06 陰ながら
晩餐会の采配を、任された。
公爵さまが、ご自分の口で、夫人に、と。令嬢にではなく、私に。
正直、面食らった。けれど、任されたなら、やる。やるからには、きちんと。中途半端は、どうにも、性に合わないのだ。
とはいえ、王妃さま付きの頃のやり方を、いきなり、そっくり持ち込むわけにもいかない。王宮には王宮の、この家にはこの家の流儀があるはず。それを知りもせず我が物顔で口を出せば、いちばんに嫌われる。まずは、知るのが先よ。
そう思いながら廊下を歩いていたら、壁のタペストリーに、ふと、目が留まった。何度も通ったはずなのに、立ち止まって眺めるのは、初めてだ。
あら。
縁取りの刺繍が、ずいぶん、細やか。銀の細い枝のあいだに、小さな花が、霜のように散らしてある。見慣れない技法。思わず、指で辿りたくなる。
ちょうどその先で、家令のギルバートが、燭台の据えようを検めていた。
「ギルバート。少し、いいかしら」
「はい。奥方さま」
「この刺繍、とても美しいのね。見慣れない技法だけれど……どこのものかしら」
ギルバートは、私の指の先を追って、それから、少しだけ、声を改めた。
「……それは、当家の領地に伝わります、霜花刺しと申すものでございます。かつては、この縁取りを求めて、遠方の商家からも、注文が絶えなかったと聞きます。ですが、近頃は——地味だ、古くさいと、めっきり。刺す手も、年々、減るばかりで」
もったいない。こんなに、美しいものを。
そこで、ふと、思い当たった。
「ギルバート。ひとつ、頼まれてくれる?」
「この霜花刺しの品を、いくつか、こしらえてもらえないかしら。晩餐会にお越しくださったお客さまへ、後日、ささやかなお礼としてお届けしたいの」
社交界の方々の目に、一度、触れさえすれば。
ギルバートは、私の顔を、まじまじと見た。それから、深く、頭を下げる。
「……かしこまりました。すぐに、手配いたします」
客間に戻って、紙とペンを引き寄せる。晩餐会の手配りを、頭から、書き出していく。
晩餐会で、主催者がもっとも心を砕くべきは、ただひとつ。お招きしたお客さまお一人おひとりに、来てよかった、と思って帰っていただくこと。誰ひとり、ないがしろにされたと感じず、退屈もせず、心地よく過ごしていただく。料理も、花も、灯りも、楽の音も、ぜんぶ、そのための、設えにすぎない。
そして、その心地よさを、目に見えないところで支えているのが、席次の組み方だ。
どなたとどなたを引き合わせ、誰を、誰の隣にお通しするか。仲のよろしくないお二人を向かいに据えれば、せっかくのお料理も味がしなくなる。序列にことのほかうるさい方の席を、ほんの少し誤れば、軽んじられたと受け取って、二度と敷居をまたいでくださらない。口の重い方の隣には、聞き上手を。話の過ぎる方の隣には、受け流しのお上手な方を。どなたが、どこでお退屈なさり、どこで会話が途切れるか。それを、お客さまが席に着く前に、ぜんぶ、読んでおく。
料理や花は、人手とお金をかければ、誰の手でも、それなりに整う。けれど、席次を組む目だけは、お金では買えない。それでいて、一番気を使うところである。
ペンの先が、迷わず進んでいく。霜花刺しの品と礼状のことも、忘れずに、書き添えて。
——よし。あとは、皆に動いてもらうだけ。
書き上げて、私は、家政婦頭を呼ぼうとした。
と、そこへ。見計らったかのようにロゼリアさまから、お呼びがかかった。何かしら。
通された小間には、トルソーが一体。一着のドレスが、うやうやしく着せつけてある。深い葡萄酒色の生地に、銀糸の刺繍を、惜しげもなく。ひと目で、ずいぶん贅を尽くした一着だと知れた。
「ご覧になって、夫人」令嬢は扇を広げ、トルソーの裾を、優美に示した。「晩餐会のために、誂えましたの。いかが?」
「お似合いに、なりますわね」
私が言うと、令嬢は満足げに、目を細めた。
「ところで、あなたさまは当日、何をお召しになりますの? ——ああ、もちろん、公爵さまから、お誂えのお品を賜ったのでしょう? 妻が公の晩餐に出るのですもの、夫君が衣装を贈るのは、当然の習い。さぞ、ご立派なものを頂戴なさったのでしょうね」
ああ。そういうこと。
