第十四話 誰の声
気づかないうちに、少しずつ何かが変わっていく。
それは記憶なのか、それともーー自分自身なのか。
翔平の身に起こる違和感は、これまでとは少し違う形で現れ始めます。
俺は、なかなか眠れなかった。
目を閉じても、箱のことが頭から離れない。
カン、カン、カン。
突然、半鐘が鳴り響いた。
「熊が出たぞー!」
村中に響く叫び声に、俺は飛び起きた。
まだ頭がぼんやりしている。
布団から足を出した。
その瞬間だった。
足の裏に、畳の感触が刺さった。
痛いというより、藁の一本一本まで分かるような異様な感覚だった。
「何だ、これ」
慌てて足を引く。
もう一度、畳へ触れてみる。
さっきの感覚は、どこにもない。
「気のせいか」
そう呟いて立ち上がった。
そこで、妙なことに気づいた。
俺は、玄関へ続く廊下に立っていた。
「いつ、ここまで来た?」
寝室を出た記憶がない。
玄関へ向かった覚えもない。
それなのに、足は迷うことなく玄関の方を向いていた。
「俺は、何をしようとしてる?」
答えは返ってこない。
玄関の向こうには、夜の庭がある。
その先に、蔵が建っている。
暗闇の中でも、蔵の輪郭だけは見えていた。
外へ出る。
夜風が冷たい。
皮膚の下まで入り込んでくるようだった。
遠くで、誰かが話している。
「鳥居さん」
足が止まった。
振り返る。
誰もいない。
暗い道が続いているだけだった。
風の音かもしれない。
そう思って歩き出す。
「鳥居さん」
今度は、はっきり聞こえた。
振り返っても、やはり誰もいない。
返事をしようとした。
けれど、声が出なかった。
もう一度。
今度は、すぐ耳元で囁かれたような気がした。
俺は息を止めた。
振り返る。
誰もいない。
「気のせいか」
呟いた瞬間、声が消えた。
声だけじゃない。
さっきまで頭の中に残っていたはずの、妻の声まで消えていた。
「……え?」
どんな声だった?
高かったのか。
低かったのか。
優しかったのか。
思い出せない。
妻の顔は浮かぶ。
一緒に暮らしていたことも分かる。
それなのに、声だけがない。
その代わり、遠くの音だけが妙にはっきり聞こえた。
木の葉が擦れる音。
どこかで鳴いた鳥の声。
自分の足音。
その音の一つ一つが、どこから聞こえているのか分かる。
「何だよ、これ」
足元を見る。
いつの間にか、俺の足は鳥の鳴いた方を向いていた。
戻そうとした。
けれど、足は動かなかった。
しばらくすると、足先がほんの少しだけ動いた。
鳥の声がした方へ。
「……俺が向きたいんじゃない」
自分の意思とは関係なく、身体だけがそちらへ向かおうとしていた。
これまで感じていた「記憶の違和感」に加えて、今度は身体にも小さな変化が現れ始めました。
本人が気づいていないところで、何かが静かに進んでいる。
その変化が何を意味するのか、ぜひこの先も見届けてください。




