第60話 「ゴブリンの襲撃㉕―ライラン領⑥―」
お久しぶりです、ルウィージェスです。
以前、姉さまに、エルンスト団長が、フォーゲル伯爵と呼ばれたり、ヴァイマル伯爵と呼ばれたりと、人によって呼び方がバラバラだから、何故?と聞いたことがあるんだ。
姉さまの話だと、昔は、治めている州領もしくは領の名と、拝領している爵位を付けて呼ぶのが本来だったらしい。
姉さまだと、ハインライテル州領の領主だから、ハインライテル公爵
宰相オルトールドさんはヴェッティン州領の領主だから、ヴェッティン侯爵
エルンスト団長はヴァイマル州領の領主だから、ヴァイマル伯爵
だけど、州領主の場合は8代以内に、傍系は5代以内に一定の業績を積む事が義務付けられているから、領主が結構な頻度で変わっていたんだそうだ。
それでも、領の名前は変わらないから問題ないとしていたんだけど、代を重ねるごとに、確実に領主の名前が伝わらない事もあったりで、誰が当代当主なのか、あまり交流のない地域の間で、混乱が生じる頻度が高くなってきたらしい。
で、決定的になったのが、ケーニッヒ家の跡継ぎ問題。
当時、王国最南端の領地は、ケーニッヒ家に任せていたんだって。ケーニッヒ家は盾の魂の子孫。盾の魂自体は、全ての能力と記憶を放棄して、通常の輪廻に乗ったけど、その血は脈々と続いていて、王国最大の海岸線をケーニッヒ家に任せていたんだって。
だけど、本家の血筋が途絶え、盾の力を発揮できなくなったから、姉さまが最南端も統治する事になったんだって。
肝心なのは、統治者が伯爵家から筆頭公爵家に変わったって事。
流石に、ここは間違える訳にはいかない、となったらしいよ。
そこで、混乱を避けるために、領地に爵位を付けて呼ぶのを止めて、姓に爵位を付けて呼ぶようにして、誰が当代の統治者で当主なのかを分かりやすくしたんだって。
そういう経緯があって、今は、州領・領に爵位を付けて呼ぶ事はなくなったんだけど、昔からずっと変わらない古参家のみは、州領に爵位を付けて呼ぶ人も、まだまだ多くいるらしい。特に上級貴族の中でも、長く同じ領地を治めている貴族家に、そう呼ぶ人が多いらしいよ。逆に、下級貴族で昔の呼び方をするのは、当主が上級貴族から下級貴族へ変わり、上級貴族の習慣が残っている貴族家のみなんだって。今の下級貴族は、比較的新興貴族が多いから、そういう習慣があった事すら伝わってない事の方が圧倒的に多いそうだ。
因みに、王様は時々、古い呼び方で呼ぶこともあるらしく、王様的には、改まって依頼する時に、古い正式な名称を使っているらしい。
それに、昔、フォーゲル伯爵家は辺境伯家だったんだって。
何故辺境伯ではなく、伯爵家になったのかって聞いたら、古い魔素問題が原因らしい。
なんでも、それまでは、リリーエムラ公爵家以外に、王国最南端の広い海岸線を持つ州領(元ケーニッヒ家が当主だった所)、隣国ドルトルム王国との国境を守るヴェルリエン州領のシューバート侯爵家、リリーエムラ公爵家と同じく広大な森と接していて、隣国ニュールベルグルグ帝国と一部国境を有するフォーゲル辺境伯家が治めるヴェッティン州領のみが、強い騎士団を持つ事が許されていたんだけど、古い魔素問題で魔法が使える人口が減り、魔法の威力が低下し、人口の大多数(主に平民)が生活魔法より強い魔法が使えなくなっていって。
それなのに、古い魔素の蓄積によって魔物は凶悪化し、暴力的になって、頻繁に街や農村を襲うようになったから、その他の州領・領も騎士と兵士を有する事を許可して、自衛するようにしたんだって。
そういう訳で、他の州領・領の騎士団にせよ兵士にせよ、あくまでも魔物討伐が目的であって自衛の為の戦力。だから、彼らが持てる規模は、古参家と比べると遥かに小さく脆弱で、強力な戦力を持つと、国家転覆罪、反乱罪と判断されて即、断罪されるんだって。
古参家以外にも戦力を持つ事になったから、フォーゲル辺境伯家を伯爵家にして、シューバート侯爵家が侯爵家の筆頭、フォーゲル伯爵家が伯爵家の筆頭として、他の侯爵家、伯爵家を監督監視する立場としたんだそうだ。
だから、この二家が持つ権力は、相当らしい。
何故、フォーゲル侯爵家にしなかったの?と聞いたら、昔、あの広大な森で、隣国に近い場所は「辺境の森」と呼ばれていたんだって。それに、隣国のニュールベルグルグ帝国は、あの広大な森に眠る資源に目を付けて、しょっちゅう戦を仕掛けてきていて、都度、フォーゲル家が追撃して、一切の侵入を許さなかったんだって。それで、いつの間にか「辺境伯」と呼ばれるようになって、それが定着したんだって。
