第56話 「ゴブリンの襲撃㉑―ライラン領②―」
前回に続き、私、プファルーツ州領、ライラン領の領主カール・フォン・グラス・ライラン子爵が担当いたします。
流石、王国直下の、国の防衛の要。騎士団と魔術師団、リリーエムラ公爵州領騎士団が参入して以降、各避難所で領民の避難を手伝っていた領騎士や兵士等から、あっという間に各避難所の前が安全地帯となり、負傷して動けなくなっていた領民が、いつ回復魔法を受けたのか分からない速度で完治し、避難所の手伝いを始めた、と次々と報告が上がり始めた。
襲撃直後からずっと、領民に関しては、負傷者の情報しか入ってこなかった。避難する間もなく襲われ負傷した領民の情報ばかりだった。そして、時を同じくして、死傷者の情報も…。
特に何の訓練も受けていない普通の領民が、ゴブリンが縦横無尽に走り回る街中を避難する事なぞ出来やしない。ひたすら屋内で、ゴブリンの声や足音に震えながら、じっとしていたに違いない。
あの状態では料理する事すら出来なかっただろう。火を使えば、匂いが出てしまう。我々、領主邸の者たちと同じように、きっと、生でも食べられるパンや果物、ナッツ類などで空腹を凌いでいただろう。だがそれだって、限界がある。日に日に目減りする食料に、心細くも感じていただろう。水だって、どの程度保管していたか。
領騎士や兵士らが、領民らが避難していると思われる建物を中心に、王都から応援が来たと、声を掛け伝えると、次々と非難を開始した、という報告が上がり始めた。
食料が尽きた者たちが、生きるために外に出る決断をした。
どれだけの恐怖と戦っていたか。屋内に避難し続けるのも難しい、外に出て避難するのも難しい、どっちを選んでも命がけ。
我が領騎士も兵士も、多くが負傷し、避難所に収容されていたのだが、教会に避難していた者たちは、魔術師らから回復魔法をかけて貰ったと言っていた。
そうそう、薬師ギルドに運ばれた者たちからの報告は興味深かった。
薬師ギルドに運ばれていた者たちは、魔石を握りちょっと魔力を流すように言われ、その通りにしたら、あっという間に治ったと言っていた。
握って魔力流して傷を治す魔石など聞いたことがないが、どうやら、騎士団員は全員が所持していたようだ。
当代の魔術師団団長フォーゲル伯爵は相当な魔術師との噂がある。恐らく、リリーエムラ伯爵と共に開発した物なのだろう。
もしくは、リリーエムラ公爵家の秘術か。神の血族だ、秘術を受け継いでいても不思議ではない。
いや、その秘術を公開してくれた、という事か。恐らく、公爵閣下の判断ではないだろう。
あの宿舎や風呂の建造魔術だって、秘術だったに違いない。あのような、巨大魔術を受け継ぐ一族。それが、神の血族のリリーエムラ公爵家、という事か。
そして、それを施行出来るだけの魔力と技術を持っていて、その秘術の公開の判断すらも、姉上である公爵閣下から許可を得ている、という事か。
しかもあの年齢で。
だから、今回の討伐戦にも同行しているのだろう。
あの、【ゲート】という魔法も、秘術の類だよな、きっと。
平時であの巨大秘術を見たら、恐怖の対象になっただろう。畏怖を抱く対象。
だが、今、この領都の危機で、その秘術を解禁してくれ、領民の為に使ってくれている。
これは、本当に感謝しかない。恐ろしいという感情を持つ事自体が不敬であろう。
王国騎士団、宮廷魔術師団、リリーエムラ公爵騎士団の皆のお陰で、ライラン領都は復興への道へ舵を取ることが出来るようになった。
だが、本当に大変なのは、領民の心を癒す事、だろう。
本当の復興は、領民が本当の笑顔を取り戻した時、その時になって、本当にライランのこの街は復興した、と言えるだろう。
出来たら、フォーゲル伯爵、シューバート子爵が各団の団長である間に報告出来たらよいな。いや、彼らが団長でいる期間内に、報告できるようにする。
リリーエムラ公爵家の州領都は遠すぎて私が直接出向く事は出来ないが、王都の館に直接出向く事は出来る。
そうだ、そうしよう。復興の期限は決まった。
よし。がんばろう。
しかし、急にゴブリンが凍ったとか、火の矢が飛び交っていたとか言う者もいたが、薬師ギルドでは、その様な魔道具も用意していたのだろうか?
