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07 贈りもの

前半公爵視点、後半エルナ視点です

テオが、書類を抱えて立ち寄った。公務のついで、と言いながら、当然のように茶を所望する。いつもの調子だ。


持ち込まれた決裁を、片端からさばいていく。領地の出納。人事の伺い。隣領との水利の調停案。隣国語で届いた外務の覚書。読む。判じる。署名する。若いころ、向こうで叩き込まれた言い回しを思い出し、覚書には訳語をひとつ書き直した。三件目は数字の繰りが合わんと差し戻し、五件目には条件をひとつ書き足した。手は止まらない。テオの喋りは、耳の半分で足りる。


テオは、数ヶ月後に予定している視察団受け入れの話をひとしきり喋ったあとで、ふと、思い出したように言った。


「閣下。晩餐会には、奥方とお揃いの装いで、お出になるので?」


「……揃いの、衣装?」


テオが、信じられない、という顔で、こちらを見る。


「……まさか、奥方の衣装を、贈っておられない? 初めて、奥方と並んで、人前に出られるというのに」


ペンが、止まる。

衣装。夫が、妻に。考えてもみなかった。


あの人は、嫁いできてからこのかた、何ひとつ、ねだっていない。だから、与えることを思いつきもしなかった。……いや。それは、ただの言い訳だ。求められなければ与えない、というのは。気が利かないにも、ほどがある。


「ギルバート。仕立ての者を、今すぐ」


しかし、家令は、すぐには動かなかった。


「……晩餐会には、到底、間に合いますまい。それに、奥方さまは、すでにお決めでございます。王妃さまより賜った衣装をお召しになると」


王妃さまより、賜った。

そうか。人前に立つ場でさえ、あの人を飾るのは、俺ではなく、王妃さまの手か……。


考えてみれば、俺は、あの人に、何ひとつ、してやれていない。輿入れのあの朝でさえ、公務にかまけて、出迎えにすら、いられなかった。式らしい式も、ないままだ。与えたものといえば、屋根と、名ばかりの妻の座くらいのもの。そのうえ、人前に出る装束まで、王妃さまに頼るほかないとは。自分が情けない。


ならば、せめて。衣装が無理でも、それに添える飾りのひとつでも贈れば、少しは、夫らしいことができるか?


その日のうちに、商人を呼んだ。


だが、そこで行き詰まる。あの人がまとう衣装が、どんな色の、どんな意匠なのか、俺は知らない。知らなければ、何を合わせれば映えるのかも、見当がつかない。


……分からないなら、数で。


我ながら、芸のない話だ。どれかは当たるだろうと、片端から見繕った。首飾り、耳飾り、髪の飾り。卓の上が、たちまち、宝石の山になる。


その山を選ぶ手が、ふと、一本の櫛で、止まった。

鼈甲の。飴色の地に、繊細な彫り。


あの人の髪が脳裏に浮かぶ。いつもきちんと結われて慎ましい。けれど一度だけ、朝の早くに、下ろしたままのところを見たことがある。窓の光を集めて、絹のように艶めいていた。あんなに美しいものを、俺は、ほかに知らない。


この櫛なら。あの髪に。

気づけば、山の中へ、そっと加えていた。


それから、もうひとつ。薄い銀に、小さな花を透かし彫りにした、しおり。花の芯には、ごく小さな石が一粒、嵌めこまれている。俺の目に色に少し似ていた。あの人が図書室によくいくことを知っている。毎日のように、窓辺で本を読んでいるいることも。彫られた花は、中庭で、あの人がいちばん長く足を止める、あの花だった。


これも。


多すぎるか? いや、足りないか。さんざん迷ったすえ、俺は、それらを、妻のもとへ届けさせた。文の一つも添えられないまま。何を書けばいいのか、最後まで、分からなかったからだ。


自分の手で渡すという考えは、浮かびかけて消えた。あの山を抱えてあの人の前に立つ自分を、どうしても思い描けなかった。




◆ ◆ ◆


ここ数日、公爵さまのご様子が、なんだかおかしい。


朝食の席。これまでは向かいで黙々と召し上がって、済めば黙って立っていかれるだけだったのが。近頃は、何か言いたげに、ちらちらと、こちらをご覧になる。目が合うと、さっと、逸らされる。また、ちらり。そして逸らす。


