第25話 「宮廷魔術師団団長の奮闘⑤―藍の守護の加護―」
フォーゲル伯爵家当主のエルンストです。
この日ほど、歴史が大きく動いたと感じた事はありませんでした。
私は5歳頃に魔法陣に魅せられて以降、学生時代も、偶然発見したフォーゲル伯爵家最大の魔術師と言われているアデル伯爵の学生時代に記したと思われる、フォーゲル家の紋章が入った資料を何度も読み、屋敷に大切に保管されている、同じくアデル伯爵が残した魔法陣も含めて研究し、自分なりに改編し、より攻撃力の高い攻撃魔法を編み出してきました。
魔法陣が複雑になればなるほど、より威力の高い魔法を放つことが出来るが、同時に、魔力消費量も増えてしまう。それは仕方がないと思っていました。複雑な魔法陣全体に魔力を流すためには、それなりの勢いが必要ですし、魔力の流れに威力がないと攻撃魔法にならない。だから、魔法陣に流す魔力量を増やす事で、魔法陣の中を流れる魔力に勢いを付けるしかない、それが普通で当たり前で、魔法陣の基本でした。
しかし、ルウィージェス様の魔法陣は、今まで自分が信じてきた事をことごとく覆しました。
魔法陣を波紋状に並べると、複雑な工程を高速で再現できる。そのような事はアデル伯爵の資料にもありませんでした。しかも、魔法陣が複雑になっても、魔力消費量が増えないという事も、私にとっては衝撃的でした。
アデル伯爵の魔法陣も、魔法陣を複雑にすればするほど、魔力消費量が増えるという事を前提にしてありました。
ですから、魔法陣の中に入れる円の数は少なければ少ない方が、魔力消費量が少なくて済むので、あれ程の数の円を波紋状に並べるという発想はありませんでした。試そうとも思いませんでした。なので、今まで、あれ程の複雑な工程を再現させる魔法陣は、存在していませんでした。
何故、あの複雑な魔法陣の中を、あの少量の魔力量で巡らせることが出来るのか、不思議でなりません。あの秘密を解いた時、その時は、魔法の歴史を覆す、大きな分岐点になるでしょうね。
もし、本当に、ルウィージェス様の魔法陣の謎を解けたら、アデル伯爵を超える実績となります。
…本当に出来たら、ですけどね。
私はランから『魔道神鳥のお気に入り』という加護を頂きました。
今でも、あの時の気持ちは忘れられません。本当に嬉しくて、スタンピード鎮圧に向かっている途中であるにも関わらず、私は幸せいっぱいでした。異常な膂力を付けた魔物からの襲撃を連続的に受けて、大変な状況に置かれていたクラウス殿にはとても言えませんが。
しかも、ルウィージェス様の説明によれば、ランが私にくれた加護は、数ある加護の中でも最高のものだと言うのです。
本当に、私は幸せ者です。
最後に、私はこの日を一生忘れることはないでしょう。ルウィージェス様の魔法の威力の事もそうですが、フォーゲル家の先祖の事、ランがくれた加護の事、ルウィージェス様の魔法陣の事、その全てが驚きの連続でした。本当に、衝撃的な一日でした。
薬師ギルドに併設されている治療院で、ルウィージェスが見本で作った回復魔石の効果を確認した後、エルンストは、ヘルガとその息子で、現在は宮廷魔術師団の研修生であるフロレンツを、フォーゲル伯爵家に召集した。
今後、宮廷魔術師団でも回復魔石の作成に本腰を入れるが、これは、フォーゲル男爵家が担っている医療院におけるヒーラーの価値観を変える代物。医療院でヒーラーを育成する事を事業の中核としているフォーゲル男爵家にとっては、存在価値にも関わる問題である。
フォーゲル本家当主としては、傍系の価値を上げる方法を考えなければならない。
そこで考えたのが、宮廷魔術師団でも行うが、回復魔石の作成が出来るヒーラーを育てる事だ。フォーゲル家では、代々強い回復魔法が使える魔術師が誕生する。そこが、フォーゲル男爵家の強みだ。
それに、フォーゲル家では稀な空間魔法の使い手も、今までに何人か輩出している。恐らくどの貴族家よりも、その人数は多い。
エルンストは、その稀な空間魔法の使い手であるフロレンツに、宮廷魔術師団の団員として『結界魔石』作成の責任者となれるよう、まだ研修生ではあるが、今から魔力制御の訓練を本格化させるよう伝えると、ルウィージェスが、二人の為に『聖石』天藍石を『錬金の権限』で作り出しエルンストに渡したのだが、ヘルガから、なぜそこまで自分たちの手助けをしてくれるのか、と質問された。
「これは、ぼくの降臨目的に関係する事なんだけど、さっき、エルンスト団長から古い魔素問題の話があったでしょう?」
