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12 卓を回す

最初の皿が、来ない。


席札のおかげで、座は和んでいる。けれど、この和やかさが保つのは、長くてあと数分。話の接ぎ穂が尽きるより先に最初の皿が出てこなければ、温まった卓も、すうっと冷めていく。


私は、壁際のギルバートへ、目をやった。


ほどなく、ギルバートが、私のかたわらへ来た。給仕の指図を受けにきた、という体で。笑顔さえ崩さずにいれば、客は何も疑わない。

聞けば、令嬢が直前で品数をいくつか増やしたという。窯も人手も、それには足りない。仕込みばかりが膨れて、どれも仕上がりきらないまま、順番を待っているのだという。


なるほど。それで、最初の一皿が出られずにいる。


「ねえ、ギルバート」


私は、思いついたことを、いくつか、手短に授ける。それから、ひとつ付け加えた。


「いちばん手のかかる仕上げだけ、お客さまの前でなさってはどう? 厨房でなさっていることを、そのまま、卓の脇で。火を入れて、香りを立てて、お皿へ。待っていただくのではなく、見ていただくの」


ギルバートの動きが、止まった。


「卓の、上で」


「ええ。今宵の趣向、ということに」


逆さまな話だ、と思う。窯の火が足りないから、客席に火を持っていく。あべこべにもほどがある。けれど、あべこべだからこそ、誰も、厨房の不手際だとは思わない。困ったときほど、堂々と。長年の知恵である。


ギルバートは、一拍、私を見て。それから、これまででいちばん深く頷いた。






卓の脇に、小さな炎が灯った。


給仕が鍋を傾けると、酒が、ふわりと青い炎を上げる。客のあいだから、ほう、と声がもれた。火が、脂を、じゅうと鳴らす。焦げた果実の甘い匂いが、卓の上を流れていく。


「まあ」

「目の前で、仕上げてくださるの」

「こんな趣向、王都でも見たことがないわ」


——見たことがなくて当然。たった今、足りない窯から、ひねり出したものですもの。


私は、知らん顔で、グラスに口をつけた。


待たされていた時間は、いつのまにか、待つに値する時間に変わっていた。


客が口々に趣向を褒めそやすのを、卓の中心で、令嬢が、我がことのように満足げに受けている。


その斜めうしろで、家政婦頭が、給仕に何か指図しかけて——止まった。怪訝そうに、あたりを見回している。決めたはずの段取りと、目の前で起きていることとが、どこか、噛み合わないとでもいうように。


私は、卓の端から、それを、そっと見ていた。






火を入れた皿が、客の前へ運ばれていく。


ひとつの席で、給仕の足が、ほんのわずか、止まった。打ち合わせておいたとおりだ。その皿だけ、よく似た、けれど少しだけ中身の違う一品が配される。


あの方には、口に合わないものがある。宮中晩餐会が催されたときに配られた資料に、そう記されていたことを覚えていた。変更された料理にその素材が使われていたから、その方の分だけ、別に仕立てるよう伝えたのだ。ただでさえ、混乱しているなか、料理長はしっかりと対応してくれた。ありがたいわ。


皿を見たその客が、ふと顔を上げる。そして、しずかに、それを口へ運んだ。

しばらくして、その方が、隣の客へ、小声で話しているのが聞こえてきた。


「わたくし、子供のころから、木の実がいけませんの。喉が腫れて。けれど、人さまの宴で、いちいち申し立てるのも、はしたない気がして。いつも、そっと、よけておりましたのよ。それが今夜は、私の皿だけ、はじめから入っておりませんでしたの。ねえ、不思議なこと」


隣の客が、まあ、と目をまるくしている。

私は、グラスに口をつけて、聞こえなかったふりをした。






それからも、小さなほころびが出るたびに、使用人たちが、私のところへ指図を仰ぎに来た。


廊下で、配膳室で、これまでひとことふたこと言葉を交わしてきた子たちが、困った顔で、そっと身を寄せてくる。


向こうから、訊きに来てくれたのだもの。これは、でしゃばりには、ならないわね。

私は、ひとつずつ、短く答える。あちらの卓は順を入れ替えて。これはこちらの客へ。短く一言、二言。あとは目と、指先で。頼ってきた子たちは、心得た顔で散っていく。


そうして、気づけば。残すは、デザートと食後のお茶ばかり。


宴は、熱を持ったまま進んでいた。火の入った皿は、どれも好評で、会話もよく弾んだ。盛りすぎた品数は、いくつか取りやめた。ロゼリアさまには申し訳ないけれど、お待たせして、お客さまの不興を買うわけにはいかないわ。不穏な滑り出しの晩餐会は、いつのまにか帳尻が合って、危ういところは、もうどこにも見当たらない。


