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14/21

14 昨夜の報告

公爵視点→エルナ視点です

翌朝、執務机の上には、晩餐会の報告が積まれていた。


ギルバートが夜のうちにまとめたものだ。エルナが書いた手順書と案内係に渡されていた当日の席次表。厨房の段取り。給仕の動き。誰が、どこで、何を止め、何を足し、何をすり替えたのか。

他に、使用人への聞き取り調査もある。時間がないなかよくまとめてくれた。当然、ギルバートも昨夜の責任を感じているのだろう。


読み進めるほど、胸の底が冷えていった。


昨夜は、成功した。


客は笑って帰った。料理を褒め、席札を褒め、音楽を褒め、公爵家のもてなしを褒めた。誰ひとり、卓が崩れかけていたことにも、料理が詰まりかけていたことにも気づかなかった。


だが、それは、宴が崩れる寸前で、あの人が、ひとつずつ支えたからだ。


紙を、置いた。


昨日、俺は彼女を労った。助かった、と言った。よくやってくれた、とも。


間違いではない。

だが足りない。

礼を言うだけでは、とうてい足りない。


この家は、あの人を妻として迎えた。俺が、迎えた。なのに、最初に与えたのは客間で、最初に浴びせたのは旧姓で、最初に見せたのは、別の女が女主人のように振る舞う屋敷だった。


もちろん、そんなことは望んでいなかった。


南向きの客間は、あのとき、すぐに使える部屋の中で、いちばん良い部屋だった。窓が大きく、庭が見え、朝の光が入る。東棟が整うまで、少しでも心地よく過ごしてもらいたかった。


そのつもりだった。


その「つもり」が、どれほど役に立たないものかを、俺は今ようやく思い知った。


言葉にしなければ、善意は形を変える。説明しなければ、部屋は客間になる。ためらえば、空いた席に別の者が座る。


その隙間で、妻は、客人になった。


俺の家で。


俺の妻が。


拳に、力が入った。


怒る資格が、自分にあるのかは分からない。家政婦頭を責める前に、俺がすべきことをしなかった。ロゼリアを退けると言いながら、退けきれなかった。あの人の沈黙に甘えたのは、ロゼリアだけではない。俺もだ。


それでも、今朝だけは、逃げるわけにはいかなかった。


「ギルバート」


扉の脇に控えていた家令が、一歩、進み出る。


「夫人を、ここへ」


「かしこまりました」


「それから、東棟の鍵と、改装の記録を」


ギルバートの目が、ほんのわずか、揺れた。


「……承知いたしました」


それだけ言って、深く頭を下げる。


家令が部屋を出ていくと、執務室は、静まり返った。


窓の外は、昨夜の華やぎが嘘のように白い朝だった。庭師が、宴の名残の花を運んでいる。遠くの廊下を、使用人が行き交う足音がする。いつもより、少しだけ軽い。昨夜、屋敷が誉められたからだろう。


その誉れの中心にいるべき人を、この家は、まだ正しく迎えていない。



◆ ◆ ◆


屋敷が、少し静かだった。


晩餐会の翌朝というものは、たいてい、もっと騒がしい。夜の名残を片づける足音。磨き直される銀器。寝不足を隠しきれない声。失敗の後始末があればなおさら、人の動きは荒くなる。


けれど、今朝の廊下は、妙に整っていた。


静かすぎる、というほどではない。人は動いている。盆も通るし、台車も通る。けれど、昨日までのような、誰の指図を待てばよいのか分からずに廊下の真ん中で足が止まる気配が薄い。