ルウィージェスは、自分がこの惑星に来ている理由を話した。
「顕在化してきた古い魔素問題は、そう簡単には解消できないの。多分、数百年という単位の時間を要する。だから、魔素問題解決の目途が立つまでの間は、魔素の転換障害に対抗する為に、この惑星の者たちの力を底上げする必要がある。魔素の転換障害で凶暴化する魔物に太刀打ちできるようにね。ぼくは魔導王・妖精王・精霊王だけど、この惑星では、精霊の影響は極力少なくしているから、基本的には魔導王としての仕事に集中しているわけなんだけど。ただね、ぼくは神族だから、不特定多数に出会って、直接やり取りする事は出来ない、という神族としての大きな弊害があってね。」
ルウィージェスは、新しい紅茶を持ってきたメイド長アラインに礼を言った。
「だから、初めは魔法の改編、正確には魔法陣の改編だけど、それで、この惑星の魔術師の底上げをしようと考えていたんだけど、エルンスト団長とクラウス団長という、ずば抜けた力を持つ二人に出会った。そこで、ちょっと二人の事を調べてみたら、この二人は、建国の時の立役者の子孫だった。正直、ぼく、小躍りしちゃったよ。」
ルウィージェスは、エルンストの方を向いて続けた。
「建国時って、より強い指導力を持った者と、より強い力で、その者を支える者が必要でしょう?世の中が混沌としている中で国を立ち上げるのだから。しかもこの国、テューゲンリン王国は、創造神の姉さまが自分の神託を伝え、それを実行できる者を置くために作った国だし。当然、神託を受ける者を支える者も、姉さまから特別な力を受けている。それが、フォーゲル家とシューバート家なんだけどね。」
――――まぁ、正しくは、始祖の魂を持った者、なんだけど。
エルンストにもまだこの話はしていなかったからか、エルンストも目に見開き、聞き入っている。
「しかも、フォーゲル家とシューバート家の両家は、見事にその特殊な力を継承し続けている。その証拠に、魔素障害を真っ先に受けるのは非戦闘系の魔法で、その中で顕著なのが、光属性の回復魔法と特殊属性の空間魔法。それなのにフォーゲル家では、古い魔素問題が顕在化する程悪化しているこの状況下ですら、高位回復魔法を使える者を多く輩出しているでしょう?例えば、ミラ班長、ボドマールとドナトス。この三人、元を辿れば婚姻などでフォーゲル家を出た元フォーゲル家の者の末裔。宮廷魔術師団内で現在、空間魔法を使う魔術師は、ぼくが把握している限りでは18名いるけれど、彼らも同様に、辿れば、どこかにフォーゲル家の者が入っている。【ヒール】の使い手は関係ないけれど、この状況下で中級以上の回復魔法を使える者は、ほぼ間違いなく、辿ればどこかでフォーゲル家の者にぶち当たる。」
「…ミラは、確かにフォーゲル男爵家から嫁いだ者の孫ですが、ボドマールとドナトスもそうだったとは、存じませんでした。」
「100年以上も前の話だからね。魂の繋がりを辿ったら、フォーゲル家の者に辿り着いた。だから、フォーゲル家とシューバート家の者を補助して強化する事は、ぼくの役割を果たす事に直接繋がるし、最も効果を得やすい方法、というわけ。だから、ぼくはフォーゲル家とシューバート家の者を、これからも補助して、魔素問題が解決するまで、何とか踏ん張れる術を渡したいし、どんどん活用して欲しいと思っている。」
それにね、ルウィージェスは続けた。
「ランは唯一ぼく、上級神の加護と眷属認定を受けた亜神なんだけどね。この惑星で、創造神以外から加護を受けたのは、ぼくが『錬金の加護』を与えたマリー以外では、実は、エルンスト団長だけなんだよ。」
ヘルガとフロレンツだけでなく、エリザベートもエルンストを見た。
「え、そうだったのですか?」
「そうだよ。」
エルンストにとっても、それは意外だった。
「しかもね、『守護の加護』を受けた唯一の人物。」
エルンストが少し首を傾げた。
「ぼくがマリーに与えた加護は『役割の加護』といって、あくまでも、この惑星の発展に役立つだろう、という思惑で与えた加護で、元々あるその力をより強固にする為のもの。だけど、ランがエルンスト団長に与えたのは『守護の加護』。これは、『役割の加護』と違って目的がある訳ではなく、単純に、加護を与えたいと思った相手だから与える加護。だからランは、エルンスト団長をあらゆる事から守ろうとする。ランがしょっちゅうぼくに『手伝え』と言ってくるのも、ランはぼくの眷属だからなの。ぼくには、眷属にしたランの希望を叶える義務があるからね。一言で加護と言っても色々あって、その効果も多種多様なんだけど、『守護の加護』というのは、加護の中でも最高位の加護で、しかも、ランは『守護の加護』を与えたエルンスト団長が望む事を、出来る限り叶えたいと思っていて、それを自分に課している。だから、エルンスト団長が大切にしていて守りたいと思っている部下と家族も、ランの加護の範囲であって庇護の対象と認識されているわけ。その繋がりで、傍系のお二人も、ランにとっては庇護対象。この加護を与えた者は、加護を受けた者を、あらゆることから守ろうとする。」