ひと息、つけそうだ。

そう思った、矢先だった。


ご自分が采配した宴が盛況なことに上機嫌な令嬢が、扇をたおやかに揺らしながら、温室をお持ちの伯爵夫人へ、話しかけた。


「夫人の温室の、冬の薔薇。今年は、さぞ見事でございましょうね。あの花は、寒ければ寒いほど、色が濃くなると申しますもの」


伯爵夫人の扇が止まった。


——あらあら。


冬の薔薇は、寒さで色が濃くなどならない。冷えれば、つぼみは固く閉じて、ひらきもしない。霜とどう戦って咲かせるか——それこそが、あの夫人が、新しい温室に心を砕いてきた、いちばんのご苦労のはず。よりにもよって、咲かせたご当人の前で。


夫人は、微笑んだまま、何も言わない。けれど、その目からすうっと、温度が引いていく。


仕方ない。——私は、グラスを置いて、凍った会話の続きを、引き取った。


「ほんとうに。この寒さで、あれほどの薔薇を咲かせておしまいになるなんて」


令嬢の「寒さ」を、そのままいただく。ただし、向きだけ変えて。


「わたくしなど、軒先の鉢ひとつ、冬を越させるのに四苦八苦でございますもの。夫人は、あの冷え込みを、どうなさっていますの? 霜の朝など、薔薇になんとお声をかけて?」


伯爵夫人の目に、温度が戻ってくる。


「あら。お分かりになる方には、お話ししたくなりますわ」


夫人が、堰を切ったように、語りはじめた。霜の夜の冷え込み、藁の掛け方、朝いちばんの見回り。寒さとどう渡り合うか。聞きかじりでは、ひとことも出てこない、咲かせた人だけの話。卓のあちこちから感嘆がもれて、座は、さっきよりも、よほど深く温まった。


令嬢が、私のほうを、ちらりと見た。横から口を出されたのが、面白くなかったのだろう。


ごめんなさいね、ロゼリアさま。でも、今夜のところは、どうかお目こぼしを。お代はいただきませんから。





宴は、そのまま、滞りなく流れて、お開きの時刻を迎えた。


ふりかえれば、今夜は、ずいぶんと、いろいろに手を出してしまった。女主人の席に、ただ座っているつもりだったのに。気づけば、あれもこれも、考えるより先に、手のほうが動いていた。


……染みついた性分というのは、おそろしいものね。

我ながら、少し、可笑しくなる。


満ち足りた顔の客が、口々に礼を述べて、帰っていく。不興を抱えて帰る人は、ひとりもいない。公爵家の威は保たれた、と思う。


お邪魔虫の私でも、少しはお役に立てたかしら。


そんな心持ちで、客を見送っていると、ひとりの客が、私のそばで足を止めた。あの、人前の苦手な若い子爵の奥方だ。


奥方は、ためらいがちに、けれど、はっきりと言った。


「公爵夫人。お心のこもったカードを、ありがとうございました。こんなふうに歓迎していただいたのは、はじめてで。わたくし……」


そこで、言葉が、つかえる。けれど、潤んだ目が、続きを、ぜんぶ語っていた。深く頭を下げて、奥方は、去っていった。


胸の奥のほうが、小さく鳴る。


この家では、客間に通され、客人のようにあつかわれている、私。

それなのに、客人のほうが、私を公爵夫人として遇してくれる。


うまく、言葉にできない。できないまま、ただ、丁寧に、礼を返した。


やがて、最後の馬車が、門を出ていく。

灯りが、ひとつ、またひとつと落とされて、屋敷は、宴のまえの静けさへ戻っていく。


一夜の祭りが、終わった。


明日からは、また、あの手持ち無沙汰な日々が、戻ってくる。

それは、わかっていたこと。


それなのに。


戻っていく静けさが、思ったよりも、少しだけ、寂しかった。


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