第百三話 絶対に実現しなくてはならなくなりました。
翌朝、というか、既に日付が変わっていたわけだから夜が明けてというべきか。
全然足りてない睡眠に、眠い目を擦りつつ船に乗り込むと休憩室に着くなり倒れ込むように眠りこけ、ロイに揺り動かされて起きるまで一度も目を覚まさなかった。
いざとい眠気で頭が回らないのでは役に立たない。
半日ほどとはいえ眠ったお陰でだいぶ頭もスッキリした。
とりあえず速攻で屋敷に帰ると即座に邸内にフリード様の家に向かった。
ところがその玄関には鍵が掛かり、名前を呼んでも、ベルを鳴らしても一向に返事が返ってこない。
なんでっ!
どうしてお留守なのっ!
急いで戻って来たのに間に合わなかったなんて言わないよねっ!
いや、待て、落ち着け。
仮にフリード様に連絡が来ていたとしても、奥様とお母様はウェルトランド内にある学校で、簡単な読み書き計算の教師をして下さっている。あのお二人から辞表は出されていないのだ、あの義理堅い方々が後任が決まらない状態で突然連絡も無く辞めるとは考えにくい。
今日も昼には敷地内の幼い子供達に簡単な読み書きを、仕事を終えた商会の従業員達には夕方から算術の授業をしてくれる予定になっていたはず。
ならば奥様とお母様がいないのは多分、学校だ。
だけど肝心のフリード様が見当たらない。
どこかへ出掛けてる?
副団長を解任されたのだ、騎士団支部には行かないはず。それとも団員達に挨拶に行っているのかもしれない。だとしたら、商会事務所に行けば今日の門番表があったはず。今の門番か午前中に門に立っていた警備に聞けばわかるかもしれない。ここから近いのは商会事務所、ならば先に当番表をチェックして向かった方が早い。
私は踵を返すと商業棟に向かって走り出す。
そうして息を切らせて飛び込んだ事務所はもぬけの空。
そりゃあ商業班のメンバーは営業に出ていたり、職人と打ち合わせに行ってたり、会議室に集まってたりと事務所にいないことも多いけど、来客対応のために必ず最低二人くらいは事務所に残しているはずなのに。
キョロキョロと見渡すと、後ろに付いて来ていたイシュカが左奥の廊下ヘ続く扉を指差した。
「ハルト様、向こうから複数の人の声が」
向こう?
あっちにあるのは会議室と保管室と資料室、就職希望者の面接室だ。
言われて耳を澄ませば確かに小さな人の騒めきが聞こえる。
私を追いかけてきたマルビスとロイが遅れて到着し、マルビスは空の事務所に残り、私はイシュカとロイを連れ、その廊下へ続く扉を開ける。
『廊下は走らない』などとお堅いことはこの際抜きだ。
人垣ができているのは一番奥、面接室の前だ。
何か問題が起こったのか?
変わった人問題児でも尋ねて来たのか?
私達の足音に気が付いて部屋を覗き込んでいた従業員達が振り返る。
「ハルト様っ」
「何かあったの?」
私の問いに商業班のドレイクが戸惑ったように扉の方をチラリと見る。
「それがその・・・」
如何にも言いにくそうに口篭るドレイク。
「ちょっとゴメン、通してっ」
割れた人垣をかき分けて扉に辿り着くと、そこにはシュゼットと面接官のジンジャーとハリオット、そして私の探していたその人物がいた。
あまりにも驚いて目が飛び出んばかりに目を見開くとノックも忘れて部屋に飛び込んだ。
「フリード様っ」
その音に驚いてフリード様が振り向く。
「やあ、ハルト。もう帰って来たのかい? 随分と早いね」
ホッと安堵して目の前が滲んだ。
良かった、本当に良かった。
私はまだ謝罪することが出来る。
強くて温かくて、優しいこの人を巻き込んでしまった罪を。
「申し訳ありませんでした」
私はそう言葉にすると深く腰を折った。
元はと言えば私がフリード様を巻き込んだのが原因だ。私がマイエンツの喧嘩を買ったから、陛下の要請をゴネていなければフリード様があの場に付き添うこともなかった。それよりももっと前、ヘンリーを受け入れた時、私にヘンリーをもっと上手く扱えていたならヘンリー様は騎士団支部に来ることもなく、まだ学院で生徒達の指導をしていたはず。
