第37話 「ゴブリンの襲撃②―洞窟内の大規模営巣地①―」
ここに登場するのは久しぶりだな。テューゲンリン王国の国王アギディウス・ヴェルト・テューゲンリンだ。
今回、魔導王ルウィージェス様からの報告は、一言で表すなら「驚愕」だろう。
今は、兎にも角にも討伐が最優先だが、事態が落ち着いたら、発生の原因を突き止めなければならぬ。前兆があるなら、前兆をとらえ、ここまで大規模な発生に至るまでに措置を講じなくてはならない。これは必須だ。
しかし、どう考えてもいきなり過ぎる。通常であれば、このような事態が起こる前に、それなりの予兆というものがある。
冬のスタンピードが前兆だったのでは、という意見も散見するが、あれは、例年にない積雪による雪解け水に溶けた古い魔素が原因だ。今回のゴブリン騒動に結びつくとは考えにくい。
もし冬のスタンピードと同様に古い魔素によるものならば、他の領州からも報告が上がっている筈だ。古い魔素問題が原因なら、場所を選ばないからな。
実際に、スタンピードの時は、スタンピードが明らかになる前から、複数の魔物の異常行動が報告されていた。しかも、広範囲に渡ってだ。
もし、古い魔素が原因ならば、今回も同じように異常の報告が上がって来た筈。しかし、今回は、そのような報告は一切ない。全くない。
そう、今回の騒動は、本当に突然起こっている。
正直、理解に苦しむ。
エルンストたちが『鳥の森』で異変を認めたその約1時間強後、ルウィージェスからそれがゴブリンの大発生によるものであることがもたらされた。
ルウィージェスが神術で確認したところ、既に、複数の村々がゴブリンの襲撃を受けている事も明らかになり、急を要する状況だった。
季節的には、ゴブリンによる被害の報告が上がってきてもおかしくはない。例年なら、既に片手で数えられるくらいの報告は上がっている。
王国騎士団、宮廷魔術師団共に、近々報告が上がることを想定し、討伐班の割り振りなど、ある程度までは準備を整えており、残すは食料品など、予め準備が難しい物のみとなっていた。
しかし、ルウィージェスからもたらされた規模は想定していなかった。
急遽、長期戦になる事を見越した殲滅に向かう遠征組と王都に残る組に分ける必要がある。
今回の規模は過去に類を見ない。過去にその規模の発生の例もない。王都の治安維持等に差し支えない程度を残し、なるべく遠征組の方に振り分ける必要がある。しかも、既に被害に遭っている村々の存在が確認されている。時間的猶予もほぼない。
藍が『鳥の森』に多くのゴブリンが入り込んでいるのを確認している。
『鳥の森』は王都からそれほど離れておらず、薬草の宝庫である森と王都から一番近い水源と川があり、それなりに行き来する者も多い。事実、先日宮廷魔術師団の団員ミラとシルステンが見かけた負傷した男性二人も、川に仕掛けた罠に掛かった川魚を取っていたところをゴブリンに襲われている。
騎士団の団長であるクラウスは衛兵部に緊急配備の指令を出し、『鳥の森』へ繋がる門を閉鎖させた。警邏部にも連絡し、王都を守る外壁周辺の警邏回数を増やすよう指示した。
宮廷魔術師団の団長であるエルンストは錬金ギルドに『鳥の森』の閉鎖を伝え、騎士団の方から連絡が入るまで、王都周辺への薬草採取を中止するよう手配した。同時に、創造神教会と医療院に非常時に備えるよう連絡を入れた。
医療院はフォーゲル男爵家が担っている。医療院には、フォーゲル伯爵家の当主として急患への備えを指示した。
エルンストは錬金術師でもある。伯爵家の屋敷地下に大量の各種ポーションを保管している。ゴブリン戦が長引き、『鳥の森』へ続く門の閉鎖が続けば、医療院で保管してある各種ポーションの在庫が底をつく可能性がある。
一旦屋敷に戻ったエルンストは妻エリザベートに、各種ポーションと回復魔石の保管場所を知らせ、医療院から要請があった時は、在庫を渡すよう指示し、医療院の院長ヘルガにも、ポーションと回復魔石の在庫の件を伝えた。
今回は、騎士団から多くの人数をゴブリン殲滅に向かわせるため、王城の方から、冒険者ギルドに王都を囲む外壁近辺の見回りの依頼を出した。
