第四十六話 熊谷の家
おはようございます。
今日も読みに来てくださって、ありがとうございます。
朝の空気が少しずつ街を満たし、いつもの一日が始まっていく。
見慣れた景色も、何気ない会話も、普段と変わらないはずなのに、ふとした瞬間に違って見えることがあります。
気のせいだと片づけてしまえば、それで終わる小さな違和感。
けれど、その奥に何かが隠れているとしたら——。
静かな朝のひととき、この物語の続きを楽しんでいただけたら嬉しいです。
熊谷の家の前まで来ると、玄関の扉が少し開いていた。
「すみません」
声をかけて中へ入ると、熊谷の息子が顔を出した。
「あれ、鳥居さん? ちょうど呼びに行こうと思ってたところなんですよ」
「それならよかったです」
息子はほっとしたように笑った。
生肉を思わせる匂いが鼻をつく。
その奥に、鉄のような匂いが混じっていた。
「……何だ、この匂い」
土間には業務用の冷蔵庫。壁には何本もの包丁。
作業台には大きなまな板と、肉を吊るす金属製のフックが並んでいた。
まな板には、刃物を何度も当てたような傷が走っている。
「……家じゃなくて、店みたいだな」
「親父は、ここで商品の準備をしていましたから」
息子は作業台を見つめた。
「小さい頃は、危ないから入るなって、よく怒られました」
「そうだったのか」
「……今なら、その理由も分かるんですけどね」
息子は寂しそうに笑った。
「もう怒られることもないんだなって、変な感じです」
作業台に手を置く。
何度も熊谷が肉を捌いてきた場所だ。
そのはずなのに、指先に妙な感覚が走った。
——ここで、何かをした。
腹の奥がきゅっと縮む。
生肉の匂いが濃くなり、喉の奥に唾が湧いた。
何に反応しているのか、自分でも分からない。
——何かを思い出しかける。
けれど、記憶は形になる前に消えた。
「魚住さん一家が行方不明になったって話、聞きました?」
俺が尋ねると、息子の顔から笑みが消えた。
「——魚住先輩が?」
「ああ」
「昨日、診療所で会ったんですよね?」
「そうだ。少し話をしたよ」
「……先輩、何か言ってませんでしたか?」
「いや、特には」
息子は視線を落とした。
「魚住先輩には、親父も世話になっていたんです。何事もなければいいんですけど」
その視線が、作業台へ向かう。
「……すみません。さっそく始めましょう」
「鳥居さんは二階の親父の荷物をお願いします。僕は一階にいるので、何かあれば声をかけてください」
「分かった」
「……お願いします」
息子は小さく頭を下げた。
俺は階段へ向かった。
一段。
また一段。
二階に何があるのか、俺は知らない。
それなのに、足は迷わなかった。
——まるで、何度も上ったことがあるように。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
新しい朝が始まっても、すべてが昨日までと同じとは限りません。
何気ない景色の中に残された違和感や、ふとした仕草に隠れた意味。
そのひとつひとつが、やがてどこへつながっていくのか。
これからも、物語の行方を見届けていただけたら嬉しいです。
皆さまにとって、今日が穏やかな一日になりますように。
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