第十五話 身体
自分の身体なのに、どこか自分のものではない。
そんな感覚が、少しずつ強くなっていきます。
翔平はまだ、その違和感の正体を知りません。
足を戻そうとした。
けれど、一瞬だけ動かなかった。
「……なんだよ。」
力を込めると、ようやく足が動いた。
俺は鳥の声がした方を見る。
暗闇の向こうには、何も見えない。
「熊が出たんだ。」
自分に言い聞かせるように呟く。
猟銃を取りに戻ろう。
そう思って振り返った。
家の裏にある蔵が目に入った。
なぜか、そこへ行かなければならない気がした。
「……なんでだ?」
理由は分からない。
それでも、足は蔵へ向かっていた。
一歩。
また一歩。
俺は、自分の足を見た。
止めようと思えば、止められるはずだった。
それなのに、足は止まらなかった。
蔵の扉を開ける。
中は暗かった。
壁に立てかけた猟銃が目に入る。
「……これ。」
手を伸ばす。
冷たい銃身に触れた。
その瞬間、指に力が入った。
——力を込めたのは、俺だったか。
手を開く。
親指、人差し指、中指、薬指、小指。
五本とも、ちゃんと自分の指だった。
「動くなよ。」
冗談のつもりで呟く。
指は動かない。
少しだけ、ほっとした。
その瞬間。
人差し指だけが、ゆっくりと曲がった。
息が止まる。
「今、動かしたか?」
誰に聞いたのか、自分でも分からない。
答えはなかった。
猟銃を置こうとする。
けれど、手は銃を握ったままだった。
力を抜いても、指が離れない。
「なんでだよ。」
自分の手なのに。
自分の腕なのに。
命令が届かない。
やがて、指がゆっくりと開いた。
俺の命令に従ったわけじゃない。
何かが、もう必要ないと判断したみたいに。
さっきまで自分のものだったはずの手が、知らないもののように思えた。
指を見つめる。
妙に長く見える。
関節の一つ一つまで、知らない形に変わっていくような錯覚がした。
「……違う。」
目を逸らす。
それなのに、指先の感覚だけが残っている。
細いものをつかむには、やけに正確な感覚だった。
俺は猟銃を置いた。
それでも、手だけは何かを探すように残っていた。
「……何を探してるんだ。」
答えはなかった。
身体が思うように動かない。
ほんの一瞬の出来事でも、それが続けば「自分」というものさえ信じられなくなってしまいます。
翔平の身に起きている変化は、まだ始まったばかりです。