例え相手がゴブリンであっても、今回ルウィージェスによって認められた数が数だ。
冒険者ギルドの総括レナーテ・ノルトライン=プロセンを王城に呼び、宰相のオルトールドが直接、ルウィージェスが認めたゴブリンの数と範囲を地図で示しながら伝えた。
その情報を聞いた総括レナーテは、即座に初心者でまだ戦闘能力が低い冒険者の、外壁の外への依頼を禁止した。
外壁周辺の警邏のために総括レナーテが集めた冒険者の数は、思いのほか多かった。
宰相オルトールドからその報告を受けた騎士団長クラウスは、更に遠征班の方に多くの人材を割り振ることを決めた。
警邏部長のベルント・フォン・クリューガーは、王都に残る副団長フィン・フォン・ホフマンの代わりに、クラウスの副官として参加することが決まった。警邏部の副部長ファルクマー・フォン・ザイデルに、冒険者と共同で外壁周辺の警邏を行うよう、宰相オルトールドは改めて指示を出した。総括レナーテは、冒険者側と警邏部副部長との間を取り持つことを了承した。
同時に、宰相オルトールドは商業ギルドとも連絡をとった。聞くと、商業ギルドでもゴブリンの件は把握していなかった。という事は、ゴブリンが村々まで降りてきて、まだ日が浅い、という事だ。
ライラン領から早馬が出た可能性はあるが、早馬は王都に到着していない。これは確認している。しかし、王都側からも行商人は向かっている。もし、彼らがゴブリンの集団を見かけていたら王都に引き返し、ギルドへ報告している筈。それがない、という事は、少なくとも、『鳥の森』からライラン領に向かった行商人が通った時には、まだゴブリンは村まで降りてきてはいなかった、という事になる。
もしくは、ライラン領まで辿り着いたが、ゴブリンの群れに遭遇し、王都に戻って来れずにいる可能性もある。その場合でも、少なくとも、ルウィージェスが神術で確認した、ライラン領までの村々はまだ無事だった、ということだ。
商業ギルドに届け出があった、最後に『鳥の森』への道を使ってライラン領に向かった行商人が王都を出たのが一週間前だった。この情報から、ゴブリンが村まで下りてきた日がかなり絞られた。
まずは、王都の安全を確保する必要がある。騎士団と宮廷魔術師団は、各所の連絡にもう少し時間がかかる。
その次の朝、リリーエムラ公爵家の王都騎士団、ウィルヘルム・フォン・ケーニッヒが王都騎士団長を務める一団が先ず『鳥の森』を目指し出発した。
『魔道神獣』シュネーも一緒だ。まだまだ幼いシュネーであるが、それでも神獣だ。シュネーの遠吠えだけでゴブリンは萎縮する。『鳥の森』は自然豊かな森である。それはつまり、視界が悪い。背丈の高い草がゴブリンの姿を隠す。
しかし、神獣のシュネーの遠吠えを聞いて、じっと隠れ続けるだけの勇気も度胸もゴブリンにはない。一匹残らず森から追い出し殲滅するのには、これ以上の『武器』はない。
『鳥の森』はとても広い。広大と言って良い。この森から全てのゴブリンを退治するには数日要する。
ルウィージェスは、ウィルヘルムに『結界魔石』を持たせた。設営地に使えば、魔物の襲撃を心配する必要がない。特に今回の魔物はゴブリン。食糧の匂いを敏感に嗅ぎつける。
騎士であるウィルヘルムの魔力保持量はそれほど多くない。しかしウィルヘルムはエムラカディアの眷属。神の眷属になった事で、魔力が純粋化している。その為、『結界魔石』を起動させる魔力は少量で済む。本来なら、スタンピード時に使った『電撃付き結界魔石』を渡したいところだが、流石に眷属となっているウィルヘルムでも魔力負担が大きい。
また、ルウィージェスはこっそり団長のウィルヘルムにのみ、袋内に時空間魔法を施した「空間袋」を渡した。これは、既製の袋の中に【時空間魔法:空間袋作成】魔法を施し、時間経過なく、保管量を増やした魔道具だ。これは悪用すれば、大犯罪も起こせる代物。その存在を大っぴらにする事は出来ない。
落としても、他の人には普通の袋にしか見えず、普通の袋としか使えないよう、ウィルヘルムの魔力を登録した。中には各種ポーション数十本ずつとシュネー用のご飯2週間分が入れてある。