じゃ、最初から「辺境伯」じゃなかったの?って聞いたら、最初は侯爵だったんだそうだ。
びっくりだよね。
だから、今でも、立場的には伯爵だけど、権力的には侯爵と同等なんだそうだ。
これだけ長い間、大国として存在し続ければ、それなりに問題が生じて、対応して、変わって行くよね。
やっと、エルンスト団長が色々な呼び方をされる理由が分かったよ。
クラウス団長は州領主ではないけど、子爵の爵位を持っているから、兄のオルトールドさんから領主として領を受け取ってはいるけれど、正式にはまだ就任していないから、シューバート子爵か、シューバート団長。これくらいしかないらしい。
討伐戦に参加する全員が、ルウィージェスが魔法で建てた「宿舎」で熟睡出来たようだ。
皆、顔色が良い。蓄積された疲労感が抜け、食欲が増したのか、皆、朝からもりもり食べた。
朝食後は、団長、副団長たちとルウィージェス、カリンを含めた面々が領主邸に集まり、今後の方針について話し合うことに。
演習場の建造物は、エルンストとルウィージェスの魔法によるものと、領主カールは考えたようだ。あまりの巨大な魔法に、少し慄いているが分かる。
それに気付いたエルンストらは、苦笑するしかない。
話合いと言っても、現状、ゴブリンに襲撃された街の復興作業しか、出来る事がない。
とにかく、営巣地を探して潰さない限りは、領民だけでなく、商業ギルドの商人たちも外に出る事が出来ない上に、外からの物資も届かない。
出来る事は少ないが、それでも、現状把握は大切だ。
先ずは、食糧問題。何がどの程度残っているのか、これを把握する必要がある。
領主カールによると、冬で消費した物資の補充は既に済ましており、薪などの長期保存できる物は、それなりの備蓄はあると言う。しかし、急な襲撃だった為に食料品の備蓄はそれ程なく、特に、飲食店や食料品店が真っ先に狙われた為に、日持ちのしない野菜や果物などの生鮮食品が圧倒的に足りていない、との事だった。
また、領壁内で飼育していた家畜がほぼ全滅状態である為に、鶏卵、乳製品や肉類も、調達不可能な状況にある事もカールから報告された。
それを聞いて、確かに卵を使った料理を昨夜の夕食と先ほどの朝食で、一切見なかった事に気付く。しかもライラン領都はゴブリンに囲まれている。外に魔物の肉も卵も取りに行けない。
また、昨日街の中の安全が確保されてから、領騎士たちが倉庫を確認しに行ったところ、複数の倉庫が破られ、中の物資の多くが荒らされているのも確認されたという。
中には小麦粉や麦なども含まれており、無事が確認された量では、数か月分程度にしかならない事も分かった。
食料品に関しては、王国で全般的に用意して貰う必要がある。しかも、定期的に、期間はゴブリン問題が解決するまで。
卵や乳製品用の家畜の提供も依頼しなければならないが、これは、少し時間がかかるだろう。
ライラン領都側も、家畜用の飼育小屋などが壊滅している。こちら側も、受け入れ態勢が整うまでには少し時間がかかる。王国からの肉類や卵の提供は、野菜等以上に数が限られる。領民へは、当面は配給という形で配るしかない。その為にも、生存者数の確認も必要だ。
騎士団、魔術師団、リリーエムラ公爵騎士団共に、兵糧として日持ちのする野菜と果物は馬車に積んで持って来ている。現在は「宿舎」に保管してあるが、それを、領民に解放する事にする。ルウィージェスの【ゲート】でいつでも調達できる為、討伐参加人数分くらいなら、何とかなる。
領主カールは何度も何度も頭を下げ、食料品の提供を喜んだ。
各避難所に避難人数の確認、同時に、特に満遍なく栄養を必要とする未成年の人数と、少量でも高栄養を必要とする高齢者の人数の把握の伝令を出すよう執事に命じた。執事も、領民に食料が提供できることが嬉しいようだ。大変な作業になるだろうが、その顔は明るい。
次に確認したのは、ゴブリンの営巣地について。
「ウール川沿いに大小複数の林がありますが、この辺りでは岩山辺りまで行かないと、大きな森はありません。あれだけのゴブリンとなると、岩山辺りの森に複数作られていた、としか考えられません。」