こんな不名誉な汚名を被って役職を辞することもなかった。
「何故君が謝るんだい? ハルト」
フリード様に尋ねられたものの下げた頭を上げられない。
私の力が至らず、フリード様に責任を負わせることになってしまった。
すみません、ごめんなさい、申し訳ありません、そんな言葉だけで許されるなんて思ってない。でも他の言葉が見つからない。
こんな時に相応しい言葉はなんなのか。
知っている人がいたら教えてほしい。
私が余計なことをしなければ、もっと穏やかに対応していれば避けられたかもしれない。それでも私は負けん気が強くて、理不尽な言い分に我慢ができなくて、もしかしたら私のこの性格が余計な諍いを起こしているのだろうか。
でも横暴で我が儘勝手な行いを黙って見ていられなかった。
人の意見も忠告も聞こうとせずに横柄に、上から目線で命令されるのは我慢ならなかった。それを許して下手に出ればああいう輩は調子に乗って更に無理難題や余計な仕事と責任を押し付けてくる。
成功すれば自分の手柄、失敗すれば私の責任。
そんなのはもうゴメンだ。
惨めな自分に戻りたくなくて意地を張る。
結局私は生まれ変わっても生きるのに不器用で。
他の誰かならきっと、もっと上手くやれただろう。
不甲斐ない自分が悔しくて、ポロリと溢れた涙を拭う。
泣くな。
泣いて許されるようなことじゃない。
泣いたら優しいフリード様は私を責められなくなる。
みっともない顔を見せられなくて顔を上げられないでいると、少し困ったようなフリード様の声が聞こえた。
「陛下に聞いていないのか?」
何を?
私は頭を下げたまま小さく首を横に振る。
だって陛下は私が願ってもフリード様の処分を撤回してくれなかった。
叶えられたのは除隊処分を退団扱いにできただけ。
名誉は守れなかったのだ。
守れたのは書類上の名誉だけ。あの場にいた貴族達には不名誉な除籍扱いで話が回っているだろう。
「成程、ハルト、君が慌てて帰って来た理由がわかったよ。
私を心配してくれたんだね」
小さく笑ってフリード様がそう言った。
「私などがフリード様を心配するなど烏滸がましいとも思ったのですが」
「いや、私を心配してくれる者がいるということはそれだけでも充分嬉しいよ。
それでハルトは私がここを黙って出ていくのではないかと思って慌てて帰って来たということで合っているかな?」
私は答えられない。
だってそれを認めたら御迷惑をかけたのに、まだ側にいて欲しい、助けてほしいって言っているのと同じだ。私にそんな願いを口に出す権利なんてないのに。
黙ったまま動かない私の前にフリード様がしゃがみ込み、私を安心させるかのように優しく肩を叩いた。
「出て行くわけないだろう? それは要らぬ心配だ。
私の妻も母も、ここでの生活を気に入っている。ここを出て実家に戻るとでも言ったら二人がかりで説教、説得されるだろうね」
そうかもしれないけど。
でもフリード様が本当に嫌だって言ったなら一緒に戻るだろう。
顔を上げられないでいる私の両頬を挟んでフリード様は強引に上を向かせた。
涙でぐちゃぐちゃの私を見てフリード様は優しい顔で微笑った。
「君が言ったんじゃないか。御役目を終えたなら私に仕事を手伝って欲しいと。次の行く先があったから許可を取って陛下のもとを離れることにしたんだよ。あの場では私が責任を取った方が丸く収まって都合が良いと思ったからね」
フリード様の言葉に一瞬戸惑った。
「都合が、良い?」
どういう意味だ?
責任取って解雇されることが?
「そうだ、陛下と私達が描いたシナリオ通りだよ。
なんの咎めもなく陛下のもとを辞してここにくれば貴族から反感が出る。だが責任を取らされた形であれば問題なく君のところに来れるだろう?
それとも、あの時、自分の仕事を手伝って欲しいと君が私に言ったのは単なる社交辞令だったかな?」
「そんなはずありませんっ」
そんなはずないっ!