その二日後、騎士団と魔術師団の方の準備が整った。プファルーツ州領を目指し、合同一団が出発した。総合司令官は王国騎士団長のクラウス。総合副司令官は宮廷魔術師団の団長のエルンストだ。ルウィージェスとカリンは、クラウスとエルンストの臨時副官として付き添う。
『鳥の森』以外には王都に近い場所でのゴブリン出現の目撃情報がない事から、川沿いを上ってきたと思われた。
ウール川の川幅は、『鳥の森』から離れれば離れる程川幅が広くなるが、ルウィージェスがいるので、いつでも橋を渡せる。川を挟むように両側から川沿いを下ることにした。
ルウィージェスとカリンは神族同士。念話で連絡を取り合える。今回は、カリンがクラウスの臨時副官として付き添う事にした。これで、何が起こっても瞬時にお互い連絡を取り合える。
今回は長期戦を見越して馬車を多めに用意した。武器などの物資や食糧品は勿論のこと、怪我人の輸送も視野に入れている。
魔力は有限だ。しかも、魔力の残量が少なくなり過ぎると、魔術師は動けなくなる。戦闘中にこの事態に陥る事は避けなければならない。四肢の欠損はその場で治療しなければ人命にかかわるが、多少の怪我程度なら、ポーションもしくは数日安静にして回復を待った方が良い。また、出血で失った血はポーションでは補えない。この場合も、しばらく安静にする必要がある。
ゴブリンは武器を使う魔物だ。弱い相手だが、その辺は侮れない。
また、ゴブリンの襲撃で馬が負傷した場合も考慮し、馬の数もそれなりに用意している。今は騎士たちが騎馬で移動している。
急ぎなら騎馬での移動が一番早いが、今回は、ゴブリン探しと退治をほぼ同時に行いながらの移動となる。時間はかかるが、騎士たちの多くは徒歩での移動となっている。騎馬で移動する騎士が、徒歩で移動する騎士たちを守るように、高い馬上から周りを警戒している。
カリンとルウィージェスは馬車での移動だ。二人はそれぞれの馬車内で、大量に消費することが分かっている魔鳥の羽根矢作成を一手に引き受けている。
王都を出発して、昼食休憩を挟み、6時間を少し回った頃になって、ウール川周辺に点在する広めの林が視界を狭め始める。途端に、小規模だがゴブリンの群れへの遭遇頻度が増えてきた。
王国騎士団と宮廷魔術師団は、新しく身に付けた弓術でゴブリンを滅して行く。カリンとルウィージェスは結界を張ったそれぞれの馬車の中で、追加の矢の作成に専念しているが、全く問題なくゴブリン掃討戦は進んでいく。
勿論、食糧等を運ぶ荷馬車はルウィージェスの『結界魔石』で守られており、ゴブリンが匂い嗅ぎつけ襲撃することはなく、騎士と魔術師たちも、馬車の心配をする必要がない。
王国騎士団と宮廷魔術師団の弓術による攻撃を見たリリーエムラ公爵家騎士団は、弓矢の威力に驚き、討伐が一段落ついた時、クラウスたちに質問した。
クラウスたちは、これまでにルウィージェスから教わった魔力制御強化訓練やエーギグの蔓の件などを話した。
「なんと!」
アダルベルトは驚き、ルウィージェスを見て、ちょっと大袈裟に感情を込めて訴えた。
「ルウィージェス様、我々もその情報、欲しかったです。」
「そうだよね、ごめん。」
ルウィージェスは、思わずアダルベルトの視線から逃れるように目を逸らした。
「いや、我々が独占してしまったからな。すまなかった。」
クラウスが苦笑いしながら詫びた。
若い騎士と魔術師たちがゴブリンの後始末をしている間に、弓と矢についてクラウスとエルンストがアダルベルト等の質問に答える。
「魔道植物エーギグ、ですか。初めて聞く名前だ。」
アダルベルトは横に立つハインライテル州領騎士副団長ニコデム・フォン・イーゲルを見るが、無言で首を横に振っている。
「我々も、ルウィージェス様から聞くまで、その存在を知りませんでした。」
エルンストは実際に自分が作った弓を見せた。そしてルウィージェスが自分たちに見せたように、従来の弓と、エーギグ弦の弓、そして普通の鳥の羽根と魔鳥の羽根の矢の違いを実演してみせた。的はルウィージェスが用意した。
片付けをしながら、チラチラとそれを見ていたリリーエムラ公爵家騎士団の団員全員の目が点になり、完全に手が止まる。