領主カールが、ライラン領土全体の地図を示しながら説明する。
エルンストが、退役軍人の村長レオンから聞いた、オーガの目撃情報について質問した。
「オーガですか?…多少はありましたが、ザークセン州領の方での目撃情報が多かったので、プファルーツ州領側での目撃情報があった時だけ、特に冒険者に対し、近づかないよう注意していました。オーガが町や村を襲ったという情報は、ここ何十年かございませんでした。」
村長レオンから聞いた話しと同じだ。オーガの本拠地は、ザークセン州領側にあったと思われた。
「最近ですと、いつ頃に目撃されていましたか?」
領主カールは少し考えて言った。
「…一昨年の春だったか。…そうですね、一昨年だったと思います。去年は例年になくゴブリンの目撃情報が多く、冒険者ギルドに複数回、討伐依頼を出しましたから。」
これも領主レオンから得た情報と同じだ。
領主以外の参加者が、お互いの顔を見合わせた。
「ライラン領の近くを縦断する岩山について話しておく事がある。」
クラウスは、ここに至るまでのゴブリンの目撃情報と、洞窟でのゴブリン掃討戦について話した。
「「10,000匹近いゴブリン?!」」
領主カールと後ろに控えていた執事が同時に異口同音で叫んだ。
クラウスは、二人に頷きながら説明を続けた。
「あの洞窟のゴブリンがこの街まで到達したかは、分からない。いずれにせよ、ゴブリンの巨大営巣地は、複数あると考えている。今回この街の中に入り込んだゴブリンの数だけでも、既に一般的な巣窟の大きさを遥かに凌駕した数になっている。そして、先程、庭園から見た、領壁の外に群がるゴブリンも。」
カールも朝一で、それは確認した。領壁を囲む結界の周辺は完全にゴブリンで埋め尽くされ、見えるのは、黒っぽく見える蠢く頭、頭、そして頭。
カール自身はスタンピードを経験した事はない。だが、伝え聞くスタンピードよりも、遥かに多い、そう感じていた。
「我々が掃討戦を行った洞窟は、明らかにゴブリンが作ったものではなかった。あれは、オーガクラスでないと作れない洞穴だった。」
「つまり、我々が目撃したオークが巣を捨てた後をゴブリンが占領した可能性があると、」
「あの硬い岩山を掘るのは、ゴブリンでは不可能だ。」
「今まで確認されているオークの巣は巨大な物ばかりです。その大きさにゴブリンが営巣した…と?」
「そう我々は考え、国王と宰相閣下にも伝えた。」
一瞬「伝えた」という言葉に違和感を覚えた領主たちだったが、そもそも騎士団たちがルウィージェスの【ゲート】で来ているのを思い出し、理解した。
「それに、」
クラウスは、一旦エルンストやアダルベルトたちに視線を送った。
「我々が対峙したゴブリンは、従来のゴブリンとは全く異なっていた。」
クラウスの言葉に、領主らは軽く首を傾げる。
「恐らく、領騎士らから聞いているかと思うが、膂力が全く違っていた。」
その言葉に、カールが「あ、」と小さく声を上げた。
「確かに。騎士らから、異常に強いゴブリンがいる、と報告がありました。」
クラウスらは、如何に従来のゴブリンから外れた集団だったかを説明した。
「それで、あれだけの死傷者が出た、という訳ですか。騎士や兵士たちも、ゴブリンを相手にしている割には負傷者が多いな、とは思っていましたが。私はてっきり、数で負けたから、と思っていました。」
カールのその言葉に、後ろに立つ執事も頷いている。彼も、そう理解していたようだ。
「従来のゴブリンだけだったら、あれ程の短時間で、あそこまでの建物被害は出ないだろう。」
その言葉に、カールの目が一瞬、大きく開いた。
「確かに、建物被害の報告が上がってくるのがとても速かったし、その多くが、破壊や損壊だった。思い返せば、窓や扉の被害だけではなかった、な?」
最後の言葉は、執事に対しての確認。
執事も大きく頷き、同意している。
「あの時は、とにかく、とんでもない数のゴブリンの襲撃に驚き、それによる被害状況の報告でしたから違和感を覚えずにいましたが、皆様の説明を聞いて改めて思い返せば、従来のゴブリンの攻撃ではあり得ない被害度でした。しかも、短時間で。」
執事の後ろに立つ領騎士たちも、改めてその異常性に気付いたようだ。お互い顔を合わせ、頷き合っている。
状況が把握出来たら、次の行動を決める必要がある。
「今後なのだが、リリーエムラ公爵家の騎士団をここに残し、我々は次の拠点の確保に向かうのだが、」