落ち着いたら、聞いてみるか。
ライランの街は既にルウィージェスの結界に囲まれている。残るは、結界を張る前にライランの街に入り込んだゴブリンのみ。
言うのは簡単だが、既に街はゴブリンに蹂躙されている。
早急に討伐を開始する必要がある。
ライラン領主から、今回の討伐戦に参加している団員ら全員が集まっても十分な場所を聞き、確認した。これで、空間魔法の【移動魔法:ゲート】を繋げることが出来る。
後は、【ゲート】で皆を呼び寄せるだけ。
藍の存在を目標にして【ゲート】を開くと、全員が結界内にいて無事だったが、結界はゴブリンの大群に囲まれ、『電撃付き結界魔石』に触れて感電死したゴブリンが、近くに立つ騎士らの腰辺りにまで積み重なっていた。
「うぉ!」
「うわぁ!」
【ゲート】から出たエルンストとルウィージェスから、余りの光景に思わず声が出る。
「団長から結界を張って守れ、という指示が届く直前に、ゴブリンの大群が近くにいるのを見つけて、慌てて結界を張ったのですよ。間に合って良かったです。」
ザビーネの説明によると、馬上から、少し離れた場所にゴブリンの大群を認めたため、慌ててザビーネが『結界魔石』を発動させて、とりあえず、結界を張ったのだが、ゴブリンの大群に見つかってしまい、あっという間に囲まれてしまった、と言う。
恐らく『魔道神獣』雪狐の親子の存在が、先頭集団の足を止めたのだろう、と思われるのだが、後ろに続く大群には、先頭集団が足を止めた理由は分からなかったようで、先頭集団を押し倒し、押し寄せたと言う。
当然ながら、これだけの大群に踏まれた先頭集団は絶命するが、それが彼らの掃除本能に触れ、足を止めたが、後ろからは押し寄せ続け、と結界の外は大混乱となり、それが更にゴブリンたちの興奮を呼び、このような状態になった、という。
興奮したゴブリンから距離を取りたかったが、急ぎ結界をギリギリに張ってしまった為、どうにもならなかった。
そこで、一旦結界を二重に張って、結界内のスペースを広げようと、今回は救護班として参加している、魔術師団の中でも際立つ魔力量を誇る宮廷魔術師団錬金部門、魔石作成班の班長ミラ・フォン・ハルトマンに『結界魔石』に魔力を送り続ける役割を代ってもらった時、藍が、ザビーネたちが何をしようとしているのかを理解したのか、ゴブリンたちを押しのけながら、結界の範囲を広げてくれた、という。
そのお陰で、全員が座ってもまだ余る程のスペースが得られ、余裕をもって、ザビーネを始めとする団長、副団長、副官らの手で『電撃付き結界魔石』を埋め込み、ザビーネの魔力で『電撃付き結界魔石』を発動させることが出来た、とのことだった。
ミラ・フォン・ハルトマンは、ハルトマン男爵家に、フォーゲル男爵家から嫁いだ者の孫で、王国でも数少ないエクストラヒールの使い手。フォーゲル家縁の者らしく、宮廷魔術師団の中でも、断トツの保有魔力量を誇る。
ザビーネからの報告を聞きながら、エルンストは肝が冷える思いをしていた。
「そうか。ザビーネ、感謝する。よく、皆を守ってくれた。」
そう言うと、ミラの姿を探す。
「ミラ、『結界魔石』に魔力を送り続け、結界を維持してくれたそうだな。助かった。感謝する。」
ミラは、部下の礼を取りながらも、団長から直接礼を言われ、嬉しそうだ。
大量のゴブリンに囲まれた状態ではあったが、『電撃付き結界』の威力を知る団員たちは、落ち着いていた。
エルンストは、ライランの街までの状況を説明し、ルウィージェスの【ゲート】を使って、直接ライラン領主の園庭へ移動する旨を伝えた。
各団で移動できるよう、ルウィージェスは【ゲート】を3つ準備した。
移動先でのまとめ役をザビーネとクラウスの副官ベルントに頼み、皆が移動し終えた後、ルウィージェスは自分で結界を張った後に、ザビーネたちが埋め込んだ『電撃付き結界魔石』を回収し、エルンストに渡した。
そして、エルンストが【ゲート】を渡ったのを確認し、積み重なる感電死したゴブリンを業火で灰も残さず焼き尽くした。巨大な炎に慄き、ゴブリンが大きく後退した瞬間に、結界を解き、【ゲート】を閉じた。
【ゲート】で移動した団員たちは、各々の団長、副団長や副官の指示に従い、ゴブリン討伐の準備を始めた。
移動中、囲まれるまでに、それなりの数のゴブリンを倒してきた。
騎士たちは剣などの武器と防具の手入れをし、魔術師たちは魔力回復薬の数を確認し、使用した分を補充する。
指示が出たら、直ぐに討伐に出向く。今度は、全員が結界で守られながらの移動ではなく、ライラン領都の領民を避難させながらの戦いとなる。ある意味、洞窟内討伐戦の時以上の準備が必要だ。