その様子を片付けながら見ていた王国騎士団と魔術師団の面々は、少し前の自分たちを思い出していた。
「このように、エーギグ弦を使うだけで、これだけ威力が変わるのです。」
驚きのあまり口をぱくぱくさせて言葉にならなかったアダルベルトが、ようやく声を絞り出すように問う。
「その威力、魔力を込めずに、ですか?」
「はい、その通りです。」
エルンストは、アダルベルトに自分の弓と矢を手渡した。
受け取ったアダルベルトは、ニコデムと二人交互に弓と矢を確認する。
「弓の本体の素材は、我々と同じ…だな。弦も、見た目が大きく変わっているわけではない。矢を放つ感覚はどうなのですか?」
アダルベルトは弓から目を離し、クラウスとエルンストに聞いた。
「自分はそれ程大きな違いは感じていないが、」
そう答えながらクラウスはエルンストを見た。
「私も、特に方法を変えるなどはしていません。ただ、魔法を付与した矢を使う時は、魔力伝導率が全く異なるので、その点は少し練習が必要でした。」
「うむ……、」
アダルベルトは、先程の矢の威力を思い出しながら考える。
――――我々は魔法付与には慣れていない。付与魔法を使わなければ、エルンスト団長が言われた問題は後回しで良い。お二方共、普通に矢を放つだけなら、従来の矢と大きな違いは感じていない、と言われている。よし。
「ルウィージェス様、我々にもこの弓を作って頂くことは可能ですか?」
アダルベルトは、エルンストの横に立つルウィージェスに聞いた。
「エーギグの蔓は沢山あるけど、弓本体がない。少し予備多めにある?」
「ございます。」
「なら作れるよ。移動中に作るから、弓本体、少しこっちで預かるよ。」
「よろしくお願いいたします。」
そう言うとアダルベルトは部下に弓の予備を持ってくるよう指示した。
アダルベルトが、ルウィージェスからエーギグ弦の弓を使った弓術の指導の約束を取り付けた時、ゴブリンの片付けをしていた部下がアダルベルトに声をかけた。
「アダルベルト団長、ゴブリンの処理、完了いたしました。」
部下からの連絡を受けたアダルベルトは頷き、クラウスを見た。
「よし、王国騎士団、宮廷魔術師団、リリーエムラ公爵家騎士団、出発の準備を始めてくれ。」
クラウスはそう言うと、騎士たちはそれぞれの場所に移動を始めた。
移動を開始して約1時間後、斥候より10分程先にある村は既にほぼ壊滅状態になっていること、更に、ゴブリンの集団は既にプファルーツ州領ライラン領側に移動を開始している旨の連絡が入った。
今回の遠征では、王国騎士団の副団長フィン・フォン・ホフマンは王都で団長代理をしている。クラウスの副官として、ベテランのベルント・フォン・クリューガーがクラウスを支える。王都では警邏部長をしており、王国騎士団の中では一番、魔物の討伐を経験している。
斥候からの報告を聞き、クラウス、ベルント、エルンスト、宮廷魔術師団副団長ザビーネ、アダルベルトとニコデムとは、この遠征が長期戦になる事を覚悟した。
所属ではなく、騎士と魔術師、そして魔術師は属性で班分けする方が魔術師の負担が減り、魔力の消耗を最低限に抑えられる。村を襲撃したゴブリンの姿が見つかる前に、それぞれの役割分担を決めることにした。
王都にいる時に、ルウィージェスからゴブリンが村を襲撃しているという報告を受けた。それから4日経った今日、斥候が村が壊滅状態になっている事を確認した。村に生き残りがいることは期待できない。しかし、村は比較的広く伸びた林に囲まれている。林に逃げた村人は期待できるかもしれない。
犠牲になった村人たちを弔う班とゴブリンの死骸を片づける班、そして、周辺に逃れ、隠れている村人たちの探索班に分かれた。ルウィージェスとカリンは探索班に加わる。
斥候が見つけた村に辿り着く前から、ゴブリンの姿が見られるようになった。
騎士たちが近くにいるゴブリンを殲滅し、魔術師が弓もしくは魔術で、遠方にいるゴブリンを殲滅しながら村へと向かう。
藍はエルンストの左肩に乗り、エルンスト班の魔術師たちを結界で守っている。