そこまで言うと、クラウスは一旦言葉を止め、後ろに立つ騎士らに言葉を掛ける。
「初めに、ゴブリンの襲撃を確認した者に話を聞きたいのだが。」
カールも騎士らに問う。
「初めにゴブリン襲撃の報告をしてきたのは兵士だったが、当直の見張りが気付いたのか?」
その問いに答えたのは、後ろに立つ騎士の中でも、年長に見える者だった。
「いえ、始めにゴブリンの大群がこちらに向かって来ていると報告したのは、一度領都を出て、直ぐに引き返し戻って来た商業ギルド所属の商人の一行でした。その言葉で、急ぎ近くにいた兵士と騎士が櫓に登り確認したのが、岩山方面からこちら側に広がってくる、黒く大きな波でした。」
その答えにいち早く反応したのはクラウス。
「岩山方面から来ていたのだな?」
「はい、左様でございます、騎士団長閣下。」
「その後、どっち方面に広がったか、誰か見ていないか?」
「は!その多くは、領壁から離れませんでしたが、後ろの方のゴブリンは、北側、ザークセン州領側に徐々に広がっているのを、高い場所から大群の動向を見張っていた者たちが確認しております。」
「プファルーツ州領の州領都側には移動していなかったか?」
「いえ、もしかしたら多少はいたかもしれませんが、殆どが北側へと進んで行きました。」
クラウスはエルンストらの方に視線を送る。エルンストらも無言で頷き、クラウスに続きを促す。
「我々は、既に襲われているか、囲まれているかしているだろう、北側にある領都を目指す。何か、北側の領都やザークセン州領側から、情報は入っていないか?」
領主カールは執事を見た。執事は黙って首を振った。
「早馬を出す余裕もなかったか。」
「かもしれませんね。出したとしても、こちら側は届かないでしょう。我々が陛下と宰相閣下と話をした時は、ライラン領からの早馬の件だけでした。その後にザークセン州領側から早馬を走らせたとしても、もう王城に届いている筈。遅くとも、もうそろそろ着く筈です。」
「だな。」
クラウスも、エルンストの意見に同意する。
「既に陛下も兄上も、『鳥斥候団』に手紙を一度託している。その飛行速度もご存じだ。もし追加情報があったら、手紙を託している筈だ。」
「魔鳥は、あの距離なら数時間で飛びます。」
「もし今日中に届かなかったら、早馬を出せる状況ではなかった、と考えるべきだろうな。」
それには、ザビーネたちも頷く。
行く方向は決まった。しかも、時間的猶予がない可能性が高いことも分かった。
大人しく聞いていたルウィージェスが、小声でクラウスとエルンストに問いかけた。
「ここから北側にある、岩山から一番近いザークセン州領側の街は、岩山からどのくらい近いの?」
「このライランの街と同じくらいの街が、ここからだと、馬車で、」
クラウスはカールに視線を送った。クラウスも、地図上での位置関係は分かるが、実際の距離は分からない。
「このライランの街から北側に広がる大きな森の入り口までが、プファルーツ州領で、その先からがザークセン州領となります。ここから一番近い領都は、ボルベト領の領都で、馬車で2日程。そこから少し東北側に馬車で2日程の所に、ヴォルズム領の領都があります。」
その説明を聞いて、クラウスが意外な顔をした。
「思ったよりも近いのだな。」
「はい、ですが、その途中は、左手側には岩山と大森林、右手側も、プファルーツ州領側の丘陵が続いており、村という村も存在していません。街道が1本だけ通っておりますが、大森林の中を突っ切ったように作られた道です。ですので、馬車で2日というのは、休憩は最低限で、馬に無理を強いての走行での日数ですので、他の場所では3日もしくは4日かけて通る距離に相当するかと。」
苦笑しながら、クラウスの問いに答えたカール。
「あぁ~。それでは、ボルベト領の領都までは3日くらい、そこからヴォルズム領の領都までが2日くらい、と考えた方が良いのか。」
「はい、その位で見積もっておいた方が良いかと。」
領主カールは、ルウィージェスの方を向いて続けた。
「この辺りで、岩山に一番近いのはボルベト領の領都になります。ボルベド領は岩山の麓までが領地で、麓から領都までは、馬車で1日もかからない距離にあります。あの岩山からは良質な硬い岩盤が採掘できるので、領都から岩場の採掘場まで、かなり広い道が整備されております。」