ルウィージェスはランを呼んだ。
「だから、この『守護の加護』を与えられるのは、それなりの強さを持った者のみ。『神』の称号を持っていれば、誰しもが与えられる加護ではないんだ。責任も重いしね。『役割の加護』は、『神』の称号を持っていれば誰でも出せるけどね、能力的には。ただ、『役割の加護』を出す許可を受けているかどうか、というだけ。」
ルウィージェスは、ヘルガとフロレンツを見た。
「ランに力を与えたのは、上級神のぼく。ぼくは、僕の祖父、世界創造神が創った世界では、2番目に神格が高い神。ぼくはね、世界創造神の後継者候補なんだ。ランは小鳥だからね。本当なら弱い生命。だけど、祖父が作った世界の中で2番目に神格が高いぼくの加護を受け眷属になったから、この惑星に住む亜神の中では一番神格が高くて、守護の力も、この惑星のどの亜神よりも強い。」
ルウィージェスはランの頬を撫でた。
「さっきも言った通り、ぼくはランを眷属にしたからその責任もあって、ランが希望したのは、エルンスト団長の希望を叶える手助けを最大限にすること。だから、魔導王としての役割とランの上司としての役割、どっちもエルンスト団長を助けてフォーゲル家の者の補助をすること、なの。だから、ぼくはエルンスト団長だけでなく、フォーゲル家の者の補助に力を貸すし、それに対して遠慮はいらない。」
ランはエルンストの定位置に戻り、「ぴぴぴ」と甘えた声で鳴きながら、エルンストの首筋にスリスリした。
エルンストは藍を両手で包み、目の前に持ってきた。
「ラン、ありがとう。本当にありがとう。」
目を瞑り、眉間に近付けた。
その時、エルンストから魔力とも神力とも違うけれど、どちらかと言えば、神力に近い力が一瞬だけ溢れ迸った。
――――これは、始祖の魂の者の力!やっぱり、エルンスト団長は始祖の魂の持ち主だ!…それなのに、守護神がいない?え?何故?
ルウィージェスはかなり混乱していた。
いくら考えても、その答えは出てこない。
分からない事は分からない。しょうがない。小さく溜息をつくと、残り少なくなったクッキーを一つ食べた。
「ただ、ぼくはランに一つだけ禁止している事がある。」
――――クッキーって美味しいけれど、口の中の水分、吸い取られちゃうんだよね~。
ちょっと冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。
「エルンスト団長を絶対に眷属化するな。これだけは、口酸っぱく言っている。」
「その理由を伺ってもいいですか?」
「加護と眷属、その両方を与えちゃうと、与えられた人、亜神になっちゃうから。それは、流石に困るでしょう?」
クスっと苦笑いしながら言った。
「もしかして、国王陛下と宰相閣下が加護を受けていないのは…、」
「そう。既に使徒と眷属になっているから。これで加護を与えちゃうと、二人とも、亜神になっちゃう。」
ヘルガとフロレンツは二人の話に付いて行けず、目でエルンストに説明を求めた。
「あ…、先ほどルウィージェス様が、この国は『創造神の姉さまが自分の神託を伝え、それを実行できる者を置くために作った国』と言われたの、覚えているかい?」
「あ、はい。一応は…。ただ、余りの事に、正直、理解が追い付いていないといいますか…。」
「ハハハ、それは仕方がない。」
エルンストも、冷えて残り少なくなった紅茶を飲んだ。
「この国の国王、どのようにして決められているか、聞いたことはあるかな?」
ヘルガとフロレンツは、お互いに相手の顔を見る。
「「いいえ、」」
「この国は、創造神様が神託を伝える者を置くために作った国。つまり、神託を受ける者が国王になる。その神託を受ける者と選ばれた者は、創造神様の使徒となる。それが、我が国の国王になる資格だ。神託を受ける使徒だけではなく、それを実行に移す補佐官は必須。だから、この国の補佐官、我が国では宰相になるが、宰相は創造神様の眷属として選ばれた者がなる。」
「そ、それでは…、」