あら。


気のせいかしら。


寝台の端に腰かけ、髪を整えようとしたところで、扉が控えめに鳴った。


「どうぞ」


入ってきたのは、ミナだった。


盆を両手で抱えたまま、扉の内側で一度、きちんと足を止める。そして、深く、礼をした。


「奥方さま。旦那さまより、お言づてでございます」


私は、櫛を持ったまま、手を止めた。


奥方さま。


それは昨夜も、ちらほら聞こえていた。けれど、宴の熱の中で出た呼び方と、朝の静かな客間でまっすぐ差し出される呼び方とでは、ずいぶん、重さが違う。


ミナは顔を上げない。


「朝食ののち、執務室へお越しいただきたい、とのことです」


「執務室へ?」


「はい。旦那さまが、奥方さまを、と」


奥方さまを。


今度は、聞き間違いではなかった。


「……分かりました」


返事をすると、ミナはようやく顔を上げた。目が、少し赤い。

寝不足かしら。昨夜は遅くまで働いていたものね。そう思って見ていると、ミナは唇をきゅっと結び、こみ上げるものを押し戻すように、ゆっくり息を吸った。


困ったわ。


私、今朝はまだ、何もしていないのだけれど。


——本日のミナ、情緒に乱れあり。理由、未確認。


心の帳面にそう書きつけかけて、私はそっと、帳面を閉じた。


たぶん、今朝の私は、採点などしている場合ではない。






朝食の席で、公爵さまは、いつもよりさらに無口だった。


もともとよく喋る方ではないけれど。


今朝は、何度か視線が合った。そのたびに、公爵さまは何か言いかけるような顔をして、結局何も言わない。


落ち着かない。

私の顔に何かついているのかしら。


「あの」


声をかけると、公爵さまが顔を上げた。


「執務室へ、とうかがいました」


「ああ」


短い返事のあと、公爵さまは少し間を置いた。


「昨夜の件についてだ」


昨夜の件。

晩餐会のことだろうか。席次のことかしら。それとも礼状?

考えてみたけれど、思い当たることが多すぎる。


「来てほしい」


結局、公爵さまが言ったのは、それだけだった。


「はい」


答えると、公爵さまはわずかにうなずいた。

どうやら執務室へ行けば分かるらしい。

私はそう考えて、温かいうちにスープをいただくことにした。






執務室の扉の前には、ギルバートが控えていた。


「奥方さま」


昨夜から、何度か聞いた呼び方。けれどこの人の口から、朝の執務室の前で聞くと、また違う。


「旦那さまがお待ちでございます」


「ありがとう、ギルバート」


ギルバートは、扉を開ける前に、一瞬だけ、私を見た。

いつもの、隙のない家令の顔だった。けれど、その目が、昨夜より少しだけ柔らかく見えた。


扉が開く。

執務室には、公爵さまがいた。

机の前ではなく、部屋の中央に立っている。朝の光を背に受けた姿は、いつもより少しだけ近寄りがたく見えた。


「ただいま、参りました」


私が礼をすると、公爵さまは一瞬、私の髪のあたりを見た。


今朝は、櫛を挿していない。昨日の飴色は、机の上に置いてきた。宴の場ではない朝に挿すには、少し、理由が足りなかったから。


公爵さまの目が、ほんの少し、寂しそうに見えた。


……いえ。気のせいね。


「座ってくれ」


示されたのは、執務机の前の椅子。

私は一礼して、そこに腰を下ろした。


「昨夜の件で、改めて話がある」


「はい」


「まず、礼を言う。席のことも、料理のことも、客への配りも。ギルバートから、報告を受けた」


私は、膝の上で指を重ね直した。


「恐れ入ります。わたくしは、できる範囲のことをしただけでございます」


できる範囲。

そう口にした瞬間、公爵さまの眉間に深く皺が寄った。

怒らせたかしら。


「その、できる範囲を狭めたのは、この家だ」


え。

顔を上げると、公爵さまは、まっすぐこちらを見ていた。


「君に、すべてを任せるべきだった。任せたと言いながら、任せきれていなかった。家の中で、誰が夫人なのかを、俺がはっきり示せていなかったからだ」


公爵さまは、そこで一度、言葉を切った。


「それだけではない」


低い声だった。


「ボーガン令嬢の逗留を許したのは、俺だ。君に家のことを伝えたい、という申し出を受けたのも、俺だ。……君が不安だろうと言いながら、その不安の元を、君のいちばん近くへ置いた」


膝の上の手が、動きそうになるのを必死で我慢した。

ご存じだったのだ。あの「陰ながら」の、出どころを。


「過去の因縁を優先し、今守るべきものを軽く扱った。順番を間違えた」


言葉を選ぶように、少しずつ。

けれど、止まらずに。


「そのことで、君に不自由をさせた。すまない」


私は、すぐには返事ができなかった。

謝られるとは思っていなかった。褒められるのも、昨日の時点でたいへん予想外だったのに、今朝は謝罪である。


困った。


王宮の式辞なら、いくらでも整えられるのに。自分のこととなると、急に手元の紙が真っ白になる。


「公爵さまが、お詫びになることでは」


そこまで言ったとき、扉が鳴った。

返事をするより早く、やわらかな声が、廊下から届いた。


「ヴィルヘルムさま。ロゼリアでございます」

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