エルンストについて移動するザビーネやアダルベルトたち。
子爵邸にしては広い園庭に驚きながらも、遠くから聞こえてくるゴブリンの声と怒鳴り声に、気を引き締める。
エルンストが他の団長、副団長と副官を連れて戻って来た。
クラウスは、ライラン領主カールから聞いた街の現状や、特徴や弱点などについて、簡単に説明する。
「なるほど。この街は、この丘を中心に広がってはいるが、全体的には勾配が殆どないのですね。勾配は、ほぼ領主邸に続く道、のみ、と。」
クラウスからの説明を受け、地図と眼下に広がる街を確認しながらエルンストは頷いてはいるが、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
従来のゴブリンですら、脚力は意外と強い。新種は言わずもがな。街中だと、低い屋根なら、小さな足場さえあれば上れるし、壁も登れる。平地だと、建造物が視界を狭める。洞窟内の側路以上に厄介だ。
その言葉と表情の意味に気付き、頷きながら答える領主カール。
「その通りです。この街は、門を突破されると侵入者の進行を阻害する物が少ないため、建物を迷路のように建てる事で、敵の侵入速度を落とす作りとなっています。迷路を形成する家々の間を狭くし、防御壁としています。しかし、今回はそれが逆に、ゴブリンに足場を提供し、移動を容易にし、その結果として、討伐を困難にし、負傷者の救出を妨げてしまいました。」
エルンストは街並みを、カールが言った視点から、もう一度見る。
確かに、太く直線的な道が殆ど見えない。その代わりに、向かい合った家同士の間が微妙に離れているように見える場所が至る所に確認出来る。どうやら、そこに細い道が通っているようだ。
「救護施設でまとめて回復魔法をかけようと思っていましたが、『回復魔石』を持たせて、その場で治療して避難所に移動してもらった方が良さそうですね。」
領主カールが示した救護施設と指定されている建物の場所を地図上で確認しながらエルンストが呟く。
「外出中の緊急時にはどこに避難するよう、領民には伝えてある?」
クラウスの質問に領主カールは、おおざっぱな街の地図とは異なり、もう少し詳細な建物などが記されている、街の見取り図を指さしながら答える。
「最寄りの丈夫な建物に避難する事になっています。創造神様教会、冒険者ギルド、冒険者ギルドが運営する救護所、薬師ギルド、薬師ギルドが運営する救護所、商業ギルドが主な避難先となっています。あと、商人の中には、頑丈な家を持つ者もおりますので、収容できる人数は少ないですが、いざという時は、それらも避難先となっていますし、拒否する事は人命軽視として、軽いですが懲罰の対象としています。商人の場合は規模に応じた罰金刑が主となっています。この街の一番大きな市場は、教会に通じる道沿いにあるので、市場付近で被災した場合は教会が最寄りで、一番大きな避難場所となります。」
「よし、」
クラウスは団長らの顔を見ながら言った。
「受け持つ場所は、避難所となっている場所を中心としよう。冒険者ギルドには、【ヒール】が使える冒険者が多少はいるだろうし、怪我の手当てにも慣れている者が多いだろう。少々遅れても大丈夫だろうから、後回しだ。先ずは各地に散らばっていると思われる領民の避難を優先させる。エルンスト団長、早急に結界魔法もしくは土壁が作れる土魔法と、回復魔法が使える者を、各避難所に割り振って欲しい。一番怪我人が多く非難していると予想される創造神様教会をルウィージェス様、カリン様、エルンスト団長の一団で、次に多くが避難していると思われる薬師ギルドを王国騎士団で。商業ギルドをアダルベルト団長とウィルヘルム団長の一団で、商業ギルドに来ている商業隊がいるか確認し、数と所属の確認を頼みたい。ギルドに避難していない一行がいたら、彼らの保護と避難所への誘導を頼む。」
商人は国の組織が関与する事を警戒する者が多い。商いの規模が大きくなれば大きくなる程、その傾向が強くなる。
その業界の上に行けば行く程、規模が大きくなればなるほど、きれい事だけではその地位を築くことも保つことも出来ない。ある程度、清濁併せ呑む必要に迫られる。
だから、国の組織の者に顔と名前と所属を覚えられることを好まなくなる。
完全に頂点に立った者は別だが、そこに辿り着くまでには、それなりに吞み込まなければならない事も多い。それが不本意であろうとも。
特に、領地を回らなければならない立場の者たちは、そういう過程を踏んでいる途中の者が多い。
