 我らが行けば小谷から浅井が打って出る。そこで挟み撃ちよ! 金ヶ崎の失態を今度こそ取り戻すぞ!」
吉家は絶句した。
(金ヶ崎とは状況が違う。浅井に出撃する余裕などあるものか。そもそも、信長の狙いは……)
主君に反論せず、吉家も立ち上がった。
一乗谷の城下に、出陣を告げる法螺貝の音が響き渡る。
……しかし。
刻限が過ぎても、大手門前に集まった兵はまばら。
「……おい、どうなっている! 魚住景固殿は! 朝倉景鏡様は!」
馬上の吉家が怒鳴ると、伝令が青ざめた顔で報告に来た。
「は、はい……魚住様は『腹痛のため出陣できぬ』と。景鏡様は『具足の紐が切れたため吉凶が悪く、自宅謹慎する』と……」
「な、なんだと……⁉」
吉家は絶句した。
腹痛? 具足の紐?
そんな子供の言い訳のような理由で、重臣たちが出陣を拒否している。
これはただの欠席ではない。朝倉義景という当主に対する、無言の弾劾だ。
「……終わった」
吉家は天を仰いだ。
マツキが悲しげに点滅する。
『終わったな……チーム崩壊だ。監督と選手の信頼関係がゼロだ。これじゃ試合にならん』
アリトウも冷徹に告げる。
『試合放棄に等しい。審判に抗議する以前の問題だ。……我々は負けるためにマウンドに上がるのか?』
森三左衛門可成から奪った英霊ボール『ナッシー』も、哀愁を帯びていた。
英霊たちの嘆きが、吉家の胸を締め付ける。
「なぜだ……なぜ今動こうとする⁉ 信長包囲網が完成し、勝てる時に動かず、なぜ味方の士気が最低で、負ける時に動くのだ、お屋形様!」
吉家は歯ぎしりし、拳から血が滲むほど手綱を握りしめた。
けれども、彼は朝倉家の宿老。
逃げるわけにはいかない。
「……天運は尽きたか。……いや、信長の首を獲るまでよ! 行くぞ、マツキ、アリトウ、ナッシー!」
吉家は死を決した覚悟で、集まった軍を率いて進軍を開始した。
出陣する行列の末尾にいる斎藤龍興の英霊ボール『キヨシ』が、いつものハイテンションを潜め、真面目な声で囁きかけた。
『……おい龍興。こりゃダメだ。見てみろ、このお通夜みてぇな行軍を。コールド負け確定の試合だぜ?』
織田軍は主力部隊を結集させている。
柴田勝家、佐久間信盛、丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉、稲葉良通、蜂屋頼隆を各方面の大将に配置し、そこに総大将信長、軍師半兵衛、さらに長谷川真昼も当然のように参戦している。
「……ああ、そうだな」
龍興は短く答える。いつもの奇声はない。
『俺たちは客将だ。義理立てして心中する必要はねえ。石山本願寺へ向かえ。ツルオカの大親分とポッポの親分を頼るべきだ』
キヨシの提案は合理的だった。
泥舟から逃げ出し、より強いチームへ移籍する。乱世の習いとしては正解だ。
そこで龍興は馬の足を止め、澄み切った秋空を見上げた。
狂気じみた色が消え、憑き物が落ちたような澄んだ瞳をして。
「……いや、行くさ」
龍興は首を横に振った。
『ああん? なんでだよ! 死にに行くようなもんだぞ!』
「信長がいるんだ」
龍興は南の空、虎御前山の方角を見据える。
「あいつがいるんだ。美濃を追われてから、京で邪魔をし、伊勢で暴れ、摂津で吠え……俺はずっと、あいつがいる戦場に現れた」
龍興はキヨシを握りしめる。
「信長がいる戦場に俺がいなくて、何が斎藤龍興だ!」
龍興はニカッと笑った。
笑みはかつてないほど晴れやかで、そして絶好調だ。
「それに見てみろキヨシ。……俺の身体は震えるほど力がみなぎってるぜ?」
キヨシはしばらく沈黙した後、楽しげに明滅した。
『……ハッ。バカな野郎だ。だが嫌いじゃねえぜ、そういうフルスイング。……いいだろう! 最後の打席まで付き合ってやるよ!』
「おうよ! 行くぜェェェ! ぜっこうちょおおおおおお!」
龍興は再び狂気を纏い、死地へと馬を進めた。
***
朝倉軍が一乗谷を出て南下を開始。
目指すは北近江、浅井長政が籠る小谷城への救援。
虎御前山の本陣で報告を聞いた、信長様が立ち上がる。
「……出たか、義景」
半兵衛君がパチンと扇子を閉じた。
「はい。これで朝倉家は詰みです」
「者共! 俺たちの真の狙いは小谷ではない。ノコノコと穴から出てきた越前の朝倉義景を、野戦で完膚なきまでに叩き潰すことにある」
信長様の宣言に、秀吉さんたちがゴクリと唾を飲む。
相変わらずの陽動だけど、みんな、なんとなく察していたようだ。
私も驚くより、やっぱりと思う気持ちのほうが勝ってた。
「朝倉軍で警戒するは山崎吉家と斎藤龍興のみです。諸将はこれから、いついかなる刻限でも素早く軍を展開するように集中してください」
半兵衛君の言葉に、私たちは大きく頷いた。
「真昼。行くぞ。……これで朝倉は終わりだ」
信長様が低い声で囁く。
「……うん」
私は大きく息を吸い込んだ。
金ヶ崎の戦いから続いた、因縁の決着の時が迫っているのを感じながら。