藍が加護を与えたのはエルンスト。藍が守るのは、あくまでもエルンストとエルンストが大切にしているもの。藍は神鳥。自分の役割を徹している。ただし、神獣の加護を受けたクラウスと惑星エムラの創造神の眷属のアダルベルトとウィルヘルムには敬意を払っている。
ニックスは、クラウスの腰にかけてあるちょっと大きめなスポーランの中に納まっている。ただ、結界魔法は使えない為、ちょっと悔しそうだ。
ゴブリンの姿が見えなくなり、村に向かおうと移動を開始した時だった。ニックスが「フォーン」と魔力も神力も込めずに遠吠えした。すると、死角になっていた場所から数十匹のゴブリンが飛び出した。
慌てて、弓矢と魔術で逃げるゴブリンを討伐する。
「お手柄だ、ニックス!」
クラウスが、スポーランの中に納まっているニックスの頭を撫でると、嬉しそうに「クンクン」と鳴いて、藍に視線を送った。
どうやら、藍だけが活躍しているのが悔しかったようだ。藍は我関せずを貫いている。ちょっとだけ先輩の藍が余裕を見せている。
斥候が確認した村に着いた。いや、村だった場所に到着した。
斥候からの報告通り、村を囲んでいたと思われる柵や、物見櫓だったと思われる基礎以外の部分、井戸などの人工建造物と、建物という建物が破壊されつくされ、完全に壊滅している。
先ほどのニックスの遠吠えによるものだろう。ゴブリンの姿は見えない。
ルウィージェスは、林に逃げ込んだ村人を探すと同時に、先程のように死角にゴブリンの残党がいる可能性を考え、他の魔術師たちの探査系魔法の邪魔をしないように神術で気配を探っているが、あるのは林の中のゴブリンの反応だけで、村人の生き残りと思われる反応を見つけることはできなかった。しかし、ルウィージェスについてきた母狐のミルが、村の奥から不自然な風の流れを感じ取った。
カリンに騎士団と魔術師団の護衛を頼み、母狐ミルに付いて行った。数分ほど林を、奥に見える岩山の方に進むと、崩れて間もないと思われる大きな岩の崩落現場に着いた。
ミルが鼻を守るように風上に顔を向けた。ルウィージェスも、何とも形容しがたい異臭を少し感じた。
ルウィージェスは、崩落し大きく入ったヒビの隙間に微量の風魔法を流し、中を探った。すると、相当数の、明らかに人ではない気配を感じ取った。そして、複数に分かれた複雑な経路と、更にその奥に手前の気配より数段大きな気配も複数確認できた。
「騎士団を呼ぼう。」
そう言うと、アイテムボックスから紙を取り出し、風魔法で感じた事を書いた。そして、それを母狐ミルに【風魔法:リング】で括り付け、騎士を呼んでくるよう頼んだ。
数分後、ミルを先頭に、クラウス、アダルベルトと数人の騎士が走ってやってきた。
ルウィージェスが改めて風魔法で感じた気配について説明をした。
「それでは、この中には相当数の魔物と思われる気配がある、と。」
クラウスは隙間から奥を覗き込みながら聞いた。ルウィージェスから異臭がすると聞いている。予め、布で鼻を覆っている。
「そう。あと、大きな気配が複数。手前のやつより数段強い気配がする。種的には同族だと思う。状況から見てこの気配はゴブリンと上位種で間違いないと思う。」
「将軍か、王か。そのレベルがいると考えて行動した方がよさそうですな。」
アダルベルトも鼻を布で覆いながら隙間から中を覗き込んでいる。
「今日はもう暗くなる。明日、膂力系の騎士を中心に隊を結成して討伐を行おう。」
そうクラウスが言った時、ルウィージェスがクラウスに声をかけた。
「まだまだ一番近いライラン領まで距離があるから、ここはぼくとカリンで先に大物を片付けようと思う。どうだろう?」
クラウスは少し考えたが、未来の武神と魔導王と神様2柱だ。その方が良いとあっさりと決断した。
「まだ先が長いですから、大物をお二人にお願いしたいと思います。」
ルウィージェスは、岩山からゴブリンが出てこないように結界を張った。
その日は、洞窟の前に設営地を設けた。入り口は結界で閉じられている。洞窟内からゴブリンが出てくることはない。同時に、洞窟前に設営地を設ける事で、ゴブリンの動きを監視できる。