一方で、リリーエムラ公爵家は古参で筆頭公爵家でありながら王家縁ではない。そういう意味でも、商業ギルドをリリーエムラ公爵家の州領騎士団が対応すれば、険になりにくい。
だが、それ以上に、リリーエムラ公爵家の名前の前に言いかかりを付ける者は、まずいない。商いをしている者なら、リリーエムラ公爵家が王家に対して意見言える立場にあり、同時に、「不可侵家」として貴族家が恐れている事を知っている。
いざという時、庶民である自分たち側にも立てる存在である筆頭公爵家を、敢えて、わざわざ、敵に回す必要はないだろう。敵に回したら、自分が組織から抹消される。
どこの商会だって、建国時から存在し、その力を維持し続けている筆頭公爵家に目を付けられたくはないし、睨まれたくもない。組織をそういう危険な立場に追い込む輩はさっさと切り捨てる。封建制国家における組織とはそういうものだ。
因みに、テューゲンリン王国は封建制国家であるが、平民も議会を有し、上に意見を述べる、陳情の権利と一定の権限を有しているので、等族国家とも言える。
アダルベルトとウィルヘルムも、その辺を考慮しての采配と理解している。
異を唱える理由はない。
建物によっては、複数の出入り口がある事を考慮し、クラウスは、常に藍と共に行動するエルンスト以外の団長、副団長、副長に『結界魔石』を複数持たせた。避難所になっている出入口に結界を張る事で、ゴブリンの侵入を防ぎ、団員が領民の避難誘導に専念できる。
エルンストは、土魔法もしくは結界魔法と回復魔法を使える者を各団に割り振り、クラウスとエルンストは、全員に『回復魔石』を配った。
同時にエルンストは、他の団に配置した魔術師団員に『結界魔石』を持たせた。この『結界魔石』は、移動しながら使用する事は出来ないが、大量のゴブリンに囲まれた時や、魔力低下時の休憩などで使うことが出来る。
そして各団準備が整い、ライラン領の騎士に道案内を頼み、担当場所へ移動を始め、最後に、ルウィージェスは領主邸全体に結界を張り、司令塔の安全を確保した。条件は、ヒト族のみが通れる結界。安全性は低下するが、少なくとも、ゴブリンの侵入は防げる。
領主邸から少し離れただけで、ゴブリンの姿を多数認めた。ゴブリンは、領主邸にかなり近いところまで侵入してきていた。
領騎士団の奮闘で、領主邸へのゴブリン侵入は防げていたが、後少し遅かったら、領主邸も危なかったかもしれない。
ルウィージェスは【時空間魔法:保管庫】でゴブリン入れを作り、【風魔法:浮遊】で浮かせた。そして、エルンスト一団が倒したゴブリンを片っ端から【風魔法:吸引】で保管庫へ放り込んでいく。そうでもしないと、足元があっという間にゴブリンの死骸と悪臭で埋め尽くされてしまう程なのだ。
ルウィージェスが街に張った結界には消臭作用がある。だが、それだって、これだけの量のゴブリンが放つ悪臭を瞬時に消す事は出来ない。ある程度、時差が生じる。
藍は視界に入る団員全員に結界を張り、【応援歌】で鼓舞している。ただし、掛け声は「オラオラ節」だ。藍は鳥だ。嗅覚が鋭い。個別に結界を張らなければならない程の悪臭に業腹だった。
団員たちがゴブリンを倒していくが、同時に、倒した全ての死骸を処分するのは不可能。視界に入る転がる死骸は【吸引】で回収できるが、少しでも離れてしまうと、そうはいかない。そこで、【風魔法:探査】を常時発動させ、【光魔法:転移】で転がる死骸を保管庫に移動させながら、ルウィージェスは負傷者を【回復魔法:ヒール】で治癒し、領民用に張った結界内に避難させ、司令官として外に残り続ける必要があるエルンストが保護した領民も一緒に創造神教会へ移動する。それを何度も繰り返す。
このような状況下において、同時に複数の魔術を展開出来るのはルウィージェス以外にはエルンストのみである。エルンストの次に魔力制御力を持つザビーネだが、このような状況下では、それは出来ない。
だが流石のエルンストも、複数の怪我人に連続で【ヒール】をかけ、領民を庇いながら、時には背後のゴブリンに気付かない部下を助けながら、この数のゴブリンを相手するには、【火魔法】で焼いていくのが精いっぱいだった。
ゴブリンには『生命の種』によって植え付けられた『掃除屋』という役割がある。討伐した死骸を近くに残せば、それを処理する為にゴブリンが更に近寄ってきてしまう。それを避けるためにも、『保管庫』に入れるか、焼却して死骸を残さないようにする必要がある。
