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21/33

21 並ぶための支度

20話と21話を同時刻に投稿してしまいました。

読み飛ばしに、ご注意ください。



翌朝、王宮から使いが来た。


その知らせを受けたとき、私は東棟の居間で、昨日の控えを開いていた。


試作、二種。

数を限る。

値は下げない。


その脇に、私の字で。


近くで、見つけてもらう。


公爵さまの字と、私の字が、同じ紙の上に並んでいる。


昨日、工房へ行くのが「楽しみです」と口にした。

朝になれば、少し気恥ずかしくなるかと思っていたけれど、取り消したいとは思わなかった。


うん。

よい傾向である。


何の傾向かは、まだ分類しないことにする。


「奥方さま」


ミナが、扉の内側で足をそろえた。


「王宮より、お使いでございます。旦那さま宛てと、奥方さま宛てに」


差し出された銀盆には、封蝋の押された書簡が一通あった。

もう一通は公爵さまへ届けられているようだ。


王宮の封蝋。

何度も見た印だ。王妃さまのお側にいた頃は、受け取る側ではなく、整えて差し出す側だった。紙質、折り目、封蝋の厚み。ひと目で、背筋が昔の位置へ戻る。


「ありがとう」


「王妃さまからでございますか?」


ミナの声が、ほんの少し高い。


「王宮式部からね」


「あ……そうなのですね」


口元が、分かりやすく下がった。


「けれど、王妃さまのお目に触れた文かもしれないわ」


「はい!」


今度は返事まで明るい。


――本日のミナ、王宮の封蝋にたいへん弱し。


心の帳面に一行つけて、私は自分宛ての封を切った。


中身は、王宮舞踏会への正式な招待状だった。


毎年、冬の初めに催される大きな舞踏会。

ただ華やかなだけの夜ではない。誰が誰と話し、誰がどの家と距離を縮め、誰がどこで沈黙を選んだか。それだけで、翌日には王都の見えない地図が塗り替わる。


長く働いた場所へ、今度は招かれる側として戻る。

王妃さまの半歩うしろではなく、公爵さまの隣に立つ者として。


招待客の範囲を思えば、ヘイリー伯爵家の名も頭に浮かんだ。

けれど、私はそれ以上考えるのをやめ、手元の招待状に意識を戻す。


「舞踏会でございますか?」


「ええ」


ミナはもう、衣装箪笥の中身まで思い浮かべている顔だった。


「まずは公爵さまへお知らせしましょう」


「はい。返書のお支度もいたします」


言うなり、書簡箱と封蝋まで抱えた。


――本日のミナ、封蝋には弱いが、支度は早い。


たいへん頼もしいことである。





執務室では、公爵さまが、ご自分宛ての書簡をすでに開いていた。


私が入ると、顔がこちらへ上がる。

以前なら、その視線はすぐ書類へ戻っていた。近頃は、私が話し始めるまで、きちんと留まる。


昨日、同じ机の端に座ったせいか。

それとも、私が勝手にそう感じているだけか。


いずれにしても、確認を急ぐ案件ではない。


「王宮舞踏会への招待状が参りました」


「ああ」


公爵さまは、私の手元の封書を見た。


「君も出る」


「はい。公爵夫人として――」


「俺と出る」


用意していた言葉が、その先へ進めなくなった。


公爵さまは、何事もなかったようにギルバートを呼ぶ。


「仕立ての者を。今日中に」


「かしこまりました」


決まるのが早い。

たいへん早い。


「あの、公爵さま。王宮舞踏会でしたら、手持ちの衣装でも」


「だめだ」


「だめ、でございますか」


「今回は、遅れない」


今回は。


晩餐会の衣装のことを仰っているのだろう。あの頃、宝石ばかりが山のように届いたことを思い出す。鼈甲の櫛はあの日、髪へ挿した。銀のしおりは、昨日も同じ机の上にあった。