岩山から領都までの距離の近さに、ルウィージェスとカリンはお互いに少し顔を顰めた。
洞窟内殲滅時に神術で確認した時、その辺り一帯は既にゴブリンで埋め尽くされていた。
ボルベト領都は、ライラン領都よりもひどい状況にあるかもしれない、二人してそう思った。
同時に、そこが既にザークセン州領である事にも驚く。
『なんか、おかしくない?』
念話でカリンに問いかけた。
『えぇ、ザークセン州領の領都ドレスデンから王都まで馬車で3日の距離と国王陛下も宰相閣下も言っていました。』
『何で王城に連絡、来ていないんだろう?』
『距離的に岩山に近いボルベト領から早馬は難しいかもしれませんが、ヴォルズム領からなら、時間的余裕もあった筈です。』
『そうだよね。』
王城に連絡が届いていない理由は分からないが、ともあれ、今、あそこを通るのは不可能だ。
だが、騎士団と魔術師団は二人が神族であるのは知っているが、ライランの街の者たちは、領主も含めて知らない。
あそこの状態を説明するわけにはいかないが、あそこに団員を派遣させるのは阻止したい。
カリンと念話していたルウィージェスは視線を感じ、意識を会議へ戻すと、領主カールと目が合った。
「リリーエムラ伯爵、伯爵が張って下さった結界は、どのくらい持つのでしょうか?」
その質問を聞いて、まだカール等には、結界の説明を一切していないのを思い出す。
「外の結界なら1年以上持つから、安心して。それに、ゴブリンが大量にぶつかってきたからって、結界の寿命に影響が出るとかも、一切ないから。」
領主カールと執事が大きく息を吐いた。
問題解決までに1年以上かかるのは、それはそれで問題だが、少なくとも、復興と並行して、急いでゴブリン討伐を行う必要もないと聞き、後ろに立つ騎士らも安堵する。
これまでの話で、この先に、領都が2つもある事が分かった。
だが、このゴブリンの大群だ。まだ領都が無事という保証もないし、それ以上に不気味なのは、王都から3日の距離でしかないザークセン州領の州領都ドレスデンから、王城への報告がない事だ。もし、州領都ドレスデンが既にゴブリンの襲撃になっているなら、逆に、早急に王都へ戻って、ザークセン州領側に防衛を張る指令を出さなければならない。
とにかく、ルウィージェスは過干渉と判断されるような事は避けなければならない。だが、同時に、自分の眷属である亜神たちが『守護の加護』を与えている二人の安全を優先する必要もある。
ならば、とルウィージェスはクラウスとエルンスト等を見ながら提案する。
「今、こっちには『鳥斥候団』が7羽いるから、みんなに偵察に行ってもらおうか。」
クラウスとエルンストが顔を見合わせる。魔鳥に偵察させる、それを言葉通りにとれば、それは、上空からの偵察となる。
「そんな事も出来るのですか?」
「うん、斥候団に【時空間魔法:記録】の魔石を付けて、上空を飛んでもらえば、こっち側は【時空間魔法:スクリーン】で確認できるから。」
時空間魔法でなら、時と場所を選ばずに、という意味になる。
「「お願いします。」」
どのような形で行われるのかは分からないが、今、この場所で2つの領都の様子が確認できるのであれば、異を唱える理由はない。クラウスとエルンストは即決で頼んだ。
『世界樹の空間』でのんびりと過ごしていた「鳥斥候団」7羽を呼ぶと、未だかつてないほどに羽根が艶やかになり、業務をやる気になっていた。【時空間魔法:記録魔石】で作った『記録魔石』を足首に括り付け、ザークセン州領方向へ飛ばす。
そして【時空間魔法:スクリーン】で大きなスクリーンを作り、皆で見えるようにした。
【スクリーン】の画面を8等分にして、7つの画面には、「鳥斥候団」の足に取り付けた魔石がとらえた風景を映し出す。そして、残りの1つには、「鳥斥候団」がどの位置を飛んでいるのか分かるように【空間魔法:地図】で、ザークセン州領までの地図を表示した。
「鳥斥候団」がもの凄い速度で飛んでいく。それでも、はっきりと大量のゴブリンがいるのが確認できた。
意味が分からずに、しかし、口を出すのも躊躇し、黙って王国騎士団長と宮廷魔術師団長の会話を聞いていたライラン領の面々。
「こ…これは、凄い…。」
領主、執事とライラン領の騎士たちが呻く。