エルンストの近くにはアリカントがいる。今回は超接近戦になるのは分かっていた。予めアリカント用に【土魔法:土壁】の魔法陣を魔石に写し、そこから魔法陣を浮かべておいた。そうすれば、毎回エルンストが魔法陣を張り直す必要がない。魔石はアリカントの服に、ルウィージェスが魔法で縫い付けた。傍から見ると、アリカントが少し大きめな魔石を背にしょっているように見える。
魔石には【無属性:隠匿】がルウィージェスによってかけられており、魔石がふよふよ浮いて見える、という事態は回避されている。
アリカントは、木や塀や壁などをよじ登り、塀の上や屋根の上に移動しようとしているゴブリンに【土壁】を当てて地面に落としている。団員にはアリカントの姿は視えないが、何故か落下してくるゴブリンがいるのには気付いていた。理由は分からないが、落下してくるなら丁度良い。
団員たちに上を見る余裕があったら、ちょっと驚いたかもしれない。何せ小さな土壁が突如現れては消えているのだ。団員たちにとって、上を見る余裕がなかったのは幸いだった、とも言える。
上を見る余裕がなかった最大の理由は、残魔力量。
魔力は有限だ。あとどのくらいゴブリンが街中に残っているのか、全く情報がない。
ある一定時間魔法を行使した後は、剣で対処し、魔力を回復させる時間を作らなければ何らない。
魔術師団の団員は5、6名が一組となり、対応している。
時間が経つにつれ、徐々に、ゴブリンを退治する組、救助した領民を『結界魔石』の結界内に避難させる組、結界内で負傷者を回復魔法で治療する組、そして、領民を保護しながら教会まで付き添う組と、役割分担が確立し、領民の移動も魔力の回復も効率的に行えるようになっていった。
この辺りが、職業軍人たる所以と言える。
エルンストにも、部下らが連携して安全に領民を避難誘導しているのが見えていた。
このような状況下ではあるが、思わず笑みが零れる。
時々アリカントが、【土壁】を移動させながら、ゴブリンを纏めて壁に押し付けて討伐している。戦いは初めてのアリカントだが、【土壁】でゴブリンを落としながら考え付いたのだろう。
精霊の姿が見えない者たちの目に映っているのは、いきなり土壁が現れ、それが移動する光景。
ちょっとしたホラーだ。
もっとも、ゴブリンが街中に入り込むという地獄を経験している以上、自分に向かってこない土壁なら、そうでもない、かも?
アリカントの、思わぬ大胆な討伐方法に思わず苦笑するエルンスト。
その様子を戦いながらも見ていたエルンストだが、ゴブリンの視線が明らかにアリカントを捉えているのに気付く。
――――あ、そう言えば、ルウィージェス様が、ゴブリンは半妖精と言っていたな。
そうであれば、ゴブリンにアリカントの姿が見えていても不思議な事ではない。
漸く、創造神教会に辿り着いた。
創造神教会は、ライランの街のほぼ中央に位置していた。この場所から領主邸と市場への距離は、地図上ではほぼ同じ距離だった。市場までの方が、少し遠いかな?と思う、その程度の誤差。領主邸から教会まで移動して来た事で、市場までの距離が、ようやく把握出来た。
領主カールの説明では、市場からしばらくは平坦な道が続くが、教会に近付くと、少し傾斜が出てくる。どうやら、この辺りから丘に登るような形になるようだ。
領主邸からずっと坂を下って来た。かなり傾斜のある坂だった。距離的にはそれ程ではないらしいが、それでも、教会までは坂を上る必要があると聞いた。
――――足を負傷した者にとっては、ここに避難するのは、少しきついかもしれないな。
普段は気にならないような傾斜でも、負傷した足で登るとなると、緩い角度さえも侮れない。
教会の前には『中央公園』と呼ばれる、領民の憩いの場があった。噴水もある。しかし、今は阿鼻叫喚の巷と化していた。
王都から騎士団、魔術師団が来た、という情報が領民にも伝わったようだ。
今まで、屋内などに息を潜めて隠れていた領民が、意を決して避難所に移動してきているようだ。同時に、それを追うゴブリンの数も増えている。
怪我人が流す血の匂いに、更に興奮してしまったのだろう。
相当数の者たちが、ずっと自分の家や最寄りの屋内に避難していたようだ。ゴブリンが街中に入って来てからそれなりに時間が経っているにも関わらず、避難してくる人数がどんどん増えてきている。
狭い道が混みあっている可能性も出てきた。『中央公園』に辿り着く者たちの多くが、負傷している。その多くが腕に怪我を負っている事から、ゴブリンの攻撃を腕で防ぎながらの移動だったと思われる。
このままでは、保護した領民の避難も困難になるのは目に見えていた。
速く治療を受けたくて、無用な争いすら起こりかねない状況になってきている。
少し前に救助した領民を連れてきたルウィージェスは、『中央公園』に到着したエルンストたちを見つけ、エルンストの横に移動して来た。