「前回は、急でございましたから」


「違う」


公爵さまは、言葉を選ぶように一度だけ間を置いた。


「俺が、君のことを知らなさすぎた。何を着るのかも、何が好きなのかも」


低い声が、机の上をまっすぐ渡ってくる。


「今回は、最初から知っていたい」


返事の置き場所が、急に狭くなった。

私は指先で招待状の角をそろえる。すでにそろっている角を、もう一度。


「……ありがとうございます。公爵家の名にふさわしいものを」


「それは仕立て屋が分かっている」


「では、王宮の場に」


「それも、君が外すことはないだろう」


差し出した実務上の理由が、二つともきれいに返された。


公爵さまは、こちらを見たまま言った。


「君が着たいものを選べ」


「わたくしが、着たいもの」


「ああ」


「ですが、私の好みだけで決めるわけには」


「昨日は、楽しみだと言った」


しおりの石を見られたときより、今のほうが落ち着かない。

公爵さまは、昨日の私の言葉を、きちんと覚えている。


「今日も、君の言葉で選べ」


――本日の公爵さま、言葉の差し戻しも早い。

書類なら「再提出」と印を押されたようなものである。

心の帳面へ書くには、少々不敬なので保留とする。


「承知いたしました」


「承知ではなく」


今度は、返事そのものが差し戻された。


公爵さまの口元が、ごくわずかに緩んだように見えた。


「選んでくれ」


「……はい」


ようやく返すと、公爵さまは頷いた。


「俺は、君に合わせる」


「公爵さまが、わたくしに?」


「君と並ぶための衣装だ」


今度は、言葉を公務の棚へ戻すこともできなかった。

私は、招待状の角から手を離した。

これ以上そろえれば、紙のほうが困る。





仕立ての者は、その日の午後、本当にやって来た。


東棟の居間に、布見本が次々と広げられる。

絹。薄絹。光を含む織物。刺繍糸。リボン。小さな飾り金具。


布が一枚増えるたび、ミナが半歩ずつ前へ出た。


「ミナ」


「はいっ」


「あと二枚で、仕立て屋さんのお膝に乗るわ」


ミナは音もなく一歩下がった。


「申し訳ございません」


「気持ちは分かるわ」


仕立て屋は笑いをこらえるように口元を整えた。落ち着いた年配の女性で、物腰は柔らかく、視線は鋭い。人を飾り立てるのではなく、どの場で、どう動き、どう見えるかを考える職人の目だった。


よい方だ。


「王宮の大広間は、中央と壁際で灯りが大きく違います。淡い石床でございますから、重い色は裾が沈み、軽い色は水晶灯に負けます。歩いたときに表情の出る布がよろしゅうございます」


「ええ。王妃さまのお近くでは、正面から強く光りすぎるものも避けたいですね」


「よくご存じで」


「以前、勤めておりましたので」


答えながら、私は並べられた布を見た。


いつもなら、まず場にふさわしい色を残し、次に動線と灯りを考え、最後に自分をそこへ当てはめる。

けれど今日は、着たいものを選べと言われている。


困った。

自分の好みというものは、役目より分類が難しい。


仕立て屋が三枚目の布を広げたとき、私の手は、見本の山の端にある一枚へ伸びていた。


光の向きで、灰にも、深い青にも見える。

派手ではない。けれど沈みもしない。冬の朝、まだ空と霜の境が曖昧な時刻のような色だった。


指先で触れると、布は軽く、なめらかだった。


「それだな」


公爵さまが言った。


「まだ、何も申し上げておりませんが」


「三度見た」


「三度」


「最初に並べたとき。仕立て屋が灯りの話をしたとき。今」


そこまで見られていたとは思わなかった。

頬のあたりだけが、居間の暖炉より一足先に温まる。


仕立て屋が、その布を大きく広げた。


「お好きでいらっしゃいますか?」


格式に合う。

王宮の灯りにも耐える。

王妃さまの御前で出すぎない。

理由はいくつも、すぐに並べられた。


けれど、公爵さまが待っている。

今日も、私の言葉で。


「……好きです」


言ってしまえば、思ったより短かった。


「そうか」


公爵さまの声が、少し柔らかくなる。


「知っていた」


「え?」


公爵さまの視線が、居間の小卓へ向いた。

朝の工房資料を押さえるため、銀のしおりを置いたままにしてある。花の透かし彫り。小さな石。


「昨日、落ち着く色だと言っていた」


「しおりの石と、この布は、まったく同じでは」


「よく似ている」


仕立て屋が、布を私の肩へ当てた。


「旦那さまの瞳のお色にも、よく似ておりますね」


言葉の行き先が、一度に増えた。

しおり。

布。

公爵さまの瞳。

そして、好き、と言ったばかりの私。


私は布目を確かめるふりをした。織りはたいへん細かい。今この場で確認する必要がないほど、たいへん細かい。


公爵さまが一歩近づき、仕立て屋の持つ布の端を取った。

肩から落ちかけた灰青を、まっすぐに整える。

指が私に触れたわけではない。

触れていないのに、その数寸ばかりの距離が、やけに正確に分かった。


公爵さまは、布と私を見比べた。


「やはり、似合う」


「公爵家の夫人として、落ち着きもございますし」


「また家の話に戻るのか」


だめだわ、見逃してくださらない。


「俺は、君に似合うと言っている」


喉が、返事の仕事を一時放棄した。

代わりに、指が布の端をつまむ。強く引けば皺になるので、ごく慎重に。


「……ありがとうございます」


今度は、それだけにした。


公爵さまは、満足したように布から手を離した。


「それがいい」


仕立て屋は、何も見ていない顔で控えへ印をつけた。

さすが、よい職人である。


「旦那さまは、一段深い紺を基調になさるとよろしいでしょう。奥方さまのお召し物には、その深い色を袖口と背の切り替えへ。旦那さまのお召し物には、こちらの灰青を襟元と袖へ」