そして、領主カールが漸く気付く。ハインライテル公の実弟の伯爵が、常識を大きく外れた強大な魔術師である事に。そして、ハインライテル公爵家の、惑星と同じ名が入る、リリーエムラの姓を持つ者は、本当に創造神の血族なのだと、あれは噂ではないのだと、理解した。
神の血族。半分恐ろしいと思いながらも、その者が手を貸してくれている。それは、非常に心強いものであり、ありがたいと思う。
そう言えば、とカールは思い出す。冒険者ギルドから、リリーエムラ伯爵の回復魔法で、多くの領民が命を救われた、と報告があった事に。
あの時は、回復魔法が間に合ったと理解した。だが、恐らく、普通の回復魔法では助からない命も助かった、という意味だったのだ。
領主カールは、自分に背を向け立ち、【スクリーン】に映る動く絵の説明をしているルウィージェスに、深く礼をした。
もうカールからは、ルウィージェスに対する畏怖の念はなかった。あるのは、畏敬の念。
一方で、魔導王ルウィージェスが使う魔法の規模にすっかり慣れた面々は、通常モードで【スクリーン】越しから見える状況に注目していた。
アダルベルトが大きく溜息をつく。
「これでは、早馬は来られまい。」
「王都にも辿りつけないだろうな、これでは。」
クラウスも溜息しか出ない。
「一体、営巣地いくつ分のゴブリンなのでしょう。」
エルンストも溜息だ。
「もうこれは、ゴブリンだけのスタンピードと言っても良いのではありませんか?」
ウィルヘルムの声には疲れが出ていた。見ているだけで疲れてしまったようだ。
「数年後には、ゴブリンのスタンピードと、教科書に載るかもね。」
現役学生のルウィージェスが言うと、
「ルウィージェス様が卒業する頃には、載ると思いますよ、これ。」
ウィルヘルムも苦笑しながら続けた。ここにいる皆が半分忘れかけているが、ルウィージェスはまだテューゲンリン王国王立アカデミー、初等部2年生。
「まぁ、教科書にも掲載されるかもしれない大事件に携わっていると言うのも、なんか、誇らしい気もしますけどね。」
ルウィージェスを除けば、ウィルヘルムが一番若い。
アダルベルトがゲンコツを喰らわせた。
「そういう事は、全てが解決してから言え。」
「失礼しました…。」
素直に反省するウィルヘルム。
少し、緊張感が解れた。
領主カールは後ろから様子を見ていたが、スクリーンに映る景色から、その場所がどの辺りなのか、見当がついたようだ。
「本来でしたら、その辺りでボルベド領都とヴォルズム領都へ分岐する道が見える筈なのですが、」
その言葉を聞き、クラウスはルウィージェスを見た。
「ルウィージェス様、この辺りから右側と左斜め側に分けてください。」
「分かった。」
ルウィージェスは右手を挙げ、魔力玉を飛ばした。すると、右側に4羽、左斜め側に3羽と分かれた。
数分後、右側に防壁が見えた。ルウィージェスは再度魔力玉を飛ばした。すると、鳥たちは防壁を囲むように旋回し始めた。
ほぼ同時刻、左斜め側にも防壁が見えた。ルウィージェスが魔力玉を飛ばすと、こっちの鳥たちも、同じように防壁を囲むように旋回し始めた。
皆が食い入るように【スクリーン】画面を見る。
「右側の町がヴォルズムか?」
クラウスが少し後ろに立つ領主カールに聞くと同時に、クラウスは少し横にずれ、カールが近づいてスクリーンを凝視する。
「そうですね…、あぁ、あの領主邸はヴォルズム領主のものです。」
「すると、左側がボルベト領だな。」
クラウスは難しい顔をしている。
「ルウィージェス様、ボルベドの方、もう少し詳しく見る事、できますか?」
「うん。高度を少し落とすように伝える。」
ルウィージェスの魔力玉が消えると、3羽の内2羽が高度を落とし飛び始めた。
「領主邸、窓、割れていないか?」
クラウスが誰へとなく呟く。
皆がボルベドの画面をじっと見る。
ルウィージェスはもう一度魔力玉を出した。すると、高度を下げた2羽の内、もう1羽が領主邸と思われるひと際大きな建物の周りを旋回し始めた。
「やられている!」
領主カールが、半ば悲鳴に近い声を上げた。口元を抑える両手が震え出した。
さっと映った部分だけでも、複数枚の窓が割れており、中に蠢くものが見える。
とその時、割られた窓から新たなゴブリンが数匹、連続して建物内に侵入していく様子が映った。
ルウィージェスは魔力玉を出した。すると、今度はヴォルズムの方の鳥2羽が低空飛行を始め、その内1羽が領主邸の周りを旋回し始めた。
「こっちはまだ持ちこたえていますね。」