「エルンスト団長、一旦ゴブリンを広場から追い出して結界を張るから。」
ルウィージェスの言葉にエルンストは頷き、部下に聞こえるよう、声を張り上げ伝える。
「今からルウィージェス様がゴブリンを追い出して結界を張る。結界が張られたら直ぐに結界内に入るように。」
『中央公園』は、教会の入り口を中心に扇形に広がっている。目測半径約10m程度。ルウィージェスは、【空間魔法:照準】で『中央公園』内にいるゴブリンに照準を定め、【風魔法:風弾】をぶつけて一気に吹き飛ばし、瞬時に薄い緑色を付けて可視化させた【結界魔法:単純結界】を展開した。そして、【回復魔法:エリアハイヒール】で襲われていた領民を治療し、【光魔法:エリア清浄】を展開した。
辺り一面に結界が張られたのを見て、藍は結界内にいる団員各自に張っていた結界を解いた。張られた可視化された結界外にいた団員たちも、近くにいる領民を守りながら移動し始める。結界内に入り次第、順々に結界を解いていった。
突如、自分を襲っていたゴブリンが吹き飛び、体中に深い傷を負っていた、もしくは、手や足を失った領民たちは、一瞬にして欠損部位が元通りに戻り、傷も治り、痛みも消え去った事に唖然としていた。
領主カールから、ここの教会に派遣されているトップは司教だと聞いている。
エルンストは近くにいた部下に、司教に『中央公園』の安全は確保された旨を伝えるように指示した。負傷者の手当ての目途が立ったら、今度は炊き出しの準備を進めて貰わなければならない。
まだまだ負傷者はやってくる。動けるようになった者から教会内に移動してもらう必要がある。
結界に囲まれた『中央公園』内にはゴブリンはいないが、結界の外には、中に入ろうと結界にぶつかってくるゴブリンが多数おり、ついさっき目の前で起こった事、自分に起こった事と、目の前で怒り狂うゴブリンの姿に、理解が追い付かず、唖然茫然と自失状態の領民に、エルンストは優しく、だが、しっかりとした口調で指示を出す。
「我々は王都から来た宮廷魔術師団、王国騎士団とリリーエムラ公爵家騎士団です。今から我々がゴブリン討伐を行います。領民の皆は、速やかに教会内に避難して下さい。」
その声に我に返り、慌てて教会内に走り込む領民、状況が呑み込めず、座り込んだままの領民と反応は様々だったが、魔術師団員たちが、動けずにいる領民に声をかけ、教会へと連れて行った。
結界内でルウィージェスの回復魔法で癒えた領民全員が教会内に避難したのを確認し、エルンストは改めて部下に伝えた。
「これから、ゴブリン討伐班とここに避難してきた領民の手当てをする班に分ける。」
エルンストが班分けを終えた所でルウィージェスが団員にも聞こえる音量で、エルンストに言った。
「ここからは、ぼくが討伐班の皆に、個別に結界を張るから、ゴブリンの攻撃は心配はしないでいいから。藍の結界は藍の視界内に入っている者にしかかけられないから、こういう街中では不利なんだ。」
「ルウィージェス様、ありがとうございます。皆、『結界魔石』は持っているね。ゴブリンに囲まれた時は、躊躇せずに『結界魔石』を発動させ、ゴブリンから距離を取り、自身を落ち着かせるように。少し多めに魔力を込めれば、それだけ結界の範囲を広げて展開する事ができる。無理に領民をここまで連れて来ずに、結界内に避難させておいて、助けを待っても良い。今は、自分の身を守り、領民を安全に避難させることが最優先だ。」
エルンストの合図で、討伐班が散開した。
ルウィージェスはエルンストに、【風魔法:吸引】と【風魔法:風弾】の魔法陣を渡した。
「団長の分の保管庫作るから、どんどん放り込んで欲しい。あと、風の神鳥ヴェズルフェルニルの加護を持っている団長なら、こっちの【風魔法:風弾】を使った方が消費魔力を抑えられるよ。」
エルンストが知っている【風弾】より、魔法陣内の線の数が少なく、線一つ一つが細く、以前エルンストが発見した「螺旋」術式の数が多い。多いというより、複数個所で並列に螺旋術式が並んでおり、螺旋術式を通す魔力量と速度を調節するだけで、一度に複数の【風弾】が放てるようになっていた。
「消費魔力量は、従来の【風弾】1発が、こっちの魔法陣を使うと【風弾】3発分に相当する形になるから。」
従来の魔法陣は、魔法陣内の線を太くして、大量の魔力を一気に流して施行する魔法の威力を上げるものだった。だがエルンストは、何故か、発動させる魔法の威力は魔力量ではなく、流す魔力の速度によるもの、と知っていた。