「互いの色を、でございますか」


私が尋ねると、仕立て屋は二枚の布を隣り合わせた。


「はい。遠目には、それぞれのお召し物。近くで見れば、同じ組み合わせだと分かる程度に」


「近くで、見つけてもらう」


昨日、紙へ書いた言葉が、思いがけないところへ戻ってきた。


「まさに、そのように」


「それでいい」


公爵さまは迷わなかった。


「公爵さまのお好みも、もう少し」


「今、言った」


「え?」


「君に合わせるのが、俺の希望だ」


また、返事が実務へ逃げ損ねた。

私は二枚の布を見た。位置を直す必要などないのに、灰青と深い紺の端を、きっちり同じ高さへそろえる。


仕立て屋が、銀糸の束を取り出した。


「刺繍は、いかがいたしましょう」


私はいちばん細い糸へ触れた。


「霜花刺しを使えないでしょうか」


公爵さまがこちらを見る。


「新しく急がせるのではなく、すでに仕上がっている細い縁飾りがあれば。袖口の内側へ、ごく少しだけ。手を動かしたときに、花が見えるくらいに」


「工房へ確認する」


公爵さまはすぐに答えた。


「だが、無理はさせない」


「はい。なければ、今回は意匠だけを写しましょう」


職人の手を守ること。

近くで見つけてもらうこと。

昨日、同じ紙で決めたことが、今日の衣装へつながっていく。


仕立て屋の控えには、二人分の布と、銀の花が並んだ。

昨日は、同じ紙に二人の字。

今日は、同じ控えに二人の色。


公爵さまと並ぶということが、少しずつ形になっていく。


「仕上がりましたら、裾の動きも確認いたします」


仕立て屋が、採寸紐をまとめながら言った。


「歩くだけでなく、回ったところも拝見できれば」


「回る」


公爵さまの声が、わずかに硬くなった。


「舞踏会でございますから」


「そうか」


返事が、急に慎重である。


私は、公爵さまの横顔を見た。


「舞踏は、あまりお好きではございませんか」


「必要なら踊る」


必要なら。


たいへん、舞踏会向きとは言いがたい答えである。


「王宮舞踏会では、少なくとも一曲は」


「最初の一曲は、俺とだ」


話の向きが、思っていたより鋭くこちらへ返ってきた。

仕立て屋の鉛筆が紙の上で動きをやめて、ミナは布見本を抱え直し、ギルバートは視線を帳面へ落とした。


「もちろん、公爵夫妻として」


「そういう返事ではない」


今日は、本当に逃がしてくださらない。

公爵さまは、私の前へ半歩だけ進んだ。


「君は、俺と踊りたいか」


王宮で必要か。

公爵夫妻として正しいか。

社交上、どう見えるか。


使い慣れた答えは、どれも問われていなかった。


公爵さまは急かさない。

けれど、代わりの答えを用意してもくださらない。


私は、二枚の布を見た。

灰青と、深い紺。

近くで見れば、一組だと分かる色。


「……踊ってみたいです」


語尾が、少し頼りなくなった。

けれど、取り消したいとは思わなかった。


公爵さまの肩から、わずかに力が抜けた。


「俺もだ」


短い答えだった。

短いのに、布も糸もないところまで整えられてしまった気がする。


「では、仕上がりの日に、動きのご確認を」


仕立て屋が、ようやく鉛筆を動かした。


「いや」


公爵さまが言う。


「今からだ」


「今から、でございますか」


「最後に踊ったのが、いつか思い出せない」


それは、たいへん重要な情報だった。


「でしたら、なおさら、順を追って」


「君が教えてくれ」


公爵さまはギルバートへ顔を向けた。


「中央を空けろ」


「かしこまりました」


長椅子が壁際へ寄せられ、低い卓が運ばれていく。

ミナまで、たいへん手際よく布見本を抱えて下がった。


皆、こういうときだけ動きが早い。


公爵さまが、私へ手を差し出す。


「踊ってみたいと言っただろう」


「……はい」


「なら、まず一歩だ」


差し出された手と、空いた床を見比べる。


並ぶためには、衣装だけでは足りないらしい。

同じ方向へ進むには、まず、同じ拍を覚えなければならない。


私は、その手へ指先を伸ばした。

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