「国王アギディウス・ヴェルト・テューゲンリン陛下は、この惑星の創造神様の使徒で、宰相オルトールド・フォン・シューバート侯爵は、創造神様の眷属だよ。」
「そう、だったのですね。」
ただでさえ、初めて知ったフォーゲルという姓の重たさに冷や汗をかいていたヘルガだったが、更に、この王国の秘密まで知ってしまった。
「…大変な事実を知ってしまった…。」
すっかり乾いてしまった口の中を紅茶で潤すと、緊張から喉がなった。
「本家当主様、このことは、どこまで知られているのでしょうか?」
フロレンツはまだ若く、当主の責任の重たさも、知識としては知っているが、実感としては、まだまだ薄いのだろう。母ヘルガ程のショックは受けていない。
「お二人はこのことを公にはしていない。このことを知っているのは、スタンピード対策会議に出席していた者たちくらいじゃないかな?」
エルンストは、窓の外から入る日差しが長くなり始めた事に気付いた。自分もまだ勤務中だ。そうゆっくりはしていられない。
「近いうちに、ルウィージェス様より『錬金の加護』を受けたマリー殿に、その『聖石』天藍石を使った装飾品の作成を頼みに行こうと思うが、どうする?」
「自分は、是非お願いしたいと思います。上級神で魔導王様が作って下さったこの『聖石』を、この状態で持っているのは、ちょっと、いえ、かなり不安です。」
「私も、お願いいたします。」
「近いうちに、私とヘルガ院長の非番の日の打ち合わせをしよう。フロレンツの方は、私から副団長殿に伝えておくから、日程が決まったら連絡する。」
「「よろしくお願いいたします。」」
ヘルガとフロレンツはルウィージェスに対し、これから受けるだろう補助に対し、深く礼をした。
ルウィージェスは、先に宮廷魔術師団の訓練場に行くと伝え、藍と共に【転移】した。
ヘルガとフロレンツを送り出したエリザベートがエルンストに言った。
「フォーゲル家とシューバート家というのは、大変なお家だったのですね。」
「建国の立役者の一人というのは聞いていたが、創造神様から力を賜っていたとは。少なくとも、私が読んだ一族の書物には、どこにも書いてなかった。」
「ルウィージェス様の話から、フォーゲル家は魔法なのは明らかですわね。そうなると、シューバート家は、やはり剣術、…かしら?」
エルンストは左手で右肘を支え、右指で顎を支えながら少し考えた。
「もしかしたら、剣術と攻撃魔法かもしれないな。剣術に秀でた貴族家はシューバート家を含めて複数あるが、強い攻撃魔法も使えるのは、シューバート家の者だけだ。」
「そう言えば、ルウィージェス様は『フォーゲル家とシューバート家の両家は、見事にその特殊な力を継承し続けている』と言われてましたわね。」
「あぁ。特にクラウス殿は、シューバート家の中でも、その魔力量は抜きん出ている。クラウス殿の次に魔力量が多いのが宰相殿だ。あの二人と比べると、真ん中の異母兄弟の二人の魔力量は余りにも平凡。あの二人が、ルウィージェス様が言う『特殊な力を継続し続けている』者なのだろうな。」
「私、ルウィージェス様の話を聞いていて、一つ思い出した事がございますの。母の言葉なのですけれど。私の母はシューバート傍系出身だからなのかもしれませんが、昔、私が旦那様の婚約者と正式に決まった時にね、『フォーゲル伯爵家に嫁ぐ限り、回復魔法の使い手が生まれないと、あなたの立場は辛いものになるかもしれませんね。シューバート家では、今まで一人も回復魔法の使い手が生まれたことがありません。今回の件は大変に名誉な事です。でも、それだけが、とても気がかりです』と。」
「クリスリーベ義母上様が?」
「えぇ。その時はその意味の重たさを全く理解していなかったので、軽く流してしまいましたが、ルウィージェス様の話を聞いた今なら、その言葉の本当の意味が分かるような気がします。」
「ふむ。そのように見られているのか。回復魔法の使い手が多く生まれるのは、伯爵家よりも男爵家なのだが。むしろ、伯爵家からはかなり長い間、回復魔法が使える者は生まれていない。私は、どちらかというと、先祖返りみたいな存在なのだが。」
「えぇ、今では、旦那様が例外的な存在であるのは存じております。」
「れ、例外、ですか?」
思わず小さく噴出した。
「今日のルウィージェス様の話で、旦那様は例外ではなく『特殊な力を継承し続けている』者である事が分かりましたが。」
エリザベートはクスっと笑って言った。
