第三十四話 苦味
ここまで「回収箱」を読んでくださって、本当にありがとうございます。
第三十四話では、翔平と魚住の会話を通して、これまでとは少し違った違和感が見えてきます。
何気ない会話の中にある、小さな引っかかり。
相手の言葉を聞いているはずなのに、どこか噛み合わない感覚。
そして、翔平自身が気づかないまま抱えているもの。
これまでのお話とも重ねながら、翔平の周りに少しずつ変化していく空気を感じていただけたら嬉しいです。
第三十四話「苦味」
今回も最後まで、どうぞお楽しみください。
しばらく景色を眺めていると、魚住が何か言いたげに俺を見た。
「——家族みんな、同じなんです」
魚住は俯き、膝の上で手を握りしめた。
「俺が、あの薬を使ったから」
「どういうことだ?」
「昔から腰が悪くて、瓜先生に薬を出してもらってたんです。でも、息子が生まれてから薬の管理が難しくなって……」
魚住はポケットから薬袋を取り出した。
「そんなとき、熊谷さんから先輩の店にある薬を勧められたんです。骨にいいし、料理に混ぜても子どもが飲んでも大丈夫だって」
魚住は薬袋を握った。
「熊谷さんが勧めてくれたから、安心してました。何度も助けてもらったし……疑う理由なんてなかった」
「だから——家族みんなで使ってました」
その言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
妻は、あの粉を何にでもかけていた。
いつだって俺のことを考えてくれていた。
——なのに。
妻のことを考えると、胸の奥が強張った。
「最初は家族みんな元気だったんです。けど、いつからか——身体に変化が出始めました」
魚住の声がかすれた。
「魚住……」
「俺が勧めたんです。大丈夫だって、家族にも言った」
魚住は顔を上げなかった。
「今さら、何を言っても遅いんですけどね」
俺は薬の味を思い出そうとした。
妻は「あれは美味しい」と言っていた。
俺もそう思っていたはずだ。
それなのに、舌の奥に蘇ったのは、わずかな苦味だった。
——苦い。
舌だけが、あの味を覚えている。
何かがおかしい。
あと少しで手が届く。
「——っ」
思わず額を押さえた。
魚住は薬袋を見つめていた。
「やっぱり、この薬だ。間違いない」
俺の目は、袋に残った白い粉の跡へ吸い寄せられた。
ほんのわずかな白さ。
それなのに、目を逸らせない。
「魚住、この薬は——」
その瞬間だった。
ギギッ——。
屋上の扉が開いた。
「魚住さん」
「——翔ちゃんも」
妻が立っていた。
冷たい風に髪を揺らし、こちらを見ている。
「こんなところにいたんですね。瓜先生が検査したいそうなので、病室に戻りましょう」
そして、俺を見る。
「翔ちゃんも、風邪を引いちゃうから早く家に帰りなさい」
「そうだな」
魚住が俺を見た。
その表情に、一瞬だけ戸惑いが浮かんだ。
「魚住、何か——」
「あ、鳥居先輩。さっき、何か言いかけてましたよね」
俺は薬袋へ目を落とした。
「この薬——」
そこまで口にした瞬間、妻が隣で笑った。
「翔ちゃん、早く帰りましょう」
その声を聞いた途端、頭の中にあった言葉が霧のように消えた。
「ああ」
何を言おうとしていたのか、思い出せなかった。
妻は楽しそうに笑っている。
俺も、その笑顔を見つめた。
——魚住は、妻を見ていなかった。
そのことに気づいたのは、妻と一緒に屋上を出てからだった。
第三十四話まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
今回は、翔平と魚住のやり取りを中心に、少しずつ日常の中に入り込んでくる違和感を描きました。
何気ない一言。
ほんの少しの表情。
いつもなら気に留めないような仕草。
そうした小さなものが積み重なると、同じ景色でも違って見えてくるのかもしれません。
これまでのお話の中にあった出来事とも重ねながら、翔平の感じている違和感を追っていただけたら嬉しいです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。