だって私は本当にあの時、そして今も、フリード様が手伝ってくれたならどんなに心強いだろうなって思った。すごく強くて、なのに穏やかで、優しくて、頼りになって、面倒見が良くて、こんな優秀な人、きっと陛下は手放さないだろうなって。
だけどフリード様に汚名を着せるのは本意じゃなくて。
陛下に除隊取り消しを願った。
でも、だけど、本当にフリード様が私のところに来てくださるためにその咎を背負ったというなら、不謹慎にも私は嬉しいって、そう思ってしまった。
申し訳なくて、合わせる顔がなくて、何度謝っても許されることじゃないって、そう思ってたから、自分の力が及ばなかったことが悔しくて、情けなくて涙が出た。それでもせめてって、陛下に願ったけど、全部は叶えられなくて。許してもらえなくてもいい、自己満足にしか過ぎないけど謝ろうって。
でも、そうじゃなかった。
これは最初から陛下とフリード様が企んで書いていたシナリオ。
私はまんまとフリード様に騙されたってことだ。
だけど私に内緒で企んでのことだったのに、騙されて、こんなに嬉しいと思ったことは一度もない。申し訳なくて止まらなかった涙が、今度は嬉しくて流れ出す。
涙と鼻水が垂れ流しでひどい顔をしてるだろう私の顔を持っていたハンカチで拭ってくれる。
「私は私の意志でここに来たんだ。君に雇ってもらうためにね」
私はしゃくりあげながら尋ねる。
「何故、それを、最初に教えて、下さらなかったのですか?」
「誰かが責任を取らねばならない状況になるとは限らなかったからだよ。それは話の流れ次第で、そうなると決まっていたわけではない。責任問題に発展していないのに私が責任を取って辞めますというのはおかしいだろう?」
そりゃそうだけど。
責任取れって言ってないのに責任取りますって名乗り出たら怪しいことこの上ない。何か裏があるんじゃないかって疑われるのが普通だ。
でも、
「私に一言言って下されば・・・」
わざわざこんな雇用窓口に来なくても、こちらから伺った。
するとフリード様は小さく首を横に振った。
「私だけ特別扱いしてもらうわけにはいかないよ。
ヘンリーもここの雇用窓口に訪ねて来て、君に雇ってもらったんだろう?」
あれは訪ねて来たのではなく突撃してきたのだ。
退職届が受理される前にふらふらとやって来てここに居座ることになったのだ。それでヘンリーが天才変人魔導研究者だったから話がややこしくなって、それでヘンリーを監視するためにフリード様はここへ来て下さった。
もしかしたらヘンリーがいなかったら、こうして親しくさせて頂くこともなかったのかもしれない。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
わんわんと泣きながら何度も感謝の言葉を繰り返す私にフリード様が困ったように微笑う。
「御礼を言うのは私の方だ」
? ? ?
フリード様に御礼を言われるようなことを私はした覚えはない。御迷惑なら散々かけてきた覚えはあるけれど。
予想外の言葉に驚いて私の涙が引っ込んだ。
どういうことだ?
意味が解らなくて首を傾げた私にフリード様は語り出す。
「私はこの歳になってもまた夢が見られるとは思わなかった。
子供の頃に見た夢は叶い、後は穏やかな毎日を送るだけだと思っていた。だが、君の話を聞いて、年甲斐もなくワクワクしたんだよ。それは壮大な夢ではあったが挑む価値のある、素晴らしいものだと思った」
夢?
私はその時に話した会話を思い出す。
そうだ、私は大事な人達を戦場に送り出すことがないようにしたいと、だから多くの国や人と縁を『楽しい』で繋いで、他国にいる友人を踏みつけることのない世界にしたいんだって壮大というよりも壮大すぎて夢物語みたいな話をした覚えがある。
フリード様は嬉しそうに、愉しそうに口を開いた。
「是非、私にも君の夢を叶える手伝いを・・・
いや、違うな。私も君達と同じ夢が見たいんだ。
君の夢を実現するための仲間に私も加えてもらえないだろうか?」
それは願ってもない。
私はまた一人、心強い味方を手に入れられたのか。
差し出された手を取って私はしっかり握ってまた泣いた。
私は微笑って応えた。
「これからよろしくお願い致します」
すごく嬉しい。
だけどそれと同時に思ったのは、私のこの目標は、何が何でも叶えなければならなくなった。
たくさんの人を巻き込んで、協力を得て、
だけど、きっとこれだけ頼りになるたくさんの仲間が集まったのだ。
きっと、私の見た夢は叶う。
叶えなければならないと、そう思った。




