第121話 長谷川真昼、センイチのトラウマと出会う
将軍・足利義昭様との和睦が成立した直後。
摂津国、石山本願寺の奥の院に、相変わらずドス黒いお香の匂いが立ち込めていた。
本願寺顕如は京から届いた密書を手に、不敵な笑みを浮かべていた。
「ほう……。義昭公め、懲りずにまた矢のような催促か。『余は信長を討つ準備がある。御内書を下すゆえ、本願寺も呼応せよ』とな」
顕如の横で緑色の座布団に鎮座する英霊ボール『ツルオカ』が、低い唸り声を上げる。
『……顕如。どうもキナ臭いのう。グラウンドの空気が淀んどる』
「キナ臭いとは? 武田信玄公と朝倉義景公が呼応するという確約もあるそうですぞ。これで包囲網は盤石」
『そこじゃ。……三方ヶ原で勝ったはずの信玄から、勝利の連絡が途絶えて久しい。あの目立ちたがり屋のシゲオなら、もっと派手に「メイク・ドラマ!」と騒ぎ立てるはずじゃ』
ツルオカは百戦錬磨の親分らしく、見えない情報の断絶を敏感に感じ取っていた。
だが、顕如は楽観的だった。
「便りがないのは良い便り。……まあよい。義昭公には『異議なし』と伝えよ。信玄公が京に入れば、我らも一気に信長を叩き潰す!」
彼らもまだ知らない。
頼みの綱である甲斐の虎が、すでにこの世にいないことを。
***
その頃、私たちは近江国、琵琶湖のほとりにそびえる佐和山城に入っていた。
季節は初夏。湖面を渡る風が気持ちいいけど、現場の空気は熱気でムンムンしていた。
「……よいか。この琵琶湖を制する者が、北近江を制す」
信長様が、集められた職人たちを見下ろして宣言する。
「小谷城への補給路を断つため、湖上を支配する巨大戦艦を建造せよ! 期限は……ひと月だ!」
「「ええええええ⁉」」
職人たちの悲鳴が上がる中、1人の男が前に進み出た。
薄汚れた着物だが、目はギラギラしている。
「お任せくだされ! この岡部又右衛門、将軍・義昭様には愛想が尽きましてございます! 尾張出身の意地、信長様のために見せてくれましょう!」
岡部又右衛門。宮大工の棟梁にして、とんでもない建築の天才らしい。
今まで義昭様に仕えていたけど、正式に信長様のところへ再就職したのだ。
又右衛門さんは懐から、青白く、どこか冷ややかな光を放つ英霊ボールを取り出した。
「それがしの相棒、サダオ様にございます。どうぞ、お納めくだされ」
そのボールを見た瞬間、私の懐でセンイチがビクッと震え上がった。
『ゲェッ! サ、サダオさん⁉ 嘘やろ、なんでこんなとこで!』
センイチが真っ青になって狼狽する。
『ありゃりゃ、尾張三河の縁の深いサダオさんと会わんと思ったら、地元民に拾われて去ってたんか』
半兵衛君のモリミチも、驚きながら出てきた。
現れた英霊ボール『サダオ』は、空中に浮遊すると、センイチとモリミチを冷ややかに見下ろした。
『……フン。貴様らか。相変わらず暑苦しい色をしとるな』
『ご無沙汰しております! ……いやあ、まさかサダオさんとここで会うとは……』
『ギリッ! フンッ!』
モリミチが挨拶するけど、センイチは露骨にそっぽを向く。
「ちょっとセンイチ、いつも挨拶が基本とか言ってるのにどうしたの?」
私が小声で訊ねると、代わりにモリミチが答えてくれる。
『センイチはサダオさんに引退させられてなあ。……しかもセンイチはタイガースに入って、ドラゴンズOB会除名までさせられとるんじゃ』
うわあ……引退はともかく、除名はキツイね。そりゃあこういう態度になるわな。
『挨拶はいい。……ワシはな、非合理な精神論が大嫌いなんじゃ。根性だの鉄拳だの、時代遅れも甚だしい』
サダオボールは、信長様の方へ向き直った。
『おい、信長とやら。噂じゃセンイチと友人らしいな? 冗談じゃない。ワシはそんな奴に降るつもりはない!』
又右衛門さんが慌ててサダオを掴もうとするが、サダオはヒラリと躱す。
『ワシは降りる。世話になったな又右衛門。だが、信長に降るまで付き合ってられんわ!』
言うが早いか、サダオは自らコロコロと転がり、そのまま琵琶湖へドボン! と飛び込んだ。
「ああっ! サダオ様が!」
又右衛門さんが絶叫する。ボールはプカプカと沖合へ流されていく。
どうしよう、貴重な英霊ボールが!