「この事をエルクとエヴァリンにも話さなければならないのだが。正直、今日ルウィージェス様から聞いた話は、私にとっても情報量が多過ぎた。いや、違うな。衝撃が大き過ぎた。うん、そうだな。衝撃的過ぎた。少し、自分の中で咀嚼してから、二人に話す事にするよ。」
「そうですね。私も、今日聞いた話しを自分なりに理解してからの方が助かりますわ。」
エルンストは、メイド長アラインに執事に馬車の準備をするよう伝えた。流石に仕事に戻らないと書類整理が終わらなくなる。
宮廷魔術師団の棟に戻ってきたエルンストは執務室には寄らず、真っすぐ魔術師団の訓練場に向かった。
先に来ていたルウィージェスと藍は魔石作りと魔法陣描きの練習に付き合い、カリンは、攻撃魔術を使う魔術師相手に、剣での攻撃に対する訓練と指導をしていた。
藍はエルンストの姿を見つけると真っすぐ飛んできて、肩に止まった。
エルンストは藍の頭と頬を撫でた。とても和む。
「ルウィージェス様、カリン様、魔術師団の練習にお付き合い頂きありがとうございます。」
二人に礼を言い、先ずは、ルウィージェスの指導の下、『回復魔石』作成の訓練をしている団員の所に来た。
「どうだ?」
「だいぶ安定して同じ大きさの魔石を作れるようになってきました。」
そう答えたのは、『聖石』装飾品なしで実験してみた時には、全く魔石を作ることが出来なかった【ハイヒール】の使い手のシルステンだ。シルステンは、『聖石』装飾品を装備して魔力制御の訓練を始めたところ、瞬く間に魔力制御力が上達し、ここ数日間で、『聖石』装飾品で魔力制御の訓練をした後であれば装飾品なしで、藍の【応援歌】の支援の下でなら、魔石を作れるようになった。
「今は、こんな感じです。」
シルステンは、魔石作成を開始した初期に作成した分と、この数時間で作成した分を見せた。
確かに、初期の頃の魔石は粒の大きさも形も不揃いだったが、この数時間で作成した魔石は、形はまだ不揃いだが、大きさは誤差の範囲内になっている。
「魔石の質も、【ヒール】…じゃない、【ハイヒール】の強さも発動できる回数も、だいぶ揃ってきているよ。」
ルウィージェスは、特に良くできた魔石を3つ程エルンストに手渡した。
「この魔石ですと、何回くらい発動できそうですか?」
「今日の冒険者デルフ以外のメンバーの怪我程度なら、怪我を負ったばかりの状態でも8人分は確実にいけるよ。」
「お~、想像以上の効果だ。」
「それって、私たちが行うと魔術師何人分くらいに相当しますか?」
「そうだな。今日見てきた冒険者たちの傷は軒並み深かったからな。しかも、負傷して数週間経った後であの状態だったから、おそらく、怪我した当時だったら、一人に【ヒール】を4、5人で複数回重ね掛けして、その上で【ハイヒール】2回分は必要だったと思ってよいくらいだった筈だ。今日の状態でも、一人当たり2、3人で【ヒール】を重ね掛けするか、【ハイヒール】を1回、傷の数が多い者には2回は必要としただろう。」
「【ハイヒール】を2回発動したら、もう魔力切れですね。ということは、単純に私たち8人分の【ハイヒール】がこの魔石1個でできる、ということ…って、すごいですね!」
「今、分かったのか。」
エルンストは思わず苦笑した。
エルンストは同時に、机の上に置いてある魔法陣の複写を見た。
「この紙はルウィージェス様が?」
「うん。【紙作成】は初級魔法なんだけど、水魔法・火魔法・風魔法の、3属性の混合魔法だから、ちょっと難しかったみたいで。」
「私は、その3属性を持っているのですが。因みに、どのようにしているのでしょうか?」
ルウィージェスは、未使用の薪を持ってきた。
「まず、ゆっくりとするね。」
ルウィージェスが【風魔法:裁断・細断】を唱えると、薪が薄くスライスされ、それが更に細かく裁断された。
続けて【水魔法:攪拌】を唱えた。すると、細かく裁断されて出来たおが屑と木の線維は水魔法によって激しくかき混ぜられ、木の皮などの紙作成に不必要な混ざりものが、外側へと押し出された。続けて【風魔法:水切り】を唱えると、外側へ押し出された混ざりものが切り離され、【風魔法:圧縮】を唱えると、混ざりものが1個に圧縮され、床に落ちた。更に【水魔法:成形】を唱えると、紙の形、長方形を成し、【火魔法:風魔法:温風】で水分を飛ばし、【風魔法:圧縮】で紙が出来た。
「という工程なんだけど、これをいちいちやっていると大変なので、」
そういうと、落ちたゴミを拾い机の上に置いて、ルウィージェスは光で魔法陣を作った。
「今の工程をすべて高速で再生する魔法陣を作成して行っているの。」
そう言うと、今作ったばかりの紙に魔法陣を【複写】してエルンストに渡した。
