第四十七話 捌き方
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
見慣れない場所で、なぜか懐かしさを覚えることはありませんか?
その感覚が、もし自分の知らない記憶から生まれていたとしたらーー。
二階へ上がると、古びた廊下が奥まで伸びていた。
窓から差し込む薄い光が、床を細長く照らしている。
廊下には三つの扉があり、それぞれに「書斎」「寝室」「息子の部屋」と木札が掛けられていた。
俺は「書斎」の前で足を止めた。
コンコン。
「——あ」
無意識に扉を叩いていた。
返事を待つ必要なんてない。
「何やってるんだ、俺は」
苦笑して扉を開ける。
部屋に入ると、紙と埃の匂いがした。
その中に、かすかに肉の匂いが混じっている。
壁一面の本棚には古い本が隙間なく並び、机の上にも何冊も積み重なっていた。
初めて入ったはずなのに、どこか知っている。
そんな感覚だけが残った。
「これは、骨が折れる作業になりそうだ」
ダンボールを置き、本棚の本を入れ始める。
料理や食材に関する本の中から、一冊を手に取った。
『山の獣肉料理』
ページをめくる。
鹿。
猪。
鴨。
さらにめくったところで、指が止まった。
熊肉の解体方法。
刃を入れる場所。
骨を避ける角度。
肉を外す順番。
写真のページは、ほかよりも端が擦り切れていた。
何度も開かれた跡のようだった。
写真を追ううちに、胸の奥がざわついた。
——分かる。
なぜか、分かってしまう。
写真を見ているだけなのに、刃を入れる位置も、骨を避ける角度も、自然と頭に浮かんだ。
どこに力をかければ肉が骨から外れるのか、考えるより先に答えが浮かんでくる。
気づけば、右手が動いていた。
何も持っていない。
それなのに、手首がゆっくり動く。
刃を入れ、骨を避け、肉を外す。
写真の中の肉と骨の境目を、目が追っていた。
ほんの少し首を傾ける。
その動きに、迷いはなかった。
初めて知ったはずの手順なのに、間違える気がしない。
「——熊谷さん」
なぜ、その名前が浮かんだのか分からない。
ただ、その瞬間、作業台の感触が指先によみがえった。
胸の奥が強く締めつけられた。
俺は反射的に本を閉じた。
バタン。
静かな部屋に、乾いた音が響く。
息が荒くなっていた。
「俺は——こんな捌き方、知らない」
右手を見る。
指はまだ、包丁を握った形のままだった。
ゆっくりと手を開く。
指先が、わずかに震えている。
知らないはずなのに。
手だけが、そのやり方を覚えていた。
俺は本を机に置いた。
熊肉のページが、閉じた表紙の向こうに隠れている。
そのページをもう一度開く気にはなれなかった。
残りの本を、黙々と段ボールへ移していった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
少しずつ明らかになる違和感と、拭いきれない不安。
翔平が何を感じ、何に気づいていくのか、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。