落ち着かないこと、この上ない。


「あの……私の顔に、何か」


思いきって尋ねると、公爵さまは、ぎくりと肩を揺らして、「いや」と、それきり。


廊下でばったり行き合えば、なぜか歩調をゆるめて、私の隣に並ばれる。お話でもあるのかと待っていると、しばらく黙って歩いたすえに、ぽつり。


「……今日は、いい天気だな」


外は、あいにくの雨だった。


「ええ。よく、降っておりますね」


「……ああ。降っているな」


それきり、苦いものでも噛んだような顔で、足早に去っていかれる。


はて。本当に、どうなさったのかしら。


そんなふうに首をかしげていた、ある日のこと。


配膳室の前で、年若い下働きが、布の山を抱えて往生していた。私を見つけると、すがるような目になる。


「奥さま……っ。この卓布、白を使えと言われたり、生成りだと言われたりで……どちらが、ほんとうなんでしょう。家政婦頭さまは、ロゼリアさまにつきっきりで……。それに、あの、その……」


娘は、そこで口ごもった。何かを言いかけて、廊下の奥へ、ちらりと目をやる。それきり、続きは、飲み込まれてしまった。


両方の布を、一枚ずつ手に取る。卓の木の色と、当日に灯される蝋燭の数を、頭に並べてみる。


——生成りね。白い布は、夜の灯りの下だと、冷たく浮いて見える。生成りのほうが、ほどよく馴染むわ。


「生成りをお使いなさい。白は、しまっておいて」


「……っ、はい! ありがとうございますっ」


駆けていく背中を、見送る。まあ、ずいぶん思いつめた顔をして。布一枚で、世界が終わるみたいだったこと。


客間に戻ると、見慣れない箱がいくつも積み上げられていた。公爵さまから、と、使いの者が置いていったきり。文の一枚も、ない。


ひとつ開けて、手が止まった。

首飾り。耳飾り。髪の飾り。まばゆい宝石が、これでもか、と詰まっている。ひと財産は、くだらない。


胸が、ことり、と、小さく鳴った気がした。

けれど、それを喜びと呼んでしまう前に考えてしまう。これは、どういう意味だろう。


——ああ。そうか。


ここ数日の、あの落ち着かないご様子。あれは、これの、前触れだったのだ。言い出しにくいことを、抱えていらしたのね。


好いた人から贈られたのなら、これほど幸せな箱もないだろう。けれど、私と公爵さまのあいだに、そんなものはない。顔を合わせれば、眉を寄せて黙り込まれるばかりの、名ばかりの夫婦だ。


だとすれば、これは。いずれ私が、この家を出ていくときの手切れ金かしら? まさかね。自分の馬鹿げた考えを笑いながら、生真面目なお方のことだから、そういう始末はきちんと、つけておきたいのかもしれない、なんて思ったり。


文の一枚も添えられていないのが、何よりの答えに思えた。情ではなく、ただの清算。


いずれにしても、恐れ多いわね。宝石は、ひとつずつ箱へ戻した。汚しても、なくしても、大事。戸棚のいちばん奥へ、しまい込む。


けれど。全部しまうつもりが、ふたつだけ机の上に残った。


鼈甲の櫛と、銀のしおり。


手のひらにのせて、しばらく、眺める。山と積まれた宝石の、どれよりも、地味な、ふたつ。


この櫛の、歯の通り。髪を傷めない、上等な品だ。

どんなに忙しくても髪の手入れだけは手を抜かない。そう取り決めている私には、その質の良さが髪にあてる前からわかる。

このしおりの花は、中庭で、私がいつも足を止める、あの花だ。花の芯の小さな石は、どこかで見たことのある色をしている。


……まさか。


考えかけて、首を振った。ない。それは、ない。私は、この家の、お邪魔虫。誰の目にも、留まってなどいないはずの。たまたま、見立ての良い品が紛れていただけ。


そう、言い聞かせるのに。手は、その二つをどうしても箱へ戻せない。



机には、書きかけの紙が、広げたまま。いつ、どこへ。何を持って。これからの算段を、少しずつ、書きためている。

その紙の、すぐ隣に。しまいきれなかった櫛としおりが、ふたつ、並んだ。


出ていく支度と、手放せない、ふたつの品。


——ずいぶん、ちぐはぐな眺めだこと。


晩餐会の当日は、もう、すぐそこまで、来ている。


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