「やってみません?消費魔力としては、どうだろう、魔法自体は9,10回程度だから、初級魔法10回分?とちょっとくらい?になるのかな?でも、属性持ちが魔法陣使うと、魔力消費量がかなり低減されるから、もう少し少なくて済むかも。」
エルンストは手渡された魔法陣を見た。
大きな円の中に円が波線の様に10個並び、円と円の間にはレース編みしたような細かい模様が描かれ、円を繋げている。円と円の間隔はとても狭く、その中に描かれている線も、主要な線以外は非常に細い。かといって、線がぎゅうぎゅう詰めになっているかというとそうではなく、線の多さの割には隙間が多くみられる。
エルンストには究極に簡略された帝級魔法級の魔法陣のように見えた。
「ルウィージェス様、これ、初級魔法の魔法陣なのですか?」
「うん。ただ高速展開させるために線が多くなっているだけだよ。」
エルンストは覚悟を決め、魔法陣を起動させた。
ひどく集中力が必要な魔法陣だったが、ルウィージェスの言葉通り、大量の魔力を消費する感覚はない。ただ、ひたすら集中力を必要とした。
エルンストの額には大粒の汗が流れだした。
時間としてはほんの20秒程度だった。
エルンストの手にはだいぶ厚みにムラがあって、形もきれいな長方形にはならなかったが、紙が出来ていた。
「出来た…。」
エルンストは出来た紙の強度などを調べてみる。
簡単にちぎれることなく、十分な強度を持つ紙だった。
「団長すごい!一回で作っちゃった!」
周りにいた団員が駆け寄ってきた。
エルンストは、集まった団員に紙を渡した。
代る代る団長お手製の紙を触った団員たちは、本当にちゃんとした紙に驚きの声を上げた。
「魔法陣から受ける印象より、はるかに少ない魔力量で済みました。」
「慣れてきたらもっと発動時間が短くなるから、今のよりずっと魔力消費量、減るよ。」
ルウィージェスはにっこりと笑顔で続けた。
「コツは、皮がついている薪を使う事。糊成分が必要だから、最終的には捨てる皮からも糊成分を絞り出す。次に大切なのが、最初の【裁断・細断】の時につくるおが屑と木の線維の比率で、より丈夫な紙を作る時は木の線維の量を増やせばいいし、薄い紙を作りたいときは、木の線維の量を減らせばできるから、その時の用途に合わせて調節すれば、色々な種類の紙が作れるよ。もし、強度の高い紙が必要な時は、種とか芋とかを少し混ぜれば糊が大量に加わるから、薄くてもコシのある紙が作れるよ。」
「なるほど。」
エルンストはもう一度魔法陣を見る。
「これ、頂いてもよろしいでしょうか?」
「勿論。宮廷魔術師団で、みんなが使いやすいように編集すれば、使える人、もっと増えると思うしね。」
「ありがとうございます。」
エルンストは、団員から自分が作った紙第一号を回収した。
その時、藍が急にスキル【応援歌】を発動させた。すると、エルンストの疲労感が少し軽減された。どうやら、大好きなエルンストが疲れているのを感じ取ったようだ。
「ラン、ありがとう。おかげで体が軽くなったよ。」
エルンストは藍の頬を優しく撫でた。藍は嬉しそうに、エルンストの首に何度も頬ずりした。
この場にいる団員の中で、水魔法・火魔法・風魔法の3属性を持っていたのは団長のエルンストだけだった。意外と複数属性を持つ者は少ないようだ。
因みに、エルンストは回復魔法も使えるので、光魔法を含む4属性持ちだ。
普段、魔法陣の作成は宮廷魔術師団錬金部門の魔法陣作成班が専任として行っているのだが、今は魔力制御力訓練を兼ねた魔法陣を魔力の可視化で描く練習を行うため、戦闘部門・非戦闘部門関係なく行っている。
魔素問題が顕在化している現状では、この魔力制御力の強化なしでは、どんなに訓練に時間を費やそうと、戦闘力の強化にはつながらない事を知った。しかし幸いなことに、『聖石』がその問題を打破する手段であると教えられ、惑星エムラの創造神が『聖石』の積極的な利用を推奨している事も知った。
かなり高度な魔力制御力を必要とする、魔力の可視化による魔法陣を描く方法を取得する為に『聖石』を使った訓練を導入し、魔力制御力を鍛えた結果、魔法の種類を問わず、魔法の威力と精度が高まり、その効果は覿面だった
エルンストは、魔法陣の練習をしていた団員に言った。