エルンストは、庭園にゴブリンの姿を認めなかった事に安堵し言った。
クラウスは、皆に視線を送り、言った。
「ヴォルズム領を優先する。」
その言葉に、皆が頷く。
ボルベド領の領都は、もう、諦めるしかない。領主邸が既にゴブリンの侵入を許している。
スクリーンに映る建物の破損と損壊の程度から、ボルベド領都を襲ったのは、新種のゴブリンと断定して良い。例え、隠し部屋などに避難していても、あの大群の中、救出に向かうのは不可能。
一つの領都が壊滅した。これは王城に早急に報告しなければならない。
領主カールの説明によれば、ヴォルズム領の先にはトリーマ領があるが、馬車で3日の距離でしかない。トリーマ領からザークセン州領の州領都ドレスデンまでは、馬車でたったの4時間程度。
現在、ゴブリンが何処まで広がっているか分からないが、間に合うなら、トリーマ領から先には行かないよう、結界などを張って、それ以上のゴブリンの北上を阻止しなければならない。
クラウスは王城にザークセン州領の状況を伝えに行く。同時に、副団長フィンに、交代要員の準備をしてもらう必要もある。
現在の騎士団、魔術師団共に、団員は、既に洞窟内討伐、ライラン領に至るまでの村々での討伐と救助、そして、ライラン領都での討伐と救助と、1週間連続して戦い続けている。次のヴォルズム領の討伐と領都の保全が終わったら、交代させなければならない。
リリーエムラ公爵家の領騎士たちも、同じ状況だ。アダルベルトも、リリーエムラ公爵家の領地に一度戻り、交代要員の準備をする必要がある。
食糧問題も同様だ。ライラン領都だけでなく、既にヴォルズム領都も似たような状況になっている。領壁内へのゴブリンの侵入は阻止しているが、それも、あくまでも今現在の状況であり、自分たちが辿り着いた時はどうなっているか分からない。
領都内に住む領民全ての食料となると、流石に王城でも、そう直ぐには用意出来ない。予め、伝えておく必要がある。
エルンストとザビーネ、そしてウィルヘルムは残り、団員たちに現状を伝え、早急に次の戦いの準備を整える必要がある。
ルウィージェスはクラウスとアダルベルトを連れて、まずは王城にクラウスを残し、王都のリリーエムラ公爵家に【ゲート】を開いた。
王城で緊急謁見を求めたクラウスは、直ぐにいつもの会議室に通された。
「「ボルベドの領都が…。」」
「鳥斥候団」に取り付けた『記録魔石』から見た状況をクラウスから聞いた国王アギディウスと宰相オルトールドは絶句し、二の句が継げぬ状態となった。
領都というのは、その領の中で一番堅固な領壁を持ち、多くの騎士や兵士が常駐する、領の要だ。流石に、最も高い防御機能と兵力を持つ領都が既に壊滅状態になっているとは予想もしていなかったようだ。
「魔石から送られる上空からの映像で見ただけなので、生存の有無は確認出来ていません。ただ、複数の窓ガラスが割られ、中に侵入するゴブリンの姿を確認しました。それに、ライランの街からボルベドの街まで、『鳥斥候団』が通過した場所にも大量のゴブリンの姿を認めました。恐らく、早馬での連絡は無理でしょう。」
既にゴブリンはヴォルズム領都まで押し寄せていた。ボルベド領都が早馬を出そうとすれば、地形的にヴォルズム領都に向かわせるしかない。例え早馬を出したとしても、ヴォルズム領都に届く確率はかなり低い。奇跡的にヴォルズム領都に届いても、あの状態では、トリーマ領に向けて早馬を出せなかったと思った方が良い。
「ザークセン州領の州領都ドレスデンは王都側に位置していますからね。ヴォルズムやボルベドからの連絡が全く入っていないのでしょう。」
宰相オルトールドは左右に頭を振りながら国王アギディウスに言った。
「であろうな。ザークセン州領主からは一切の連絡が入っていない。よもやこのような状況になっているとは、夢にも思っておるまいよ。」
国王のその言葉で、ゴブリンの大群はまだトリーマ領を超えていない、とクラウスは判断した。
国王は、姿勢を正した。
「クラウス騎士団長、報告感謝する。食料の準備を早急に開始しよう。量が量だ。並行して、北側の州領主に備蓄の提供を求める。」
最後の言葉は、オルトールドに対しての言葉だ。
オルトールドは、ヴェッティン州領を治める州領主でもある。国王からの言葉に家臣の礼をし、ヴェッティン州領主として、承諾する。
