第八話 傷跡
傷を見れば、その人が何に襲われたのか分かることがある。
獣なのか。
人間なのか。
それともーー。
けれど、もし傷を見た瞬間に「どう傷つければいいのか」を考えてしまったら。
その考えは、本当に自分のものなのだろうか。
「先生!早く!」
運転席から、男の叫び声が飛んだ。
妻は誰よりも先に車へ駆け寄った。
「翔ちゃん、大丈夫?」
妻の声に顔を上げる。
妻は俺を見つめていた。
その目に、何かを探るような気配を感じた。
けれど、瞬きをした次の瞬間には、いつもの表情に戻っていた。
——気のせいだ。
俺はそう自分に言い聞かせた。
後部座席のドアを開ける。
「……熊谷?」
そこにいたのは、熊谷だった。
「山道で倒れてたんだ。声をかけても返事がなくて……。熊谷さんが、こんなことになるなんて」
運転席の男は、言葉を詰まらせた。
熊谷は苦痛に顔を歪め、ぐったりと横たわっていた。
車内に漂う血の匂いが、鼻を刺した。
腕。
胸。
腹。
いくつもの深い傷があった。
なのに、獣に襲われた傷には見えない。
傷と傷の間隔が、妙に揃っている。
まるで、誰かが位置を測ったかのように。
一つ。
二つ。
三つ。
「……四つ」
声が漏れ、慌てて口を閉じた。
どこから切ればいい。
どの角度なら、刃が入る。
そんな考えが、当たり前のように頭に浮かんだ。
「……違う」
何を否定したのか、自分でも分からなかった。
ただ、その考えを消したかった。
「担架を!早く中へ!」
瓜の声が飛ぶ。
「お、おう!」
俺も担架を持ち、熊谷の身体を移した。
そのとき、自分の指先がわずかに動いた。
何も持っていない。
なのに、何かを握っているような感覚が残っていた。
「翔!」
瓜の声に、はっとする。
「何してる!早く運ぶぞ!」
「お、おう!」
俺は担架の持ち手を握り直した。
ふと、妻の姿が目に入った。
妻は熊谷の傷を見つめていた。
俺の視線に気づくと、いつもの柔らかな表情に戻った。
「……お前?」
声をかけようとした瞬間、妻が口を開いた。
「早く運んであげて」
「……ああ」
俺は返事をした。
担架が持ち上がる。
そのとき、熊谷の指がかすかに動いた。
「……まだ、いい」
かすれた声だった。
「熊谷さん?」
運転席の男が身を乗り出す。
熊谷は目を閉じ、もう何も言わなかった。
何が「いい」のか、分からない。
いつもなら、こんなときでさえ豪快に笑ってみせる男なのに。
俺は熊谷を診療所の中へ運んだ。
背中に冷たい汗が流れる。
どうして俺は、あの傷の形を知っているような気がしたんだ。
それよりも——。
どうして、切り方まで分かったんだ。
熊谷の身体に残された傷。
翔平は、その傷を見ているうちに奇妙な感覚を覚えます。
知らないはずなのに、どこか知っている。
考えたくないのに、身体だけが答えを探している。
まだ、その意味は分かりません。
ただ、この感覚が翔平の中に残ってしまったことだけは確かです。