公爵さまから私が何ひとつ贈られていないことは、どこかでお調べになったのだろう。賜っていないと知ったうえで、私の口から「いいえ、何も」と言わせて、惨めがらせたいのね。なかなか、念が入っている。
けれど、おあいにく。私には、誂えのドレスよりも、よほど心強い一着があった。
「いいえ。わたくしは、王妃さまより賜りました衣装を、着させていただくつもりですの」
令嬢の扇が、ぴたりと止まった。
王妃さま、と聞いて、それ以上は突けないと悟ったらしい。賜り物がないことをあげつらおうにも、その上を行く品を出されては、分が悪い。令嬢は咳払いをひとつして、矛先を、ご自分のドレスへ戻した。
「……そう。けれど、わたくしのこれも、なかなかですのよ。なにしろこの生地、遠い異国から取り寄せた、たいそう珍しいもの。こちらでは、まずお目にかかれませんわ」
得意げに、ドレスの生地の端を、つまんでみせる。
私はその布を、何の気なしに見て——つい、口が滑った。
「あら。これは、ヴェスリア南部の紋織りですわね」
「……え?」
「海沿いの、ティレンという町の織物でしょう。あのあたりは潮風で糸が傷みやすいので、緯糸に、川向こうの山で採れる丈夫な麻を、二度撚りにして織り込むのです。だから、この独特の艶と張りが出る。よく見れば、地紋に、ティレンの船の帆が織り込まれておりますでしょう。あの町が交易で栄えた、誇りの印ですの。たしか、三年ほど前に関税のことで市場がひと荒れして、ずいぶん高値になったと聞きましたけれど。よくぞ、お手に入れられましたこと」
ぺらぺらと喋ってしまってから、はっと、口をつぐんだ。
しまった。つい。
王妃さまにお仕えしていた頃、諸国の品々のことは、ひと通り、頭に入れさせられた。どこから来て、なぜ高値で、どんな政の事情が絡んでいるのか。異国の使節を迎える席で、殿方がそうした話を始められたとき、王妃さまがお困りにならぬよう、隣でそっと、お耳に入れる。それが、私のお役目だった。身についた癖というのは、こういうとき、勝手に、出てしまう。
令嬢は、口を半開きにして固まっていた。ご自分のドレスの生地について、そこまでは、ご存じなかったのだろう。けれど、さすがは貴族のご令嬢。気を取り直すのも早かった。
「……ええ。ええ、もちろん。それくらいのこと、当然、存じておりますわ」令嬢は、つんと顎を上げた。「ティレスの織物くらい、嗜みのうちですもの」
ティレスではなく、ティレンです、とは、申し上げない。少し喋りすぎた。反省である。
――さて。それより、肝心の手順を。
私は、控えていた家政婦頭に、書き上げた手順書を差し出した。これに沿って進めていただければ、と。
すると、家政婦頭が、それを受け取ろうとしたその横から、すっと令嬢の手が伸びた。
「まあ、ご丁寧に」
令嬢は手順書を、ひらりと取り上げる。指先で端をめくりはしたけれど、目は文字など追っていない。
「さすがでいらっしゃるわ。細かなところまで、よく行き届いていること。——ええ、あとのことは、どうぞ私どもにお任せくださいな。この家の勝手をご存じでない方に、これ以上お手を煩わせるわけには参りませんもの」
令嬢が目でうながすと、家政婦頭は、両手を差し出し、手順書を受け取った。
家政婦頭は、令嬢の言を咎めなかった。ならば、この家ではまだ、そういう流れが生きているのだろう。任せた、という公爵さまのお言葉だけで、今すぐ廊下の空気まで変えられるわけではない。
お茶を運んできていた小さな娘——ミナが、その家政婦頭をちらりと見上げた。見上げて、きゅ、と唇を噛む。それから、私と目が合った。
眉を寄せ不安げな顔をしたミナに、私は、軽く微笑んでみせる。私なら大丈夫よ。
「では、お願いいたします」
渡してしまった以上、今ここで取り返せば、場が荒れる。
——まあ、手順は、書いているうちに、この頭の中へ、そっくり畳み込まれてしまったから、取り返す必要もない。ほんとに困った性分だこと。
それでも、ひとつだけ。
「ロゼリアさま。差し出がましいのは、承知のうえで……人の引き合わせには、どうか、お気を配ってくださいね」
「もちろん、存じ上げております。ご心配は、無用ですわ」
存じ上げております。——その「存じ上げて」の中身を、教えてくださらないのが、ほんの少しだけ、気にはなる。