だから太い線を消し、細い線で作り直した【風弾】を使っていたのだが、ルウィージェスから渡された【風弾】の魔法陣は、さらに簡素化されていた。
魔力制御力で、魔法陣内の術式を通す・通さないの選択が出来るのは、元々本人が持つ制御力に加え、風の神鳥ヴェズルフェルニルの加護による風魔法の制御力を得ているエルンストくらいだ。
ルウィージェスが示した【風魔法:風弾】の魔法陣は、流す魔力の速度を調節出来、流す魔法陣内の線を選べるエルンストに最適な魔法陣だった。
試しに、エルンストは受け取った【風魔法:風弾】を発動させてみた。
今回は、全ての螺旋術式に速度を付けて魔量を流してみたのだが、驚く速度で6発の【風弾】が発射され、ゴブリン6匹を直撃し、弾き飛ばした。飛ばされたゴブリンは周りにいた複数のゴブリンを巻き込み、全て致命傷を負い、その付近にいた仲間に掃除対象とみなされ、あっという間に処理され始めたが、エルンストの火魔法によって、掃除の為に集まったゴブリンも含めて焼却された。
「ルウィージェス様、凄く使いやすいです。それに、発動が軽いです。」
ルウィージェスは笑顔で頷くと、今度は【風魔法:吸引】の説明を始めた。
【混合魔法:魔法陣読解】を発動させ、【風魔法:吸引】の魔力の流れを見せる。
「普段使っている螺旋術式を少し複雑化させた螺旋術式が、起動の所に組み込んである。この螺旋術式は距離に関係する術式で、視界に見える場所からならどこからでも吸引できる。性格的には、【空間魔法:照準】を含む感じ、になるかな?目で吸収する場所を指定できる。従来の【風魔法:吸引】は逆流させても発動しないけれど、この【風魔法:吸引】のいい所は、逆流させれば【放出】になる。ゴブリンが近すぎて【風弾】が打てない時は、【放出】でゴブリンを領民から引き離して【風弾】を打つ、という手が取れるようになるよ。」
「これは、5つ目の村で使った【吸引】ですか?」
「うん、そう。」
エルンストは魔法陣を頭の叩き込むようにしばらく見た後、【風魔法:吸引】を発動させた。説明を聞いている間に、アリカントが壁に押しつぶして退治したゴブリンを【吸引】で引き寄せ、『保管庫』に放り込んだ。
「あの壁までそれなりの距離があるので、魔力を込めようと思いましたが、一定以上は入りませんでした。【空間魔法:照準】に似た性格によって、込められる魔力量が決まるから、ですか?」
「うん。だから、あくまでも目視して距離が測れる場所に限られるんだけどね。」
「微調整せずに済むのは、今回のような混戦向きの魔法ですね。」
「でしょう?便利だよ。」
エルンストは大きく頷いた。
「今度は、逆流させてみます。」
一度発動させた魔法陣の逆流は、エルンストにとっては難しくない。
目の前に落ちていた小石に向けて、逆流【風魔法:放出】を展開した。【吸引】で呼び込んだゴブリンより軽いからか、同じ魔力量を込めたら、小石が超高速で吹っ飛び、軌道上にいたゴブリン4匹の腹を貫通し、5匹目の腹に食い込み止まった。
当然、腹を打ち抜かれた5匹は、そのまま倒れ、仲間の掃除対象となった。
流石に見ていられる光景ではないので、ルウィージェスも焼却した。
「魔力量の調節が大切になりそうですが、これは便利ですね。時間が出来たら、複雑化させた螺旋術式をじっくり研究したいです。」
エルンストらしい感想を述べながら、【吸引】と【放出】を交互に発動させ、練習する。
「どちらも、新しい方の【風魔法:風球】並みの魔力消費量だから、人を救出しながらの場合は、こっちの方が使い勝手が良いと思う。」
『中央公園』は、宮廷魔術師団に任せればよい体制が整った。
エルンストも気にしていたが、ルウィージェスも、『中央公園』に辿り着く者の殆どが負傷している状態である事が気になっていた。
宮廷魔術師団の団員の魔力量は豊富だ、と言っても、有限である事には変わりはない。
あと、どのくらいの領民を避難させれば良いのか、全く分からない状態だ。負傷者の数を減らせるなら、減らした方が良い。
ルウィージェスはカリンと共に、『中央公園』方面に移動中の領民を助ける事にした。
結構傾斜のある坂が続いている。
少し歩いて分かったのは、かなりの数のゴブリンが、壁や塀、木などを綱って、屋根の上に登っている、という事だ。
この状況から、多くの領民は、頭上から攻撃を受けた、と思われた。
であれば、長身に入るカリンがゴブリン討伐を担当し、ルウィージェスが負傷した領民を【ヒール】で癒し、近くで避難誘導を行っている魔術師団員の所まで連れて行った方が良い。
移動中に負傷し、痛みや恐怖から動けなくなり、僅かな隙間に身を隠してやり過ごしている領民が結構いた。