でも、信長様は怒るどころか、大笑いだ。
「面白い! 逃げたければ逃げるがいい! ……おい又右衛門! ならばあのボールごと琵琶湖を飲み込むような、バカでかい船を造れ! 奴が度肝を抜かれて戻ってくるほどのな!」
かくして、佐和山城下で前代未聞の造船プロジェクトが始まった。
国中から鍛冶・大工・杣人が呼び寄せられ、カンカンコンコンと槌音が響き渡る。
設計図を見た職人たちが目を剥いた。
長さ三十間(約54m)、幅七間(約12m)。百挺の櫓を備え、船体の前後には城のような櫓が建つ。
安宅船の常識を軽く凌駕する、湖上の要塞だ。
「間に合わねぇ! 人手が足りねぇ!」
悲鳴を上げる現場に、私も飛び込んだ。
鉢巻きを締めて気合充填完了。
「どいてどいてー! 令和のJK知識見せてあげる!」
私は金槌を握りしめると、釘打ちを開始した。
カン! カン! カン!
私の手元は残像が見えるほどの速さ。一撃で五寸釘が板に吸い込まれていく。
「お、おい……あの娘、何者だ?」
「釘打ち機みてぇだぞ……」
「ふっふっふ。私のお父さん、日曜大工ガチ勢でね! 小屋とか自分で建てちゃう人だったんだから!」
私だけじゃない、佐和山城主の丹羽長秀さんも、信長様も率先して木材を運んでいる。
トップが率先して働く姿に、現場の士気は爆上がりだ。
半兵衛君はお茶を啜りながら、各地の諸将への手紙を書いてるけど。
そんな中、センイチが湖を見つめて溜め息をついていた。
『……はあ。サダオさんと会うとはのう』
「センイチ、あんなにビビってたのに気にしてるの?」
私が尋ねると、モリミチが答えてくれる。
『小娘。センイチとサダオさんは、同じドラゴンズの魂を持つ同志だが確執が深いんじゃ』
「除名の件だね」
『それだけじゃない。野球観もな』
モリミチがいぶし銀の光を放ちながら解説する。
『サダオさんは投手分業制をいち早く取り入れた先駆者。先発完投こそ美学とするセンイチとは、水と油。なあ、センイチ』
『……儂ら先発型は「投げすぎだ」とか言われて強制降板させられたなあ。……儂は最後まで投げたかったのに! ……そう文句言ったらリリーフにさせられたわい』
センイチが嘆く。
現場でも色々あったんだね。
「でもさ、せっかく会ったんだよ? なぜか戦国時代でお互いボールだけど」
『むぅ……それは、そうじゃが……』
「話し合おうよ。ずっと嫌い合うのは良くないって」
そしてひと月後。
突貫工事の末、ついに大船が完成した。
湖面に浮かぶ姿は、まさに城。
百本の櫓が一斉に動けば、どんな波も乗り越えて進むだろう。
小舟しか持ってない九鬼嘉隆さんに見せたら、腰を抜かしそう。
「やったぜ。……完璧な仕事だ」
又右衛門さんが涙目で船を見上げている。
そこへ湖面からパシャリと音がした。
サダオが戻ってきたのだ。
『……参ったな』
サダオは濡れた球体で、巨大な船を見上げていた。
『非合理な精神論だけの織田家だと思っていたが……ここまで徹底された狂気は、もはや一つのシステムか』
信長様が指揮し、私が釘を打ち、全員が一丸となって造り上げた結晶。
そこにはサダオが嫌う無駄な根性ではなく、目的のための合理的な情熱があった。
『……ワシの負けじゃ。ちっぽけな野球理論で拗ねていた自分が恥ずかしいわ』
サダオから、一筋の雫がこぼれ落ちた。湖の水か、それとも涙か。
信長様が歩み寄り、サダオを拾い上げる。
「戻ったか、サダオとやら。……どうだ、この船は」
『……悪くない。いや、最高ですわ。アンタの采配、読めません。この大艦巨砲主義のような船、負けましたわ』
夜、完成祝いの宴会が開かれた。
酒樽の周りには、センイチ、モリミチ、サダオの3つのボールが集まっていた。
『サダオさん! 儂の直球、まだ通用しますか!』
センイチが酒を浴びて赤くなっている。
『ああ、お前の気合は認める。だがなセンイチ、これからは中継ぎも育てろ。先発だけが野球じゃないぞ』
『わかってます! でもマウンドは譲りたくないんです!』
『やれやれ。……バックトスのように上手く話を流そうと思ったが、結局ベロンベロンじゃないか、儂もじゃが』
モリミチが呆れつつも、嬉しそうに回転している。
『……小娘。敗北した英霊ボールは眠りにつく定め。こいつらを頼んだぞ』
「……はい。任せてください」
サダオの意思を受け取った私は完成した大船の甲板に立ち、夜の琵琶湖を見つめた。
この船があれば、琵琶湖の制海権は完全に私たちのもの。
北にある小谷城への物資は、これで完全に止まる。
「待っててね、長政さん、お市ちゃん」
闇の向こう、小谷城の方角を見据える。
あの城で、お市ちゃんは今、何を思っているんだろう。
「……今度こそ、終わらせに行くから」
私の呟きは、夜風に吸い込まれていった。
決戦の時は近い。