「そろそろ、冒険者ギルドに改編魔法陣を紹介しようと思っている。とりあえず、初級魔法の【火球】【水球】【風球】と【石槍】だな。今日、冒険者ギルドの総括と会って話したのだが、冒険者ギルドの方でも、魔素過多中毒による膂力強化した魔物との遭遇が多数あり、それなりの被害が出たとの事だった。雪解け水による魔素過多中毒は、今年はもうないだろうが、大雨によるものは季節を問わず、どこででも起こりうる。よって、我々魔術師団・騎士団だけでなく、冒険者たちの魔法の威力増強も不可欠だ。」
エルンストは皆の顔を見る。不安そうな顔をしている者はいなかった。いや、魔力制御力を高めて以降、団員たちの顔つきが明らかに変わった。一様に自信を持ち、凛々しくなったように見える。
「来週、冒険者ギルドの総括に時間を取ってもらっている。まずは、【火球】【水球】にしよう。この2つは冒険者でも使用頻度が高い魔法だ。」
机の上に残っているルウィージェスが作った紙の枚数を確認した。
「ルウィージェス様、恐縮なのですが、紙をもう少し、…100枚程度、作って頂けませんでしょうか?」
「いいよ。」
「ありがとうございます。ルウィージェス様が作って下さった紙に、【火球】【水球】の魔法陣を、そうだな、各50枚ずつ用意しよう。」
ルウィージェスは薪からあっという間に紙150枚作製した。
その紙に、【火球】【水球】の魔法陣が描けるようになった者たちが、魔力可視化で魔法陣を描き、【複写】していく。【複写】は火魔法と光魔法の混合魔法なので、属性を持たない団員たちは、ルウィージェスが作った魔法陣を発動させ【複写】していく。
魔力可視化で描けるようになったとはいえ、まだまだ魔法陣を描くだけでかなりの時間を要する。更に、作成した魔法陣を維持しながら【複写】をするのも、まだまだ一苦労のようで、【複写】しようとした途端に魔法陣が消えてしまう事の方が多い。
――――この一週間はこの作業で終わるだろう。
そう思いながら、エルンストは団員の様子を見ていた。
余談だが、紙に描いた魔法陣は、紙そのものに耐久性の問題がある。一週間後、ルウィージェスは【複写】の魔法陣を、薄い板と薄い石板の上に描き、エルンストと魔術師団員に使用感などの相談をし、その声を元に、長期保存が利く石板に魔法陣を描いた物を100枚程作成した。攻撃魔法を使えない宮廷魔術師団錬金部門の魔術師団員も、魔力の可視化で魔法陣を描いて「石板魔法陣」を使って複写する事は出来る。
「石板魔法陣」や【複写】魔法で作成した魔法陣は、手書きの魔法陣と異なり安定感があり、書き損じによる魔法不発もない為、瞬く間に『確実な魔法陣』として噂が広まり、宮廷魔術師団錬金部門・魔法陣作成班への魔法陣の巻物の注文が一気に増え、宮廷魔術師団の収益の大きな柱の一つになった。
気付くと日がかなり傾いており、エルンストはルウィージェスとカリンを公爵家まで馬車で送り届けた。
その後、直帰せずに、一旦宮廷魔術師団の棟に戻り、自分の執務室がある部屋のドアを開けた。
ドアを開けると先ず見えるのが、秘書がいる部屋と会議室だ。その奥に、自分の執務室とその隣に副団長の執務室がある。
秘書がいる部屋には休憩用のテーブルがあり、そこで秘書のアネカセと副団長のザビーネ・フォン・ケーニッヒ男爵が談笑していた。
「団長、お疲れ様です。どうでした?」
その問いに、エルンストは今日の出来事を回想した。
改めて思い返すと、怒涛の様な日だった、という言葉がとても相応しい、情報量の多い日だった。
「色々あり過ぎて疲れた、かな。」
「あらら、今、香り豊かな紅茶を淹れます。」
アネカセはそう言うと、紅茶の用意を始めた。
エルンストはザビーネの向かいに座った。
「団長、どうぞ。」
「ありがとう。」
秘書アネカセが入れてくれたのはバラ茶だった。深く香りを吸い込む。
「はぁ、やっと、落ち着いた。」
「なんか、本当に疲れてらっしゃいますね。」
「いや、ホント、…色々あって。何てことなく疲れた。」
エルンストは大きく息をついた。
「ザビーネ、何かあったかい?」
「そうですね。ザイラント州領とヘセン州領から講師の派遣依頼がありました。」
「講師の派遣依頼?」
「はい。今回のスタンピードでは、テトグラン以外の多くの街からも魔術師を含む騎士が派遣されましたが、その多くが魔物によって死傷しました。その補充の為に新しく騎士と魔術師を雇ったらしいのですが、いかせん、老練者を多く失った為に、講師が圧倒的に不足しているそうです。特に、補助系魔術師を多く失ったらしく、宮廷魔術師団に講師の派遣依頼が来ました。ヘセン州領も同様の理由でした。」
「なるほど。確かに、我々が通った道だけですら、あれだけの被害だ。全体では相当数に上っただろう。それは騎士団と相談し、優先的に手配してやって欲しい。おそらく騎士団の方にも騎士養成講師派遣依頼が来ているだろうから、一緒に行くことになるだろう。」