恐怖で足が竦み、動けなくなった領民には、少量の神術を掛け、気持ちを落ち着かせ、移動させた。
中には、頭から顔にかけてザックリと爪で引っ掻かれた領民もおり、ルウィージェスの【回復魔法:ヒール】で傷跡残さず治療すると泣いて喜び、声を上げたが、完全に安全が確保されるまでが避難。傷が治り嬉しい気持ちは分かるが、落ち着かせて、魔術師団の団員がいる所まで移動させた。
『中央公園』から大分移動し、「市場→」という標識に目が留まった時だった。全員が鍋を頭にかぶって移動している家族に出会った。父親は騎士団の物よりも横幅のある長剣を持っていた。ルウィージェスは知らなかったが、それは大剣と呼ばれる種類の剣。その隣には奥さんと思われる女性がおり、女性はサイズの合わない防具を身に付けていた。その装備から男性は現役もしくは元冒険者と思われた。
男性は無傷だったが、女性は子どもを庇った時に負傷したと思われる傷を腕に負い、小さな子どもは足を負傷し、布を巻いて止血はしているものの、かなり深い傷を負ったようだ。血が滲み出てきており、その臭いに興奮したゴブリンに囲まれていた。
ルウィージェスは急ぎ家族を結界で囲み、子どもに【ヒール】を掛けている間に、カリンが家族を襲っていたゴブリンを全て片付けた。
「鍋で頭を庇うとは、考えましたね。」
カリンが男性に声を掛けた。
「騎士様、か?すまない、助かった。塀と塀の隙間から出てきたゴブリンに不意を突かれ、妻と娘が負傷し、血の匂いでゴブリンが集まって来て、困っていた所だった。小さなボク、凄いな、娘より数年年上なのだろうが、この年で、これだけの回復魔法が使えるとは。ありがとうな。」
男性は二人に頭を下げ、礼を言った。頭を撫でることはしなかった。冒険者としての経験から、強い魔法が使える子どもという事で、貴族の子である可能性を考えたのかもしれない。
男性の妻は怪我な治り、助かった、という気持ちで少し放心していたようだ。慌てて二人に礼をした。
娘は5歳くらいだろうか。ゴブリンに襲われ深い傷を負ったが、目は腫れていなかった。
子どもなりに、泣いて良い状況ではない、と理解していたのかもしれない。だが、気持ちの方はもう限界だったようだ。傷が完全に癒えているのを確認した途端に、足ががくがくと震え始めた。
ルウィージェスは子どもに少量の神術を掛けながら優しく声を掛けた。
「よく泣かずに頑張ったね。偉かったよ。あともう少し、あともう少しがんばろう。そこの角を曲がったら教会がある。教会は安全だから。もう少ししたら、食べ物も用意されると思うから、あと少し、頑張れるかな?」
娘はルウィージェスをじっと見ている。
神術が効いてきたようだ。少し足の震えが落ち着いてきた。
「うん、お兄ちゃん、ありがとう。アレナがんばる。」
「アレナちゃん、頑張れ!」
カリンが、宮廷魔術師団が教会を守っており、近くで魔術師団員が避難誘導している事を伝えた。
奥さんの方が、宮廷魔術師団という言葉に反応した。もしかしたら、奥さんは魔法使いなのかもしれない。
最後は、アレナが元気に「バイバイ」と言いながら、教会の方へ移動していった。
あれだけ声が出るようになれば、ちゃんと食事も食べられるだろう。
途中で数回程、保護した領民を誘導している魔術師団員に会った。服は切れているのに傷がない領民がいる一方で、小さな傷を残したままの領民もいる。きっと、魔力温存のために、止血を要する酷い傷を負った領民のみに回復魔法をかけたのだろう。
領民には【回復魔法:ヒール】を、魔術師団員には【回復魔法:魔力回復】を同時に掛けて、見送った。
第55話で、漸くライランの街に到着しました。
既に、街中ではゴブリンが縦横無尽に走り回り、領主邸が無事だったのが奇跡と言える状況にあったライラン領都。
領民が動いている時間に襲われたようで、既に多くの領民が犠牲になっていました。それでも、まだ屋内に留まっていた領民も多く残っており、騎士団たちの到着の情報が伝わると、避難所に向かって移動を始めました。
ゴブリンに襲われ負傷し、多くの血が流れ、その臭いも、ゴブリンを興奮させるという悪循環に陥りましたが、その中でも、騎士団、魔術師団、リリーエムラ公爵家騎士団の団員が奮闘します。
精霊たちも、奮闘しています。
次は、来週8月29日(土)20:00公開予定です。
第57話 「ゴブリンの襲撃㉒―ライラン領③―」
来週もよろしくお願いいたします。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
月 千颯 拝