けれど。私は横から舞い込んだ、年増の押しかけ妻。にこやかで華やかなこの方のほうが、よほど、この家の女主人らしい。これ以上、引っかき回すのも、ね。私は、軽く会釈をして、小間を辞した。
廊下に出ると、ふう、と、ひとつ、息が漏れた。
気を紛らわせに、そのまま歩く。配膳室の前を通りかかると、年若い下働きが、つまらなそうに、銀器を磨いていた。山と積まれた銀器を前に、口をへの字に曲げて、ひとつ磨いては、ぞんざいに、脇へ重ねていく。押しつけられた仕事が、面白くないのだろう。
その手元を、私は、つい、覗きこんでしまった。
気配に気づいた娘が、ぱっと、顔を上げる。私を見るなり、さあっと、青ざめた。手が止まり、肩が、びくりと縮こまる。油を売っているのを、奥方に見つかった。叱られる。その顔に、はっきり、そう書いてあった。
私は心のなかで、くすりと笑った。……懐かしいわ。
女官になったばかりの頃。王宮の配膳室で、まったく同じ光景を見たことがある。
あのとき、腐りかけていた下働きの横を通りかかったのは、私が心から目標にしていた、厳しくも素晴らしい先輩女官だった。彼女は頭ごなしに叱りつける代わりに、ふっと足を止め、優しく、けれど誇り高い声で言葉をかけたのだ。
あの日、裏方を統率する『言葉の魔法』を鮮やかに見せてくれた背中。あの温かい記憶が胸の奥にじんわりと広がって、私は思わず口を開いていた。
「ありがとう」
私が言うと、娘は、きょとんとした。
「あなたが今、磨いてくれているそれはね、ただの銀器じゃないのよ。お客さまが、卓に着いて、いちばん初めに手に取るもの。あなたの磨いたその一本が、曇り一つなく光っていたら、お客さまは、ああ、心の行き届いた家だ、と感じてくださるの。広間の飾りつけより、案外、あなたのその指先のほうが、よほど、今度の晩餐会の格を決めているのよ」
娘の目が、まるく、見開かれた。
「だから、よろしくね。あなたにしか、できないお役目だわ」
しばらく、娘は、ぽかんとしていた。それから、きゅっと、唇を結んで、布を握り直す。次の一本を磨く手つきは、もう、さっきとは、まるで違っていた。一本ごとに、光に透かして、曇りを確かめている。
ほう。
——指導への適応、見込みあり。将来が楽しみね。
私は邪魔をしないよう、足音を忍ばせてそっとその場を後にした。
歩きながら、王宮で共に駆け抜けた仲間たちや、あの憧れの先輩の誇らしげな顔を思い出す。『私たちの仕事は、見えないところからすべてを完璧に回すことよ』。擦り切れるほど忙しい日々の中で、教わり、受け継いできた矜持。
そうよ。たとえ歓迎されていない客間の住人だろうと、やるべきことの本質は変わらない。働く者たちを導き、家の格を足元から支える。それこそが、女主人の見えない務めなのだから。
ふふ、と自然に口角が上がる。少しだけ沈んでいた胸のモヤモヤが晴れて、足取りが先ほどよりもずっと軽く、前を向いているのを感じていた。
けれど。
ふと、その軽い足取りが、ピタリと止まってしまう。
女主人の、務め。
……そうよ。そもそも、この屋敷には私にそんなものを求めている人なんて、誰もいないのだった。
脳裏に浮かんだのは、邸内のあちこちに見え隠れする誰かの「好み」と、この場所にすっかり馴染んでいたあの華やかな令嬢の姿。そして、私と顔を合わせるなり、眉間に深い皺を寄せて黙り込んだ旦那さま。
あの二人の間にどんな事情があるのか、私には分からない。ただ、一つだけ確かなのは、今の私が彼らにとって間の悪い『お邪魔虫』であるということだ。
きっといずれ時期が来れば、あの令嬢が正式にこの場所へ収まり、私は静かに身を引くことになるのだろう。王妃さまの口利きで唐突に嫁いできただけの私が、ふたりの間にいつまでも居座るわけにはいかない。
だから、私がこの家の女主人として振る舞うなんて、滑稽な思い上がりでしかないのだ。
——望まれぬ妻。役目、未定。
いつぞやの食卓で、自ら心の帳面に書きつけた言葉を思い出す。
そう、私はただ、あの令嬢が正式な女主人になるまでの間、屋敷が滞りなく回るよう裏から少しだけ手助けをして、時期が来たら去る。それでいい。