ルウィージェスとエルンストは手分けして、設営地に別な結界を張った。張るのは、スタンピードの時にも使った『電撃付き結界魔石』による結界。これで、見張りを付ける必要なく、ゴブリン等の魔物の襲撃を心配する必要もなく、食事の匂いを気にする必要もなく、夜も十分な睡眠をとる事が出来る。
スタンピード鎮圧戦に参加した団員たちは、この結界の威力を知っている。スタンピード鎮圧戦に参加しなかった仲間に、この結界の威力を説明している光景があちらこちらで見られた。
今回野営地として選んだのは、なだらかな平地が続く、比較的広い場所。ルウィージェスは、結界の隣に別な結界を張り、トイレを設置した。勿論、便器は洋式だ。
ルウィージェスは神族。身内には時空創造神もいる。時空創造神は未来の地球を見ることができる。本来、未来の出来事は不確定な物であり、時空創造神とは言え、未来に関する情報を話す事は出来ない。しかし、時空創造神クロテゥノスは、未来の地球で一般的になる洋式トイレだけはとても気に入り、取り入れることにした。神界と天界では、未来の地球で一般的になる洋式トイレが普通に使われている。
上記理由により、リリーエムラ公爵家ではトイレは地球の未来で一般になる洋式が使われている。流石に、マルチ機能付きの便器ではないが。
そういう背景から、当然、ルウィージェスは幼少の頃から地球の洋式の便器に馴染んでいる。今更、惑星エムラで一般的に使われている壺式は使いたくない。王国騎士団と宮廷魔術師団の団員全員が驚いていたが、これだけは譲れない。違う、譲らなかった。
空間魔法、土魔法と火魔法の混合魔法【創造魔法:トイレ】で便器と個室を作り、【光魔法:洗浄】魔石を設置。この魔石に魔力を流すと、排泄物と臭いを瞬時に消し去る優れものだ。
因みに、惑星エムラの住民は全員生活魔法が使える。用を足した後は【生活魔法:清潔】で綺麗にするので、トイレットペーパーという物は存在しない。
結界同士は、同じく結界で繋げている。結界で通路を作った感じだ。トイレの設置場所は3か所。圧倒的に男性の人数が多いので、2か所が男性用で、1か所に20個室を用意した。1か所は女性用で、こちらは1か所しかないので30個室を用意した。
ルウィージェスは見た目が8歳程度。大人用のサイズでは、微妙に使い勝手が悪い。自分用に少し座高の低いトイレを用意した。
翌朝、『電撃付き結界』の外周には、外を見た団員たち全員が引いてしまった程の数のゴブリンが感電死していた。場所によっては山積みになっている。死んだ仲間を登って結界にぶつかってきたと思われた。
洞窟の入り口にはルウィージェスの結界が張ってある。ここから出てくることは出来ない。これらのゴブリンは周りに潜んでいて、巣に戻ろうとしたゴブリンだろうと容易に推察できる。
「この数のゴブリンが戻ろうとした巣、という事ですよね。」
結界の内側から外の様子を歩きながら確認しているザビーネが、同じく隣を歩くエルンストに小声で話しかけた。
「この一帯の死骸だけで、一つの大型営巣地の数に相当する。これはもう、異常繁殖していると断言して良いだろう。」
そう話しながら結界沿いを歩いていると、反対側から、同じように結界内からゴブリンの死骸を確認していたクラウスとベルントがやってきた。
「エルンスト団長、これは、かなりの異常事態が起こっていると断定すべきだろう。」
「強く同意します。この数は、明らかに異常です。今まで確認された大型営巣地複数分の死骸が、既に結界の外にあります。そして、」
エルンストの視線が洞窟の入り口に移る。三人の視線も同時に動く。
「あの中に、まだ…、」
「あぁ。一日で攻略するのは、難しそうだ。」
クラウスが小さく呟いた。
クラウスとエルンストは加護持ちで、アダルベルトはエムラカディアの眷属となっている。この三人はルウィージェスの結界を自由に出入りできる。藍は神鳥で母狐ミルと子狐ニックスは神獣。全く問題ない。
この三人以外の今回の参加者は全員、回復魔石を持っている。王都にいる間に、スタンピード時の回復魔石と、不足分をルウィージェスが作成し、全員に持たせている。多くの魔力を消費することが分かっている魔術師たちは、各自2つずつ魔力回復魔石も受け取っている。