「これから、ヴァイマル州領主ヴァイマル伯にも書面を記す。フォーゲル伯爵に渡して欲しい。内容は、代官を務める前伯爵のデトレフ・フォン・フォーゲル殿に備蓄の件を記した書面を送る、とする。」
書面の準備が出来るまでクラウスはその場で待ち、兄オルトールドからヴァイマル州領主のフォーゲル伯爵宛ての手紙を受け取ると、真っすぐ騎士団棟に向かった。
副団長フィンは既に交換要員を準備しており、いつでも行ける準備が整っていると伝えた。
また、フィンの元には、魔術師団の宮廷魔術師団錬金部門から、魔力回復薬の準備が大分整ったと連絡が入っており、いつでも追加分を送れる、との事だった。
今、エルンストを呼びたくても、ルウィージェスは王都のリリーエムラ公爵邸に顔を出しに戻っている。クラウスが魔力回復薬の量を確認する為、宮廷魔術師団の棟へ向かう。
留守を預かっている宮廷魔術師団の団員カーラ・フォン・クヴァストは、魔法陣作成班に所属し活躍していたが、ルウィージェスから魔力制御法を学んで以降、各種回復薬の性能が急激に向上した一人。今では、ポーション作成班の班長ビアンカ・フォン・シュルツと比較しても遜色ないレベルになっている。
宮廷魔術師団の中では、常に副団長のザビーネに次ぐ魔力量を誇る団員の一人に数えられ、創造神教会を支えるシュミット伯爵家縁の者でありながら教会には属せず、宮廷魔術師団に入団した変わり種。
今回の討伐戦には、団長と副団長が参加している為、留守を預かる宮廷魔術師団団員の中では、最高位の立場にある魔術師団の宮廷魔術師団錬金部門の部門長だ。
本人は、父親は子爵家当主だが、母親は伯爵家元令嬢という事もあり、上級貴族家特有の礼儀作法を身に付けており、宮廷魔術師団錬金部門の部門長に就任して以降は、主に外商を担当している。
今は、副団長代理という立場で、外部からの回復薬類や魔法陣の注文に対応している。
魔術師団秘書アネカセに聞くと、カーラは研究棟にいると言う。
「カーラ部門長、忙しい所すまない。騎士団のフィン副団長に連絡くれたそうだな。エルンスト団長の代わりに来た。魔力回復薬、どのくらい準備出来ている?」
魔力回復薬に使う薬草の在庫の確認をしていたカーラは、部下から連絡を受け、慌てて廊下に出た。
「クラウス団長、わざわざ足をお運び頂きありがとうございます。エルンスト団長から受けました、魔力回復薬の準備は整っております。こちらです。」
クラウスはカーラの後を付いて行く。
扉には、「回復薬保管室」と書いてあった。
部屋に入ると、真正面に窓があり、右側に「外傷回復薬、外傷回復魔石」と、左側に「魔力回復薬、魔力回復魔石」と掘られた薄い石板が棚に埋め来られていた。
自然から採取した鉱石は、木材と比較しても魔力が乗りにくい。その為に、わざわざ薄い石板を使っているのだろう。
騎士団では、魔力の乗りやすさなどを気にする必要な物を扱っていない。
その辺りに騎士団との違いを感じる。
カーラは、一番手前の左側の戸棚、入り口の扉から数歩の所にある戸棚の一番下の観音開きの扉を開いた。
そこには、木箱がぎっしりと詰め込まれており、木箱の中には瓶が並んでいた。
「今、お渡しできる魔力回復薬160本が、こちらに用意してあります。」
クラウスはエルンストが何本追加作成依頼を出したか知らないが、普段見る事のない量に、少し圧倒された。
第55話から続くライランの街、最終話です。次はヴォルズム領都に向かいます。
ルウィージェスの魔法で建てた「宿舎」で熟睡し、すっかりリフレッシュした騎士団、魔術師団、リリーエムラ公爵家騎士団の面々。
ザークセン州領に向けて、ルウィージェスの「飛行板」で移動を始めたクラウス、エルンストと、ルウィージェスとカリン。
そこには、思わず言葉を失う光景が広がっていました。
ヴォルズム領都は、正面は死守出来ていましたが、領壁や樹木の枝などから、ゴブリンの侵入を許していました。しかし、まだ、ライラン領都程の被害は被っていませんでした。
しかし、ヴォルズム領都は平原にあり、四方がゴブリンに囲まれていました。
次は、来週9月26日(土)20:00公開予定です。
第61話 「ゴブリンの襲撃㉖―ヴォルズム①―」
来週もよろしくお願いいたします。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
月 千颯 拝