「承知しました。あとは、本屋協会から、魔法陣の巻物の注文が複数入りました。回復魔法系が一番多く、次が火魔法の巻物です。」
「火魔法の巻物に初級魔法の【火球】は含まれているかな?」
「はい、あります。」
「回復魔法の方は早く用意するよう伝えて欲しいが、初級魔法の【火球】【水球】【風球】【石槍】は少し待って欲しい。」
「そうですね。大きく変わりましたからね。」
「その他の改編はまだ間に合わないだろうから、そっちの方から始めて欲しい。」
「承知しました。」
アネカセに紅茶のお代わりを頼んだエルンストは、先ほどルウィージェスから受け取った【紙作成】の魔法陣を懐から取り出した。
「ザビーネ。深く読まないで、この魔法陣、君にはどう見える?」
ザビーネはエルンストから二つに折られた紙を受け取り開いた。
「な、なんですか、この複雑な魔法陣は?!」
ザビーネは魔法陣を全体的に見た。
「混合魔法だと言うのは分かりますが、これ、上級魔法?いえ、帝級魔法?ん?でも、そこまで詰まっていない?簡素化された、すごい魔法の魔法陣ですか?」
ザビーネは魔法陣が描かれた紙をエルンストに返しながら聞いた。
「ルウィージェス様が以前、薪からあっという間に紙を作成したの、覚えているか?」
「勿論です。あれも衝撃的でしたから。」
「これが、その【混合魔法:創造魔法:紙作成】の魔法陣で、しかも初級だ。」
「は?その複雑な魔法陣で初級?!」
「あぁ。水魔法・火魔法・風魔法の混合魔法とのことでね。」
エルンストは、ルウィージェスがゆっくりと工程を再現してくれたこと、そしてこれが、その工程を高速で再現するための魔法陣であることを説明した。
「私は水魔法・火魔法・風魔法の属性を持っているから、この魔法陣を使って実際に魔法を発動させてみた。さすがに、ルウィージェス様の様に高速で再現はできなかったが、それでも約20秒で出来て、しかも消費魔力量が、ランの応援なしで15だった。」
「それって、今までの【火球】【水球】とほぼ同じ消費量ですよね?」
「そう。これだけ複雑な魔法陣なのに、本当に初級魔法で、旧【火球】並みの魔力消費量だったのだよ。」
エルンストはザビーネに魔法陣の紙をもう一度渡した。受け取ったザビーネは、魔法陣をじっくりと見る。
「確かに、しっかりと見れば、水魔法の部分と火魔法の部分と風魔法の部分があって、しかも、風魔法が複数回繰り返されているというのも読めますが、これで、初級?!じっくり見ても、初級には見えません。どうやったらこれだけ複雑な魔法陣で初級魔法になるのか、さっぱり分かりません。」
「この魔法陣を分解して研究したら、あらゆる魔法陣が根底から覆るだろうね。」
エルンストはザビーネから魔法陣を受け取り、再度じっくりと見た。
「そもそも我々の常識では、魔法陣は複雑になればなるだけ発動も難しくなり、魔力消費量も増えるというものだった。既に、この常識が覆されてしまった。」
エルンストは紅茶を飲み干すと自分の執務室へ行き、今日中に出す書類を片づけた。
そして、心身ともに異常に疲れ果てたエルンストは帰りに有給届を出し、翌日は1日仕事を休むことにした。
珍事とも言える団長の有給申請に団員の皆が心配したが、その話を聞いた王国騎士団団長クラウスはエルンストの心情を深く理解し、心の底から「ゆっくり休め」と労った。
第25話は、フォーゲル家の先祖の役割と藍の加護の本当の価値について、です。
このエピソードも難産でした。
第24話とは異なり、書きたい事が多過ぎて、それをまとめるのに、物凄く時間がかかってしまいました。
本当は正月中に、もう少し詰めて書き直したかったのですが、第63話~65話に、予想以上に時間がかかってしまい、全く手を付けることが出来ませんでした。
今週から土曜日配信にしておいて良かった。そうでなかったら、配信遅延案内を出さなければならないところでした。
次の第26話では、エルンストが密かに偉業を成し遂げます。
そして第27話では、ランが王国騎士団と宮廷魔術師団の訓練の歴史を変えるきっかけを作ります。
第一章第26話は、来年1月17日(土)20:00公開です。
第25話 宮廷魔術師団団長の奮闘⑥―魔法陣―
来週もよろしくお願いいたします。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
月 千颯 拝