魔力回復薬は、魔力の残量が少なくなってから服用すると、疲労回復の方により多く消費され、期待する程魔力が回復しない、という特徴がある。普段なら後方に下がって回復するまで待つという手段が取れるが、今回は、回復する時間を確保できるかどうか分からない。その為の保険だ。
朝食後、ルウィージェスは設営地の結界を、回復魔石・魔力回復魔石を持つ者は自由に出入りできる結界に変更した。これで、ルウィージェスがいなくても、必要な時に結界に入り休憩を取ることが出来る。
ルウィージェスとカリンが洞窟内の大型ゴブリンを殲滅している間、他の者たちは、外に残るゴブリン討伐班、壊滅した村の片付け班と犠牲となった村人たちの弔い班に分かれ活動する。
藍はエルンストと、ニックスはクラウスと共に行動する。母狐ミルは、基本的にはアダルベルト班と行動を共にするが、ニックスはまだ幼い。適宜クラウスの班とアダルベルトの班を行き来することに決まった。ルウィージェスが母狐ミルに説明し、母狐ミルも了承した。
準備が整った。ルウィージェスとカリンは洞窟の前に来た。
クラウス、エルンストとアダルベルトの三人は、中の様子を確認するために一緒に来ている。
「さてと、この岩、消すよ。」
カリンは頷き、剣を構えた。ルウィージェスとカリンは、自身に結界を張った。同時に、エルンストの左肩に乗る藍に、ルウィージェスが三人を結界で守るよう伝えた。
ルウィージェスが洞窟の入り口の結界を解き、入り口を塞ぐ大岩を砂にすると、一気に中から悪臭が噴き出てきた。自身に結界を張っている為、実際に臭いを感じたわけではないが、空気内に恐怖などの感情の痕跡を見つけ、顔を顰めた。カリンも感じたようだ。同じように顔を顰めている。
ルウィージェスは先日と同じように風魔法を使い、再度内部を探索した。やはり、かなりの数の通路が複雑に巡らされており、そしてこの洞窟はかなり奥まで続いている事が分かった。食糧庫と思われるような気配も複数ある。大きめのゴブリンの数も複数確認できる。
「クラウス団長、エルンスト団長、アダルベルト団長、ここがこの近辺に出没したゴブリンの営巣地みたいだ。この洞穴内には複数の通路が形成されていて、しかも、かなり奥が深い。」
その言葉を聞いたクラウスは今朝の光景を思い出していた。あの時点で、既に通常の営巣地複数分の死骸があった。数にして、300匹、いや、500匹は確実に超えていた。
「そうなると、残るゴブリンの数は数百くらいになるか。それでも、まだまだ大規模営巣地と考えて行動した方がよさそうだな。」
「洞穴の大きさから、ゴブリンの営巣地として、下手すると過去最大である可能性も出てきた、というわけですな。いや、今朝の死骸の数も含めると、既に過去最大の営巣地か。」
アダルベルトも腕を組み、渋い顔をした。
エルンストも風魔法で内部を確認している。エルンストの風魔法ですら、奥地まで風を送れない。奥が深いだけでなく、内部も広い。風魔法が広がってしまい、奥まで流せない。そして、風魔法が知らせるゴブリンの数は、千を超えている。
エルンストは風を送る手が震えるのを止められないでいた。初めての経験だった。ゴブリンで恐怖を覚えたのは。背に嫌な汗が流れるのを感じていた。
ルウィージェスとカリンはエルンストの反応に気付いていた。しかし、エルンストには藍がいる。上級神の眷属の神鳥が付いている。藍がエルンストを落ち着かせてくれる。だから大丈夫。ルウィージェスもカリンも、藍がエルンストを守り切る事を知っている。だから心配はしていない。
ルウィージェスは、砂にした岩の残骸の方も気になっていた。
「それと、」
砂にした岩の残骸を見ていたルウィージェスが続けた。
「この岩、落ちてきてそう日数は経っていないと思う。ひび割れの多さの割に、虫などの痕跡が少ない。もしかしたら、別な場所にも出入り口があって、この営巣地を隠すためにこの大岩を上から落としたのかもしれない。」
その言葉に皆が上を見た。言われてみれば、岩の欠け方が不自然に見えた。
