第117話 長谷川真昼、風林火山の洗礼を浴びる
閑話休題
【もしも真昼が武田家に就職していたら編】
「疾きこと風の如く」
「おかわり!」
「徐かなること林の如く」
「モグモグモグ」
「侵掠すること火の如く」
「あっ、お米まだ残ってるじゃん。誰? 残したの? えへへ、しょうがないから私が食べてあげるよ~」
「……動かざること山の如し」
「グオーグオーグオー」
「このように、風林火山とは長谷川真昼の生態そのものである。皆の者、この機微を戦で体現できるように努力せよ」
「「「承知しました、御館様!」」」
「って! 人の食事シーンと昼寝シーンで風林火山を解説しないでよ信玄様!」
まったく、私だってやることちゃんとやってるのに。
これだけ切り取られて説明されたら、私が怠け者みたいじゃない。
「……政虎との宿命の戦いが迫っているからな。次で4度目。部下たちの緊張を解そうとしたのよ」
「過去3回とも引き分けだったんだっけ? 任せて! 今度は私が試合に出るんだから」
武田VS上杉の川中島シリーズも、ずっと引き分けじゃ観客たちもブーイングだろうし。
そうして始まる川中島シリーズ第4戦。
初回から乱打戦だ。
上杉政虎、凄すぎる。全打席ホームランかよ。
こっちも私や信玄様、勘助さんや小一郎の活躍で食い下がってるけど追いつけない!
(信繁様、政虎は敬遠しましょう)
キャッチャーとして、マウンドにいる信繁様にサインを出すけど首を横に振られてしまう。
「死んででも、政虎を抑える!」
「フッ……真面目だな。武田信繁」
バッターボックス、政虎が笑みを浮かべ囁き、繰り出された一本足打法が信繁様のボールを完璧に捉えてしまった。
「うおおおおおおおお!」
バシーーーン!
「信玄様!」
絶望一転、政虎の放った強烈なサード強襲を信玄様が見事ダイレクトキャッチしたのだ!
「……流れはこっち。最終回、逆転するよ!」
「ウキキノキー!」
「ナイス小一郎!」
小一郎のヒットでワンナウト一塁三塁。バッターボックスは3番の勘助さん。相手ピッチャーは村上義清。
(今だよ、勘助さん。練習していた秘技を見せる時だよ)
「見よ! これが啄木鳥打法だ!」
絶妙なスクイズ!
やった、これで同点! ……そう思ったけど。
「うおおおおおおおお!」
ファーストの政虎が猛ダッシュ。まさかの三塁ランナーがホームで刺されてしまったのだ。
「……まだ終わりじゃない」
私はネクストバッターボックスで4番サード、武田信玄のコールを聞き、祈るように見つめる。
カキーン!
来た! 長打コースだ!
「回れええええええ!」
ファーストランナーの昌景さんに大声で叫ぶ。
その甲斐あってホームイン! やった、同点だ! 次の私の打席で逆転だ!
――でも。
「アウト! ゲーム終了。第四次川中島の戦いも引き分け!」
サードまで走った信玄様がアウトになってしまったのだ。
「もう、どうして走ったんですか? 次の打席は私だったのに」
帰り道、ふくれっ面で抗議する私に、信玄様は前を向きながら呟いた。
「真昼なら、俺がサードにいればどんな球でも打てると思っただけ、さ」
「なにそれ? 信頼厚すぎてビビるんだけど?」
私はクスッと笑った。
多分、向こうは私を申告敬遠してたと思ったからだ。
「帰って第五次川中島に向けてひたすら練習するぞ! 次こそは勝つ!」
「「「おおっ!」」」
「ウキー!」
信玄様の誓いに、私たち武田軍は大声で返事したのだった。
【もしも真昼が武田家に就職していたら編】
おしまい。
***
ヒロオカの張った結界により、時が凍りついたかのような武田信玄の陣幕の中。
雪の音さえ遮断された静寂の空間で、マウンドに見立てた場所に立つ信長様と、バッターボックスに立つ信玄が18.44メートルの距離を挟んで対峙していた。
ホームベースの幻影が浮かぶ後ろで、私はキャッチャーとして構える。
私の背後に絶対公平なる審判として、青白い光を放つ英霊ボールヒロオカが冷徹に浮遊していた。
……ゴクリ。
背中を刺されそうな、氷の針のような視線を感じる。
今ならわかる。
信長様が虎の子の英霊ボールたちを全て宇喜多直家に預けてまで、このヒロオカに賭けた理由が。
このボール、信玄の持つシゲオが後ろめたい苦手意識を持ってるだけじゃない。
絶対的な冷徹無慈悲なマシーンのような威圧感で場を支配する、この空間掌握能力。
それでいて、全く無さそうに思える感情の奥に、ボールの中心で小さな青い炎のように凝縮されている情熱を秘めている。
ジャイアンツのV9の礎を共に築きながら、ケンカ別れし、その後ジャイアンツを倒すために弱小球団を渡り歩いた男。