「左右後ろだけでなく、上も注視するように。確証がなくてもいい。何か妙な影などを見かけたような気がした場合でも報告をするよう、皆に伝えましょう。」
クラウスはエルンストとアダルベルトを交互に見て、二人が頷くのを確認し、ルウィージェスに答えた。
クラウスたちは、ルウィージェスとカリンが洞窟内に入り、入り口が結界で閉じられたのを確認した。
「俺たちも、村に戻るか。」
その時、クラウスはエルンストの顔色が悪い事に気づいた。
「エルンスト団長?」
エルンストは、クラウスとアダルベルトを見て、そして、息を吐き大きく深呼吸をした。
「二人には話しておく。私も、風魔法で中を確認した。」
エルンストは一旦言葉を切った。クラウスとアダルベルトは、動揺するエルンストに驚き、何も言わず、エルンストの言葉を待った。
付き合いの長いクラウスも、これ程青ざめ動揺するエルンストを見たのは初めてだ。それだけで、洞窟内の状況が自分の想像を遥かに超えた状態であることが分かる。
エルンストは小さな水球を作り、口の中に入れた。それを見たクラウスは、自分も口の中がカラカラに乾いている事を自覚した。エルンストの緊張が自分にも伝わっていた。
「クラウス団長、アダルベルト団長、私の風魔法では奥まで届かなかった。その状態であるにも関わらず、風魔法が捉えたゴブリンの数は、」
エルンストが息を吐いた。意識して呼吸を整えようとしている。アダルベルトも、首筋に冷や汗が流れるのを感じている。
「私の風魔法は、千を超えるゴブリンを捉えた。」
その言葉は二人にとっても、衝撃過ぎる言葉だった。
優に1分以上、三人は言葉を発する事が出来なかった。
クラウスも小さな水球を作り、口の中に入れた。口の中がカラカラに乾き、舌が引っ付いた感じがして、口を開くことが出来なかったのだ。
「エルンスト殿、1000を超える、ゴブリン、と?」
クラウスのその声は震え、言葉も文章にならなかった。単語を並べただけの文。
「私の風魔法が届く範囲内で。」
そう答えたエルンストは、自分の気持ちが落ち着いてきたのに気付いた。柔らかい何かが、自分の中に流れてきている。
突如、それが藍の力であることを理解した。
自分の左肩にいる藍を見ると、うっすらと光っているのが分かった。
「ラン、これ、ランの力か?」
「ぴぴ」
クラウスも、藍が光っているのに気付いた。
「それ、神力か?」
「ぴぴ」
そう言うと、藍は光の範囲を広げた。ちょうどクラウスとアダルベルトも光を受ける感じだ。
「ぴぴぴ」
クラウスとアダルベルトも、自分の気持ちが落ち着くのを感じた。
「ラン、ありがとうな。お陰で、落ち着いてきたよ。」
クラウスは、呼吸が楽になっていることに気づいた。
「ラン様、ありがとうございます。自分も、大分落ち着きました。」
アダルベルトも、肩から力が抜けるのを感じた。
「ぴぴ」
「ラン、ありがとう。お陰で落ち着いて作戦を練り直せそうだ。」
エルンストは、完全に手の震えも落ち着き、全身から力みが抜けていることに気づいた。
三人は、一旦設営地に戻って、エルンストの風魔法が捉えた状況を確認する事にした。
これが、これから始まるゴブリン殲滅戦のほんの前哨戦であるとは知らずに。
第37話は、母狐ミルが不穏な洞窟を発見した事が、そもそもの始まりとなりました。そこは、一大ゴブリン営巣地で、その数も、過去最大規模でした。
斥候の話では、ゴブリンはマイラン領に向かって大移動をしている、とのことでした。そこで先ずはルウィージェスとカリンでボス級のゴブリンを倒すことになりました。
皆は、あまりの規模に、ここが最大規模の営巣地と思っていますが、これは、ほんの前哨戦に過ぎなかったのです。
さて、次回の第一章第38話以降しばらくは、大規模洞窟内営巣地殲滅戦が続きます。
来週4月18日(土)20:00公開予定です。
第38話 「ゴブリンの襲撃③―洞窟内の大規模営巣地②―」
来週もよろしくお願いいたします。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
月 千颯 拝