スーパースターはいらない。選手は監督の駒であり、人格など不要だと断じ、私生活の行動制限に食事も玄米・豆乳にするまで管理した、究極の管理野球の先駆者。
弱いチームを強くするのに特化した存在だけど、優勝したのにご褒美なしで選手たちが大反発したとか。
最後の監督生活も、優勝したのに監督をクビになり、それを聞いた選手たちが涙を流して抱き合って大喜びしたという逸話の持ち主。
そんなアンチ・ヒーローの極致だからこそ、太陽のようなヒーローであるシゲオを縛ることができるんだ。
さて、信長様、最初のボールはこれです。
サインを出す私を、ヒロオカが無感情に見下ろしているのがわかる。
信長様が頷き、第一球を投じる。
キレッキレのスライダーが、外角へ逃げるように曲がる。
『ボール』
ヒロオカのコール。機械音声のように抑揚がない。
信玄はバットをピクリともさせずに見送った。
バットを頭の後ろで担ぐように構え、ステップを踏む準備をする独特の打撃フォーム。
大きく背中を丸め、そこから一気に弾けるような躍動感。
信長様に返球される前に、ボールのセンイチが小さく震えた。
『……あの構え、シゲオさんの全盛期そっくりじゃ。ヤマを張っとるんじゃない。本能で球筋が見えとるんじゃ』
変化球で揺さぶったのに、微塵も感情の揺れを感じない。
風林火山の「林」のような静けさと、「山」のような動かなさ。
ただ、凄まじい殺気と集中力で、マウンドの信長様を睨んでいる。
信長様、次はこれ。
振り被った信長様が投げたのは、バッターにぶつかりそうになる角度から鋭く切れ込む、再びのスライダー。
『ストライク。ワンボール、ワンストライク』
ヒロオカが右手を上げる。
これも、信玄はピクリとも動かない。
反応を見たかったのに、バットを振ろうともしない。
ストレート待ち? いや、違う。信玄は待ってる。
確実に仕留められるコースにボールが来るのを、虎が獲物を待つように確信を持って待っている。
信長様も無駄口を叩かない。
全身から龍のようなオーラのような凄まじい闘気を放っている。
三球目。
恐らく、信玄は何を投げても動揺も激昂も驚愕もしない。
……それなら。
選択は、外角へ大きく外れる釣り球のストレート。
『ボール。ツーボール、ワンストライク』
……ふう。
信長様と信玄は、息をするのを忘れているのかってぐらい集中してるけど、私は胃に穴が開きそうだよ。
ストライクゾーンのどこに投げても、信玄が待ってる箇所に投げたら一撃でスタンドまで持っていかれるイメージしか湧かない。
出たとこ勝負はできない。勝たなくちゃいけない。
信玄がどのコースを待っているか、読みを外さないといけない。
ふと、宇喜多直家からヒロオカを借り受けた時の記憶が蘇った。
あの妖艶な紳士が、ヒロオカの言葉を代弁するように、私の耳元で囁いた言葉。
『いいかい、お嬢さん。太陽のような天才を殺すのに暗闇はいらない。彼が一番輝く場所へ、餌を撒くのです。……彼は天才ゆえに、一番得意な場所だけは、危険だとわかっても見逃せないのですよ』
一番得意な場所。
シゲオという天才が、理屈を超えて愛したコース。
そしてヒロオカという管理者が、最も確率が悪いから手を出すなと禁じたという悪魔の領域。
私は覚悟を決めて、ミットを構えた。
ここしかない。
内角高め、ストレート。
のけぞらせるブラッシュボールすれすれの、一番危険な場所!
信長様がニヤリと笑った。
同意の笑みだ。
投じられた信長様の第四球。
センイチが唸りを上げて、龍の軌跡を描く。
リリースされた刹那、信玄の口が大きな三日月に変わった。
山が動いた。
「貰ったぞ、信長ァァァァ!」
やはり、そこを待ってた!
一番打ちにくいボール球を、一番得意なスイングで叩き潰すために!
台風のような風圧と、激しい火花がバットから飛び散る。
インパクトの瞬間、時間が止まったように見えた。
――カキィィィィン!
信玄のフルスイングが、センイチボールを完璧に捉えた。
轟音が鼓膜を破る。
やられた、ホームランになる……!
私は絶望に目を瞑りかけた。
しかし。
――バシィィィィン!
重たい捕球音が陣幕内に響き渡った。
え?
私は目を開ける。
マウンドの信長様は、投げ終わりの体勢のまま、顔の正面でグラブを突き出していた。
グラブの中で白煙を上げて収まっているのは――センイチ。
ピッチャーライナー。
信長様は驚いていなかった。
まるで、信玄がそこへ打ち返してくることがわかっていたかのように。
あの豪速の打球に、一歩も引かず、瞬き一つせず、正面から反応して掴み取っていたのだ。




